それが母さんとの約束……
「臭いんだよ!」
――はい?
目が点になる高斗
当然、意識の中のタカトも驚いた。
(アイナちゃん、なんで! というか、臭いのはこの体! だから俺じゃない! たぶん)
だが、次の瞬間!高斗の腹に強烈なボディブローが決まった!
「うげ!」
唾液をたらす高斗の体は前かがみに倒れこむ。
――なんで……意味が分からない……
そんな高斗は答えを求めるかのように震える手をアイナへと伸ばした。
しかし、アイナはその手をパン!と払うと、
「触るな! お前からはアダムの匂いがするんだよ!」
と、アイナの細い足が高斗の横っ面を勢いよく蹴り飛ばしたのだ。
宙を舞う高斗の体。
顔をゆがまし吹き飛んでいた。
そして、その体はついにはビルの端を超え夜の空へと飛び出した!
そう、そこは何もない空間。真下には建設資材が山となっている地面がむき出しとなっていた。
そんな地面へとあおむけになった高斗の体はまっすぐに落ちていく。
――もしかして……俺……死ぬのか……こんなところで……
ビルの屋上の端から見下すアイナの顔が、まるでスローモーションのように小さくなっていく。
(あれ……このシチュエーション……どこかで見たことがあるような)
意識の中のタカトは、ふと思った。
(そうだ……幼き時、獅子の顔の魔人に追われた母が俺を助けるために崖から落とした時とそっくりだ)
だが、待て……
(この状況から考えて、普通、落ちたら死ぬよな……絶対に)
だって、あの崖の方がもっと高かったような気がするのだ。
(でも、俺は生きている……というか、なんで助かったんだ?)
そう思った瞬間、タカトの全身を激しい衝撃が襲った。
ウゲェ!
かすむ視界。
体を動かそうとしても動かない。
唯一聞こえてくるのは、まるで肺に穴でも開いたかのような漏れる呼吸音だけだった。
それも……消えゆく視界同様にドンドンと小さくなっていく。
それと共に、体中に激痛が走るのだ。
うめき声……それすら出ない、声が出ない。
――死ぬんだ……俺……
だが、そんなタカトの体が急に持ち上げられた。
そして、ギュッと抱きしめられたのだ。
頭の上から響く女の叫び声。
「この身がどうなろうとも……必ずあなたを助けます……」
タカトの頬に強く押し付けられるふくよかな感触。
――ああ……柔らかい……この感触なんだよ……この感触……
だが、その正体を確かめようとするよりも早くタカトの意識は消失した。
「ピっ!……イブの存在消失を確認……」
タカトの暗い意識の中に音がした。
それは声というより電子音。
まるで機械がしゃべるような抑揚のない声だった。
「ピっ!……アダムの存在を再確認……EDシステム起動……」
それを聞くタカトは思う。
――EDシステム? インポ? エデン? おでんのことか?
分からない。
だが、先ほどから仰向けとなった体は動かないのだ。
もう、まぶたすら開かない。
そんなタカトの頭を聞き覚えのある声が優しくなでた。
「タカト……」
それは女の声。
「大丈夫。タカトは必ず助かるからね……母さんはタカトの笑顔が大好きよ……」
――この声は!
そう、それはタカトの母ナヅナの声。
忘れもしない母がタカトを崖から落とす寸前にかけた言葉だ。
崖から落とす……それは一見するとタカトを殺そうとしたかのようにも思える。
だが、
――あの時、母さんは笑っていた。
そう、ナヅナはきっと分かっていた。タカトが崖から落ちたとしても生き残ることを。
その理由は分からない。その気持ちを推し量ることは『今の』タカトでは到底できない。
だが、事実、タカトは助かった。
「これからもみんなをもっともっと笑顔にしてね。本当に本当に大好きだったから……」
タカトは必死に目を開けようとする。
これは何度も何度もうなされてきた光景。
脳裏にベッタリとこびりつく恐怖の一幕。
それは獅子の顔をした魔人への恐怖。いや、目の前で家族を失ったことへの恐怖にほかならない!
だから!タカトには分かるのだ。
――これは夢!
