―未完―
ドミナをチラッと見ると目が合う。視線を外してまた戻すと目が合う。
その繰り返し―
長い沈黙―その窒息しそうな沈黙を破ったのはドミナ―
「昔、ある日、ある村で、ある漁師の兄弟二人と、漁師仲間の兄弟二人の、漁師の兄弟たちが夜通しの漁で魚がまったく獲れなかった。漁師の兄弟たちが憂いて諦めかけていたその時に、ひとりの男が現れる。そのひとりの男は一緒に舟に乗り込み、海に出て漁の指示を出す。漁師の兄弟たちは、ひとりの男から言われた通りの指示に従って網を打つと網が破れてしまうのではないかというほどの魚が獲れた。漁師の兄弟たちは、奇跡を見て感動した。ひとりの男は、魚が獲れないどころか、大漁をプレゼントしたのだ。ひとりの男は、漁師の兄弟たちを弟子にスカウトした。奇跡を見た漁師の兄弟たちは、その場に網を置いてひとりの男の弟子となり付いていった。」
知っている。ひとりの男とは、イエス―
イエスの起こした奇跡―
イエスと最初の弟子たちとの出会い―
漁師の兄弟二人と漁師仲間の兄弟二人―
ペトロとアンデレの兄弟、ヨハネとヤコブの雷兄弟―
「イエスは言った。『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』
こんな台詞は余程の信念、余程の覚悟を持っていないと言えない。だって、その人の一生を左右するのだから。
このお話の本当の奇跡は、漁師の兄弟たちは、自分の生業を、それも長年培ってきた生活の糧をその場に放り捨てて、今しがた出会ったばかりのよく分からないひとりの男に付いていった事。そんな事ができるものが、どれほどいるかしら?これこそがまさしく奇跡よ。坊や、なぜ、もっと信じないの?」
その話は、最初から奇跡だ。プロの漁師たちが素人のラビの助言に素直に従ったのだから。
「俺は、イエスのように偉大でもなければ強くもない。弟子たちのような素直さや従順さも持ち合わせていない。俺は、弱い―」
「あら、あなたは素直に人の仕事を辞めたじゃないの?偉大かどうかは、やった事で決まる。あなたは、まだ何もしてないじゃないの?」
何もしていない―
した気になっていただけでそうなのか―
「…、」
「坊や、まだ悩むの?悩むとは心を凶ツもの、やめなさい。良い木か悪い木かは採れる実で決まる。聖書にそう書いてあるでしょう。まだ、疑うの?大疑は大悟の基というけれど、やめなさい。桃栗三年柿八年、梅は酸い酸い十三年、実がなるまで辛抱強く根気がいるけれど耐えなさい。経過に一喜一憂してはいけない。それは愚かよ。傍若無人ならいざともかく腐心はよくないわ。」
良い木か悪い木かは採れる実で決まる―
「…、」
「あなたを待つものが―」
「分かった。少し聞いておくれ。泥棒とは、泥んこで、棒。シーフ(thief) シープ(sheep) スリープ(sleep)これらが、頭の中でこんがらがってしまって、本当の泥棒とは、奴らでも他の誰でもなく俺の事ではないのかと疑っている。ひょっとして泥棒っていうのは俺の事かい?俺は盗っ人なのかい?俺は、眠りの中、夢の世界で泥だらけになって足が棒になるまで歩いていた。迷える子羊は荒れ地で、砂漠で死にかけのところ、あなたに会った。あなたが救ってくれた。これは何かの暗示なのか―正直、あなたを魔のものかと警戒した。ずっと張りつめている。緊迫の中でいまあなたといる。俺はまだ揺れている―」
「あなたって本当に疑い深いのねえ。それともバカか何かかしら?いい、わたしは滅多に人に会わないの。聖書には、イエスは盗っ人のように来るとも書いてあるわ。泥棒、ドロボウだっていいじゃない。そう思うならそれでいいわ。陳腐。チープな考えね。ちちんぷいぷい、どっかにとんでいけ。ほうら、いい、坊や。歌ってあげる、いいかしら、ドはドミナのド、ロはロバの顎の骨、ボは坊やのボ、ウは宇宙のウ。さあ、歌いましょう―はい、ドロボウさん、少しは気が紛れたかしら?」
俺は少し笑った。ドミナはずっと微笑んでいる。やはり、あなたは美しい。
ヨハネの黙示録3:3
だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起して、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。もし目を覚ましていないなら、わたしは盗っ人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。
ヨハネの黙示録16:15
(見よ、わたしは盗っ人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目を覚まし着物を身に着けている者は、さいわいである。)
「そう、気になるのはそのロバのあごの骨なんだ。それを持って暴れまわる夢をよく見る。夢とゆうより現実…聖書に偽預言者のことが書いてある。自分のことなのか、俺は何かとんでもない過ちを犯そうとしているんじゃないのかと―俺は、偽物なのかい?」
ドミナは質問には答えずテーブルでコインを回し始めた。俺はそれを見つめた。高速で回るコイン―俺は、ぬるめのジャスミンティーを飲んだ。
「見える?どちらが、裏で表かしら?当ててみて?
