オンラインサロン
オンラインサロンの世界に私は迷い込んだ。
タカオカさんはオンラインサロンを始め、「面白いことをやる」名目で呼びかけ、「私を手伝うことが学びになります」と言ってメンバーを募った。
私は既にタカオカさんの大ファンになっていたから、入会に迷いはなかった。
話したい一心だった。接点を持てば話す機会が生まれるだろうと思った。
一度ツイートのファンになると、どんどん好きになる。
”女性を見下す心理が男性の心には存在する。古くから続く女性をモノのように扱う描写が影響していると思っている。私もそうだったから分かる。言い争いの際にふと口から出る言葉で分かる”
このツイートには目を奪われた。
言い争いの時に寛さんからひどい言葉を投げつけられるのが苦しかった私には沁みた。
その悩みは私もツイートしていたから、尚更惹きつけられた。
タカオカさんが気になって仕方ない。私が生きてきて放ったらかしてきた悩み、コンプレックスがふつふつと湧いてきて引き出される感じが心地よい。
“日本には戦略が足りない”と常に訴えかけるタカオカさんのツイートで思い出したのは、私が誇りに思えない地元のことだった。
私の地元は神奈川県横浜市の南部で、横浜というとちょっとかっこいい感じだけど、さびれてシャッター街になった姿は全く横浜のイメージではなかった。
電車で20分北上すると、随分違ってくる。しかしこの京和線の沿線は南部に長く続いていて、駅を降りると佇む寂しい空気は子どもながらにこたえていた。
都会が好きだった。休日は電車に乗って洗練された都会に出かける。小学生の時からずっとそうだった。中学生になると時々電車を乗り継いで東京に出た。
都会は人の表情が全然違う。
地元の最寄り駅ではいつもボケたお年寄りが徘徊していて、時々話しかけられるのが怖くて逃げるように避けていた。
戦略が足りない……そうかもしれない。京和線の開発には戦略が足りなかったような気がする。私が抱えていたわだかまりに光が当てられたような気がした。
“日本の経済を発展させたい。それが人の幸せの土台になるから”
その考えにも痛いほど共感した。
経済が滞ったら、全員の人生が少しずつゆっくりと切り取られていく。就職氷河期、仕事が激減して絶望が蔓延したように。氷河期を勝ち抜いた人たちは、強い自己責任論を身につけたように。勝ち抜いた寛さんが厳しい性格で、私の甘えを許さないように。
ツイートを通して考えを好きになる。そうだよね、ほんとにそう、という共感の繰り返しに夢中になる。
オンラインサロンが始まったのは春の盛り。4月、始まりの季節に合わせて小さなコミュニティができた。
告知のツイートを読んですぐに、私はタカオカさんにDMで参加希望を伝えた。月額5,000円の会費に躊躇はなかった。
オンラインサロンでは何をやるか決まっていなかった。
即、入会を決めた私に「一緒に創り上げていきましょう」とタカオカさんは言った。
一緒に創る。何だかそわそわするような気恥ずかしいような響きだ。
ワクワクした。どちらかというと真面目な感覚。
私はタカオカさんの雰囲気が好きだった。やり取りする時の、フワフワするような楽しい時間が好きだった。
もう一度話したいと思い続けていた。成長したいと思っていたかと言うと、ちょっと違った。
たぶん、タカオカさんを目標にしていたわけじゃなかった。それでも「気になる」という興味が強かったと思う。
知りたいことを知るのに、月に5000円くらい払ってもいい。独特の楽しさの源泉を知りたかった。
ただ、何をやるのか全然決まっていない。それを含めて「一緒に創る」。
楽しい場所、居場所ができるといいと思った。
家族と一緒に過ごすことが楽しいとは思えなかったし、束の間の楽しい居場所が欲しいと思った。
(せっかくオンラインサロンにお金を払うんだし、楽しもう。楽しめればいい)
こんなふうに思った。
新型コロナの流行で自宅時間が長くなり、自粛要請が初めて発令された、春の頃だった。
オンラインサロンに入るのは初めてだった。
ぼちぼち集まってきた他の仲間たちは、私に比べて段違いの意欲があった。自分にできることがあれば何でもやりたいというような感じですごく積極的だった。
反面、リーダーであるタカオカさんには、あまり意欲がないかも? と思った。
「何をやりたいですか?」とメールで質問されて、「タカオカさんに前から聞きたかったことを色々とzoomで質問してみたいです」と返した。
「このサロンでは僕のやりたいことを手伝ってもらうのを主軸にしますので、あくまでそれからずれないようにします」と返ってきた。
それならそのやりたいこと、それをまずは説明したらいいんじゃないかな? と一瞬思った。でも何となく遠慮して言えなかった。
なんか失礼な言い方になるかな? と思った。
説明するのも大変なのかな、本業が別にあるわけだし仕方ないのかな……と、擁護するかのように思った。
好きでいたいと思う人と、嫌いになれないと思う人がいたら、本当に好きな人はどちらだろう。
話していてわけも分からず楽しい人がいたら、それが好きという気持ちだろうか?
