第59話「優しいおまじない」
たった一言。
だが何よりもマリナの心を震わせるやさしいまじないの言葉だった。
「あ……あぁ……。あああああっ……!」
膝が折れ、マリナは頭を抱えて絶叫する。
同情はしない。
マリナが行ったことはあまりに身勝手で、人の心がないものだった。
私を魔女にするため。
レクィエスを誘導し、果ての地にたどり着かせるため。
産まれていないのに魂が力を振るうほど、強力な魔女となる素質をもったこの子を、確実に産ませるために。
マリナの目的はただ一点。
魔女を生み出すことだけ。
そのためにたくさんの人が亡くなり、国は大きな損害を受けた。
魔女を根付かせるためだけの、魔女のための生産性に特化した、虚しい目論見だった。
(少しはわかる。私も自分のことしか考えず、レクィエスもこの子も傷つけた)
私が死に、ファルサに憑依した時系列をマリナはどう思っていたのだろう。
そこに私の身体はないのに、この子に会わせて何がしたかった?
あの時、レクィエスに向かって攻撃をしかけたマリナ。
戦意喪失していたレクィエスをかばい、私は二度目の死を迎えた。
何を知りたかったというのだろう?
わからないが、それを聞く気にもなれなかった。
私は腕の中で静かに泣くこの子を抱きしめて、折れそうな足を踏ん張らせてレクィエスのもとへ向かう。
ボロボロになった私たち無我夢中で駆け寄って、三人で抱きしめあった。
「ありがとう。ウェリナ」
「うん」
「愛してる。……二人とも、愛してる」
「私も。二人のこと、愛してるわ」
きっとこの想いは、マリナが知らないもの。
彼女がレクィエスに与えられなかったものを、これからいっしょに知っていく。
それが私に出来る最善の母孝行だと、小さな命に二人でキスをした。
「あ……」
愛しい子が淡い光を放つ。
どんどん薄くなっていき、私は切実に首を横に振った。
「いやだ。消えないで。もう諦めないから! ちゃんとママになるから!」
「うん」
子どもはキラキラした笑顔を浮かべ、私の頬に触れコツンと額を合わせてきた。
「また生まれてくる。約束。名前、楽しみにしてる」
「……レクィエスと考えるわ。私たちの願いをこめて」
そしてあの子は大きくうなずき、「またね」と言って光の粒となり消えた。
ステンドグラスから差し込む光に溶け込んでいき、私はその場に膝をついて静かに涙を流した。
レクィエスも膝をつき、完全に剣から離れて私を抱き寄せる。
「生きよう。いっしょに」
愛してると同じくらい、胸にあたたかいものが溢れる言葉。
私はちゃんと持っている。
痛みに負けない言葉を。
痛くても愛情をもって言葉をおくれる勇気を――。
***
それからマリナは静かにその場を去り、女神像が祈るだけの空間が残った。
傍観していたファルサはおもむろに女神像に近寄り、何やら思い出し笑いのようなものをこぼし、すぐに背を向けた。
「どちらかと言うと、私もマリナさんに似ているんです」
のんびりとした足取りで、何の意味も持たせる気もなく思いつくがまま口にする。
「この先も私は母になることはないでしょう。それよりは”聖女様”と呼ばれている方がおもしろいので」
わざとらしく唇に人差し指をあて、あいまいに微笑んで終止符を打つ。
彼女の力は癒し、ただ傷を癒すだけなのか。
食事と言った彼女は誰よりも魔女らしいのかもしれない。
魔女は子を産むことで人となる。
進化を与えるのではなく、本当に望んでいたものは何だったのか。
それを望まないファルサは、ある意味ですべての母のように思えた。
(ちょっと、疲れたかな……)
血を流しすぎた穴の開いた手に菌が入り込み、熱が発生する。
腫れて少しずつ壊死していこうとする手のひらを反対の手で抑え、熱に呼吸が荒くなった。
「ウェリナ? ……ウェリナ!?」
意識が途絶えた。
それから数日間、私は高熱にうなされていたらしい。
目を覚ましたとき、城の一室で切羽詰まったレクィエスに再会する。
戦いが終わり、どうなったかを尋ねると、城下町の被害はさほど拡大しなかったと教えてもらう。
ただし教会は崩落し、魔物と対抗していた兵の一部は下敷きとなり亡くなった。
命を根付かせるためにやってきた魔女は、欠落したまま一人、島を去っていった。