―そう、人は、コインの裏、表ばかりに気をとらわれてコインの間にあるものを見ようとしない。何がコインを動かせているか見ようとも聞こうともしない。あるのに見ないの。あるのに見えないのよ。盲点っていうの?盲人っていうの?
あなたは見えたのでしょう。見つけたわけでしょう。立派。それは、大変良い事よ。色んな人の役に立てるはずよ。新しい地へ旅立ちなさい。そこには、あなたを待っている人がきっといる。それとも、いないかしら?」
新しい地―待っている人―
「…、」
「イエスも故郷のナザレでは、ほとんど奇跡を起こせなかったの。それは、なぜかしら?「大工のヨセフの倅、イエスだ。あのホラ吹きのイエスだ。あいつが帰ってきたぞ。」そんな所で奇跡は起きないわ。起きる方が奇跡よ。タラント硬貨は閉まっておく為のものでも隠しておく為のものではない。それは宝のもち腐れよ。あなたが持っているタラント硬貨をもっと殖やしなさい。それは幸せを生み、福を殖やすもの。それだけは、はっきり言えるわ。」
言い終わるとドミナはコインをこちらに放ってきた。キャッチ成功。掌のコインを見る。
俺は、その台詞を聞いたことがあった。あの乞食だ。俺はすぐに信じた。
22.4.29
“お前が握りしめているタラント硬貨、それは黄金だ”
タラントとはタレントの語源――
だが、話が出来すぎていて結局疑った。完全に疑った。騙されたと思っていた。会ったらうっかり殺してしまいそうだったから絶交していたのに悪い事をしたかな。もう一度、信じてみようかしら。あの乞食に疑ってすまなかったと謝ろうかな。俺は、熱い緑茶を飲む。うん、苦い、嗚呼、うまい。ドミナも同じものを飲んでいた。
「才能とはどんなものであれ天賦の才よ。その才能を生かしなさい―」
ドミナに言われたことを俺は、逡巡していた。悪魔は一つのウソを信じさせる為に九十九の本当の事を言う。もう、なにもかもどうでもいい。たたかいなんかしたくない。死んだ方が楽だ。生きるのならアホのフリをして生きるのが一番だ。いやフリなんかしなくても俺は十分アホだ。本当にそうなのか?アホは本当だ。俺はもっと生きたい。なぜ生まれてなぜ死ぬのか、人とは、何なのか…真理を…生きた証を…いや、そんな事より塩サバが食べたい。そうだ、生きて現実に戻るんだ。
―用心を解いた。
「ピラミッドを見た時に揺れていていきなり回り始めて何もかも見えたんだ。ピラミッドが白い三角形で影が黒い三角形。交差して回りだした。ダビデの星、籠目紋。それが、四つ葉となり、花となり、ダイヤになった。あなたが見せてくれたのだろう。
分かった。話すよ―話す気になったよ。―俺は、ある人を好きになって、失恋したんだ。別れを切り出したのは俺の方だったのだけど振られたのは俺の方なんだ。そこからだよ、冒険が始まったのは。本格的に俺の夢の旅が始まったのは―」
ドミナは黙って聞いている。
「出会った日を昨日のように覚えている。話した内容もほとんど覚えている。その年に大病をしてね、脳出血で倒れたんだ。右被殻出血。死にかけたんだ。一命は取り留めたけど、程度は軽いけれど左半身に麻痺が残った。俺はその時に少し不思議な体験をして自分の人生を鑑みたんだ。入院すると、色んなものが手に入った。時間、自分らしさ、健康的な生活。長年やめたかったタバコも止められたし、酒も飲まなくて良いし、病院のメシは旨いし、財布を持っていないからお金も使うことないし、金を使わない快感を覚えたね。何しろ煩わしい人付き合いも労働からも解放されて良い事づくめだった。久しぶりに豊かさを味わった。だけど、退院して待っていたものは、当時の俺には過酷なことばかりだった。仕事は変わりなくほぼ難なくこなせたのだけど、全然楽しくなかった。そんな時に俺は、―」