というか、なんで、崖下に母ナヅナの姿があるのだ?
あの時、崖上で獅子の顔をした魔人に首を掴まれつるし上げられていたはずではないのか。
ならば!
――夢ならば動く! 動け! 俺の体!
何度もやり直したいと思っていた。
しかし、それはかなわない。
過去があって今がある。
そう、どんなに苦しかろうが過去は決して変わらない。
――そんなことは分かってる!
だが! 夢だと分かっていても、もう一度、母の顔を見てみたい。いや!見たい!
見たいんだぁぁぁぁぁ!
――母さん!!!!!!
おぼろげな視界。
そこには一人の女性が立っていた。
にっこりとほほ笑むナヅナ。
――母さん……母さん……母さん……
いつしか、タカトの眼からはボロボロと涙がこぼれ落ちる。
だが、これは夢……目を覚ませば消える夢。
タカトはそれを何とか残そうと手に持つカメラを母へとむけた。
しかし、それは『モモクリ発見!禍機断ちねん!』、カメラと違って被写体を記録する能力がまるでない。
どうやらタカトの奴……ぶっ倒れる直前、ビン子をおちょくるためにカメラマンになり切っていたため勘違いしてしまったのだろう。
だが、被写体を記録する能力はないが、被写体の真なる姿を映し出すことはできる。
そんな『モモクリ発見!禍機断ちねん!』のディスプレイに映し出されていたのは……
赤い目を持つ白いウサギ。いや白い猫?
それはまるで、とある魔法少女に出てくるかのようなキュゥべ〇みたいな姿をしていた。
そんな白い悪魔がディスプレイの中でニヤリと笑うのだ。
「タカト。決して争ってはいけません。人を傷つけるような道具を作ってはいけません。争いは心を乱します。悪いものが起きてしまいます。だから心、静かに穏やかに。これからずっと笑って過ごしましょう……ピっ」
『モモクリ発見!禍機断ちねん!』の外では母ナヅナが笑いかけていた。
――そうだ……それが母さんとの約束……
俺は絶対に人を傷つける道具は作らないと決めたんだ……
「タカト! タカト! タカト! 起きてよ! タカト!」
タカトの顔面を激しい衝動が襲う!
「いてえな!」
タカトは目を開けようとしたが開かない。
先ほどから顔面が激しく痛いのだ。
だが、そんなタカトの体がギュッと抱きしめられたのである。
「よかった! タカト! もう心配したんだから!」
この匂いはビン子のもの。
――懐かしい……
おそらく、ビン子が抱きしめてくれているのだろう。
この感触……崖から落ちた時に抱きしめられた感触とどこか似ているような気がする。
――あゝ……なんだか、俺……長い時間、どこかに行っていたような気がする。
そのせいだろうか。ビン子の貧乳を、あのお姉さんのふくよかな胸と同じように感じてしまうとは……
確かに、胸の感触はまるでない……だが、どこかホッとするのだ……あの時と同じように……愛する者に抱かれるかのように心が落ち着く……
しかし、あれは夢……
この頬に走る痛みがまぎれもない証拠なのだ。
「って、なんで!こんなに頬が痛いんだよ!」
今のタカトの顔はまるでアンパンマンのようにまん丸……というか、頬どころか唇もまぶたもパンパンに腫れていた。あまつさえ、鼻の両穴からは鼻血まで垂れているではないか。
というのも、タカトの頬にはビン子の往復ビンタが数百回も撃ち込まれていたのであったww
おそらく、その顔に与えられた衝撃は相当のものだったに違いない……
さすがにこれは……ひどい……ひどすぎる……
「虫よ! 虫! 虫が顔中にいたのよ!」
そんなタカトにビン子は言い訳をした。
というか、どうしてこうなった?
それを語るには少々時間をさかのぼらねばならない!
それはあの時! ビン子がパンチ、いや、パンチらをタカトに見せつけるために大きくジャンプした時の事である!
ビン子の足が地面へと着地するとともに何かを踏みつけたのだ。
グニャ!
プシュー!
瞬間!噴き出す大量の白いガス!
