オンラインサロンから政治へ
その日のzoom会議では、メンバーが気になる話題をゆるく挙げて話し合っていた。
「新型コロナがどうしても不安で……」
相談するように切り出した奈々さんの話にタカオカさんは耳を傾け、受け止めた。
「不安になったって仕方ない。今できることをやっていくんですよ。それだけです」
タカオカさんはインパクトのある発言が少ない。相槌を打って話を受け止めてくれるだけで、心が落ち着いて楽になるところがあった。
ツイートを見ると内心はちょっと腹黒そうだけど、話すと優しくて癒やされる。ギャップの魅力。
サロンメンバーの一人、奈々さんもタカオカさんの熱心なファンだ。タカオカさんを推すようになってから、心が落ち着いて前向きに生きられるようになったと話していた。
“医療が人手不足になったら生命の選別が始まってしまう”といった呟きが、Twitterの医療クラスタでぽつぽつと現れ始めた頃だった。
読みながら私は安楽死を連想した。少子高齢化の行く末として、起こり得るけれど起こってほしくない未来が思い浮かんだから質問してみた。
「タカオカさんは、高齢化社会での安楽死ってどういうふうに考えていますか?」
「うん、必要になったら実施すべきものだと考えています」
「安楽死がもし法制度化されるとしたら、自分で決められる自己決定権は重要ですかね?」
「自己決定権は、全員にとっては必要じゃないと考えてます」
「……え?」
「人には本来あるべきだと思いますよ。でも国民として考えた時には、自己決定するのは難しいと思います」
「……」
「ほら、日本では暴動とか起きないから。ちゃんと制度で細かい決まりを作るのが大事だと思ってます」
(うわぁこれはすごいな、残酷な発想だ)と思った。怖いけど興味はある。
メンバーにはタカオカさんが時々過激な発言をしても寛容に受け止める雰囲気が定着していて、まぁこの人なら大丈夫だろうという信頼感を無意識に共有していた。
そういえばこんなことをタカオカさんが話していたな、と思い出した。
「僕は“してはいけないこと”は無いと思ってるんですよね。法律でしてはいけないと決まっているなら、定められた刑罰を受ければやってもいいことだと思うんです」
規則は“守らなくてはいけない訳ではない”という感覚は私にも分かる。規則を守る時に「守らなくてはいけないから」ではなくて「守りたかったから」守ったんだと思う。
実際問題、規則なんて場所を変えればいくらでも変わるじゃないかと思う。人を殺してはいけないと言ったって、いざ戦争になって殺しなさいと上司に命令されたら殺すしかないだろう。それだけのことだと思う。
規則は自分の意思で守りたいから守るもので、この場所にいてこの場所のルールを守って、この場所で生きていきたいから守るものだと思う。
そういう私の捻くれた気質を、タカオカさんは分かってくれる気がした。
サロンのメンバーは少しずつ増えて、10人になっていた。
政治が話題になり、思い思いにサロンメンバーで、zoomで話した日のこと。
日本の政治はなんで遅いのか? 電子決済も進まないしお役所の手続きも不便なままだし、と話し合いが展開した。
「政府は無策だし、いつも後手後手にまわって見えますよね」とタカオカさんは受け止めた。
「なんでそうなってしまうんでしょうね?」
献身的で熱心なメンバーの1人、誠也さんが問いかけて、タカオカさんは答えた。
「以前、政策担当秘書をやったことがあるんです。政治家はすごく外面的なことしか考えていなくて、選挙に当選することばかりが目的に見えました」
タカオカさんは政策担当秘書の経験があるんだ…………
政策担当秘書といえば私の父が以前、資格を取得していた。
政策担当秘書には、国家試験がある。
父は資格マニアで、色々な資格に挑戦して自己研鑽に励む人だった。TOEICなどの王道からシニアゴルフの講師などマイナーなところまで、挑戦が好きな自己啓発マニアだった。
国家試験に合格する以外にも、選考採用審査認定というルートで政策担当秘書になる方法もあるが、要件はハイレベルで厳しい。
父は要件を満たせる博士号や税理士資格などを持っていないから、国家試験を受けていた。
