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珊瑚の森

『世の中で子供の約束ほど当てにならない物はない』……と、大人達は言う。

 失礼な!って思う反面、事実なのだから仕方がない。


 見知らぬモノ、新たな刺激を与えるモノに興味を示すのは、どの生物界においても子供なのだ。

 その生物としての本性を、観念やモラルだけで縛り付けるのは困難だ。こうして生物は先へ先へと進んでいく。

 知識も経験も積んで、大人になって行くのだから……


 と、尤もらしい言い訳を頭の中に沢山並べながら、ボクは珊瑚の森へと向かった。


「珊瑚の森の先には深淵が待っている。お前はまだ若すぎる」


 パパの言葉が耳に響く。確かにボクは、はっきりと約束した。


「絶対に珊瑚の森には近づかない……これは約束だよ」


 そう言いつけたパパの顔には深い愛情と心配が刻まれていた。それなのに、ボクは嘘を吐いた。


「うん、約束ね」


 そう応えておきながら、今、ボクは確かに禁じられた場所へと向かっている。

 進む世界はいつもの通り碧く、見上げれば陽の光が水面の境でキラキラと星のように瞬いている。

 心の片隅で父との約束を破った罪悪感が渦巻いているのに、好奇心はそれを簡単に押し流してしまう。

 嘘を吐いた事には胸が痛む。でも、もう引き返すわけにはいかない。


「ナディアじゃない? どうしたの、こんな所で?」


 ふと声を掛けられ振り向くと、イルカのドリーが声を掛けてきた。

 どうやらみんなで狩りをしていたらしく、彼女の後ろにはお母さんや仲間のイルカたちがフォーメーションを組んで、小さなお魚の群れを追い込んでいた。


 球形群(ベイトボール)という小魚の群れは、まるでそれ自体が巨大な生き物のように見えるけど、イルカたちは気泡をぶつけて巧みに追い込んでいた。


「ハイ、ドリー! ちょっと探検してるんだ」

「そうなの? でも、この辺りは危ないから気をつけてね」

「平気だよ! ボクこう見えて『人魚族(マーメイド)』の中じゃ一番泳ぎが上手いんだから!」


 そう答えて、ボクはドリー達と別れて先に進んだ。

 何処までも碧い世界が広がり、ボクは目を凝らして周囲の様子を伺った。


――いったいどこにいるのかな?


 珊瑚の森は、いわゆる珊瑚礁が沢山ある浅い海。

 その一角に『精人魚族(ローレライ)』は居ると言う。見る者を虜にしないではおかない美女とも言われ、魅せられた者を深遠へと引き摺り込んで返さない悪魔の使いとも言われている謎めいた存在。


 だからこそ会ってみたい、話を聞いてみたい。どうして『マーメイド』から『精人魚族(ローレライ)』になったのか?

 とても何がそのヒトをそこまで突き動かしたのか?

 ボクはひたすらに珊瑚の森を泳ぎ回った。


 その時だった。

 珊瑚礁が突然途切れ、碧い世界が急激に闇色に変わっていく!?


 迂闊だった。

 海の底は決して平坦なものではない事は判り切っていたのに……

 そう思った瞬間、身体が一気に押し流されていく。


――しまった!


 海流の本流に飛び込んでしまったボクは、潮の流れにもみくちゃにされる。

 人魚族(マーメイド)(エラ)と肺の両方を持っている。

 (エラ)器官は魚とは比べ物にならないほど複雑な機能を持っていて、淡水海水問わずの水中活動が可能となる。(エラ)は、人間族(ヒューム)でいう肋骨のあたりにあって、喉には(エラ)呼吸と肺呼吸を切り替えるため弁がある。


 それに体内には食道と気道に加え、水を口から(エラ)に送るための『水管』という人魚族(マーメイド)ならではの器官がある。

 でも、水中でアクシデントに見舞われた場合、弁の切り替えに失敗して突然肺呼吸になってしまい、そのまま水を飲み込み溺死してしまう事がある。


 今のボクがまさにそれだった。

 激しい水流の中で息が出来なくなり苦しい。必死に藻掻いてこの流れから抜け出そうとしても、掴まる物一つないこの海中では、ボクの力ではどうする事も出来なかった。


――誰か……助けて……


 どんどん力が入らなくなっていく。

 視界が一気に暗くなっていく。

 そしてボクの意識もまた、この深い海の底のように暗くなって沈み込んでいく。


「悠久の風よ! 我が身に宿りて旋風(つむじ)となり、狭間(はざま)の内を断ち切る剣と成れ!『高層両断(スペリオルカッター)』」


 僅かばかりの意識の中で、澄んだ女性の高い声が耳に届く。

 周囲の黒い闇が一瞬にして、眩いばかりの光に包まれ、ボクを無造作までに強く押し流していた潮の流れが一瞬にして断ち切られた。


――な、何……?


 ボクの周りにあった筈の水はなくなり、まるで釣り糸で吊り上げられた魚が宙を舞うかの如く、身体が虚空へと放り出される。

 そのまま、肺に空気が流れ込み、ボクの目は一気に見開くと同時に、生きようとする本能も急速に回復していく。


「ゲヘッ! ゲハッ! ゴホッ!」


 急激に咳き込み、気道に残る水を吐き出す。

 上下の判断も付かない状態で脳の動きは混濁したまま、それでも反射的に身体は自分の意志とは関係なく動き、生きる事を諦めようとはしない。


「大丈夫? お嬢ちゃん?」


 優しく背中を擦ってくれる手の感触が心地良い。

 だんだん意識が戻ってきて、周囲の様子を窺い知る事が出来た時、ボクは自分が海の上……いや、正確には空の上……にいる事に初めて気が付いた。


「ここは……? それにあなたは?」

「ここは珊瑚の森の上よ……可愛い人魚族(マーメイド)ちゃん……そして私はマリーナよ」


 ボクの肩を優しく支える菫色(バイオレット)の長い髪と雪のように白い肌、そして整った顔には、まるでガーネットのような輝きを放つ緋色の瞳があった。


「助かりました……あんな所に海流があったなんて……」

「そうね。此処は色々な流れが入り組んでいてね……人魚族(マーメイド)の方々は、まず来ない場所だから知らないのも当然かも」


 そういうと、マリーナさんはにっこりと微笑んだ。


「それで? 私に何かご用だったのかしら? 可愛い『人魚族(マーメイド)』ちゃん?」

「えっ……?」


 まだ海流に飲まれた影響が残っているのか、上手く言葉にならない。

 混乱するボクに、マリーナさんは、穏やかに口を開いた。


「『精人魚族(ローレライ)』……探しているのでしょう?」


 言われてハッとなり思わず彼女の下半身を見る。

 そこにはボク達と同じ尾鰭があった。

 ボクと色違いの菫色(バイオレット)と白の尾鰭が……!

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