「話の腰を折ってごめんなさい。ひとつ、教えて欲しいの。もし、あなたやあなたの大切な人、家族に手を出す悪しきものがいたとする。あなたはどうするの?」緑茶を飲むドミナは渋い顔をしていた。
「くだらないな。悪い事は考えない。ドミナ、あなたが言ったセリフではないのかい?」
「そうね、確かに言ったわ。でも、教えてほしいのよ、お願いします。」
俺は、言葉を選ぶ。それは、悪い事を思ったり考たりすると、悪い事が起こるからだ。
「……。最悪のケースかい?何もないよ。それは受け入れるしかないな。俺自身は何をされても別に構わない。…もう、いいかな?」
俺はタバコに火をつけて吸いだした。デュオ。フーッ、うまい。
コーヒーも飲む。―ゲイシャ―うん、うまい。
「あなたの愛するものに手を―」
俺は、制した。
「分かった。答えよう。そんなに知りたいのなら一番やさしいやつを教えよう。心して聞いておくれ。まず、三族か九族かを考える。九族にしよう。手をかけたお方には何もしない。その代わりそのお方が見たくないものを庭先か玄関かベランダのどれか、もしくは全部に並べる。キッチンやトイレにも置いておくかもしれない。俺は人には見えない。適当に鼻歌を歌いながら事をやり遂げる。一歩、家から外に出る。出ると足を踏み外す。高度10キロくらいにしておこうか。そこから気絶しないで地面に叩きつけられる。その散り散りになった塵の赤黒いものをみる。その画を痛みと共に毎日みせてあげよう。その画にも俺が飽きたら金網で簀巻きにして海に放り投げられる吉夢も見せよう。高度10キロくらいにしておこうか。ぐるぐる巻きにされた金網とともに海面コンクリートに叩きつけられる。どこが頭で骨か足も手も何が何かわけが分からない。だけど幸いなことに意識はしっかりある。何回も窒息するのに幸運にも息を吹き返す。おぞましい海の生き物たちを見る。深海ではメガロドンにも遭う。ピラニアにも噛まれる。ここは淡水なのか、アホなことも考える。とどめは毎度お決まりでモササウルスに飲み込まれる。そのおぞましきものが可愛く見えるようになるまで続く。もう家から出られない。出たくても出られない。だが、俺も悪夢を見せる日が来る。そのものはついぞ吉夢も上夢も瑞夢も見なくなる。やっと、家からも出られるようになる。人とは恐ろしい。何もかもきれいさっぱり忘れて幸せと思わしき日々が訪れる。経済的にも恵まれてくる。地元や寄合ではそれなりに名のある者になるかもしれない。子供たちや孫にも囲まれて幸せとはこうゆうものなのだろうかとなんとなく人生に向き合うひと時を得る。この時を待っていた。また、はじまる吉夢、今度は現実だ。現実に起こる白昼夢。廃人すんでのところで、目覚め、愕然とする。それは若かりし日の今日なのだ。時間の中に閉じ込められた。気付いてもどうすることもできない。死ねないのだからどうすることもできない。《if》もしも、もし仮に病院なり刑務所なり異国だろうが異世界だろうが遥か銀河の果てであろうとも逃げようが隠れようが俺の慈しみ深き御業からは逃れられない。懺悔も告解も何も受け入れない。その方が招いた呪詛だ。仮に何とかうまくいって命を絶ったら冥界まで追いかけて現実に連れ戻す。根絶やしなんかしない、未来永劫末代まで俺が責任をもって可愛がる。先祖のボンクラどもも許さない。何代前だろうと全部の墓を暴いてすこやかに眠る亡霊たちを叩き起こす。目覚めた屍骸どもに先祖として子孫の守護を怠った罪の償いをさせる。言い訳なんかさせないし、ひとつもきかない。―まあ、そんな事は起きない。起こるわけがないんだ。―ね、つまらないだろう?くだらないよ、こんな話。さっきの話の続き、話してもいいかい?」
スクリーンパネルパネルはおぞましきものを映し、奇妙なうねりを発していた。もはや、発光ではなく発狂。気持ち悪かった。魑魅魍魎とはこれか。気味悪さで小便をちびりそうになった。ドミナはより目を輝かせて先程までより、より上機嫌だった。
