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リオ号、アトリ伯爵家に乗り込む



 三年後、リオとルビーは二十三歳になっていた。

 そして二人の愛の巣であるマンションに、実家の使いがやってきたのだ。


「このマンションは売却されます。ついては一週間以内に立ち退いて下さい」


 あわてたリオが、ウェイン子爵家に戻ると、兄のヒューが出迎えてくれた。


「兄上、どういうことですか。マンションを売却など」

「お前も知っているであろう。我が家の経営が傾いていることを。あのマンションは投資用に購入した、高級マンションだ。今売らずしていつ売るのだ」


「でも俺は困ります。父上はどこですか。父上なら許してくれるのに」

「何度も手紙を出したが読んでいないのか? 父上はぎっくり腰になって療養中だ。それにともない子爵位は私が引き継いだ」


「だったら兄上にお願いします。マンションに住まわせて下さい」

「なぜ」


「俺が住みたいからです」

「だったらマンションの家賃を払うか、自分で買い取れ」


「そんなお金はありません」

「お前……、父上が永遠に生きるとでも、思っているのか? 自分の人生をどうするつもりなんだ?」


 仕方なくリオは実家に戻り、いつものとおりなにも考えず、自分の部屋でルビーと暮らそうとした。しかしそれは許されなかった。兄嫁のメアリ夫人が激怒したのだ。


「どういうつもりですか。小さな子どもが五人もいる家に、女性を連れ込むなんて。百歩譲ってあなたがこの家の当主なら、好き勝手してもいいかもしれません。ですがあなたは、居候なんですよ」


 リオはいつでも絶対に自分は悪くないと思っているし、好き勝手に振る舞う人間性の持ち主だったが、さすがに幼い子どもの前では、少し考えた。


「ねえ。おじちゃん。なんで結婚できないの?」

「しー。そんなこと言ったら可哀想だよ」

「なんかおばさんに、ムチュウなんだって」

「知ってる。それジュクジョ趣味って言うんでしょ」

「このおじちゃん、ずっとここに住むの? イソウロウってなあに?」

「他に行くところのない人のことだよ。僕たちが面倒見てあげないと」

「なんで? 大きいのに自分で自分の面倒みれないの?」

「だからここにいるんじゃない」

「そうかあ、可哀想だね」

「わかった。おじさん。ボク面倒見てあげるよ。だから泣かなくていいよ」


 リオとルビーは、泣きながらウェイン子爵家を飛び出した。そしてリオはアナスタシアの実家アトリ伯爵家に向かい、ルビーは一度実家に帰った。




 リオは、アトリ伯爵家の応接間に通されると、さっそく話を切り出した。


「アトリ伯爵、遅くなって申し訳ありません。アトリ伯爵令嬢と結婚させて下さい」

「いや」


「なぜ!」

「だって、ボクに旨みないもん」


 あまりにもはっきりした返事に、リオはしばらく口がきけなかった。

 リオがここまで強気に出られるのは、ずっと『最強の婚約者』と呼ばれてきたからだ。

 リオの実家ウェイン子爵家は、様々な資源や技術を持ち、魅力的な契約相手として引っ張りだこだった。学院時代、リオやルビーが面と向かって批判されなかったのも、リオが婚約相手として人気で、多少の欠点には目をつぶってでも欲しい相手でもあったからだ。

 そのことを思い出し、リオはまた強気に言った。


「あの。俺と結婚すれば、アトリ伯爵家には見返りがあるはずです」

「いつの話をしてるの? 婚約した七年前は、そうだったかもしれないケド」


 驚いたリオは、目を見開いて、何度も『は?』と言った。

 アトリ伯爵は婚約にかかわる書類を持ってくると、リオの前で広げた。


「八年前、ウェイン子爵領に錫の鉱脈が見つかったヨネ。近代化で需要が高まっているから、子爵領の価値が一気に上がったし、トウゼン婚約の条件にも入ってる。我が領も毎年一定の産出量を分けてもらえると取り決めたんダ」