声が好きとか、相槌が好きとか、顔が好きとか。
直感っていうのは、そういう感覚的なものを頼りにしようとしてくる。
タカオカさんの描いている理想って何だろう。
世の中にたくさん理想はあるけれど、理想を堂々と語る人と知り合ったのは初めてだった。
「タカオカさんは自分のやりたいことをサロンメンバーに手伝って欲しいんですよね? だったら、やりたいことをまずバーッと書いて見せてくれませんか」
私がこう言ってみて、タカオカさんがSlackに書いてみてメンバーに共有すると、私が脳内妄想で膨らませていたタカオカさんのイメージに亀裂が入った。
でも拒否感はなかった。一層深く、もっと関わってみたくなった。
「日本をいい国にしたい」
「一人一人が能力を最大に発揮した世の中にしたい」
「日本の経済を活性化させたい」
「そのために、権力を持ちたい」
「日本がいい国になったのはタカオカさんのおかげですと日本の多くの人たちに感謝されたい」
「頑張らなくても沢山儲けてずっと豊かでいたい」
いい国にしたい、というお題目が心に沁み渡った。
日本はいい国じゃない、やるべきことがあるのにやれていないという主張が込められているようだった。
経済を活性化させたいという一文にも惹かれた。
タカオカさんが書いて見せた理想に詳しい説明はなかったけど、要点を抽出して書かれているように感じた。
日々の生活に疲れて鬱屈していた私に、「日本をいい国にしたい」の理想は刺さった。
自分が協力することで、日本を変えられるだろうか。
そういう楽しみがあってもいいかもしれない。ワクワクするのはストレス解消になるかもしれない。
頑張らなくても儲けたい、という言葉は脳裏に残った。理想を掲げるお題目の中に、頑張りたくないと言う文章が紛れ込んでいて違和感が残った。
でも気にならなかった。儲けたいと思うのは社長をやっていれば自然に思うんだろうな、と納得した。
毎週オンラインサロンのzoom会議に参加するようになると、寛さんの態度が少し柔らかくなった。
あまりにも家庭に収まっていた私を、寛さんは内心で馬鹿にしていたのかもしれない。
楽しく誰かと話す姿を見せることで、寛さんはイライラしなくなった。
私は謙虚すぎたんだと思う。夫に対してもっと強く出るべきだった。
楽しいのが一番だった。
発言を否定されないオンラインサロンは、柔らかくてあたたかい。冷たくない温水プールにプカプカと浮いているみたいな。
意見を受け止められるのが心地よい。
家では寛さんがズケズケと批判してくるし、時にはあからさまに私を馬鹿にしてきた。
「そんなこと言ってたらバカにされるよ?」
こう言われてしまうと、だんだん話す気力も失せてしまう。
何を言われても優しく受け止めていると、人は簡単に図に乗るみたいだ。私は油断するとすぐ人に優しくしすぎてしまう。
寛さんの態度が優しくなり口調が柔らかくなり、夜中に怒鳴らなくなって瑠璃に当たり散らすことも減ったのは、ちゃんとしないと家庭が壊れると思ったのかもしれない。危機感を覚えたんだと思う。
オンラインサロンに参加するのは快適だった。家庭が平和に、穏やかになるから。
サロンにいると柔らかく温かいプールで泳ぐみたいに気持ちよかった。
zoom会議では、社会問題について話すことが多かった。
自由に話しているけれど、挙がったテーマに対してメンバーが意見を言いながら、サロンの方向性を話し合ったりしていた。
一度、アートについてタカオカさんに訊いてみたことがある。
アートについてたまにツイートするタカオカさんは、アートのどこに興味があるんだろう? と気になっていた。
“アートとロボットは対極にあるような領域だが、今後人類の発展に重要で、両方把握する人材が必要になってくる”
“会社という存在を芸術にしたい。本心から産まれる創造物は人の心を惹きつけるから”
タカオカさんは度々、こんなツイートをしていた。
iPhoneのブランド価値みたいなデザイン思考の話や「クリエイティブな会社を作りたい」という感じだけど、私には少し違って読めた。この世の会社が芸術的であってほしいとか、芸術そのものに価値を感じているような気がした。
そう思ったのは、以前にタカオカさんがくれたリプの記憶があったからだと思う。