このお方は、趣味が悪い。
「あなたってやっぱり面白いわね。わたしも可愛い赤ん坊に何かするものがいたら許さないわ。まあ、する前にその者は思った瞬間、考える間もなく刹那に消えるけどね。わたしの一番やさしい “お恵み”を聞いてくださる―」
俺は、制した。
「Thank you.(いいえ、結構です。)」
二回繰り返したところで、諦めてくれた。―なぜ、俺が心を開いて話し出したのに話の腰を折ってくるのだろうか―
「違うのよ、坊や。なぜわたしがあなたの話を遮ってまで違う質問をしたのか。―少し、いいかしら、あなたはマリアをご存知かしら?」
「聖母マリア、マグダラのマリア、どっちだい?」
「その方たちは置いておきましょう。エジプトのマリア、この方をご存知かしら?」
―記憶が蘇ってくる―
“コネクトーム”
無数の絡まっている糸が繋がり発色して、地図全体が明るくなっていく。
「―ゾシマ長老―知っているが詳しくは知らない。教えて貰えるだろうか?」
「マリアはエジプトの小さな村で生まれた。貧乏な家庭、増える兄弟たちに彼女は、十二歳のある日の夜、一大決心をして、朝を迎えると旅に出た。“夢の旅”少女ひとりだ。マリアは読み書きができなかったが美しくとても賢い女の子だった。―彼女は、行く先々で、希望と絶望を学んだ。彼女は悟った。手に職をもった。糸紡ぎを生業としながら、男に希望を与えていった。望むものに報酬なしで己の肉を貪らせた。天職だった。少女が生きる術だった。ある時は自分から肉を求め貪った。嬉々として狂ったように貪った。とても淫乱だった。マリアは知っていた。男たちに無報酬で肉を与える代わりに自分の“夢の旅”の話をした。男たちは話に聞き惚れ、すすんで食べ物や路銀を彼女に持たせた。犬も歩けば棒に当たる―うまい棒を愛でると甘い汁が啜れる。最高―淫蕩の生活は快く生き生きとして我が世の春を謳歌した。だが、いつも満たされず貧しい生活だった。彼女はとても貧しかった。ある時、正教会の祭のひとつ、十字架挙栄祭に行く為にエルサレムに向けて船が出ているのを風のたよりで知った。彼女は、船乗り、商人、大工、僧侶―肉を貪りあうことを考えただけで幸せに包まれた。無花果、西瓜、柘榴、ムベ、ペルセア、貰える果物を思い浮かべただけで唾が溢れて涎が垂れてくる。心も体も浮き浮きした。夢満開、迷いなく船に乗ってエルサレムへ向かうと日が昇っているときも日が沈んでいるときも船の上でマリアの肉の宴は催された。日毎夜毎、情欲のぬめり、愛欲の轍に狂喜乱舞した。生きるって素晴らしい。エルサレムに着いたマリアは朝も夜もなく淫蕩を続けた。祭の日、朝早く起きると彼女は小躍りして聖堂に向かった。イエスの磔にされた十字架を一目見ようと、聖堂に入ろうとした。入堂しようとする彼女をなにものかが、撥ね返した。彼女は聞こえた。起き上がってもう一度、入ろうとした。またもや、見えないなにものかに押し返された。彼女は見た。マリアは悔い改めた。起き上がると生神女の庇護を願う祈りを捧げた。淫蕩をやめる祈りを捧げた。改心したマリア、涙を流して赦しを乞う乙女。ようやく聖堂に入ることが許された乙女は十字架を見ることが叶った。マリアはすべてを思い出しその場に泣き崩れた―」
俺にも聞こえ、見えた。あまりに眠くなり、つい欠伸をした。頬を叩き、催眠術をといた。アカシックレコードにアクセスするといつも、そう、眠たくなる―
「何が言いたいか分かるかしら?」―分からない―分かるようで分からない―
「分からない」
「汝、姦淫するなかれ―」
姦淫とは、倫理に背いた肉体関係―胸に手を当てるまでもなく俺は、心当たりがある。イエスは、言う。「淫らな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」世の中は罪深い。そして、俺も漏れなく罪深い。俺が好きになった人は人妻だった。
