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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ミニチュアガーデン

作者: 花岡ともや


小さな木の扉のその先に、薔薇のアーチをくぐり抜け、彼女が待つその箱庭に通うのがここ最近の僕の日課であった。


「おはよう。今日は寒いねえ。」


「おはようございます。今夜は雪が降るそうですもの。もっと寒くなりますよ。」


朝だというのに既に夜の話題を持ち出す彼女は、レラという少女だった。彼女は僕がサラを探しに行った先で迷い込んだこの庭にいた。


あの日、僕がサラ、と声をかけながら茂みを覗いていると、どなた? と声が返ってきた。レラは自分が呼ばれたと勘違いしたらしい。

僕は姿の見えない声に、


「すみません、猫を探しているんです。見かけませんでしたか? 白と茶と黒の三毛猫です。」


と話しかけた。


「見たわ、今日ではないけれど。よくここを通るのよ。ねぇ、こっちに来てみてよ。すぐそこに扉があるから。」


茂みと垣根の間、少し奥へ引っ込んでいてぱっと見ではわからないところに、扉があった。ちょうど僕の背丈にぴったりなくらいの小さな扉だった。


「おじゃまします。」


扉を開けると、薔薇のアーチがあった。もう秋も深まっている頃だったので花はなく、蔓薔薇の小さなアーチは僕の足を止めうるような可憐さはないのだが、僕は足を止めて立ち尽くした。

美しい金の髪がなびき、ヴィリディアンの瞳と真っ赤な唇、白い肌のレラに僕はみとれていた。


「まぁ、かわいらしい。どうぞ、こっちへいらして。」


かわいらしいなどという言葉は僕より彼女にふさわしいのに、レラは口から歌うようにそう言った。


「猫を探しているんですって?」


そう言われて、僕は庭の入り口に立ち続けていることに気付き、彼女に近付いてから、


「あの、最後に猫を見かけたのはいつですか。」


と、たずねた。


「さぁ、三日ほど前だったかしら。読書をしている時だから、お茶のあとくらいの時間ね。庭を通って行って、少し日向ぼっこをしていたわ。あなたの猫だったのね。」


「しっぽの先が丸くなってて、お腹のところが白いんです。僕のサラ、ちょうど三日前からいなくなって、どこに行ったんだろうって思って探してるんです。それから、どこへ行きましたか?」


すると彼女は少し首をかしげて、


「私、レラ。」


と言ってから、小さく笑った。


「自己紹介しましょう。私たち、まだあったばかりだって今気付いたわ。ね、あなたの名前は? 聞いてからだってお話はできるわ。」


少し焦ってはいたが、僕も少々落ち着くべきかもしれないと思い、


「僕はキナ。」


と答えた。


「それでキナ、あなたは猫を探してここまで迷い込んだのね。あなたの猫がどこへ行ったかは知らないわ。サンルームで読書をしながらうとうとしているうちに、どこかへ行ってしまったみたいだから。」


「そっか、じゃあ他を探してみるよ。ありがとう。」


僕は帽子を直し、踵を返した。


「待って、キナ。あなたの猫が明日も見つからなかったら、またここへ来て。猫を見かけたときは、私もあなたに知らせるから。」


「ありがとう。うん、またよらせてもらうかもしれない。その時はよろしく。」


そう言って僕は立ち去った。


後から考えてみれば、その庭はおとぎ話の絵本のようだった。あれからというもの、サラを見つけられない僕は毎日ここへ足を運んでいる。通っているうちに、冬が来てしまったくらいレラと時間を共にしている。もしかしたらサラはもう、と考えそうになる反面、この庭の居心地の良さに癒されてもいる。


