『恥ずかしがり屋の女の子たち』
リオはその後、夜会に積極的に出て、花嫁を探した。
若くて、美しくて、実家が裕福な一人娘を。
ルビーには「そんな人間、存在しない」と言ってくれるフェイがいたが、リオにはいなかった。
世の中にはそういった一人娘というのは、存在はしているが、年頃になる前に、多数の求婚があり、婚約者が決まってしまうのが当たり前だ。その場合でも、選ぶのは女性側であり、男性は選ばれる側だ。
だがリオは、絶大な自信を持ったまま年を取ったので、つねに自分が選ぶ側だと、あれから五年経ち二十八歳になった今でも思っていた。自分のお眼鏡にかなう女性を見つけると声をかけにいき、最近は周りの人たちに、まるで不審者のように追い払われては腹を立てていた。
ある夜会で、一息つこうとお手洗いに入ると、中では大勢の男たちが談笑したり、タバコを吸ったりしていた。
そのまま進むと目の前から、だらしない中年太りの、髪も顔も脂ぎった男性が向かってきて、ぶつかりそうになった。男性は、スタイルが良い方にもかかわらず、下っ腹だけがぶよぶよとみっともなくふくらんでいる。見上げると、太っているわけではないのに二重顎になりかけ、まぶたがとろんと落ちて、目の下が骸骨のようにくぼんでいた。
不気味な姿だと、つい眺めてしまったところ、少し遅れてそれが鏡に映った自分の姿だと気がついたのだ。リオは自宅で鏡を見る時、いつも自分が一番美しく見える角度から、目を大きく開けて見ていたため、気を抜いた姿を見て衝撃を受けた。
リオの美しさは顔の骨が男性にしては華奢だという、中性的な魅力から来ていた。それは十代の頃は、絶世の美女と謳われるほどの美貌を形作っていた。しかし年を取ったことで、顔の皮が痩せてたるんだ時、多くの男性のようには骨が発達していないことで、落ちくぼんだように見え、年齢よりも老けて見えた。有利に働いていた点が、年と共に不利に働いたのだ。しかしそれはリオにはどうしても受け入れがたく、照明の加減で老けて見えたのだと自分を納得させた。
そして家にふらふらと戻ると、目を真っ赤に泣きはらした姪がいた。
慰めてやろうと反射的に近づくと、急に兄夫婦から突き飛ばされ、自室から出ないように言われたのだ。
「なぜですか、兄上」
「お前のことが、年頃の少女たちの間で噂になっているんだ。一回りも年下の少女に声をかけてくる、気持ち悪い男がいると」
リオはそんな言われ方に絶句した。
「誤解です。俺はただ……」
「放っておいた私も悪かった。とにかくこの家の名誉のために、お前には田舎にこもってもらう。領地で働いてくれ」
そのまま領地に送られた。
リオはひどい衝撃を受けた。自分がそこまでされるほどの悪いことをしたとは、思えなかったのだ。
だから領地で落ち着くと、だんだん腹が立ってきて、自分に起こったことを、使用人や、同僚などに話した。
「大したことないのに、ひどい扱いだと思わないか」
「そうですね」
「そう思うだろう。気持ち悪い男だなんて。ただ声をかけてやっただけじゃないか。自意識過剰なんだよ」
「そうかもしれませんね」
「一体、何様のつもりだ」
「まったくですね」
子爵の弟という立場だったので、最初はお世辞を言う者もいたが、一年も経つと周りの者から厳しい目を向けられるようになった。また最初はいた若い女性の従業員も次第に見かけなくなった。
女っ気がなくてさみしい思いをしている時に、ある日、表で若い女性たちが集まってなにかを話しているのが聞こえた。女性がいるだけで場が華やぎ、リオはつられて表に出て、女性たちに話しかけてやった。ただちょっと、おしゃべりがしたかったのだ。
リオは恵まれた生活から、質素な生活へ変わる時期で、痩せてきていた。目の下は落ちくぼみそれでいて皮がたるんでいるという、まるで骸骨のような不気味な外見に変わっていたのだ。だが久しぶりの女性相手だったので、満面の笑みでにたにたと目と口を吊り上げたところ、すべての歯車がかみ合っていない不気味な顔になってしまった。