それはまるでシュールストレミングの缶詰を開けた時のように凄い勢いで噴出した。
瞬間!あたり一面に立ち込める異様なニオイ!
生ごみ臭と硫黄臭が混ざったような腐臭がビン子の真ん前でカメラマンのポーズをとっていたタカトに直撃したのだ!
その毒ガス攻撃は、タカトのHPを10,000ほど削ったに違いない!
だが、タカトのHPは、およそ……5……
ぶはぁぁぁ!
当然、即死モノである!
「うう……」
ビン子の眼がわずかに開く。
背丈の低い葉の表面にうきでるデコボコが間近によく見えた。
どうやらビン子の体は地面にうつぶせに倒れているようである。
おそらく、先ほど噴出したガスを吸って失神でもしたのだろう。
だが、運よく噴出点の直上にいたため直撃は回避できていた。
ならば、その直撃を受けたであろうタカトはどうなったのだろうか?
――タカト……タカト……
ビン子は目の前にいたはずのタカトへと必死に視線をずらした。
視界にはいる草むらの中に小汚い靴の裏が二つ見て取れた。
それは仰向けにぶっ倒れたタカトの足の裏。
先程からピクリとも動かない。
瞬間! ビン子は悲鳴にも近い声をあげた!
「タカトぉぉおぉ!」
よろける体に鞭をうち、必死にタカトに歩み寄る。
1メートル程の距離がこんなに遠いとは……
何とかタカトもとにたどり着いたビン子はペタンと腰を落とすと泣きじゃくる。
「タカト! タカト!」
タカトの頭を抱き寄せ頬を寄せる。
わずかに感じるタカトの呼吸。
「よかった……生きてる……」
だけど、このままではタカトがどこか遠くに行ってしまいそうな気がした。
それがあの世なのか……それとも異世界なのかは分からない。
でも、もうタカトに二度と会えないような気がしてたまらなかったのである。
それを感じ取ったビン子はタカトの頬を思いっきり叩きはじめたのだ。
「タカト! 起きなさいよ! タカト!」
必死に叩く!
手のひらが赤く腫れあがろうと必死で叩く。
そのたびにビン子の眼から涙が飛び散っていく。
でも、今、手を止めれば取り返しがつかなくなるような気がしてたまらないのだ。
どうしてもタカトを救いたい。いや、救わなければならない。
どうしてそう思うのかビン子には分からない……いや、本当は分かっている。
――私はタカトが好き! だから、タカトが死ぬなんてイヤ! 絶対にイヤ!
だが……そのタカトを想う心が本当のビン子の気持ちなのかどうかは、ビン子自身にも分からない……
「タカト! タカト! タカト! 起きてよ! タカト!」
「いてえな!」
ビン子の胸の中で、ようやくタカトが声を出した。
「よかった! タカト! もう心配したんだから!」
ほっと安心するビン子はタカトをギュッと抱きしめた。
「って、なんで!こんなに頬が痛いんだよ!」
はっと、我に返ったビン子は腕の中のタカトの顔をのぞき見た。
そこにはパンパンに腫れあがったタカトの顔。
――つい……必死になって叩きすぎたかも……だけど、タカトの意識が戻ってよかった(இωஇ)
だが、安心は束の間、こんなに泣きはらした顔をタカトに見られては、これから何を言われるか分かったものではない。
「やーいwwww 泣き虫ビン子www」
これぐらいならまだいい。可愛げがある。
「泣け! 泣け! いい声で泣きやがれwwww」
ベッドの上でさげすむ目を向けるタカト!
――ま……まぁ、これもコレでありだけど……なんかちょっと嫌(〃ノдノ)。
「お前、いちいち泣いているから貧乳なんだよ!」
――だいたい泣いていることと貧乳は関係ないだろ!
「貧乳! 貧乳! 貧乳!」
――もう! 貧乳しか言ってないし!
だが、タカトとはそういう奴だ!
しかも、なぜかタカトだけには「貧乳」と言われると妙に腹が立つのだ!
なにか心の奥底から「誰のせいでこうなったのよ!」と言わんばかりの怨嗟が沸き起こってくるのである。
ならば、このような姿を見せていいはずは決してない!