「キナ、雪が降ったら雪うさぎを作りましょう。明日も来てね。」


「うん。必ず来るよ。」


見つからない猫と見つけた友達。どちらが僕にとって大切なものなのだろうか。


「ねぇ、お姉さんがシフォンケーキを焼いてくれたの。一緒に食べましょう。」


レラはサンルームを通って家の奥へ行ってしまう。庭に一人取り残された僕は、この庭にいらないもののひとつのように、ぽつんと浮いている。

ふいにサラを探し出したくなって、呼んでみた。


「サラ、サラ、僕のサラ。どこに行ったんだ。」


垣根が風でさわさわと音を立てる。何の動物の気配も見当たらない。

きっと今、僕がこの庭にいるのは不自然で、ここはサラやレラが暖まったり休んだりするためのものなのだろう。

居心地がいいと感じたのはレラがいるからだったのだろう。


「サラ、サラ。……レラ、お願い僕を一人にしないで。」


寂しくて、そう言うと彼女が来てくれそうで、僕は彼女の名前を口にした。

僕の声にこたえるように、風が吹いて庭木を揺らす。可愛らしく小さめな、けれど造りがしっかりしている丸テーブルと対になっている椅子は、がらんどうとしている。

もしかしたら僕がこの庭にいなければ、サラとレラで暖かい庭にいられたのかもしれない。僕が来たからこの庭は、こんなに寒くなってしまったのかもしれない。


「お待たせ。キナ、紅茶でよかった?」


レラが丸テーブルにシフォンケーキと紅茶が入ったカップを二つ置く。


「レラ。……ありがとう。僕は紅茶の方が好きだ。」


彼女が来ると、庭は落ち着きを取り戻したように風すら吹かなくなる。

椅子に置いてある膝掛けを足に巻き付け、カップに口をつけた。


「ねぇ、サラはどこへ行ったんでしょうね。こんなに寒いんだから、どこかで暖かくしているといいんだけれど。」


そう言ってレラはフォークでシフォンケーキを切る。


「私、あの猫が好きだったの。触ったことは一度もないけれど。」


「うん。サラはあまり触らせてくれる子ではないね。なんだか、人間と距離を取りたがる猫だった。」


「私の庭に入り込むのに、あの子の庭に入れてくれることはなかったわ。慎重で、用心深いのよ。」


「もしかしたら、サラはもう帰って来ないのかも。僕のところに来てから十年を過ぎていたし、僕とお兄さんがあの子をもらった時には大人だったからね。僕は本当に小さかったから、来たときのことは覚えていないのだけれど。」


僕もケーキを口に含むと、甘い蜂蜜の香りが鼻を通って抜けていった。なんだか心が落ち着いて休まる気がした。


「ねぇ、もしもサラが見つかっても、今のように会いに来てくれる? 私、この庭にはあなたが必要だって思うの。」


僕は驚いて彼女を見つめる。


「そうなのかい? 僕はね、たった数分前君がケーキを取りに行っている間、僕がどうしようもなくこの庭にふさわしくないと思ってしまっていたんだ。もうすぐきっと雪が降って、この庭を白く染めるだろう。そうしたら、僕みたいな褐色はてんでこの庭に似合わないんじゃないかって、そう思ったんだよ。」


「私、この庭にかわいいものを置くのが好きなの。キナはとってもかわいらしいもの。本当ならサラも置いておきたかったくらい。」


そう言いながら彼女はかわいらしい笑顔を僕に向ける。


「私、お姉さんが作ってくれるケーキが好き。このお皿やフォークにとっても似合うもの。お似合いなのが嬉しいの。私ね、私と、この庭はお似合いなんだって、ずっと心の中で自慢していたの。けれどね、あなたが現れてから、あぁそっかこの庭は足りないものだらけだったんだなって思ったわ。あなたとサラと私、全部がなくちゃこの庭は完成することがないのよ。」


「そっか、じゃあもうこの庭が完成する日はないのかもしれないね。悲しいけれど。」


そうね、と目を伏せてレラは黙った。長いまつげがキラキラしている。泣いているのだろうか。

僕らは無言でケーキとお茶を口に運ぶ。


僕がサラを最後に見かけたのは、もうずいぶんと前になる。サラはとってもきれい好きで、気高い猫だったように思う。だから触られることを嫌がっていたのかもしれない。


「サラは白と茶と黒のどれが一番多いんだろうね。」


そんなことをお兄さんに聞いたことを思い出した。


「お腹が白いから、白。」


お兄さんはそう言ってサラに手を伸ばす。サラはご飯を食べているときだけは触らせてくれた。けれど、あんまり触りすぎると、怒った声と爪で痛い目をみることになる。


「兄さん、サラを怒らせないでね。」


そんな会話をサラの横でしたのが、なんだか遠い昔のようだ。


僕はケーキを食べ終わると、レラの顔を覗き込んだ。


「僕、思ったんだけど。僕とレラがいるなら、半分以上必要なものが揃っていることになるんじゃないかな。」


レラは顔を上げる。泣いてはいなかったが、瞳が潤んでいる。


「僕、きっといつかサラを見つけても、いや、見つからなかったとしてもこの庭に来るよ。ね、だってまだ花をつけたこの庭を見たことがないもの。」


レラが目を見開く。そして、笑顔が彼女に戻る。


「うん。そうね、それは見事なものなのよ。きっと気に入る。薔薇のアーチがあるでしょう、そこにはピンクと黄色の薔薇が咲くの。白い水仙だって咲くわ。草もいっぱい生えちゃうから大変だけど、一生懸命とるの。」