「坊やは、消えたイスラエル十支族をご存知かしら?」
また、話題を変えた―話せって言うから話そうとしたのに…寧ろいまは俺の話を話したい気分なんだけれど…
「少しは知っている。日本人の祖先はユダヤ人だとかの日ユ同祖論なんかの話で決まって出てくる。何となく知っている程度で詳しくは知らない。」
「ソロモン王亡き後、イスラエル十二支族は北の十支族のイスラエル王国と、ユダ族、ベニヤミン族、祭司のレビ族の南のユダ王国に分裂した。その後、北王国はアッシリアによって滅ぼされ、アッシリア捕囚の後、北の十支族は歴史からいきなりプツリと消えたの。」
「それは、史実として残っている。紀元前1000年頃の話だ。」
ドミナは構わず喋る。
「消えたイスラエル十支族っていうのはルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、マナセ族、エフライム族の十支族―」
ドミナが急に黙る。
沈黙―
その沈黙を破ったのは俺―
「それが、どうしたんだい?」
「人は、誰しも星の下に生まれ星の元に還る。時に、運命よりも、もっと大きなものを背負って生まれるものもいる。」
「何が言いたいんだい?」
「あなたは、“5”―
ヤコブ五番目の息子は誰かしら?」
嗚呼、―俺は急に思い当たる―
「あなたはがよく見る夢、ロバのあご骨のお方はダン族ではなかったかしら?」
嗚呼、そうか、繋がっていく―
ヤコブ五番目の息子はダン―
聖書は関係ないと思っていたが“5”はここに関係してくるのか―
「サムソンはダン族だ。ダンはヤコブ五番目の息子―」記憶の中の絡まっていた糸が解れていく―
「ダン族の象徴の宝石は緑柱石―ダン族のシンボルは―」
「蛇、天秤、鷲―馬もダン族のシンボルだ。」
「そう、その通り。少しどころか十分詳しいわ。あなたは、蠍座よね。蠍座とは、鷲―
錬金術で蛇は蠍になり、蠍は鷲になる。天秤座とは、元々は蠍座の爪の部分。あなたは午年。ダン族のシンボルがすべてあなたと同じ。あらら、これって偶然かしら?」
―奇妙な胸騒ぎ―
「ダン族は、聖書研究者からは嫌われている支族だ。」
「あら、それはなぜかしら?」
「一番の理由は、ヨハネの黙示録の救われるイスラエル全支族の中に、一切名前が無い事じゃないのかい?その代わりに本来十二支族にカウントしない祭司のレビ族が入っている。歴代志の系譜でもダン族の子孫だけは出てこない。それで聖書研究者は、一番はじめに偶像崇拝をした支族だから、神に見放された。反キリストがダン族から現れるなどと言っている。」
「あら、そうかしら?それは、碌に知りもしない知ったかぶりよ。 “ダン”はとても重要なの―」
不敵な笑みのドミナ―何を思っている―
「坊やは、ゲマトリアをご存知かしら?」
ゲマトリア―
嗚呼、そうか、何で気付かなかったのだろう―
“すべては数”
何でゲマトリアに思い至らなかったのか―
目から鱗が落ちる―
灯台下暗しとは、正にこの事。
「ゲマトリアとは、 数値変換法の一つで、カバラなどの秘儀を知るための方法だ。ヘブライアルファベッドやギリシャアルファベッドは音価だけでなく数価も対応している。ゲマトリアはギリシャの[アイソプシー:isopsephy ἰσοψηφία]に起源を持ち、ギリシャ語の [ゲオーメトリアー:γεωμετρία](測地術、幾何学)か、[γαμετρίαː ガーメトリアー]が語源と言われる。」
「そう、その通り。聖書の言葉に隠された意味を読み解くカバラのひとつなの。ヘブライ文字がゲマトリアで、ギリシャ文字がアイソプシー。アイソプシー(イソプセイア:ἰσοψηφία ) は、“等しい小石”または“等しい数”を意味する。ギリシャ文字なら、≪α(アルファ)=1、β(ベータ)=2、γ(ガンマ)=3、δ(デルタ)=4、ε(エプシロン)=5、 ι(イオタ)=10 ρ(ロー)=100≫このように各文字に数価があてられている。」
