第15話「他の男に触れられるなんて嫌だ」
私はもう、この辛くてたまらない気持ちを抑えることは出来なかった。
愛されたかったのに、よりによって夫は悪女を愛していた。
そんな惨めな聖女がいてたまるか。
冷静でいられるほど、私は軽い気持ちで恋をしていなかった。
まさかこんな激情を叫ぶ日がくるとは思ってもなく、それこそ情緒不安定なウェリナみたいで吐き気がする。
かきむしるように喉に爪を立てた。
「……ウェリナ。こっち、来て」
レクィエスがそっと私の手を喉から離し、エスコートをするように路地裏に移動する。
泣きじゃくったせいで、ぐしゃぐしゃになった私の目元をハンカチで拭いだす。
「……出来ればやめてほしいと思っているよ」
その言葉に恥ずかしさで涙が引っ込む。
おそるおそる顔をあげると、思いがけない切なさが向けられて心臓に針が突き刺さった。
「でも仕方ないのもわかっているんだ。……ウェリナの意志に反してそうなってしまうことくらい、知っている。……ちゃんとわかっているから」
(どういうこと……?)
レクィエスの発言は意味深長だ。
まるでウェリナが望んで男を惑わしているのではないと言いたいみたい。
レクィエスに抱かれるのも、ウェリナの意志ではない。
それなのにレクィエスにせまっては肌を重ねていた。
そんなバカげた話があるのか?
ただの自虐行為ではないか。
心が伴わないのに傷ばかり負っていたことになる。
わざわざそんなことをする理由はない。
矛盾した行為をするウェリナの心情を想像し、吐き気に口をおさえた。
まるでそれもわかっていると言いたげに、レクィエスは私の肩に顔をうずめて強く抱きしめる。
レクィエスの背に手を回して、指を丸めて服を掴もうとして……止まった。
「お願いだから俺だけにして。絶対……絶対なんとかするから」
(いやだ……)
「愛してる。他の男に触れられるなんて嫌だ。……俺を利用していいから」
(いやだ……!)
「そんなの嫌っ‼」
動揺はやがて暴力的な顔に変わる。
レクィエスの肩を押し、壁に背中を打ちつけても震えが止まらない。
指先が落ちつきなく動き、手のひらに爪を立てた。
(こんなの報われない! 愛されるはずがなかった!)
盲目すぎるほど、レクィエスはウェリナを愛してる。
私の知っているレクィエスはさみしげな表情はしても、私にそれを向ける人ではなかった。
ここにいるのは子どものようにウェリナに執着をする愛を乞う人。
溺れるような恋であり、狂った愛だ。
「ごめんなさい……! 今、冷静になれない!」
「ウェリナ……?」
「こんな私、見られたくない! イヤなの! ……ごめんなさい」
かわいげもない。
醜い嫉妬にのまれた私をレクィエスの瞳に映したくない。
――黄金の瞳は英雄の証、泥まみれの女をキレイな瞳にいれないで。
先ほどまでの幸せが一転、私はどん底に落とされ、レクィエスを突き飛ばして走りだす。
名前を叫ぶ声に振り返れなかった。
――呼ばれたいのはその名前じゃないから。
(ファルサ……。そうよ、私を愛してよ! あなたをちゃんと愛してあげられる)
何の障壁もなく想いが通じ合う。
誰に非難されることもなく、おだやかな夫婦となれる。
わざわざ不幸に引きずりこむ悪女を好きにならなくていい。
報われない恋をするくらいなら、本当に愛している私を見て。
「……愛してるの」
馬車に飛び乗り、公爵家に戻る道。
声を押し殺して身体を抱きしめる。
愛され、報われることを望むのは誰もが望むこと。
聖女である以前に私は人だ。
愛した人と結ばれたいと願う生き物だ。
けれども彼の心は私に向くことはない。
ウェリナを通して私は愛に酔う。
私に向けられた愛ではないと知りながら、つい勘違いをして満たされそうになる心にブレーキをかける。
(もう、ウェリナと呼ばれすぎて、私は誰なのかわからなくなる……)
今のファルサはまだレクィエスに恋をしていない。
もしこのまま出会わなければ……。
「嫌いな人をうらやましいだなんて、最悪……」
熱のコントロールができないのは同情する。
きっとウェリナはレクィエスだけを選べば苦しくない。
だからこそ、考えるとウェリナの気持ちだけ見えてこない。
レクィエスを愛していたなら受け入れればいいだけ。
拒絶するのならどうして中途半端に身体だけ許したのか。
(それでもウェリナがいいんだ……)
レクィエスを振り回すことのできる人は、“ウェリナ・リガートゥル”以外に存在しないと悟った。