彼女は嬉しそうに身振り手振りで花を表現する。


「ぜひ見てみたいや。僕、その時はビスケットを焼いてこようか。スコーンでもいいな、お茶をしたいね。」


僕らは笑いあって、明日また会う約束をして別れた。

その日の夜、雪が降った。僕はサラがどこかで暖まっていることを祈った。猫の毛のようなふわふわな雪が降り積もった。


「おはよう。今日も寒いねぇ。」


「おはようございます。今夜は晴れるそうよ。ねぇ、晴れた夜は宇宙に熱が逃げていくんですって。だからきっと明日はうんと冷えるわ。」


朝からやはり夜の話をはじめるレラは、赤いマフラーと真っ白な手袋をしている。


「雪うさぎ作ろうか。僕ね、南天の実をとってきたよ。真っ赤なうさぎの目にぴったりだろう。」


「ちょうどいい感じ。素敵。」


積もった雪は十センチほどだろうか。雪の一番白いところだけを集めて、僕らはうさぎを並べた。ぼくが三羽、レラが五羽作って、いろんな葉っぱの耳をつけた。


「やっぱり柊の葉だとうさぎっぽくならないね。とげとげしちゃってさ。クリスマスらしくなるかと思ったんだけれど。」


僕が首をかしげるとレラは、


「でもかわいい。丸い体とギザギザの耳に赤い目が、ぴったりだわ。」


と誉めてくれた。


「レラは大きいのと小さいのを作ったんだね。もしかして、家族?」


「そうよ。一番大きいのがお父さんで、次に大きいのがお母さん。そして、私とキナとサラ。」


「小さい三つは僕らだったんだ。普通に子供なんだと思っていた。」


けれども言われてみれば、なるほど一つは黄色い葉っぱの耳で、一つは茶色い葉っぱの耳で、最後は猫のような耳だ。


「それでもいいけど、なんとなく今私たちにしてみれば面白いかなって思ったの。キナのは?」


「僕のはお姉さんとお兄さんと赤ちゃん。でもね、固めすぎちゃったのかな? ぼこぼこになっちゃった。もっと丸くしたかったんだけど。」


僕はつい力を入れすぎる。しかも、青の毛糸の手袋をしてきたせいで、細かい毛糸が雪に混じって青白いうさぎになっていた。


「こういうときは白の手袋がよかったね。失敗したな。」


僕にはお気に入りの手袋だったが、こういう時は撥水性ものの方がよかったのかもしれない。溶けた雪がしみて冷たい。


「ねぇ、今日はうさぎたちがテーブルにいるから、サンルームでお茶にしましょうか。」


「いいね、ぼくクッキーをお母さんに持たされてきたんだ。一緒に食べようと思って。外も寒いし、入ろうか。」


僕らは少しだけ暖かなサンルームに入った。

お帰りなさいとお姉さんが、


「寒かったでしょう。今お茶を入れるわ。」


と用意してくれた。


「動いても大丈夫かな。お姉さん。」


「今日は体調がいいそうよ。少しは動かないと、むくんじゃうらしいし。」


お皿にクッキーを出し、かじりながら外を眺める。昨日緑と茶色が多かった庭は、白が大半をしめている。


「今夜、泊まっていかない? きっと空気が澄んで星がよく見えるわ。」


「うーん、お母さんに一度聞いてみないと。それに、泊まる準備をしていないから、少なくとも一度は家に帰るよ。必ず連絡する。」


お兄さんは、今日仕事が長引くだろうか。早く帰ってくるようなら、一緒に来るのもいいかもしれない。


「僕ね、女の子だと思うんだ。」


「私はどっちでもかわいいと思う。ね、きっとお姉さんとお兄さんにとってもお似合いな子が来てくれるわ。」


それはとても楽しみで嬉しいことだ。けれども僕にはわからないことがあった。


「そうだね。すると僕らは何になるんだろう。お姉さんになるのかな?」


「お母さんが言うには私たちおばになるらしいわ。」


「もうおばさんになるのか。よくわからないや。」


「そうね、私もわからない。」


温かいアプリコットティーが体に染み渡る。きっと、今夜は本当に冷えると思う。泊まりに来られたらいいけれど、お母さんはご迷惑がかかるからと言うかもしれない。朝にクッキーを持たせてくれたときも、同じように言っていたから。


「もしよければ、今日は僕の家においでよ。たまには庭を離れてみるのもいいものだよ。」


するとレラはびっくりした顔をして、少し考えてから、


「それは思いつかなかったわ。そうね、お母さんに聞いてみる。」


と頷きながら言った。

僕の家の庭はここほど広くはないことを彼女も知っているけれど、星を見るくらいはできるだろう。彼女のことを僕の庭へ招待するのがなんだか楽しみになってきた。


「もしも流れ星が降ったらどうする? 何を願う?」


「サラが見つかって、元気な赤ちゃんが生まれますように。あと、かわいいブランコがもらえますように。」


「欲張りじゃないかい? でもいいお願いだね。」


僕が笑うと、ちょっとふざけたように怒って見せて、


「いくつ願ったっていいんだもの。キナは何を願うの?」


と尋ねられる。


「レラとずっと一緒にいられますように。」


「それは流れ星じゃなくて、私に言うべきだわ。」


そうだね、と二人で笑いあった。

やっぱりお願いはサラが見つかりますように、にしようと考えた。僕らならきっといつか迷子の猫を探せるだろう。

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