咄嗟に、目をゴシゴシとこするビン子。
どうやら、まぶたが腫れあがらせたタカトには目を赤く泣きはらしたビン子の顔は見えていないようだった。
「虫よ! 虫! 虫が顔中にいたのよ! だから!私の顔もこんなに腫れちゃって!」
と、とっさに言い訳を考えたのだった。
「こいつ……ようてんか!」
ようやく視界が開けたタカトは森中に響くような大声を上げていた。
「誰が酔うてんねん!」
咄嗟にビン子がツッコみ返す!
まぁ、このあたりのやり取りは定番の返しといえば定番の返し!
深夜の居酒屋では酔うたオッサンたちが「お前!酔うてんかwww」「酔うてへんわwww」と5分ごとにリピートしているぐらいなのだ。
いわずもがな、オッサンたちの中では聞きなれた会話文。
だが……先ほどのビン子の虫がいたという言い訳は聞くに堪えない。
酔ったオッサンたちであっても!おかんむり状態でプンプンプン!
「つまらんわ! ぼけ!」
そう! 仮に虫がいたとしても払えばいいではないか!
顔が腫れるまで叩くぐらいだったら、まだ虫に刺された方がましというもの。
それならば、「虫」ではなくて「ムッシュ」と言ったらどうだろうか。
そう!「ムッシュが顔中にいたのよ! ムッシュが!」と言った方が面白いではないか!
というか! ムッシュってなんやねん!
知らんのか! ムッシュとはフランス語の敬称で英語の「Mr.」や日本語の「さん」に相当するんだ!
そう、顔中がムッシュムラムラ! もうwwwwダチョウまみれであるwww
「叩くなよ! 叩くなよ! 絶対に叩くなよ!」
否定形は絶対の催促! ならば叩こうではないか! そうなればビンタにつぐビンタで顔中が腫れても致し方がないというものw
だが……ここにはダチョウも酔うたオッサンもいない……ケーキ屋さん「ムッシュウ・ムラムラ」も存在しない。
いるのはタカトとビン子のみ。
しかし、タカトはビン子の事をまるで無視!
別にボケがつまらんと怒っているわけではない。
その真剣なまなざし……地面に膝をつき手を伸ばしていた。
そこはビン子がパンチらを見せるためにジャンプした場所。
サボテンのようなものがぺしゃんこにつぶれていた。
それは一見するとサボテンの一種であるペヨーテのようにも見える。
ペヨーテとはメキシコのウイチョル族が儀式で使用すると言われるサボテンの一種。乾燥させたものを水に溶いて服用すると鮮やかな幻覚を見られるという。
だが、ここは聖人世界、メキシコではない。
だいたいペヨーテは丸い団子のような形をしたサボテンである。
それが……こいつ……控えめに言っても酔いつぶれたオッサンのように見えるのだ。
そう、これは『ぺっ・ヨーテンカ』!
魔草花『ニギリッ屁よん♡淳』と『ペヨーテもどき』の間で自然交配された半魔草なのである。
これ、実は、半魔草のため人魔症にかからないとあって女性たちには人気なのだ。
ペヨーテ由来の強い幻覚剤をその表面にできた口状の穴から吸い出す。
今はつぶれて見る影もないが、おそらく……この『ぺっ・ヨーテンカ』、つぶれる前はきっと眼鏡をかけたどこぞのイケメンそっくりだったのだろう。
そんな『ぺっ・ヨーテンカ』を某アイドルに見立ててディープキス。
口うつしで幻覚剤を取り込めば、もう、気分はうっとり。冬のアナタの主人公である。
だが、あくまでも幻覚剤は徐々に吸い出すもの。
一気に幻覚剤を吸い出そうと思えば、頭をかち割らないといけなかったのだ。
そんなことをすれば、まさにスプラッター! きっと某アイドルの親衛隊を敵に回すこと間違いない。
だからこそ、幻覚剤を欲する野郎であったとしても、その取扱いには細心の注意を要したのだ。
それほどまでに熱狂したファンとは怖い存在なのだ。それはもう、コンビニなんて簡単に破壊できるほどの恐怖!
それなのに……