話しかけられた女性たちは、悪い噂ばかりを聞くリオのそんな姿を見て、全員大きな悲鳴を上げ、我先にと逃げ出した。先に逃げた女性たちに置いて行かれると思った、残りの女性たちはパニックになり、その内の一人が派手に転んで、体を打ったらしく動けなくなったのだ。リオは急いでその女性に駆け寄り、起こしてやろうと腕をつかんだ。そして久しぶりにつかんだ、女性の腕の感触に、無意識に力をこめて握った。
女性はさらにパニックを起こし泣き叫んだ。リオが間抜けな顔で見ていると、悲鳴を聞いて四方八方から集まってきた領地の男たちに、いきなり殴られたのだ。
「え?」
リオは間抜けな声をあげた。
すぐに女性の腕を離せば良かったのに、わけがわからなかったリオは、握りしめたままだったため離すまで殴られたのだった。
後で領主代理に厳しく聞かれたが、意味がわからなかった。
「女性たちは、リオ様を見て逃げ出したのに、どうしてわざわざその女性の所に行って、腕をつかんだんですか? どうして何度も殴られても、離さなかったんですか? やましいことでも考えていたんですか?」
「は?」
リオはわけがわからず、腹を立てながら、自分がひどい目に遭ったこと、やましいことなんて考えてないこと、女性たちが逃げる理由がわからないことなどを領主代理に言った。
しかし泣きながら逃げ惑っている女性に、リオのほうから近づいたこと、殴られても女性を触ったままだったことは不利に働いた。
領主代理はとうぜんありのままを子爵に報告した。子爵である兄はわざわざ領地に顔を出した。
「それで、リオ。なんでその女性たちに声をかけたんだ?」
「ただ、声をかけただけです。そんなに悪いことですか?」
「理由を聞いている。男性たちだったらかけたか?」
「なんで男に、声をかけなきゃいけないんですか」
「いいか、リオ。『理由』を言って見ろ」
そう言われたリオはしばらく考え込んだ。そんなことを考えたこともなかったからだ。
「……女の子たちが喜ぶかなって思って。彼女たちのために声をかけました」
兄の子爵も、領主代理も、使用人たちも絶句した。
「――どんな点を喜ぶんだ?」
「え、だって俺が声をかけてあげたら、女の子はみんな喜ぶから」
「いつの時代の話だ。リオ、お前今年いくつだ。お前が芸術家に注目されたのは十四歳の時だったな。あの時と今は同じ体型か? 容姿だって衰えているし」
「そんなことはわかっているよ。当たり前じゃないか。人は年を取るって」
「わかっている? ならなんで声をかけた?」
「だから……喜ぶかなって」
「…………それで実際に声をかけたら、どんな反応をされたんだ?」
「それがひどくて。悲鳴を上げて逃げ出したんだ。何様のつもりだよ。こっちがせっかく声をかけてやったのに。ったく兄上、あの女たちに罰を与えてもいいくらいです。本当に失礼で」
リオは自分が被害者かのように、女性たちの愚痴をこぼした。
「…………リオ。お前はみんなに、『女性に声をかける気持ち悪い男』と思われている。そう思われる理由は、ここに来て、自分でその悪い噂をばらまいたからだ。だから女性たちは、お前を怖がっている。以上のことを、例え納得できなくても、理解しようとしなければいけない。そうでないとお前はもう里に住めないんだぞ」
「そんなのおかしいです。話したこともないのに、誤解されているなんて。女性たちときちんと話をさせて下さい。誤解を解きますから。その方が彼女たちのためです。それに恥ずかしがっているだけの子も、中にはいるんじゃないですか」
「リオ、リオ、……リオ。自分がどう思うかではなく、女性たちが怖がっていることを、理解しようとしてくれ。その努力をしないなら、私は子爵として決断しなければならない。リオ、頼む」
「女性たちと話して誤解を解きます。それが和解の条件です」
リオは今、断罪される立場であり、和解のための条件なんて出す権利はなかった。そもそもそれは普通は被害者の権利だ。そしてそのリオの発言で、リオが自分を被害者だと思っていることを、子爵は痛感した。
