あの時
夏にタカオカさんとコンサル名目で食事した時。
(会計、現金で支払わなきゃ……!)と気づいた。
いつもだったらクレジットカードで支払う。
「個別会計で」
レジの前でタカオカさんがそう言いながら当たり前の如く現金を取り出すのを見て、察知した。
記録に残らないようにしよう。残したらいけないんだ。クレジットカードの支払い記録は数年経っても残るし、見られるかもしれない。
10月のセミナー後に渋谷駅で誘った時、タカオカさんは電車の運賃を切符で買っていた。
券売機で切符を買うのは何だかレトロで違和感があった。普通はSuicaで通る。夏に会った時はそうだった。関西版SuicaにあたるICOCAのカードで、改札に入っていた。モバイルSuicaのアプリをタカオカさんに教えたのは私なんだから。スマホで入れるんですね、と言って喜んでくれた。
タカオカさんがわざわざ切符を買ったのは、記録を残してはいけないと勘づいたからだと思う。
「チャンスやわ。頑張ろ」
タカオカさんが独り言みたいに呟いたのをよく覚えている。
渋谷駅の改札前でスマホを触って何やら調べて、呟いていたその言葉に嘘は感じなかった。関西弁の独り言は柔らかくて暖かかった。気持ちが通じた気がして、心が躍った。
そういうつもりで飛行機に乗ったんだと、自覚はしていた。
子どもを連れてこないで1人で兵庫から東京にやってきたんだから。
だから渋谷駅のハチ公改札口前まで歩いた時、自然と声が出ていた。
「ねぇ、カラオケ行きません?」
私から急に誘われたタカオカさんは、一瞬だけ固まった。驚いていたんだと思う。
2人でお酒を飲んで終電を逃して、ホテルに泊まるのは成り行きだった。
(それでいい。それで充分だよ)
好きな人と過ごす夜は砂糖入りの紹興酒でも飲んでるみたいに甘くて、終わったら急激に眠くなってしまい、気づいたら朝だった。
スマホを見たら夫からメールが来ていた。瑠璃が楽しそうに遊んでいる写真が添付されていた。夜になると「ママがいない、ママはどこに行ったの」と何度も言って愚図ったと、書いてあった。
タカオカさんは先に部屋を出たみたいで、もういなかった。
私はチェックアウトの10時ギリギリにホテルを出て、街をブラブラしてカフェでブランチを食べ、羽田空港から飛行機に乗って伊丹空港に着き、芦屋の自宅へ帰った。
飛行機を待ちながらタカオカさんにLINEした。
「楽しかったです」だけにした。(スルーされるかも?)って思ったし、されても傷つかないように、一言だけ。
LINEは既読スルーされた。未読スルーじゃないからまぁいっか、と思った。
気まずい感じにはならなかった。
まぁいいんじゃないの、という感じ。
恥ずかしい気分にはとっくに慣れているし。
Twitterとオンラインサロンで、スマホを通してリプしたり皆でzoom会議したりする分には差し障りなかった。
その頃から、タカオカさんのツイートにポエムが増えてきたような気がする。
ビジネスのツイートが減って、語りかけるような熱を感じるツイートが増えたと思う。
ミスチルの『名もなき詩』に合わせた、“愛はきっと奪うでも与えるでもなくて、気がつけばきっとそばにあるよね”を読んだ時は、まぁポエムだよね、でももしかしたら? と勘ぐった。
“僕はつい君のことを助けたくなるんだよ”を読んだ時は、私のことだろうか、いやそんなことない、いやでもやっぱり、と思考がループしてしまった。