スクリーンパネルにヘブライアルファベッド、ギリシャアルファベッドが並んでいく。
俺は、こうゆうのが好きなのだろう。
知的興奮が揺さぶられる。
「アイソプシーのルール第一ステップは数価ではなく単語の数に注目する。」
スクリーンパネルにひとつの文章が映る。
(アイオセオスオメガスジオメトリἀεὶ ὁ Θεὸς ὁ μέγας γεωμετρεῖ)、
「“神は常に幾何学者である”単語の数を数えてみて―」
(3,1,4,1,5,9)
円周率だ―(3.14159)
「そう、面白いでしょう。数価を数えるのは、元来は第二ステップなんだけれど、こんにちゲマトリアやアイソプシーと言えば数価の数に注目することを云う。聖書をゲマトリアやアイソプシーで読み解くと、円周率、黄金比、三角数など、そこに数学が見えてくる。ある規則や法則が浮かび上がる―」
スクリーンパネルに聖書の語句が並ぶ。その数価を数える。
〔イエス:Ιησουs〕
10+8+200+70+400+200
=888(8×111)
〔キリスト:Χριστοs〕
600+100+10+200+300+70+200
=1480(8×185)
〔主:Κυριοs〕
20+400+100+10+70+200
=800(8×100)
〔救い主:Σωτηρ(ゾーテール)〕
200+800+300+8+100
=1408(8×176)
〔御子:Υιοs〕
400+10+70+200
=680(8×85)
すべて8の倍数―
スクリーンパネルに聖書の語句が並ぶ。その数価を数える。
〔わたしたちの神の救い:イシュアエロヒム〕
6+5+10+5+30+1+400+70+6+300+10
=888
“わたしたちの神の救い”が、“イエス”と同じ数価―
偶然か―イエスも当時はありふれた名であろう―
スクリーンパネルに聖書の語句が並ぶ。その数価を数える。
〔神のかたち:Εικων Θεου(エイコーン セオウ) 〕
5+10+20+800+50+9+5+70+400
=1369
〔神の秘密:Ο Απορρητοs 〕
70+1+80+70+100+100+8+300+70+200
=999
神のかたち(1369)と神の秘密(999)を足した数価(1369+999=2368)が、
イエスキリスト(888+1480=2368)と同じ数価―
偶然にしては出来過ぎではないか―
「イエスのアイソプシー888の各桁を三乗して足す、その計算を重ねて繰り返すと153に帰結する。キリストのアイソプシー1480の各桁を同じように三乗して足す、その計算を重ねて繰り返すと370に帰結する。153と370は聖書を知るうえでとても重要な数字―」
153―
イクスース―
ヨハネの福音書だけに出てくる大きな魚の数字―
言われた通りに計算してみる。
8³+8³+8³=1536
1536→369→972→1080→513→153
1³+4³+8³+0³=577
577→811→514→190→730→370
「さらに、888、1480、2368(888+1480)の相関は面白いの―」
スクリーンパネルに映る直角三角形―
「直角を挟む短い隣辺が888、斜辺の長さが1480、直角を挟む長い隣辺が1184(2/2368) 三角形の面積 = 2368 × 222 数や形にはパワーがあるの。」
三角形の面積の求め方は、(底辺×高さ÷2)つまり(隣辺×隣辺÷2)
888×1480÷2=525696
2368 × 222=525696
「イエスはナザレ人、そしてナザレ人のアイソプシーは―」
〔ナザレ人:Ναζαρηνέ(ナザレネ)〕
50+1+7+1+100+8+50+5
=222
直角三角形が二つになり、直角二等辺三角形、平行四辺形、正方形と形作る。