 その時の熱気をリオは覚えていて頷いた。


「でも国が求める量には足りなかったんだヨネ。だからあのあたり一帯、発掘調査が行われたんだ。途中で延期になったり、予算が削られたり、いろいろあったらしいんだけど、一人熱心な調査員がいてサ。その人がとうとう複数の領地にまたがる、大きな鉱脈を二年前に発見してネ。ウェイン子爵領のは、その一部にすぎないってことがわかったんダ」


 リオは、余計なことをしてくれた調査員を毒づいた。


「まあ、それからは一気に錫の価値が下がったんだヨネ。もちろん国が調整したから、値段が下がったわけじゃないヨ。ただ投資としての価値が、低くなったんだヨネ」


 アトリ伯爵は愛用の羽根ペンを、手元でくるくると回しだした。時々、まるで可愛いペットでもあるかのように、慈しみながら眺めている。


「つまりサ、錫がそこまで高価な物ではなくなったし、別にウェイン子爵領だけで採れる物ではなくなったってコト」


 焦ったリオは、必死に婚約の書類を指さした。


「技術提携の話は? 我が領でしか成立しない話です」


 アトリ伯爵は感情の読めない、ガラス玉のような瞳で、リオをじっと見た。


「君、自分の領地で起きたこと、まったく知らないノ? 自分の婚約の条件なのに?」

「……」


「君の領地に、おもしろい山岳民族がいたジャナイ。山脈の中腹に暮らしていて、めっちゃ手先が器用な人たち。物を作るのがとても上手で、彼らの作った道具は、アイデアからなにから人気だヨネ。でも欠点はそんなに量を作れないことだったから、ウェイン子爵領で特許を取って、我がアトリ伯爵家で製造販売しようという話だっタ」


「はあ」


「でもサ、一年前に大きな地震があったでショ。あれで彼らが住む場所を、変えないといけなくなって、結構離れた場所に引っ越したノ。古い町を捨ててネ。引っ越し先を正確に測量すると、ウェイン子爵領の隣の領地なんだヨネ。つまりその人たちも、技術も、全部隣のものになったの。そうするとこの話、君たちの家をわざわざ通す必要がなくなっちゃったの」


「……」


 平民は移動の自由が保証されていて、保護者は住んでいる領地の領主だ。貴重な技術を持っている民族も、移動してしまえば他領のものだ。だからそうならないよう手を打つべきだった。だがリオはなんの手も打たなかった。そして父親や兄がどうしたのかも知らない。興味がなかったからだ。


 リオは、必死に婚約の書類に目を通した。中にアトリ伯爵家への食糧支援という項目があった。


「あの、この食糧支援はどうですか。俺の家、いつも豊作だし、足りなくてもかき集めてきます。大量の支援ができますよ」


「こういうのはサア、どかんと大きく一回だけ支援が欲しいんじゃなくて、少ない量でいいから毎年安定した支援をして欲しいノ。我が領がイナゴの被害にあったのは八年前。周辺の領地にお願いしたら、例え少ない量でも毎年、支援してくれたんだ。八年間ずっとネ。でも君のとこはなにもしてくれなかったネ。婚約も締結したまま放置」


 アトリ伯爵は、まるでおもしろい実験動物を見るようにリオを見た。


「つまりネ、今更結婚したいと言われても困っちゃうノ。だってこの婚約をした七年前まではあった君の価値は、もう無いんだもノ」


 そう言って、アトリ伯爵は楽しそうに笑った。

 リオはなんとか時間を稼いで、最後まで書類に目を通した。必死で反論できる抜け道はないか探した。そして見つけたのだ。リオは意気揚々とアトリ伯爵に告げた。


「俺の価値が下がろうと、俺とアトリ伯爵家との婚約は生きています。

 それを解消するには結構な額の違約金が発生するんですよ。そんな金額払いたくないでしょう」


 リオは勝ち誇ったように言った。貧乏性のアトリ伯爵が違約金を払わねば、どうやったってこの婚約を解消できないのだ。リオの思うつぼだった。


「それにこの婚約の取り決めには、俺がアトリ伯爵令嬢と、いつまでに結婚しなければならないなんて決まりはありません。だから今更来たからと言って、責められる覚えはありません。俺に悪い所なんてないんですよ」


