第40話「肩書きは私を殺せない」
「うっ! 離せ! この悪魔!!」
(子ども……?)
黒くて艶やかな髪に、裕福な身なりをした女の子。
白眼を血走らせて、憎悪に歪んだ表情を私にぶつけてくる。
手に握っていたナイフが落下し、さみしい金属音が石畳に滑っていった。
「あなた、誰?」
知らない子どもだと認識するも、相手はカッとして短い足をばたつかせた。
たくさんの人に恨まれている。
それは理解しているが、大人の顔しか想像が出来なかった。
こんなまだ年端も行かない女の子が、悪女として男を惑わしたことに恨みをもつとすれば理由は何だ?
憎悪に年齢は関係ないと、少女の目を見て唾を飲み込んだ。
「パティア・ドルミーレ。伯爵家の者よ」
(ドルミーレ……ってまさか)
先ほど、父親から亡くなったと聞かされたばかりの哀れな故人だ。
「そうだよ。パパね、魔物に殺されちゃったの」
「ごめ、なさ……」
「それは誰に対して? パパ? それともあたし?」
誰に向けたものでもない謝罪は宙をさ迷う。
パティアから向けられる憎悪は、容赦なく私の心臓を突き刺してくる。
伯爵令息は悪女に惑わされ、最後は魔物との戦いで死んでしまった。
残された少女を前に、私は何を謝るべきか見いだせない。
私が惑わさなければこんな結末を迎えなかった?
魔物の犠牲になることなく、平穏に暮らせていたかもしれないのに?
どこからどこまでが、私の罪になるの?
喉がひりついて、くるしい――。
パティアは癇癪を起こし、捨て身で私にぶつかってくる。
私はバランスを崩し、ひび割れた地面に倒れ込んでしまった。
パティアがナイフを再び掴んで振り下ろす。
コントロールのない力だけの衝撃にナイフは耐えられず、パティアの手からすり抜けていく。
切っ先が私の頬に触れ、皮一枚分の傷となって血が流れていった。
「パパがおかしくなって、ママが悲しんで……。パパが死んじゃったらママはもっとおかしくなっちゃった」
息の量が多すぎて声はかすれている。
苦しい気持ちが喉にフタをして、言葉にならないように塞いでいるのかもしれない。
パティアの涙が私の頬を濡らし、目を反らせない。
「ママがね、あの女のせいだっていつも言ってた。パパの気持ちを奪ったって」
(あー……そういうことか)
私が伯爵令息をたぶらかし、家族から奪ったことになっている。
男性の思考を狂わせるくらい、強烈に惑わす芳香だったのかもしれない。
あながち間違いでもないし、家庭崩壊したのは事実。
そこに付いてきたのが魔物との戦いで死亡した結末だ。
私の意図したことでなかろうと、起きてしまったことは消えない。
呪いと無関係だった彼らを巻き込んだ。
”それって、本当に私が悪いの?”
一瞬、そんな疑問が頭を過った。
なんて最低なことを思うのだと、浅ましさに腹が立つ。
もっと私がハッキリと拒絶していれば。
ちゃんと相手の状況を把握して動いていれば――パティアが泣く必要はなかった。
(やっぱり私、死ぬべきだった?)
未練がましくファルサの身体を乗っ取るような執念深さ。
それさえなければ苦しんだ人たちは晴れて解放されていた。
だけどレクィエスは救われない。
私に縛られたばかりに、レクィエスは戦いの先にしか救いを見いだせない。
“ウェリナ・リガートゥル”という悪女が消え、ただ一人喪失感を抱えて生き抜こうとし、生きられなくなった人。
何があろうと二度とあの結末だけは迎えさせない。
どんなに苦しくても、どんな犠牲が出ようとも。
レクィエスの愛だけは裏切らないと決めた。
そのことで石を投げられても構わない。
嫌なのはレクィエスにまで非難の石が飛ぶことだ。
私だけを責めてくれればいいのに、人は私にどんどん罪をつけて大きくする。
だんだんと、私が謝るべきは何かわからなくなってきた。
私の罪は、誰が裁けるというの? と虚無的な考えに視界が歪んだ。
(それでも私は決めたはずでしょ?)
どんな罪を背負ってでも、彼に悲しい想いをさせないと。
この愛する気持ちだけは絶対に否定しないと。
(誰かに認められなければ、彼のそばにいてはいけないみたいな……)
それを決めるのは私とレクィエスだ。
他人が私を許さなくても、レクィエスが求めてくれるなら私は彼しか見ない。
彼をたぶらかした罪は、彼にしか裁けない。
嫉妬心でファルサを巻き込んだのだから、私に石を投げていいのはファルサだけ。
断罪できるのは、英雄でも聖女でもない。
レクィエスとファルサ、二人の心だけだ。
――肩書は、私を殺せない。




