表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/33

お遊戯会

 寛さんは自分の引っ越し準備を淡々と進めた。一ヶ月後に申し込んだ私と瑠璃の引っ越しは、荷造にづくりも含めて業者に依頼するオプションをつけた。


 転勤の背景には、日本製鋼の事業内容が変化してきたことが関わっているらしい。石炭ではなく水素を使って鉄を作るために、研究者の配置が変えられていく。


 寛さんは特に態度を変えることもなく、ときどき仕事の話をしてくれた。


 夜に求められることはなくなった。もっとも、子どもがお腹にいれば身体の関係がなくなるのは自然だろう、とは思う。


 腹の探り合いをするような雰囲気はあったと思う。でもそれは元からのこと。今に始まったことじゃない。




 寛さんが千葉県富津(ふっつ)市の研究所で働き始めるのは11月からになる。富津は房総半島ぼうそうはんとうの南に位置しており、東京や横浜に行くなら、電車よりも東京湾とうきょうわんアクアラインで、車や高速バスで移動するほうが格段に速い。


 瑠璃が通う幼稚園のお遊戯会が11月の第一土曜日にある。

 寛さんはテレワークを入れて出勤日を調整し、芦屋でお遊戯会を観られるように予定を合わせた。


 芦屋の幼稚園は行事に熱心で、年長で最後になるお遊戯会ではクラスで演劇をする。演目は「さんびきのこぶた」。瑠璃は次男のこぶたを複数人で演じる。みんなと一緒に、台詞せりふを歌って動く。


 瑠璃は言葉の覚えが遅いから、台詞の少ない役になる。こぶたをおそうオオカミのようなハイレベルな役回りは、言葉が流暢りゅうちょうできっちり動ける子どもが演じる。

 それでも役を持ってステージに立てるだけで本当にすごい。瑠璃はよく頑張ったと思う。


 舞台で周りを見て戸惑いながらも、歌って演じる瑠璃を見ていると、涙があふれてきた。

 成長が嬉しいような感慨とは違ったかもしれない。何だか申し訳ないようなありがたいような、こんな母親なのに瑠璃が育っていることが奇跡のように感じて、涙が止まらなかった。




 お遊戯会が終わり、幼稚園から連れ立って出てきた3人家族を、街路樹の影に身を隠して眺めている人がいた。




(みなみさんからLINEが来なくなったな)


 娘の幼稚園はどこに通わせているのか。それなら聞いたことがあった。

 みなみさんは少し酔うと、愚痴混じりに色々話してくれた。芦屋の幼稚園は細かくて書類が多くて、現金でいちいち支払うのも大変で、デジタル化してくれればいいのに、DXの時代ですよねと言って俺を見て、目尻を下げて笑った。


 ホームページを調べてみたら年間行事予定表があった。お遊戯会が予定されている。


 どうしているのだろう。やはり気になる。


 みなみさんはいつも話を聞いてくれた。本来なら明かしてはならない、秘匿ひとく性の高い話だ。俺が弱かったのは分かっている。


 政策担当秘書の仕事は、話の進行が遅い。何か指摘すればすぐに「みんなのやる気を削ぐような発言はやめて欲しい」などと反論が出る。時間のかかる悠長ゆうちょうな仕事は疲れる。俺はまだ信頼を得ていない。吉永さんに期待されて買われただけだ。


 みなみさんは何を話しても落ち着いていて、包み込むような笑顔を見せて、怒ることはなかった。

 何でも受け止めてくれるような気がして、甘え過ぎただろうか。


 お遊戯会の様子を見に行ってみよう。ちょっと様子を伺うだけだ。元気かどうか、ひと目見られたらそれでいい。

 



 みなみさんの表情は、俺といる時とは違って見えた。

 柔らかさの質が違う。俺といる時は包み込むような慈愛じあいなまめかしい誘惑が前後するが、家族といるみなみさんにはどちらも無かった。しかし、表向きに作り込んだ表情にも見えない。


 少し固くて気張ってはいる。しかし《《俺といる時より誇り高く見えた》》。力強く感じた。


 声をかけたいと思ったが、何とかそれは踏みとどまった。


 改めて連絡しよう。

 旦那は転勤すると言っていたはずだ。ついて行くのだろうか。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