直角三角形が三つになり、様々な形を形作る。直角三角形が四つとなり―
“数や形にはパワーがある”
グレベニコフ教授の発見した“空洞構造効果”“幻影現象”は、確かに形のパワーだ。
天の聖都―嗚呼、そうか、そうなのか―
俺は、思わず口走る。
「まさに神は常に幾何学者だ。驚いた。」
オヤジは、よく言っていた。聖書は、時を超えて神様が語りかけてくれる御言葉。言葉は、いのち。俺は、そんなオヤジもそんな事を言う信者もバカにしていた。だけれど、辛い時に、聖書の一文や一節を思い出し、バカは俺の方なのかと思う事もあった。
そして、バカは俺の方なのか―
「聖書の言葉だけで満たされて義を行い愛に生きるもの。それは、大変良い事。とても素晴らしい事よ。聖書の恵みは、書かれている言葉、結局それに尽きるわ。だけれど、聖書は、読み解けるものを待っている。
神はなにを言わんとしているのか。聖書の記者がなにを言わんとしているのか。それが聖書研究であり、それに用いる数秘術がゲマトリア、そしてアイソプシー。聖書は、あなたへのギフト。読み解きなさい。暗号、好きでしょう?」
22.5.1
“石よ 運ばれた命 風の声をきけ 虫のしらせ 花をしらべ 求めよ 名を思い出せ 標をみろ 名を合わせ 色をつけよ 数をみよ 解き放て 命を運べ 石を輝かせろ”
そういう意味だったのか―
スクリーンパネルに映し出される聖書の語句の数々―
数価を数える。これは、面白い。俺はずっとやっても飽きないだろう。
ゲマトリアの起源が古代ギリシャ。ピタゴラスやアリストテレス、古代の偉大な数学者はギリシャ人ばかりだ。数学とは、哲学。当時の知識人の取り組むべき学問であり娯楽であったのだろう。聖書の記者も当然知っていたはずだ。知っていたらそんな仕掛けを作るのも可能ではないのか。ある規則性をもって作れば改竄防止にもなる。たとえ、改竄されても規則性から外れるからどの箇所が改竄か分かる。
「あなたは、疑い深いとゆうより疑う事が好きなのでしょうね、きっと。でも半分、正解よ。数学に曖昧模糊なものは無い。数学は絶対に間違わない。裏切らない。すべては数で、すべては数学なの。よく覚えておきなさい。」
自分の疑い深い性格をたまに厭になる。だが、それが俺だ。いまさら変えようがない。
「聖書に出てくる数字にはすべて意味があるの。三位一体、イエスの荒れ野での三度の誘惑、三日目に復活、七つの大罪、七つの燭台、七つのラッパ、ノアの洪水は四十日間、イスラエルの民がシナイ半島を放浪した期間は四十年、イエスの荒れ野での断食は四十日間、すべての数字に意味があるの。白雪姫の七人の小人だって何も意味がないのなら六人減らして一人にした方が安上がりだわ。まあ、これは冗談だけれども―」
スクリーンパネルに映し出される聖書の数字―
神話や寓話には、数字が良く出てくる。八岐大蛇、猪八戒、ティアマトが生み出した十一の怪物、ヘラクレスの十二の功業、十四片にバラバラにされたオシリス―そんなものに意味があるのか―
「意味はもちろんの事、意味よりも本質を見なければいけない。本来、数字に良いも悪いもない。だけれど数には特質があるの。そうでなければ十一使徒でも、十三使徒でもいいじゃない?イスラエル十二支族、黄道十二星座、暦、十二支、時計、あら不思議、十二ばかりね―」
十二使徒―
