夫の情景
みなみは本当に不器用なひとだった。
出会った頃はこんなに不器用に生きる人がいるのか? と驚いたし、結婚して一緒に暮らす中でも驚かされた。
みなみは夢中になると、他のことが見えなくなってしまう。
世間では「女性はながら作業が得意」などと言われる。普通はそうだけど、みなみは真逆だった。そこら辺の男達と比べても圧倒的に並行処理ができない。
何かやると、他のことが完全に頭から抜けてしまっている。メモを取るよりやった方が速そうな簡単な作業。やったところでメモから消すこともできないような、断続的な作業。
そういう単純作業を一つしか覚えることができないのか、致命的に動きが遅い。流れるように動くことができないし、手先も不器用でよく怪我や火傷をする。
あれでは、専門性が認められないことには会社員は難しいだろう。僕でも職場でみなみと働くのは少し怖い。とんでもないミスをやらかしそうで危なっかしい。
みなみがこれまでの人生で良い評価を受けていないのは想像できた。でも、努力家なのはよく分かる。
何だろう? とにかく不器用で、努力を結果にうまく結びつけることができない。
もっと早く、若いうちに、自分が不器用だと気づけば良かったのになぁ……そう思ってしまう。
みなみはちゃんと経済力に繋がる専門性を身につけておくべきだった。ピアノではなくて。
座学の勉強は得意そうに見えるから、音楽を親から半強制的に選ばされた話は本当にいたましかった。
自分で決めなきゃ頑張れないんだ。その気持ちはよく分かる。
みなみは母と同じ新宿のコールセンターで、非正規で働いていた。若くて将来のある子がなんでこんなところで働かなきゃいけないのかしら、でも音大出だから仕方ないのかしらね、と母は言った。
当時、僕は日本製鋼の富津研究所に勤めていて34歳だった。母に紹介されて出会った頃のみなみは27歳で、普通に男を選べそうな容姿で、包み込むような笑顔が柔らかくて綺麗で、話の受け応えもしっかりしていた。それなのに信じられないほど謙虚で、むしろ卑屈だった。
こんなひとがいるのか……………………
僕が離婚していたことも、子どもを希望する価値観が合わなくて離婚したことも、みなみは当たり前のように受け入れてくれた。
離婚理由を知ると怪訝な顔をして警戒する、他の女性とは違った。
僕はみなみのことが可哀想に思えて同情していたけれど、それだけではなかった。
「離婚していたからって寛さんが信じられないとか、ありえないよ。だってそんなの、前の奥さんと判断基準が同じってことじゃん。そんなの私は嫌だから」
こんなことを言ってくれた。好きだよ、と言えば綺麗な笑顔を見せてくれた。幸せな時はあった。
みなみに裏切られているのは分かった。夢中になっている人がいるのは分かりやすかった。
最初に違和感を覚えたのは、みなみがスマホに繋げたイヤフォンから男の声が聞こえてきた時だったと思う。
内容までは聞き取れなかったが、声が特徴的だった。耳に引っかかって残る声だった。
みなみはイヤフォンの片耳側を外して瑠璃を気にしながら、男の声を聞いていた。
ラジオとは違うような気がした。話題にのぼらないことが不自然に思えた。
真剣に隠していなかったんだろうな。僕には愛想を尽かしていたのだろうか。そうかもしれない。
みなみは一人で瑠璃の面倒を見ていた。僕は毎日残業で、21時にも帰れなかった。尼崎研究所に転勤して両親とは離れていたから、手伝いも頼めなかった。
でも土日は時々瑠璃を外に連れ出して、みなみを休ませるようにしたつもりだった。
みなみが子育てするのは苦しそうで、つらくて見ていられなかった。
母親はよく、妹とまとめて「あなた達を育てるのはラクだった」と言っていた。大人しくて言うことを素直に聞き、幼稚園の頃は20時に寝た。反抗期はなかったし、勉強しなさいと言ったこともないと。
「勉強しなさい」については一度言われた記憶があるから違うんだよ、とみなみに言ったら「一度って、そんなん言ったことないのと一緒だよ」と笑われたこともあった。
「子育て、こんなに大変とは思わなかった」と愚痴をこぼしたら、みなみは「子どもを育てるのが大変なのは当たり前だよ」と声を荒げた。
子どもを育てるのは大変なのが当たり前。そうだろうか?
みなみは「自分の育ってきた家は、一つの例でしかないよ」なんて言うけれど、普通は「家族とはこういうものだ」って思って、家族観を教えられながら育っていくものじゃないか?
周りの家は違うなんて、普通、そんなことを知る機会なんてないんじゃないか?
「家族とはこういうものだ」って思っていたから僕は迷わずに再婚を希望した。
みなみと縁があったのは、僕の中に家族を作る夢があったからだと思う。たとえみなみに否定されたとしても、それが理由で愛想を尽かされたんだとしても、僕は後悔したくない。




