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【シリーズ】ちょと待ってよ、汐入

【スピンオフ】あつい時にはアイスコーヒーを

暑い・・・九月も下旬なのに。残暑も大概にして欲しい。まだ真夏の様な暑さだ。殺意すら感じる太陽光線を日傘で避けながら大森珈琲店にたどり着く。仕事の一休みだ。そんなに暑けりゃ自分の事務所で休めば良いのだが、これはルーティンになっており、もはや意地になりつつある僕の極めて平凡な日常の行動の一つだ。


カウンター席に座り、一息つく。そしてカウンター越しにいる汐入にオーダーをする。

「汐入、まず水を一杯。その後コーヒーを頼む」


僕、能見鷹士は個人事業主としてコンサルタントを生業としている。元は大手シンクタンクで働いていたが、ブラックな企業風土に嫌気がさし、三十路が見え始めた28歳で退職。一念発起し、中小企業に特化した地域密着のビジネスコンサルタントとして起業した。B級グルメ、クラフトビール、映えスポットやパワースポットの開拓、アニメとのコラボや聖地巡礼のツアー、プロモ動画、SNSの活用など、商店街復興、地域活性化の為にあらゆる企画を地域の人と一緒に伴走するのがモットーだ。


「やれやれ。ワタシが淹れる珈琲をそんな汗だくで飲もうとするなんて興醒めだな。もっとエレガントに振る舞えないのか、貴様は」


そして珈琲を淹れてくれるのは汐入悠希。亡き父親の残した探偵事務所を継いでいるが、仕事のない時は大森珈琲でバイトをしている。つまりほとんどの日は大森珈琲にいる。

実を言うと汐入とは中学時代の同級生なのだが、当時はあまり親しくはなかった。女子剣道部にいたかな、ぐらいのうっすらした記憶しかない。高校は別だったが通学の電車が同じだったので話すようになり、それから親しくなった。所謂、腐れ縁ってやつだ。


「コトのついでだ。貴様にも限定メニューの水出しアイスコーヒーを出してやる」

と言って汐入はカウンターの端を見やる。その視線を辿り僕もカウンターの端を見ると梅屋敷さんが座っている。

「あ、梅屋敷さん!こんにちは!」

「よう。能見、お先に水出しアイスコーヒーを頂いているぞ」

梅屋敷さんは氷の入った涼しげなガラスのカップを持ち、挨拶してくれる。


「ここの所、立て続けに珍しいですね」

「ああ、また汐入にお出まし頂きたい事件があってな」

刑事をやっている梅屋敷さんから汐入は前回、初めて依頼を受けた。事件自体は既にホシも割れていて、依頼はちょっとしたトラブル回避の手助けだったのだが。

「また、何があったんですか?」

「ちょっと謎解きをして欲しくてな」

なんか面白そうだな。僕は色めき立つ。


「限定メニューの水出しアイスコーヒーだ」

汐入が僕の前に珈琲を置いてくれる。そして隣の梅屋敷さんに向け

「で、梅屋敷、依頼はなんだ?」

と聞く。


「ああ、犯人の逃避経路が不明なんだ。言い様によっては、所謂、密室のトリックってやつになるのかも知れない」

おお!これはまるでミステリー小説みたいじゃないか!ついに汐入にもそんな依頼が舞い込む様になったか!まるで雛の巣立ちを見守る親鳥の様な気持ちで僕は感慨に耽る。梅屋敷さんが続ける。

「順を追って話そう」


 ◇◇


事件のあらましはこうだ。ある親族の集まりが旅館であった。そこで人が一人、亡くなった。もちろん事件性ありだ。後頭部を鈍器で殴られていたからな。凶器は旅館の花瓶だ。指紋はない。

