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オカルト1

 無機質な白い壁に囲まれた一室。何かしらの薬品の強い匂いが漂う空間に、一人の少女がベットに横たわっていた。彼女の体には、まるで蜘蛛の糸のように複雑に張り巡らされた無数の機器のチューブやワイヤーが繋がれている。頭部には巨大な金属製の装置が被せられ、其処から伸びる無数の細いケーブルは、部屋の隅に設置された巨大な別の設備と接続されていた。時折発せられる機械音だけが、この静寂を破っていた。


 其処へ、廊下を急ぐ足音と共に一人の少年が息を切らして駆け込んできた。肩で息をしながらもまっすぐに少女のベッドへと視線を向けている。


「状態は? どうなんですか?」


「クボイ勇士……。手は尽くしましたが、厳しいと言わざるを得ません。恐らくはもう目を覚ますことも困難かと……」


 白衣の人物は、設備から視線を離し、重い表情で少年に向き直り、僅かに俯いて答えた。窓から差し込む夕暮れの光が、彼らの間に長い影を落としている。


「最後に彼女を元の世界に戻してやる事は出来ないのか? 彼女はずっと帰りたがっていたんだ」


「クボイ勇士。残念ながらそれは形而上学的可塑性によって不可能な事が証明されています。せめてこの設備が最後の安らぎになる事を祈るばかりです……」


 部屋に再び沈黙が訪れる。設備から発せられる規則的な音だけが聞こえてくる。


「琥珀……」


 少年の小さな囁きは機械音にかき消された。



 〜〜〜 



 学校のチャイムが鳴る。


 掛けられたカレンダーには十月とある。日は随分と短くなっていた。校内を肌寒い風が吹き抜けていく。雲の隙間から照る陽の光は、少し赤みがかってきている。教室は明日の事や部活動の事を話す生徒たちで騒々しく、廊下は教室から出てくる鞄を持った生徒でごった返していた。


「伊吹くん。大丈夫? ちゃんと寝れてる? 久保井くんもあれ以来学校に来てないし……。山名さんの事は悲しいけど、貴方の責任では無んだから、それほど思い悩まないで」


「ん。あ、あぁ、そうだな……」


 伊吹(いぶき)と呼ばれた男子生徒の席に、同じ教室の近くの席から女子生徒が一人やって来る。その女子生徒は心配そうに伊吹に話しかけた。伊吹は窶れており、女子生徒の言葉に、山名(やまな)という名前を耳にした瞬間、彼の瞳孔が微かに開いたが、すぐに虚ろな目に戻った。心此処に有らずといった様子で、ゆっくりと席を立ち上がると、無造作に鞄を手に取った。


「もし、何かあれば相談して。いつでも待ってるから。一人で抱え込まないでね」


「……ありがとな。二葉」


 二葉(ふたば)の言葉に、伊吹は立ち止まると、振り返らずにそっと返事をして、すぐに立ち去った。二葉は行ってしまった伊吹の後ろ姿を、不安げな表情で見送っていた。


 伊吹は無言のまま廊下を進んだ。窓の外では夕焼け空が徐々に濃さを増し、影が伸びていくのが見えた。足音を立てずに歩く彼の横を、下校する生徒たちが会話を弾ませながら追い越していく。彼は下駄箱にたどり着いた。其処で、ある女子生徒と出会う。その女子生徒は他の生徒と帰りの挨拶を済ませているところであった。


「……碧さん」


 声をかけられて振り帰った(あお)は一瞬だけ表情を固くしたが、すぐに明るい笑顔に切り替えた。


「あ、伊吹先輩。部活、今日はなかったんですか?」


「いや、ちょっと調子が出なくて……。休んだよ。碧さんは?」


 伊吹は碧の隣に並び、一緒に廊下を歩き始めた。二人の間には見えない壁があるように、互いに少し距離を取っていた。窓からは、夕陽に染まった校庭が見え、グラウンドでは部活動に励む生徒たちの声が聞こえていた。