 リオは鼻息荒く言い終え、胸を張った。リオはこの議論に勝ったのだ。

 それにリオは不誠実な態度を責められようとも、書類上はなんの不備も無かった。


「そうだネ」


 アトリ伯爵はあっさりと言った。

 意気込んだリオは、自分の生活を守るために必死で言った。


「だから俺はアトリ伯爵家に婿に入ります。俺の花嫁を用意して貰えますか」

「いーよ」


 リオはほっとして、膝から崩れ落ちそうになった。今や背中は汗びっしょりだ。


「それではまた来ます。次はいつ来ればいいですか?」

「さあ」


 アトリ伯爵はのんびりと言って、使用人に出されたお茶を飲んでいる。


「あの……、俺の花嫁はいつまでに用意して貰えますか」

「そのうち」


「ふざけないで下さい。花嫁がいないと結婚できないでしょう?」

「えー、だってこの婚約。いつまでに結婚しなければならない、っていう取り決めがないって、自分で言ってたジャナイ」


 リオは愕然とした。リオはなんとなく規則というものは、自分が好き勝手にするためにあるものだと思っていたが、同じようにアトリ伯爵家側も急ぐ必要がないのだ。


「普通は、学院を卒業したら結婚するヨネ。今回の婚約も『卒業後両人の話し合いによる』ってなってたし。まあそれをしなかったのはリオ君だしなあ。それで手に入るはずだったアナスタシアを、逃しちゃったのもリオ君だしネ」


 リオは進退窮まったのがわかった。

 もしリオに以前のような価値があれば、アトリ伯爵もなにかしらの手段を用いて結婚を急いだろうが、今はアトリ伯爵側に急ぐ必要はなにもないのだ。

 そうすると、リオはあてにならないアトリ伯爵を、ただ待つだけになる。


 おまけに婚約を解消したら違約金が発生する。このケチな伯爵はなにがあっても、自分の方からは絶対に解消しないだろう。

 つまりリオがこの婚約を解消して、他の家と結婚するためには、リオ側が違約金を払わないといけないのだ。昔は裕福だった実家だが、今の話し合いで知った現状ではかなりの負担になるだろう。


 もともとこの違約金は、リオの父親がどちらに転んでもいいように設定した金額だった。アトリ伯爵家側が簡単に解消できない金額にし、それでも解消したらいい儲け話になると思ったのだ。仮にウェイン子爵家側から払ったとしても、当時の裕福な実家なら支払えた。つまり必要もないのに高額に設定し、欲をかいたのだ。だが今になって、リオの首を絞めていた。


 結婚の期限を設けなかったのもそうだ。父親はいい加減なリオの性格を見越して、折々の話し合いで細かいことを決めようとした。そしてそれは上手く行った。結局の所リオは、婚約した十六歳の頃から七年間、学院を卒業してから五年間、何の手も打たなかった。世の中は自分の都合良く決めていけばいいと高をくくっていた。そしてここで、相手もそれは同じだということに気づかされたのだ。


 さらに婚約が『リオ』と『アトリ伯爵令嬢』との間で結ばれているのも痛かった。これも父親がリオのだらしない性格を見越して、なにがあってもアトリ伯爵家と結婚できるよう、家そのものを婚約の対象にしていた。それが上手く行き、七年経った今でもリオの婚約は有効だ。だがこれが理由で、アナスタシアがリオと結婚しなければならない必要はなくなり、あっという間に逃げられてしまった。アナスタシアがいなくなったことにより、婚約が解消されれば、リオも自由になれただろう。リオのための婚約が、リオを縛り付けるものになっていた。


 いままでリオを有利な立場に置いていた取り決めが、今はすべて不利に働いていた。




 リオは絞り出すように声を出した。最後の砦にすがったのだ。


「それじゃあ、……アナスタシアと会わせて下さい。アナスタシアは俺のこと許して、エドワードと離婚して戻ってくれるはずです」

「そりゃまた、なんで?」


 アトリ伯爵が不思議そうに聞いた。どことなくわくわくしているように見える。


「そんなの俺のことを愛しているからに、決まっているじゃないですか」

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