私がピアノ演奏を動画に出してツイートしたら、感想をリプで書いてくれて、すごく嬉しくて心に残った。
感想に飢えていたのもあるけど、経営者が積極的に音楽に感想を書くことが何だか不思議でもあった。
ピアノを弾いているのをただ横から撮っただけの動画で、顔出しすらしてないし全くバズったわけでもない、無名で地味な動画だったから。
私は音大出身で、ピアノが専門だった。音楽はアートのひとつだけど、学ぶのにお金ばかりかかって稼ぐのは本当に難しかった。
音大の友人たちは生活に苦労する人が多くて、ピアノを続けるなら実家に戻って生活費を減らし、音楽の仕事は細々と続けるか辞めるか、稼ぎのある人と結婚するか、何にしても自立して生きられるイメージはなかった。
私にとって「アート」と「儲け」は対極にあるものだった。だから不思議で不思議で仕方なかった。お金が大好きなタカオカさんが、アートに興味を持っていることが。
「タカオカさんは、どうしてアートに興味があるんですか?」
「絵画は、言い値で高く売れるんです。この価格で欲しいと言う人がいれば売れます。絵画がその人のために何かするわけでもないのに。そこに興味を持ちました」
「おそらく、この絵画は自分の家にあるべき、なくてはいけないしあるのが自然だと思って、高額であってもお金持ちは買うんだと思うんですよ」
絵画が高価に売れること。これが、アートに注目した最大の理由みたいだった。
そして、アートと言うとかっこよく見られると続けた。お洒落な印象があると。
絵画の高価な取引の話はちょっとピンと来なかった。
(そうか、値付けの参考にできるのか……)
ちょっとだけモヤモヤした。
(絵画が高く売れるのってそんな理由なのかな……?)
でも「付加価値があるから高く売れる」というタカオカさんの発想も面白いと思った。
タカオカさんが何を考えているのか、知りたくてたまらなかった。
タカオカさんのサロンは5人のメンバーが集まった。人数はなかなか増えないけれど、私以外のメンバーはみんな熱意とやる気に満ちていた。
私もそれなりにやる気はあるつもりだったけど、他のメンバーとは比べものにならなかった。「できることは何でもやります!」という感じで、積極的に提案したり仕事を振って欲しいとみんなは言う。自分から提案を書いて提出したり。すごすぎる。
サロンを楽しいものにしたい、有意義なことをしたい。みんなの力を合わせて何か社会に貢献したいというエネルギー。一体どこからその情熱は出てくるのか不思議になってしまうほどみんな積極的だった。
私はそこまで頑張れなくて、サロンをアピールするための記事を書いて欲しいとタカオカさんにお願いされたのに、断ってしまった。
でも週に一度zoomで集まって話すのは夢のように楽しくて、これを楽しみに日々を頑張ろうと思った。
本当はもう一度会いたくてたまらなかった。
言いなりになるのを警戒していたけれど、個人的な興味は強まるばかりだった。
何と言っても声が色っぽくて最高だった。男の人にしては少し高い声で、細かいビブラートが効いたみたいな、チェロというよりヴィオラに似ている声が耳に絡んで残った。
相槌が心地よくて、どんどん話したくなる。うん、うん、の調子が癖になる。病みつきになる。
どうしてこんなに、話すだけで楽しいんだろう。
「総理大臣の席を取りに行きたいと思っています」
サロンで使っていたSlackには、タカオカさんの内心が書き出された。ツイートされない本音を読めるみたいでドキドキした。
人の幸せを最大化させたい。生き生きと仕事を楽しむ人を増やしたい。そのための仕組みを作りたい。そのために権力が欲しい。そしてみんなに感謝されて尊敬されたい。
協力を出し惜しみしながらも、そんなタカオカさんに惹かれていった。
すごく面白くてかっこよかった。サロン以外の日々の暮らしは楽しくなかった。趣味なんだからと自分に言い聞かせて、暇さえあればSlackを開いて読んでスタンプして書き込んだ。
こうして仲良くなれば、きっといつかまた会える。日々の疲れが報われるような気がした。
私自身、Twitterではフォロワー数が1000人を超えて、いいねも二桁つくようになり、楽しくなってきていた。
コロナ禍での自粛は始まったばかりだった。