さびれた横浜市の南部、金沢八景にある実家から父は毎日2時間かけて東京都心まで通勤していた。今ではもう退職したけれど、現役の時はずっと満員電車に乗って毎日東京へ通っていた。
私も結婚するまで実家で暮らし、新宿に通勤したこともあるけれど、朝の電車の混み具合は凄まじいものだった。
何かの弾みで足を上げるともう下ろせない。誰かの身体の間に挟まって微塵も動けない。金沢八景から新宿へ向かう途中、乗り換えを繰り返してその度に満員電車。始発の駅にあたらないから座ることもできない。
父はこれを毎日、何十年も繰り返したんだ……。そう思うとくらくらした。
父は高い物件は買えないから、東京から2時間もかかる横浜の外れにマンションを買って、定年を迎えてもローンを完済できず、食事など暮らしにお金をかけることもなく、ローンを返して暮らした。
そんな父の夢は、我が子である兄と私の将来と、父自身の自己啓発だったと思う。
兄と私の教育費だけはケチらない親だった。
家の冷蔵庫に果汁100%のジュースが入っていることはないし、麦茶が入っていることもないし、冷凍庫にアイスが入っていることはないし、お菓子があればその日のうちに食べ切ってしまうし、何ならお昼ご飯は出てこないしリビングにエアコンをつけないし下着と靴下は擦り切れるまで使うけど、兄は潤沢に塾に通って慶應義塾大学の医学部を卒業して医師になり、私はピアノを叩き込まれて音大を卒業してフリーターになった。
兄は野球が好きで野球のコーチになりたかったけど否定された。私はピアノが好きではなかったけれど強制された。
食事や暮らしにお金をかけず、教育費に全振りした家で私は育った。
父は政策担当秘書の国試だけ受かって、転職はしなかったようだ。化学メーカーにサラリーマンとして定年まで勤めあげていた。
それだけ聞くと常識的なよい父親に思えるけれど、娘の私からすると変わり者で常識を嫌っている父だった。常識や権威に勝てるような自分になりたいと常に願っているように見えた。
父は東大卒の人を嫌っていた。そして病院に行くことを毛嫌いしていた。
それなのに自分の息子には医者を目指して欲しいと願った。
現役時に東京大学理科Ⅲ類に落ちて防衛医科大学に合格した兄に、父は浪人を勧めた。兄は一浪して医学部予備校に通い、慶応義塾大学医学部に入った。
愛情のようにも思える。私はそう思いたかった。6年にも及ぶ慶応医学部の学費はとんでもなく高いし、自分のコンプレックスに関わらず教育に潤沢に投資したのだから。
でもそう考えるのは無理がある。兄と私は人生の岐路に立った時、いつも親には脅されたと思っている。
父は自分の主張に蔓延る矛盾を是正しようとしない。よく言えば常識に囚われていないのだけど、悪く言えば規範がない。
家族で守るべきルールがない。家は荒れて掃除や洗濯が殆どされず、床には物があふれて歩くだけでぶつかるようになっていた。
父は、政策担当秘書の仕事について何か知っていることがあるだろうか。
離れて暮らす父に電話をかけてみた。
「あぁみなみさん、お久しぶり」
父は私をみなみさんと呼ぶ。ずっと前に喧嘩した時「みなちゃんなんて舐めた呼び方じゃなくて、みなみさんって呼んでよ」とキレたら、ずっとそう呼ぶようになった。
「お久しぶりです。元気ですか?」
「うん、元気よ。お陰様でね」
父は微妙に訛りがある。出身の博多弁がうっすらと混じる。
「それは良かったです……あのさぁ、お父さんは前、政策担当秘書の国家試験を受けてたよね?」
「あぁそうね」
「政策担当秘書の仕事は結局、やらなかったの?」
「そうやねぇ、やれなかったねぇ……」
「政策担当秘書の仕事、ちょっと興味があって調べてるんだよね。何か分かることがあったら教えてもらえないかなぁ?」
「興味があるんか、そうなん?」
父は少し考えてから言った。
「あんたの伯母さんの伸子さんに聞いてみるといいよ、パパもな、もしやれるなら聞きたかったんよ。あの人がたぶん一番詳しいよ」
“伸子さんが一番そういうことを知っとると思うよ”
父はそう言った。
父は面倒だったかもしれない。父は年老いて、もう現役じゃない。あの頃みたいな貪欲さは、もう感じられなかった。
(伸子さんか……)