「私はこの後塾ですよ。そういえば、先輩は進路決まったんですか?」


「ああ、琥珀と約束してた大学を受けるよ」


 伊吹の発した琥珀(こはく)という名前に、碧の歩みが一瞬止まる。しかし、すぐに何事もなかったかのように歩き続けた。


「そうなんですね。お姉ちゃん、喜ぶと思います」


 伊吹が唐突に立ち止まる。二人は学校の出入り口までやってきていた。


「お姉さんの事、ごめん……。もう少し早くトラックに気付いていれば、琥珀は死なずに済んだかもしれなかった……。琥珀は目の前で……」


  伊吹の言葉は途切れ途切れになり、その声には抑えきれない後悔と苦しみが滲んでいた。拳を強く握りしめ、爪が手のひらに食い込んでいた。

 伊吹の言葉に、山名(やまな)(あお)の表情が微かに曇る。


「事故は避けようがなかったんです。お姉ちゃんのことは、伊吹先輩のせいじゃありませんよ」


 碧の言葉は優しく、しかし断固としていた。風が二人の間を吹き抜け、碧の髪を揺らした。


「では、塾はあっちなんで。先輩、また明日」


「待って、碧さん」


 碧は、また直ぐに明るい笑顔に切り替え、通りを指さして別れを告げる。伊吹は振り返る碧を制止した。


「大丈夫です、本当に。それに、お姉ちゃんの話をしたって……」


 碧は言葉を途中で切り、カバンの持ち手をきつく握りしめた。


「時間なんで行きます。先輩も早く帰ってください。風邪ひきますよ」


 碧は軽く会釈すると、静かに立ち去っていく。伊吹はその後ろ姿をただ見つめていた。



 〜〜〜 



 夕暮れの帰り道を黙々と一人で歩き、大きな交差点に差し掛かった時、伊吹は足を止めた。通りは引っ切り無し車両が行き交い、多様なエンジン音が絶え間なく響いていた。目の前の歩行者用信号は赤く点灯している。


 信号機の根元には、花束が幾つか供えられている。

 交差点に至る道路の途中には大きく拉げたガードレール、アスファルトには長く黒々としたブレーキ痕が残されていた。悲惨な事故の痕跡が今も色濃く残っている。其処を警察官と思われるスーツの男が何かを調査していた。


「琥珀……」


 横断歩道の前に立った伊吹は、悲しそうな声で呟くと、そのまま俯いてしまう。信号が青になってもその場に立ち尽くしていた。


 どのくらいそうしていたのか、しばらくして伊吹は顔を上げる。信号は再び赤色を示している。

 周囲の様子は、先程までとは打って変わって、不自然な迄に車通りが途絶えていた。

 交差点は異様な静寂に包まれていた。


 突然に強い風が吹き抜け、伊吹は思わず顔を逸らし、目を細める。


「伊吹……?」


 風が収まり、再び顔を上げると横断歩道の先に、伊吹と同じ学校の制服を着た一人の女子生徒が立っていた。

 

「……琥珀?」


 伊吹は小さく呟いた。


「やっぱり伊吹だ! ずっと……、ずっと会いたかった……」


 女子生徒は信号が赤であることなど気にも留めず、伊吹の方に一直線に駆け出した。瞳に大粒の涙を浮かべながら、唐突に伊吹に抱きついた。

 近くで見た女子生徒の制服は、すこしくすんでおり、伊吹と同級生の者たちと比べ、明らかに使い古されているようだった。

 伊吹はその勢いに圧倒されてか、少しの間フリーズしてしまった。


「ちょ、ちょっと待て! どういう事だ? どうして死んだ筈の琥珀がここに居る⁉」


 我に帰った伊吹は、特段困惑した面持ちで、目の前に居る人物を振り払い、至極真っ当な疑問を投げかけた。


「……実は異世界に行ってたの」


 その人物は瞳に溜まった涙を、両手の踵で拭いながら、弱々しく答えた。


「い、異世界……⁉」


 更なる追い打ちに再び困惑する伊吹。琥珀は少し申し訳なさそうな表情を浮かべながら、しかし確かな現実性を持って伊吹の目の前に立っていた。


「長かった……。いろんなことが有ったの」


 山名(やまな)琥珀(こはく)は伊吹の前で柔らかな微笑みを浮かべている。


「はっ、馬鹿げた話だ。トラックに轢かれて異世界に行ってたって? そんな異世界物の定番展開みたいなのが現実世界にあってたまるか! 死人に変装して人を嚇かす不謹慎なお前は何者だ? ……それとも頭がおかしくなって幻覚でも見ているのか?」


 そんな琥珀の穏やかな様子とは対照的に、伊吹は大袈裟に鼻で笑った後、恐らくは本人の人生で最も激昂しているであろう様子で、言葉を矢継ぎ早に吐き出した。


「ふふ、嘘じゃないよ」


 対して琥珀は、微笑みながらゆったりと答えた。


「なら証明してみせろよ。如何にもな世界観なら、魔法とか呪術とかの一つや二つ使えるだろ!」


「異能は使えてるみたいだけど……、魔法はこっちでもつかえるかな? 見てて……」


 琥珀は両手を軽く前に差し出し、目を閉じて何かに集中する。すると、彼女の周囲に青白い光が宿り始める。その光は次第に強さを増し、やがて小さな光の球となって宙に浮かんだ。

 交差点には人影がまばらに見えたが、不思議なことに二人のやり取りどころか、この非現実的な状況にすら誰も気付いている様子はない。


「……マジかよ」


 伊吹は複雑な表情で、他でもない只それだけを呟いた。


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