第36話「誰に謝っているの?」
「あの子の、名前を呼びたい……」
そもそも名付けていないので、無名状態。
私も知らないあの子の名前。
「その”未来の俺”は何やっていたんだろうな」
「え?」
焚火にあたったレクィエスの横顔は赤くもあり、儚さも見て取れた。
視線を追いかけると珍しく澄みきった夜空が広がっている。
たくさん煌めく星をキレイだと思いながら、私たちは星の名前を知らなかった。
「ウェリナに気づけなかったのは俺の失態。……だけどよくもまぁ、手を出せたよなぁ」
「えっ? えぇっと……」
「何かしらウェリナを感じていたとしても。だったらハッキリ言うはずだ」
「わかるはずないよ。普通、そんなことありえないから……」
「だったら悔しい。よりによってあの女……」
右手で額をおさえ、頭が痛いと首を振る。
レクィエスがショックを受けている点が私の異なる気がして慌てふためいた。
「あの女って、ファルサさんのこと?」
レクィエスはムッと口を尖らせ、そっぽを向く。
それがかわいらしくて新鮮だったものだから、ついイタズラ心に火がつきニヤニヤとレクィエスの顔をのぞき込む。
「ファルサさんのこと、嫌なの?」
「嫌というか……いけ好かない」
誰にも興味をもたないレクィエスが特定の誰かを嫌がる。
珍しい言動に、色んな意味でファルサは特別な人だと切なさが胸を撫でる。
くやしさに膝を立て、レクィエスの頭頂部にキスを落とした。
「素敵な旦那様だったよ?」
「そんなのはただの英雄の面被りだ」
「それでも。自覚なしだったけど、私は幸せだったからね」
罪さえ侵さなければファルサになることもなかった。
この手はすでに血に濡れている。
幸せであっても、犠牲の上に成り立っていた至福の時間だった。
心のトゲはあの子のことだけでなく、これからの罪滅ぼしも含まれる。
無条件に認められたファルサではなく、ウェリナとして祝福されたい。
英雄のとなりに立つには赤くなりすぎた。
「……その子は、俺を父親と認めてくれるのかな」
消え入りそうな声で、レクィエスが言葉に変えるのを一番恐れていた部分を口にした。
母はいなくなり、父親の愛情はなく、常に命の危険と隣りあわせの生活。
愛に飢えたレクィエスにとって、親という存在は不明確なもの。
私も母の愛情がなければ、もっと周りへの警戒心が強くなっていた。
愛され方を知らないから、愛する方法がわからない。
愛される以上に、愛することが怖くて、その割に愛を押しつけて距離感を探る。
私たちは愛という不鮮明なものに振り回されてばかりだった。
「レクィエスのことは好きみたい。だってレクィエスにパパだって認めていたもの」
魔物として暴走が強くなっただけで、本当はレクィエスだけを誘惑してほしかった。
おそらくそういう認識でよいはずだが自信はない。
あの子は魔物の力を持っていたが、それを制御できる器がなかった。
生まれてさえいない小さな子どもだ。
望んだとおりに力を扱えたならば、私もレクィエスももう少し器用だっただろうから。
(他の人はイヤ。……こわかったもの)
仲良くしていた義弟に襲われ、外でも常に狙われて。
すっかり男性に怯えていた私が唯一触れられてもいいと思えたのがレクィエスだった。
あの子のパパは彼だけ――。
「魔物討伐が終わったら静かなところに行こうね」
「うん」
愛しているからの約束。
償いは一生続くし、罪人と罵られても仕方ない。
(悪いことをしたのは私。……謝らないと)
”誰に?”と、一瞬脳裏によぎって振り払う。
そんなのはレクィエスとファルサに対してだ。
ならばこの罪悪感はなんだろう?
”私は誰に謝っているの?”
私に石を投げるのはよくても、彼を巻き込まないでほしい。
守りたいのに、私が彼を傷つけているように感じられて、濡れたお腹が痛くなった。