伸子さんは母の姉にあたる伯母で、同志社大学文学部の名誉教授だ。もう70歳を過ぎている。
ずっと独身で、子どもを産むこともなかった。
京都で祖母と共に暮らしていて、「のぶこさん」「のんちゃん」などと親族には呼ばれている。
母は女ばかりの3人姉妹の真ん中だから、伸子伯母さんには妹が2人いるのだが、独身なのは伸子伯母さんだけなので、祖母と一緒に暮らす役割を引き受けている。
責任感溢れる長女気質で、この世代の女性には珍しいほどキャリアウーマン志向で生きた人だと思う。
実家は神奈川県だから気軽に行けない距離だけど、伸子さんのいる京都なら、芦屋から日帰りで行ける。
伸子さんと話したかった。
政策担当秘書の話も聞きたかったけど、それだけではなくて、人生の先輩の伸子さんに話を聞きたい気持ちが高まっていた。
タカオカさんのTwitterプロフィールが頻繁に更新されて変わる中、「同志社大学理工学部卒業」と記載されたこともある。それも気になっていた。
伸子さんは文学部で教えていたから学部は全然違うけど、もしかしたら知っているかもしれない。
京都の伸子伯母さんに会いに行った。伯母さんの家なら、瑠璃も堂々と連れて行ける。
伸子伯母さんの住まいは、京都市内にある低層マンションの3階で、母の姉とはにわかに信じがたいほどの綺麗な家だ。
リビングに通されると大きなペルシャ絨毯が敷いてあり、痩せて腰の曲がった祖母が絨毯に座り、テレビを見ていた。
祖母が瑠璃に話しかけ、オルゴールやお人形を出してきてくれた。私はテーブルについて座り、伸子さんと話した。
「元気そうやね……」
緑茶とお饅頭を勧めてくれて、穏やかで心地よかった。
同志社大学のゼミで教えていた学生の卒業後や、学生達から毎年のように招待される結婚式の話を、定番の話題として話してくれる。教え子が結婚すると、伸子さんは披露宴で主賓の挨拶を依頼されることが多い。
“最近Twitterで交流がある人”が同志社大学の理工学部を出たらしいと話してみた。タカオカさんのことだ。
伸子さんはタカオカさんのことを知っていた。
「教えたことはないんやけどね。ゼミで教えた子がテニスサークルで知り合ったのが、その子やと思う。話はよく聞いたもんやわ、悪い子やないよ。あぁいう年頃の男の子ではまともなほうと思うわ」
伸子さんは緑茶に口をつけて、一息おいた。
私がタカオカさんを好きになっていたのは、伸子さんにはお見通しだったと思う。
伸子さんは以前、妻子ある人と恋をしていた。これはずっと前に母から聞かされた。その人を好きになって妊娠もして、それでも未来がなかったから堕胎したと聞いた。
伸子さんが妊娠したと聞いて、家族は1人残らず反対した。その人は伸子さんのことを全然大事にしていない。目を覚ましなさい、と。
“悪い人やないんよ”と繰り返し言って、伸子さんは好きな人を擁護した。その人は伸子さんを守ってくれなかったのに、好きな気持ちは変わらなくて引き裂かれる思いで堕胎したという。
私からその話を伸子さんにふったことはない。もし話しても、きっと怒ったりはしないと思う。噂話をされて怒るような人じゃない。母がそういう話を黙っておけず家族に話してしまうことを、伸子さんは私より余程よく知っている。
「後悔がないように生きないとあかんね」
伸子さんが噛み締めるように言った言葉は、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
私はタカオカさんのことを追加で話した。政策担当秘書の経験があると伝えて、伸子さんが知っていることがあったら教えて欲しいと話した。
「政策担当秘書の経験があるんやね。民新党の議員さんにだったら何回か会ったことがあるよ。本を書いた時やったね。時々今でも連絡が来るよ」
伸子さんはノートパソコンを開いて調べた。
「政策担当秘書、探しとるかもしれんね。タカオカさんは学生の頃も知ってるし、みなみちゃんの紹介やし、話してみようか?」
伸子伯母さんは英文学が専門だ。共著で数多くの論文を書き、ノーベル文学賞作家の大江健三郎の研究は単著で出版した。
その書籍に興味を持った民新党の議員と面識があると、伸子さんは話してくれた。




