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認められたい

 恋愛を思考するのはもう飽きた。

 計算とか何もなしに、かっこいい人に恋をしたい。

 会話にゾクゾクする人に恋をしたんだと思う。


 誠実な人じゃないとダメとか、脈がない恋愛は結婚できないからやめなきゃとか。

 そういうのを全部捨ててみたかった。


 自暴自棄じぼうじきではなかったと思う。元気がどんどんいてくるみたいだったから。


「僕をうならせるような文章を書いて欲しいんです」

 初めて会った時、タカオカさんはこう言って少しだけ微笑んだ。表情をあまり変えない人だったから、笑ったのはいつだったかよく覚えている。


 だから本を書いて出版したいと強く思った。昔からぼんやり考えていた夢でもあった。文章を書くことが好きだから、本を出したいという夢。


 瑠璃を産んでしばらくしてから、ブログを書き始めていた。ブログには音大で経験したことを批判的に書いた。


 私は書き溜めたブログをもとにして、小さな出版社に問い合わせした。確実に売れそうな本を出す大手じゃなくて、どちらかというと売れていない人の本を作っている小さな会社。

 ここだったら私の本を出してくれるかもしれない。そんな期待をこめて売り込んだ。


 気を抜いたらすぐセルフネグレクトしてしまう、私のどこからそんな気概きがいが湧いてくるのか、不思議だった。とにかく認められたかったんだと思う。実績を作らなくてはいけない、と思った。


「本を出しましょう。自費出版ではありません」

 出版社からメールの返事があった時は、瑠璃と2人でテレビを見ていた。夜だった。

 積年せきねんの夢がこれから叶う。そう思うと、心の底がメラメラとたかぶってきた。


 私は睡眠をけずり始めた。コーヒーを浴びるように飲んで、夜更かしして本を書いた。


 〆切はできれば1ヶ月で仕上げて欲しい、と言われた。ブログは書いていたけどそれをまとめるんじゃなくて、イチから書くことにした。まとめるだけなんてつまらないから。


 書くのは楽しい。時間を忘れて家事を放ってしまうほど楽しい。でも子どもと一緒に過ごしながら書くのは無理だ。瑠璃がいると、ツイートするくらいが精一杯だ。



 本を出したいんです、という目標はタカオカさんにも話していたから、実現させて有言実行にしたかった。


 ただただ、もう一度会いたかった。好きな理由を特定できないことが、きっと好きということなんだと思った。



 本は一気に書きあげた。ブログで一度書いた内容だし、書き下ろすのは苦にならない。今書ける一番いいものを書きたかった。


 音大に入学してくる学生のどれくらいが、自分で進路を決めたのだろう。声楽せいがく(歌科)や管楽器は始める年齢が遅いから、自分で決めた学生も多かった。


 ピアノやヴァイオリンは、小さくて物心ものごころもつかない頃から始める。“ピアニスト”や“ヴァイオリニスト”という選ばれた人になるのなら、早期そうき教育が必要になる。さらに小学生の頃から毎日数時間もの練習を積み重ねないと、全然競争に勝てない。


 大人になってからの演奏レベルは、子ども時代にどれだけ長い時間を練習に費やしたかが決める。そこで“格”が決まって選別されて、変わる余地はないに等しい。後から取り返せない圧倒的な差が開く。


 音楽の早期教育を決定するのは親で、親自身が叶えられなかった夢“クラシック音楽のスター”を子どもに実現させたいと願う。「自分は早期教育を受けられなかったから演奏家になれなかった」と親は思っていたりする。「我が子こそは」と、子どもに夢をたくして努力させている。


 ピアノとヴァイオリンは楽器の中でも特に、早期教育がないと超一流レベルに到達できない。例えてみるとフィギュアスケートの競技に近いかもしれない。



 クラシック音楽はごうが深いと私が思うのは、塾通いのような普通の早期教育とは違って、勉強の先に経済的な見返りがゼロなことだ。いやむしろマイナスになる。


 クラシック音楽を学ぶのはすごくお金がかかる。楽器は高額で、ヴァイオリンだと身体の成長に応じて買い換える。楽譜を大量に買うことになる。一冊一冊が高い。先生のレッスン代は、音大受験を指導できるレベルの先生だと高額になる。


 フィギュアスケートとの違いは、大学があって、食えない卒業生が続々と輩出されていることだろう。音大の学費は一般的な私立大学より高額だ。公立はレベルが高すぎて普通、なかなか受からない。

 奨学金を借りる学生が多い。私もその1人だ。


 それなのに、“クラシック音楽を学んだこと”を仕事に活かすのは難しい。

 全く関係のない仕事を探して、いちから下積みを始めるか、音楽を続けると決めるなら実家暮らしか貧しい暮らしを選ぶ。

 夜職を兼ねる人もいる。夜はキャバクラなどで働き、昼に楽器を練習する生活だ。



「親に強制された」なんて言い訳に聞こえるだろうから言わない。でも親はところどころで、親の権力を発動して進路を強制してきた。

 私が勉強の道に進みたいと言った時、母親は狂ってしまいそうだった。叫び声をあげて「おかしくなっちゃう」と言った。お母さんが狂ってしまったら私は生きていけないから、まぁいっか、と妥協したのを覚えている。


 大学で学んだ内容を仕事に活かせるなんてそもそもほとんどないだろう、それは分かる。それでも納得はできない。


 音楽を活かせないのはまだいい。音大の学歴は、おそらく企業から避けられている。仕事を探していて思った。音楽以外に何か、光るものが必要なんだと思う。


 仕事を探すのは苦労した。私は夜の仕事をやらなかった。できればやりたくないと思った。

 コンビニのアルバイトが断られる状況だったから、センター閉鎖が1ヶ月後に予定されたコールセンターを受けた。始めから解雇されるつもりで仕事を探すことにした。

 そこからようやく非正規のコールセンターなら転職できるようになって、何とかなった。


 そういうことを本に書いた。


 本を書くという夢を叶えられるのが嬉しかった。


 こんなに頑張れたのは、こんなに集中できたのは、タカオカさんのお陰だ。タカオカさんに認められたいから頑張れたんだ、と思った。


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