第26話「英雄と聖女の歪み」
親指で強めに涙を拭われ、地面に倒れる私を引きあげる。
あちこち擦り傷だらけだ。
痛い思いをしたくないのに、レクィエスにはいつも恥ずかしいところしか見られていない気がした。
レクィエスは頬や指先に唇を当ててくるので、余計に涙があふれてしまう。
「影響を受けているならそれでもいいやと思っていた。初恋は事実だし。拗らせていたからウェリナを好きな気持ちは変わらないって言いきれたよ」
どうして、と問いたかった。
それにも“変わらない”と言い張るのだろう。
聞きたいことは山ほどあるけれど、今は後回しに。
答えを期待するより、自分から愛されにいかなくては欲しいものは得られない。
痛いほど思い知ったと彼の手に触れた。
「好き。……って言ったら、レクィエスは受け入れてくれる?」
「! 当たり前だ! 受け入れるもなにも、他を考えたことがないから!」
真っ赤な顔をかわいいと思ってしまうのは、私もずいぶんとどうかしている。
泣けずにいる人を前にして、私が抱きしめてもいいんだと思って胸が疼いた。
レクィエスが私の手首を縛る縄を切った瞬間、私は身を乗りだして背に手を回した。
「殿下! その女は処刑が決まっています! 聖女を殺害しようとした罪で……」
「だったら何?」
背筋が凍るほどの威圧に兵士がすくむ。
英雄の乱入に観客はざわつきだす。
魔物を倒せる存在として名を広めていた第二皇子が、よりにもよって悪女をかばっている。
しまいには「愛している」と血迷ったことを口にするので、誰もが現状にお手上げ状態だった。
「ウェリナを処刑? バカなことを言うな。そんなことは許さない」
「しかしこれは王の決定で……!」
「それが何? 別に俺、魔物を倒さなくてもいいから。目的さえ果たせればあとはどうでもいい」
仮にも第二王子である人が国を守らない宣言。
暴力的発言に聞こえるが、私にはレクィエスがこのような態度をとってしまうのも無理はないと知ってしまった。
誰にも有無を言わせないと、確固たる意志を表に出す。
国民を敵にまわしても平然とするのは、それだけレクィエスが人間不信だから。
誰よりも王族を嫌い、民を愛していなかった。
愛を信じられない人は、排他的な生き方以外知らないから。
誰も信じない人を愛しく思ってしまったら、抱きしめずにはいられない。
怖がりの彼が私にたくさん幸せをくれたから、ちゃんと愛に応えられる私になりたかった。
「? ウェリナ?」
レクィエスの肩を押し、外套を前に寄せて身体の向きを民に移す。
その先に私が向き合わなくてはならない人がいる。
偽りの記憶でも、ファルサがどこかで必ず見ていると知っていた。
この嫉妬心にも、自己嫌悪にも、臆病な心にも……ファルサに謝罪しなくては何もはじまらない。
「ファルサさん! 許してほしいなんて言いません! だけど謝らないのは絶対に違うから! 償います……もうあなたを奪ったりしないから!」
死なないからと自己都合で階段から突き飛ばした。
彼女にとっては死の恐怖であり、トラウマを与える行為だ。
さらに死後、彼女のあるべき未来を奪ってしまう。
憑依して主導権を奪ったあと、彼女はどこにいったのだろう?
疑問への答えは、今はいらない。
彼女に誠意と謝罪をしなくては、どの疑問も言い訳の材料集めになるだけ。
彼女が生きていけるように”ウェリナとファルサ”を切り離す。
「おい、あれって……」
観客席の最前列にいた男がある一点を指した。
それにつられて人々が目を向けると、鮮やかな青色がちらりと顔を出している。
アーチ状の出入り口から、黒いローブで顔を覆い隠す人が、フードを外しながら足を前に踏み出す。
迷いのない真っ直ぐな振る舞いに、私の呼吸は一瞬だけ止まった。
「あなたは私にとって特別な子。だからある意味、合意の上でのつもりだったんだけど」
私とファルサ、レクィエスにしか聞き取れないささやき声。
「こんにちは、リガートゥル公爵令嬢。いえ、ウェリナさんとお呼びしますね」
青いロングストレートの髪は、乾いた風に吹かれても輝きを失わない。
微笑みは慈愛に満ちていて、心の憂い一つ感じられず、私とは似ても似つかなかった。
(特別な子? ううん、今はそれより)
「ファルサさん。あなたを突き飛ばしたこと、許されるものではないけれど、謝りたいです。……申し訳ございませんでした」
砂利に手をついて深々と頭を垂れる。
傲慢な令嬢が深く頭を下げる現実に人々の目が点になっていく。
互いに向き合うと、ファルサが膝をついて私の肩を押し、顔をあげるように促した。
「辛いからってあんなこと、もうしちゃダメですよ。私だから無事に済んだのですから」
「本当に……すみませんでした。私、あなたに償いを……」
「償い……。そうですね、そうした方があなたもスッキリするでしょう」
ふしぎなことに怒りの片鱗も見えない。
ファルサはわざとらしく顎に指をあてて悩む素振りを見せた。
遠い観客席にも見えるくらい、派手に、大げさに。




