本当の気持ち
マックスが倒れたのは二週間前のこと。
少し大きな島の砂浜に小舟ごと運んで横にさせてあげたけど、ボクは陸の上に上がる事はできないから、どうしても波打ち際になる。
――どうしよう? このままじゃ死んじゃう
苦しそうに咳き込み、全身に深い傷を負い、意識も朦朧としていた彼を見た時、ボクは迷わず助けることを決めた。でもどう考えても一人じゃ無理だ。
でもこれをパパとママに相談したところで「人間族なんか助けても」と反対されるに決まっている。
この大きな海の色々な場所で、人間族によって、少なくない同胞達が捕まり攫われているのだから人魚族の人間族への警戒心はそれだけ強い。
――でも……放ってなんかいられないよ!
秘密を打ち明けられる相手を探していたボクは、幼なじみのヒルダを思い出した。
彼女なら、きっと理解してくれるはずだ。
「えっ!? 人間族を匿ってるって?……マジで!?」
「凄く弱っていて……何とか助けたいの」
「ちょっと、正気なの? ナディア!? 回復したら襲ってきたりしない?」
案の定、最初は驚きの声を上げたヒルダだったけれど、事情を説明すると真剣な表情で聞いてくれた。
『戦争』という人間族同士の争いに家族ごと巻き込まれたこと、その混乱で家族と離れ離れになったこと、誰もいない海の上を食料もなく三日間も漂流していとことを。
「そっか……もしそのマックスという男の子が私だったら、きっと同じ思いだよね?」
ヒルダが、にっこりと微笑んでくれた。
「確かに危険かもしれないわ。でも、ナディアの選択は間違ってないと思う」
ヒルダの言葉に、ボクは胸が熱くなった。
「私にできることがあったら言って。貴女の大切な人なら、私の大切な人でもあるわ」
ヒルダは毎日のように薬草や食料を分けてくれた。
彼女の両親が薬草園を営んでいることもあり、珍しい治療用の海藻なども手に入れることができた。
この島の洞窟に、使われていない空間があったのを思い出した。
不便で誰も住まない場所だけど、水中では生きていけない人間族には丁度いい場所だった。ヒルダと協力して、その洞窟を住めるように整えた。
「大丈夫、きっと良くなるから」
意識のないマックスに話しかけながら、ボクは必死で介抱した。
ママから教わった治療の知識を総動員して、ヒルダが持ってきてくれた特別な海藻のパックを傷口に当て、大きな海草から作った包帯を巻いていく。
身体が冷えないように、柔らかい海藻で作った寝床も用意した。
一晩中、マックスの様子を見守り続けた。
ヒルダも交代で看病を手伝ってくれた。時々うなされて苦しそうな声を上げる度に、ボクは汗を拭ってあげたり、額に冷たい貝殻を当ててあげたりした。
こうして幾つもの夜を過ごし、お陽さまが水平線の上から登り始めた頃、やっと熱が下がり始めたのか、マックスの顔色が良くなってきた。
「ナディア、この子のこと、本当に大切なのね」
疲れ切ったボクの肩に手を置きながら、ヒルダがそっと囁いた。その言葉に、ボクは無言で頷くことしかできなかった。
◆◆◆◆
それからというもの、ボクとヒルダは、毎日欠かさずマックスの看病を続けた。
朝一番に新鮮な海藻のパックを取り替え、傷口を丁寧に洗い、薬効のある貝の粉を塗る。マックスが少しでも元気になれるように、美味しい貝や魚を探して持ってきては、スープを作って飲ませた。
「ナディア、それにヒルダ……君達に助けられなかったら、僕はきっと……」
そう言って感謝の言葉を口にするマックスに、ボクは首を振った。
誰かが困っているのを見過ごすことなんてできない。それに、マックスの命が助かっただけでも、十分に報われている気がした。
日に日に回復していくマックスを見るのは、本当に嬉しかった。最初は座ることもままならなかった彼が、今では自分で食事もできるようになり、少しずつ会話もできるようになってきた。
真夏の陽射しが海面をきらきらと照らすある日、ボクは決意を固めた。長い間悩んでいたことだけど、もう後には引けない。
人魚族にも効果がある体力回復の海草や、貝や小魚を運んでは、マックスに食べさせている。最初は見つけるのに苦労したけれど、今では海底のどこに何があるか、手に取るように分かるようになった。
水中を泳ぐ度に、尾びれが水を切る感触が心地よい。
人魚族であるボク達にとって、海は故郷そのものだ。
そんな海を一人漂っている傷ついた人間族の少年を見つけた時、ボクは躊躇することなく助けることを決めた。それが全ての始まりだった。
まるで銀の糸のような輝く髪と、この碧い海のよう澄んだ瞳に、ボクはつい魅入ってしまう。マックスの髪は、月光を浴びた波のように揺らめいて、時として深海の真珠のように神秘的な輝きを放つ。
その姿は、まるで海の精のようだ。
「そんなに見ないでよ」と照れた表情を浮かべるマックスに言われ、ハッとなる自分がいる。何故か頬が赤くなっていく自分がいる。心臓の鼓動が早くなるのを感じる。これが人間の言う「恋」なのだろうか?
ママやパパに言うと反対されてしまうのは目に見えていたので、机の上に置手紙を残すことに決めた。
両親の両親の顔を思い浮かべると胸が締め付けられる。
でも、今のボクには他に選択肢がなかった。
マックスの力になりたい!
そう思ってしまったんだから……
<出かけてきます。しばらく帰りません ナディア>
貝殻に刻んだ自分の置手紙を読みながら、たどたどしい文章にボクは大きく溜め息を吐いた。
海底で拾った真珠貝に、小さなサンゴの欠片で文字を刻むのは簡単な作業ではなかった。何度も失敗して、やっとこの一枚を完成させることができた。
しかし、ボクって、どうしてこう文才がないんだろう?
姉のリリアなら、もっと上手く書けただろう。
でも、独立して家を出たリリアの手は借りられない。今はボクしかいない。ボクがマックスを助けなければ!