現場は11階建の大型旅館の8階、806室。

被害者は戸塚和幸46歳、第一発見者はその娘の戸塚沙希18歳。今回、戸塚家は一家三人、この二人と母親の優子、で同室に宿泊。

沙希が温泉から戻ってきた来たところ、ガイシャが部屋で倒れていたというわけだ。鍵はかかっていたから沙希は持っている部屋の鍵で開けて入った。つまり、密室だったという訳だ。母親は沙希と一緒に温泉に行ったが、もう少しゆっくりするから、と言い沙希が一人で早めに戻って来たというわけだ。


恐らくは一族のゴタゴタに端を発する身内の犯行だろう。動機は追々、解明していくから今は問題にはしない。


汐入には、犯行後の犯人の動きを推理してもらいたい。


 ◇◇


「ふむ。おおよその流れはわかった。沙希は犯行に関わる何かを見たか?犯人とすれ違ったとか?」

と汐入が聞く。梅屋敷さんが苦々しい表情で答える。

「そこなんだがな・・・。実は沙希は目が見えない。だから、沙希が部屋の鍵を開けた時、犯人は部屋から逃げることは可能だろう」

「ふむ。そのことについて沙希はなんと言っている?」

「目は見えていないが、ドアを開けた直後は無理だろうと言っている。部屋のドアは85センチだ。沙希は真ん中に立っていたし、壁の位置を掴むために白杖を振っていたから人がすり抜けるのは難しい、と言うことだ」


梅屋敷さんの説明から現場の状況を想像しているのだろうか、汐入は目を閉じて聞いている。

「なるほどな。確かにドアが開いた直後に出るのは、沙希の言う通り無理かもしれないな」

梅屋敷さんが話しを進める。

「それが無理でも、暫く部屋に潜んでから逃げる、或いは駆けつけた人達に紛れると言う可能性もある」

「ふむ。ドラマなんかで良くありがちなやつだな。密室の謎はそれで良いんじゃないか?」

おいおい、汐入よ、そんな投げやりでいいのか?僕は無用な心配をする。


「そんなに簡単ならわざわざ汐入センセを訪ねてこない。ここからがキモだ。沙希が親戚一堂に異常を知らせるラインに連絡を入れて、806室に皆が集まることになるのだが、それぞれエレベーターや階段などで鉢合わせをしている」

「なるほどな。身内の犯行だとしたら逃げた奴はおらず、全員現場に来ているわけだな」

「ああ。そうだ。これは現場に留まり駆けつけた人達に紛れると言うパターンを否定している」

「うむ。先んじて鉢合わせをしたのであれば現場に駆けつけた第二発見者を装うことは出来ないな」

なるほど。もし犯人が部屋に潜んでいたなら、先に駆けつけた第二発見者を装えばと言えば現場に潜んでいた事実を上手く隠蔽できる訳だが、それはなかったということか。それは確かに梅屋敷さんが困るわけだ。


「犯人は犯行現場から立ち去ってから皆と同じ行動をしなくてはならない。その分初動が遅くなる筈だが、行動に遅れた人物もいなかった。いや、そう言うと語弊があるな。むしろ、全員出遅れたと言うべきか」


「ほう!よくできているな!」

何に感心しているんだ?汐入は全く的外れな感想を口にする。

「皆が集まるまでの経緯をもう少し詳しく聞かせてくれ」

先程までの投げやりな態度とは打って変わって汐入は興味津々で梅屋敷さんに質問を投げかける。


「ああ。集まっていた親族は四家族だ。戸塚和幸の親夫婦2名、姉夫婦2名、妹夫婦とその息子3名だ。親夫婦は10階、姉夫婦と妹夫婦は5階に泊まっていた。姉夫婦と妹夫婦はエレベーターで鉢合わせし、さらにそのエレベーター組と妹夫婦の息子、親夫婦とは8階の階段の踊り場で鉢合わせしている。つまり全員がガイシャの部屋に到着する前に揃っていたという訳だ」


「ふむ。なんでエレベーター組と階段組が踊り場で鉢合わせするんだ?」

「ああ、ここはさらに説明が必要だ。姉夫婦と妹夫婦は上りのエレベーターで8階に向かったのだが何を間違ったのか9階で降りてしまったのだそうだ。廊下を少し進んだ時、部屋番号が900番台である事に気がついて、階段で8階に向かったという。8階に到着したとき下の階から階段で移動していた息子さんの涼太郎くんと会ったと言うことだ」

