尽きることのない夢と野心
タカオカさんが民新党衆議院議員の政策担当秘書に就いて間もなく、衆議院総選挙が実施された。
長く続いた由自党政権だったが、コロナ禍の対応に疑問符がついた。救急車を呼んでも医療を受けられないという“医療崩壊”が報じられたことで風向きが変わった。
長らく与党を続けていた由自党は衆議院総選挙に敗れ、ウイルスとの戦いを筆頭政策に掲げた野党第一党の民新党が勝った。参議院では勝っていないので、いわゆる“ねじれ”国会となる。
衆議院議員の政策担当秘書となったタカオカさんだが、それでもなお満たされないようだった。
伸子伯母さんを通じてタカオカさんに民新党の議員を紹介したのは、私だったからだろうか。タカオカさんが以前より随分と優しくなった。
私は時々、家族に隠してタカオカさんに会った。適当なホテルで会ってコンビニで買ってきたお酒を飲んだり、UberEatsで注文して軽く食べたり、時々抱き合ったりした。
「総理大臣の席を取りに行きたいんだ」
抱き合った後の気怠さが残る空間で、ベッドに座ったタカオカさんは呟いた。
私は冷やしておいた水を冷蔵庫から持ってきて隣に座った。
タカオカさんが総理大臣になりたいのは、言われなくてもよく知っている。オンラインサロンのSlackに書いてあった。
何となくその夢が叶ったら面白いんじゃないかな、と思ったのを覚えている。夢を叶えてあげたい。夢があるという幸せを教えてくれた人に、恩返しをしようと思った。私もタカオカさんと知り合って夢を見られたから。
本を書きたいと強く思えて書けたのもタカオカさんのお陰で、また子どもが欲しいと思えたのもタカオカさんのお陰で。
恩返しをしたいから、私は頑張れる。私と結婚してくれた夫にプレゼントするためなら子どもを産めたように。そうだ、あれも恩返しだった……
そんなことを考えて、ボーッとしてしまった。
「総理大臣になりたいって、前から言ってましたよね」
「うん」
うん、と言う響きが心地よい。
タカオカさんの柔らかい相槌が好き。
子どもが欲しいとは言えない。そういう関係じゃないと思う。
でもいずれ、できたらいいなと思ったりする。
話していると何かが動いていくのは楽しい。まだ何も決まっていない感じがして、それがいい。
タカオカさんがおもむろにテレビをつける。Twitter婚活を取材した番組が流れた。
「アプリの出会いに比べるとツイートで人間性が分かるから、人柄で惹かれ合うのがいいと思います」
女性のツイッタラーが語っている。婚活状況を呟く彼女のフォロワー数は、二万人を越えたらしい。
「Twitterってすごいよね」
「そうですね……」
「考え方とか感性で繋がるからなんでしょうね」
タカオカさんがしみじみと話している。
感性が合う人と話すのは楽しい。確かにそう思う。
今、本当に楽しい。でもそろそろ帰らなくてはならない。
「そろそろ時間だから、帰りますね」
私は立って服を手に取り、身支度を始めた。
「真面目だね」
タカオカさんはいつも淡々としている。
「そんなことないですよ」
「みなみさんは俺が好きだよね」
「え、なんですか?」
一瞬、何を言われたか分からなかった。
「好きですって言って」
「……好きです」
タカオカさんは“言わせようとする”人だ。
少し卑怯だなと思う。サディスティックだと思う。でもそこがたまらなく好きだ。
「好きです」と素直に応えるだけで、自分の中の女が騒ぐのが分かる。
私がタカオカさんから受け取っていたのは、紛れもなく幸福の片鱗だったと思う。
「私ね、小説を書きたいんですよ」
「小説? ……どういうの?」
「未来を書いてみたいです。あと、恋愛」
「恋愛? どんなイメージなの?」
「好きな言葉があるんですよ。“そこは2度と見ることができないであろう、美しい絶望の地だった”っていう言葉で。子どもの頃から、ずっと好きだったんです」
「ふむ」
「だから、そういう小説が書きたいんです」
夢を話しながら、どうしてこんなに癒やされるのだろうと考えていた。まるで心の古傷に蜜が塗られていくようだ…………
……あぁそうだ。思い出した。中学生の時に進路を相談した先生。あの先生に相談した時の楽しさとそっくりだ。
“独自性を大切にしなさい”
“あなたは頭がいいから”
あの先生と話している時間。あれを超える幸福に、出会えたことがなかった。
ずっと忘れられなかった。あの時、あの先生と両親の考えが対立し、私は両親を選んでしまった。そして音大附属高校に進学したことをずっと引きずって、後悔していた。
“音楽をやるにしたって高校から行く必要はない。焦る必要はない”と、あの先生は言ってくれたのに。
ずっと悔やんでいたことが、タカオカさんと話していると嘘みたいに消えていく。
本を書くことができた。あの時のような幸せな会話にまた出会えた。もう一度、私の夢を真剣に聞いてくれる人に出会えた。
生きてきてよかった。