「リオ、俺も父上もお前の美しさは、神様からの贈り物だと思っていたよ。だがもしかしたら……」
子爵は泣きそうな顔で言いかけ、こらえきれず黙った。
「警ら隊、リオを牢屋へ」
歯を食いしばった兄にそう言われたリオは、子どものように口をあんぐりと開けた。
警らはリオを両側からはさむと、牢屋に連れて行った。
牢屋の中で衝撃から立ち直ったリオは、てっきりしばらくすれば兄が出してくれるものと思い、のんびりと過ごしていた。リオと違って、それほど外見が優れない兄は、リオに嫉妬して意地悪をしているのだろうと思ったのだ。
しかしそのまま他領と共同で経営している、大型農園に連れて行かれ、そこで働くことになった。とくに拘束もされず自由だったが、巨大な農園のため、作業する家が畑の中にあり、どこまで行っても脱出できないほど広かった。生き延びるためには家を拠点にするしかなく、リオはそこから一生出られずに過ごしたのだ。その内、兄が迎えに来るだろうと、ずっと信じて。
◇◇◇◇◇◇
その農園で働く人間は家族単位で来ている者が多く、リオのような単身の男はそういったものだけ集められ、専用の小屋に押し込められた。
ある時めずらしく小ぎれいで若い女性がいたため、リオは親切心を発揮し、喜んで声をかけに行ってやった。
「やあ、君、ここで何してるの」
「ひっ」
女性は、親に近づいてはいけないと言われている、男性の単身者が集まっているところに迷い込んでしまい、泣きそうになっていた。
そこへ脂ぎって皮もたるんだ中年男リオが、にたにたとした気持ち悪い笑みを浮かべて近寄ってきたため悲鳴を上げたのだ。すると、リオと同じ小屋に住んでいる、一番若いジェイが飛んできて、女性をかばった。
「この辺は危険だよ。帰るなら送るから」
そう言われた女性は、ジェイを見ると頬を赤らめ、急に身だしなみを整え始めた。
「そうだ、危険だから俺も送るよ」
リオはあわてて二人の会話に加わろうとした。しかし目の前にいるのに二人の耳にはまったく入らず、そのうち二人はクスクス笑いながら、歩き出してしまった。リオには不思議だったのが、二人は無視をしているわけではなく、ただ単にリオが目に入らないようだったということだった。
リオは腹が立つよりも、呆然として自分の小屋に戻った。すると一部始終を見ていた小屋の男たちに言われたのだ。
「お前馬鹿じゃねーの」
「は?」
「あんな若い女に、お前みたいな男が声をかけても喜ぶわけねーじゃん。むしろ怖がってただろ」
「なんだと失礼な」
「事実だろ。あの女の子、お前にまったく興味ないじゃん」
リオは現実がまるで見えてなかったが、今さっきの女性から、リオの存在が完全に目に入らないのはわかった。そのことでなんだかもやもやし、そして胸がまるでなにかにひっかかれるような不快感を覚えた。だがそれがなにかわからなかった。
だいたい『お前みたいな男』なんて失礼だ。確かにリオは年も取ったし、容姿だって衰えているだろう。スタイルだって悪くなっただろうが、当たり前のことでわざわざ口に出すことではない。
その後、リオはジェイと二人組になり、作業をする仕事があった。作業が進むにつれ、女性たちも集団で加わる工程があったが、初日からリオに対する態度はひどいものだった。
リオはひどく腹を立て、「こんな女どもに声なんてかけてやるものか」と意固地になり、黙って作業した。女性たちはジェイにはひっきりなしに声をかけたが、リオには近寄りさえしなかった。どうせ恥ずかしがっているのだろう。作業中にふと顔を上げると、ジェイのまわりは女性で一杯で、皆嬉しそうにはしゃいでいた。
リオはその目の前にいるのに、まるで存在しないかのように扱われていた。リオの心がまたひっかかれるような痛みを感じた。しかし気づかないふりをした。気づいてしまったらおしまいだと、なにかが警告を発していた。
そう女性たちはただ恥ずかしがっているだけなのだ。