ふーん、と汐入は頷きながら聞いている。

「親夫婦は下りのエレベーターで移動したが、同じように9階でエレベーターを降りてしまったらしい。その後、階段で向かった際に皆と鉢合わせた。皆、気が動転していたのかも知れないな」


「よし。わかった」

「わかったのか!?汐入!」

「いや、ごめん。そういう意味じゃない。現場を見る必要があることがわかった。梅屋敷の話しだけで解るならワタシもアームチェアディテクティブを名乗れるが、流石にそんなに明晰な頭脳は持ち合わせていないからね。能見、ここの旅館、予約してくれないか?」

「えっ?僕が予約?」

「そうだよ。せっかくだから温泉に連れて行ってやる」

「えっ?僕も行くの?」

「な、現場を見て温泉でゆっくりしよう。夕飯も楽しみだなぁ〜」

「えっ?ゆっくり楽しむ?」

恐ろしい勢いで巻き込んでくるな。こちらの都合はお構いなしだ。


「いやいや、僕は行かないよ。汐入の仕事なんだから汐入が一人で行けばいいだろ?」

「まあ、そう言うな。な、梅屋敷、報酬は能見の宿代でどうた?」

「ん?宿代を直接負担することはできないがそれ相当の費用で、というなら特に構わんが」

「よし!決まりだ!能見、なる早で予約頼むぞ!」

ああ、またしても巻き込まれた。わかったよ、予約するよ。殺人事件の現場確認なんて、とても温泉や食事を楽しむ気にはなれないけど・・・。


 ◇◇


週末、僕らは某温泉旅館に来た。僕のテンションは低めだ。


「おっ!なかなか清潔感があって良いじゃないか!ふーん、浴衣が選べるのか?いいな、これ、可愛いじゃないか!」

はしゃぐ汐入を見ていると、楽しまなきゃ損だな、考えが変わった。よし気分を切り替えよう!


「へ〜、家族風呂があるぞ、なぁ、どうする?」

いや、汐入よ、冗談はよしてくれ。

「不要だ。僕は大浴場へ行く」

「ハハッ!間に受けるなよ、冗談だよ、冗談!」

冗談も大概にしてくれ。悪夢だな、これは。余計なことは考えず、温泉と食事を楽しもう。


「なあ、能見、レディファーストだ。エレベーター、エスコートしてくれ。6階だ。ボタンを押してくれ」

やれやれ。どこまで僕をこき使う気だ。ま、旅費は負担してもらっているからこのぐらいはやってやろう。

「はい、お嬢様。お乗りください。エレベーターで6階にご案内します」

大根役者のように感情を込めず汐入をエスコートし6を示すボタンを押した。


 ◇◇


特に調査らしい調査もせず、温泉でゆっくりし、食事を堪能した。


翌朝、汐入に

「調査はしないの?」

と聞く。

「ああ、もう確認すべきことは確認した。さ、帰ったら梅屋敷に報告だ」

えっ?いつの間に?なにを確認した?こんなんで梅屋敷さんからお代を頂いてもいいのか?大丈夫か、汐入?


翌日、大森珈琲店のカウンター席に梅屋敷さん、隣に僕が座る。カウンター越しに汐入が珈琲を淹れている。


「密室の謎はおおよそ見当がついた」

「そうか。早速聞かせてもらおう」

「ああ、聞かせてやる。だがその前に、あの一族に建築とかデザインに関っている人がいないか?趣味が模型とかでも良い」

ん?なんの確認だ?旅館で汐入が何を確認したのかもわからない僕はことの成り行きを見守る。

「ああ、妹夫婦の息子、涼太郎くんが大学でデザイン系を専攻しているな。それが何だ?」

「ふむ。涼太郎か。有力な容疑者だ。まぁ、動機は梅屋敷の捜査に任せるが、スキルとしては申し分ないだろう」

スキルってなんだ?汐入は犯人もわかってしまったのか?


