別離
私と瑠璃の、千葉県富津行きの引っ越しはキャンセルした。子どもはこちらの病院で産みたかった。
今住んでいるのはアパートだけど、家賃は高い。夫と住まなくなると会社の家賃補助がなくなるから、引っ越ししないとやっていけなくなる。
このあたりはどこでも高いけれど。
エリアは移動するしかない。寛さんからの生活費の振り込みもあてにできなくなるし。
瑠璃も、春には小学校にあがる。どこの学区に通わせるんだろう。時間はあまりない。
瑠璃が寝てひと息つけた夜、スマホが鳴った。電話。寛さんだ。
「……はい」
「引っ越しキャンセルしたんだって? こっちに来れないの?」
「しばらくこっちに住もうと思って」
「なんで?」
「……お腹の子ども、こっちで産もうかなって」
「そっか……」
寛さんは分かっている、と思った。どこまで気づいているか分からないけれど大体のところは。おそらく。
「日曜、そっちに行くよ。みなみがこっちに来れないなら、瑠璃を預かってくね」
「……仕事しながら瑠璃を見れるの?」
「時短勤務もあるし、何とでもなるよ。こっちだったら実家も近いしね」
「…………そっか。そうだよね」
電話を切ってしばらく、静まり返ったリビングで考え込んだ。
「子どもはこっちで産みたい」と考えたのは、病院のこともあるし、お腹の子どもの父親がいる神戸のそばで暮らしたいと思ったのもある。
住んでいる場所も離れてしまえば、心も完全に離れてしまう気がした。
瑠璃と離れるのは仕方ない。これは元からずっと覚悟していたと思う。離れたいと願っていたこともあるのだから、今さら嘆くようなことじゃない。
その日、昼過ぎに夫は家を訪れた。寒いけれどよく晴れた日だった。
いつも通りの片付いていない我が家に夫が帰宅した。それだけのような気がした。そう思いたかった。
「みなみは一緒に住みたくないんだよね? とりあえず、瑠璃は連れて行くから」
「うん」
寛さんは怒っているように見えなかった。離婚を考えているふうにも見えなかった。
とりあえず、は寛さんの口癖だ。いつも「とりあえず」と言って結論を出さず、適当に動き始める。そういうところは嫌いじゃなかった。
瑠璃は父親と手を繋いで家を出て行った。
ドアを出る前に瑠璃は振り返って私を見た。
「ママは?」
「ママは、行かない」
「……バイバイ」
瑠璃はいつもと同じように手を振った。
「バイバイね」
私も、いつもと同じように手を振って見送った。
いつも休日にやっていたみたいに、ママが家でお留守番をして、パパとお出かけするパターンだと思っているのだろう。
瑠璃とママは離れ離れになるんだよ、と伝えておくことはできなかった。
別れるのはどういうことなのか、意味を伝える自信がなかった。瑠璃にはまだ早いと思った。
そのうち、いつか、また会えるだろうと思う。その時に私のことを覚えていれば、懐かしく話せるかもしれない。




