妊娠
もしかして、あえて中に出されたのかな……
ボーッとしながらスマホを眺めていた。
瑠璃は幼稚園に行っていて、昼下がりに家で過ごす1人の時間。
怖くはなかった。子どもを産んだことはあるから、もしできてしまったとしても未知の経験ではないと思えた。
瑠璃がお腹にできた時は、避妊を辞めてすぐのことで、次の月を待たなかったから本当に驚いた。
私は子どもができやすい体質なのかもしれないと思う。だからずっと、夫と抱き合う時も避妊は欠かさなかった。
それから5年は経っているから、今回は分からない。でも無いとは言えないし、充分あり得ると思った。
タカオカさんに訊くことはできなかった。
どうして避妊をしなかったのか。あえてやったことなのか。
終わってしまったことに言及するのがためらわれた。言葉にできなかった。
訊けば良かったのに、と思う。私はそういうところが本当に弱気で、頭が弱くて、勇気も出せない。
もし出来てしまったらどうするのか。離婚? 瑠璃はどうする?
時々邪念のように頭に浮かんでは打ち消していた“離婚して瑠璃は寛さんに任せ、私は一人になる”というイメージが、急に具体的になって頭に浮かんだ。
子どもを捨てることはどうしたってできないのだから、完全に否定して選択肢から外したはずだった。
出来たかどうかは分からない。でも出来ていたら、迷っている余裕は一切なくなるだろう。だから今考えられることは精一杯考えておかないといけない、と自分に言い聞かせた。
おもむろにInstagramを開いた。日頃は見ることのない、更新が面倒になって放置したままのInstagram。
タカオカさんのインスタを見たくなった。一度フォローはしていて、ゆっくり眺めたことはなかったアカウント。
タカオカさんのインスタには美味しそうなご飯や訪れた場所などが無難に載っていて、フォロワー数は1000人に届いていなかった。
スクロールして過去の投稿を眺めていると、水飛沫を撮った美しい写真が目に留まった。
公園に設置された水飲み場だろうか……水が勢い良く上方に吹き出し、弾けている。水飛沫が柔らかな陽の光を受けて輝くさまが、目に沁みるように美しかった。
なんてことない日常の風景から至極の美しさを切り取った、タカオカさんの視線に感動した。この眼差しが好きだと思った。
タカオカさんの目線でものを見たい一心で、ここまで来たことを思い起こした。水飛沫の写真はその象徴のように感じられた。
生理が来ない。遅れている。
妊娠検査薬の中でも最速で検査できる、チェックワンファストを迷わず買う。普通の検査薬より一週間早く検査できる。生理が遅れていると気づいたらすぐに。
瑠璃がお腹にできた時も、チェックワンファストを買って調べた。一週間なんて待てない。
薬局で買ってきて早速トイレで検査する。尿をかけて待つ1分すら長く感じた。
薄いけれど、赤紫色の縦線がちゃんと見える。
(できたんだ……)
瑠璃がお腹にできた時を思い返していた。走馬灯みたいに頭の中に、記憶が蘇ってきた。
あの時、子どもが欲しかった。子どもができてすごく嬉しかった。避妊をやめてすぐに妊娠したことも誇らしかった。
何かにつけて自信を失っていた私の中にあかりが灯ったような、そういう幸せだった。
子育ては思っていたよりずっと大変で、瑠璃は気が強いし夜は寝ないしわざと悪戯するし、私はすっかり暖かい気持ちを失ってしまった。
それでもお腹にできたあの時は確かに幸せだった。
今の私は幸せだろうか?
誇らしいような気持ちがある。不安が喉から突き上げてくるような心地悪さもある。望まれて孕ったわけじゃない。そういう不安が突き上げてくる。
妊娠検査薬で陽性が出たのだから、病院に行かなければ。妊娠したのかどうか、ちゃんと確定させなければ…………
気持ちばかり焦った。あれからまだタカオカさんには会っていない。
タカオカさんのLINEの返信は素早い。でもそれは、核心をつくようなことはLINEで話さないからだと思う。
タカオカさんのツイートを読んで気になったことを軽く話題にしてみたりと、返信が来るのを確認したいからLINEしているようなものだった。
1分も待たずに返信が来たり、送信と同時に既読がついたりすると、胸がほんのり暖かくなって、いつも嬉しさを噛みしめていた。
会うのは今までだって月に1度くらいだった。でも妊娠検査薬で陽性反応が出たというのに、相談できない自分に嫌気がさす。
(自分でどうするのか決めないといけない)
自分で自分を励ますように思った。私には瑠璃がいて、結婚していて、お腹の中にいるのは寛さんの子どもではなくてタカオカさんの子どもだ。
子どもを産むことは初めてではないけど、父親が違うというのは初めてだ。そして誰も相談できる人はいない。
(病院だ……病院に行かなくちゃ…………)
ともかく産婦人科に行って、相談しなくてはならないと思った。でもチェックワンファストで一週間早く検査してしまったので、すぐに病院では診てもらえないだろう。
そもそも私は産むつもりなのか? 産まないなら決めるのは急がないと、中絶には期限があると聞いたことがある。
そういえば、伸子伯母さんも中絶手術の期限ぎりぎりまで悩んでいたと、母は言っていた。
混乱しそうな頭の中に、必死で計画を組み立てようとした。決断の計画。期限のある決断はあるだろうか?
そうだ、瑠璃を産む時は帝王切開になった。普通分娩がうまくいかずに緊急帝王切開だった。その場合、中絶はどうなるんだろう??
ネットで急いで調べる。中絶を真剣に調べたのは初めてだった。
中絶には初期と中期があるということ。中期に入ってからの中絶は、人工的に陣痛を起こして出産してから子どもの命を断つことになること。これまで知らなかった自分が浅はかに思えるほど、残酷に感じた。
帝王切開での出産経験があると更にややこしくはなるのだが、それより何より中期になると、生きた子どもを産んでから命を絶つということに衝撃を受けた。
堕ろすなら初期のうちに決めなきゃいけない。そう思ったと同時に、自分が中絶することばかり考えているのに気づいた。
タカオカさんの子どもが欲しいんじゃなかったのか。何を怯えてるんだよ小さい奴だな。なんで産むことを考えられないんだよ。
自嘲して、現実の重さを笑ってしまいたい。瑠璃ができた時の記憶にまた逃避する。
(瑠璃ができた時、寛さんはすごく喜んでくれたな)
夫は子どもができたことを心から喜んでくれた。それは夫が子どもを熱望していたからだと思っていたし、確かにそうだったと思うけど、それでもやっぱり、喜んでくれることは本当に心強かった。
子どもが欲しいね、と言って作った子どもと、よく分からないけれどできてしまった子ども。
いや「よく分からない」は誤魔化しだ。私は欲しかったけれど、タカオカさんは望んでいるのか分からないのにできた子ども。
心細かった。瑠璃を産むのも決して楽ではなかった。つわりも重く感じたし、出産は痛くて苦しかったし、産後の育児も苦手で苦しんだ。
誰にも相談できないのに、乗り越えられるかどうか……不安で不安で仕方ない。
それでも中絶をネットで調べてみたら、知れば知るほど心苦しくて抵抗があるのも確かだった。