「ワタシの推理を述べよう。犯人はおそらく涼太郎だ。涼太郎は犯行後806室に潜んでいた。旅館は大浴場があるが各部屋にもユニットバスが付いている。これは現場で間取りを確認した。多分そこに隠れていたんだろう。沙希がドアを開けて部屋の奥に進んだ後、そこから静かに部屋を出た。沙希は直ぐに部屋の異常に気がつくだろうから親戚たちがまもなく駆けつけてきてしまう。そうなるとその流れより早くても遅くても犯行を疑われる。だから涼太郎は皆の到着を遅らせることにした」

「遅らせた?どうやって?」


「皆をエレベーターで9階に下ろした」

「なんだと?どうやったらそんなことができるんだ!?エレベーターに異常はなかったと旅館側は言っているぞ。それに沙希は大浴場からエレベーターでちゃんと8階にたどり着いている!」

「そこがまさにワタシが現場で確認したかった点だ」

ここまで聞いてもまどなにを確認したのかわからない。汐入は一体何を確認したんだ?


「梅屋敷、当たり前のことだがエレベーターに乗ったら何を見て行き先のボタンを押す?」

「そりゃ、ボタンに書いてある数字・・・あ、まさかそこか!?」

「ああ、ボタンにカバーをつけて数字を巧みにズラしていたんだろう。好都合な事にあの旅館のエレベーターは2階のボタンが抜けている。吹き抜け構造だからな。ボタンは1、3、4、5、6、7、8、9、10、11と並んでいた。これを予め作っておいたボタンのカバーで1、2、3、4、5、6、7、8、9、10に変えた」


「そうすると8階のボタンを押すと実際には9階を指定していることになるな!」

「これで皆の到着を遅らせて且つ部屋に着く前に自分と合流させることができる。だがその前段階で沙希にはちゃんと部屋に来てもらわなくてはならない。鍵を開けてもらって密室を偽装しなくてはならないからな」

「そんな都合の良いことができるのか?エレベーターのボタンはズレているんだろう?」


梅屋敷さんの疑問に、僕はハッと気がつき声をあげた!

「そうか!点字だ!」

汐入をエスコートしたあの時、エレベーターのボタンの脇に点字があった。沙希さんの話を聞いていたから盲目の人でもエレベーターにちゃんと乗れるんだなぁ、と思ったことを思い出した。


「ほう、能見、ちゃんと気がついたか。ヨシヨシ褒めてやる」

「なるほどな。点字の部分はそのままにして数字のところを変えていたというわけか。犯人は沙希の母親が長湯だと言うことも事前に知っていた可能性があるな。よし、わかった。この線で操作を進めてみる。涼太郎には部下を見張につけておく」


 ◇◇


後日、梅屋敷さんから、汐入、ビンゴだ!と連絡が来た。


和幸のDVから沙希を守る為に涼太郎が犯行を決行したとのこと。親族の集まりは和幸の親夫婦がリードしていたが宿の予約などは涼太郎がネットを使い手伝ったようだ。その為、涼太郎は事前にしっかり下見ができた。ボタンのカバーは、涼太郎がフロントへの連絡役を買って出てエレベーターで下の階に向かう際に回収したとのことだ。


「汐入、いつから、どこまでわかっていたの?」

「部屋への到着に皆が手間取っている話を聞いた時、何かあるな、思ったよ。沙希は迷わず部屋に戻っていたからな。目が見える人と見えない人をそれぞれどう誘導したんだろう、と考えた。あとは現場で実際のエレベーターとボタンの形をみて充分あり得ると判断したのさ」

得意げに汐入は話す。


「今回は色々気になって温泉を楽しめなかっただろ?今度、ゆっくりどうだ?」

「なっ、なにを言っているんだ、汐入!」

熱い。顔が熱い・・・。

「おっ!どうした、能見?暑いのか?水出しアイスコーヒーでものむか?」


                    (終わり)

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