第4話「夫が愛していたのは」
問おうとした口は、すぐに彼によって塞がれた。
濃紺の髪が頬をくすぐり、まつ毛の長さがわかるくらいの至近距離となる。
私は目を見開いたまま硬直し、濡れたような熱を帯びた瞳に魅入られた。
ざらつく親指で唇をぬぐわれて、ようやく彼と“何をしたか”を察し、腰を抜かした。
(今のって……!)
「何を、って考えるほどウェリナには選択肢があるの?」
「選択肢って……」
「他の男はダメだよ。……頼むから、俺だけにしてよ」
全身がざわつく。
冷たい汗が背中を伝い、喉を指でなぞってみればそこには熱がこもっている。
先ほどまでとは違う、ギラついた彼の瞳が私を射抜く。
怒っているような、悔しそうな、切実な憂いが私に襲いかかってきた。
(他ってなに⁉ レクィエスだけって、そんなの……!)
この身体はレクィエスと恋人関係だったのか?
他の男となると、レクィエスだけではないということ?
考えれば考えるほど、キモチワルさに吐き気がした。
レクィエスは戸惑い混じりに私の肩に手を置き、そっと額に唇を落とす。
「好きだよ、ウェリナ。早く俺のこと、好きになって」
「――いやっ‼」
聞きたくない。
その一心で私はレクィエスの手を振り払う。
涙がこぼれ落ち、私は呼吸を乱して胸の前で両手を握りしめた。
「そんなに嫌?」
「あ……」
切実な表情に胸がチクリと痛む。
これは罪悪感なのか、私が傷ついているのか。
愛した夫が愛していたのは、私を殺そうとした悪女だった。
その事実を受け止められるほど、私は冷静でいられない。
「ごめんなさいっ‼」
これ以上は無理だ。
彼の眼差しを受け止められないと私は全速力で走りだす。
馬車に乗りこむと、一秒でも早く公爵邸に戻りたいと御者に伝え、乱れる思考を抑えるように腕を擦った。
公爵邸に戻ると部屋に飛び込み、化粧台の鏡の前で手荒にワンピースを脱ぐ。
どうして気づかなかったのか、首から下にはあちこち赤い痕跡が残っている。
見覚えのあるそれに私はカッと頬を赤らめ、力なくその場に座り込んだ。
「お嬢様~? お戻りに……ってどうされました⁉」
「イリア、私……」
着替えを手伝ってくれたのはイリアだ。
こんな身体になっていればイリアは驚いてしまうはずなのに、何も言わなかった。
どうしようもない不安に私はイリアの手を掴む。
「私、いつもこうなの?」
「えっ……いつもって」
「こんなにたくさん、痕がついてるの? いったい誰がこんな……!」
考えたくもなかった。
それを知れば妻として彼のそばで幸せだった私が浮かばれない。
幸せの記憶を砕くように、イリアは手を握り返してきた。
「もう止めてください。お嬢様はもっとお体を大事にされてください。……結婚もしていないのですから」
「誰と……誰が相手なの?」
「? レクィエス殿下ですよね? すみません、あたしは他の方は誰なのか……」
「……うっ、おぇ……」
「! お嬢様! すぐに桶もってきますから!」
イリアは私の背中をさするとすぐに桶を取りにいく。
私は何度も彼の指が身体のラインをなぞった事実を悟り、膝をついて縮こまった。
思い知る。
レクィエスが愛していたのはウェリナだった。
私を殺そうと、階段から突き落とした悪女と名高い人。
「あぁ……うっ……うああ……!」
記憶のとおりに進めば、ウェリナはファルサを階段から突き落とす。
そして聖女殺害未遂として断頭台に送られるはずだ。
何を思って私を突き飛ばしたの?
この”悪女の身”に入っているのは”私”なのに。
憎くてたまらない女が、私の愛した人の心を掌握していた。
ウェリナを失って、どういう気持ちで私と結婚したの?
やさしい眼差しはしておきながら、一度も私に愛してると言ってくれなかった。
私が愛してると伝えても、物思いに沈んだ微笑みを浮かべるだけだった。
いつかは心も体も満たされるようになると思っていた。
それも事実を知ってしまえばただの夢物語。
泣いて、泣いて、泣いて。
吐けるものもなく、私はその場で意識を失った。