イエスと太陽神ミトラは、幾つもの類似点がある。十二月二十五日、処女から生まれた。十二人の弟子をもち、数多の奇跡を起こした。死んで埋葬された三日後に復活したのも同じ。ミトラは、真理、光、などの別の呼び名を持っていた。神聖な崇拝日は日曜日。そして、エジプト神話のホルスもイエスと類似点がある。ホルスも処女イシスより生まれると、東方から星が現れ、三人の王が祝いに駆けつけて、新しい救世主として崇拝した。十二歳で天才児として教育者となり、三十歳でアナブによって洗礼を受け、聖職活動を始めた。十二人の使徒と旅を共にし、病を治したり水の上を歩くなどの奇跡を起こした。ホルスもまた真理、光、神の子、よき羊飼いなどの多くの名前で知られていた。タイフォンに裏切られた後、十字架に張り付けられ埋葬されたが、三日後に生き返った。さらに、ヒンドゥー教のクリシュナは、処女デーヴァキーから誕生し、東方に輝く星が出現した。弟子達と数多の奇跡を起こし死んだ後、復活した。すべて酷似といっていいくらい同じだ。すべての話が、イエスの話より古い。だから俺は聖書を信用しなくなった。だが、果たしてそうなのか―
ドミナと目が合う。にっこり微笑む。やはり、あなたは美しい。それだけは間違いない。
「ダン族のシンボル、そして、あなたの鷲―」
スクリーンパネルに映し出されるヘブライ語の単語―
鷲
5+50+300+200
=555
「あら、これって偶然かしら?鷲があなたの“5”
ゾロ目の三つの同じ数字、それは、三位一体、完全を表す。そして、“キリスト”という言葉は、聖書に555回出てくるの。そこまで人が作り込めるものなのかしら?」
聖書の話は、書かれた時代も記者も違う。確かに人が作ったにしては、出来過ぎだ。
あまりに出来過ぎだ―
「五人の賢い乙女と五人の愚かな乙女の説話は、ご存知かしら?」
俺は、よく知っている。オヤジがよく話してくれた聖書の説話だ。
「マタイの福音書に出てくる話だ。五人の賢い乙女は花婿を迎える、ともし火の油を予め用意していて切らさなかったが、五人の愚かな乙女は、油を用意してなかった。花婿が到着した時に油が切れてしまい、ともし火は消える。急いで油を買って花婿の家に駆けつけるも家の門は固く閉ざされていた。愚かな乙女たちは家の中に入れて欲しいと懇願するも花婿の家の主人から「はっきり言うが、わたしはお前たちを知らない」と言われる。結果、五人の賢い乙女は天国に入れて、五人の愚かな乙女は、天国に入れなかった。」
「そう、花婿を迎える、ともし火の油を切らせてはいけない。それは、とても愚か。
このお話から分かるように“5”
それは“区別”の数字―」
スクリーンパネルに映し出されるギリシャ語の単語―
〔区別:Διάκρισις(ディアクリシス) 〕
4+10+1+20+100+10+200+10+200
=555
「世界は、待っている。花婿を迎える、それは乙女の“願い”」
〔願い:ἐπιθυμία(エピテューミア)〕
5+80+10+9+400+40+10+1
=555
「“5”は、“10”の半分“― “5”は、とても重要な数字―」
エピテューミア―聞き覚えがある。
プラトンのパイドロス―馬車の比喩だ。
「エピテューミアは、プラトンのパイドロスの中で出てくる。その話で、エピテューミアは“欲望”だ。」
「あら、面白そうね。聞かせてちょうだい―」
俺に、訊かなくても知っているだろう。まあ、喋ろう。
「パイドロスの中で、魂の三分説を唱えるのに用いた御者と、二頭立ての馬車の話だ。御者は、〔理知: λόγος,(ロゴス)〕右手の馬は、〔気概:θυμός(テューモス)〕左手の馬は、〔欲望: ἐπιθυμία,(エピテューミア)〕右手の馬は、姿が美しく、節度と慎みを持ち、鞭打たずとも言葉で命じるだけで従う従順な良い馬、左手の馬は、姿が醜く、放縦と高慢であり、鞭と突き棒によってようやく言うことを聞く不従順な悪い馬。
天上の世界で、神々の馬車は、天球の外に位置する“真理の野”にある様々な“イデア”を楽しむために、天球の頂上へと昇っていく。
御者と馬には、それぞれに翼が生えていて、神々の馬車の後を追い、人間の馬車もイデアを見るために真理の野を目指し、天上の世界へと駆け上っていく。
しかし、左手の不従順な馬が御者の命令に従わず、地上に引っ張るので頂上までなかなか到達できない。
その中で、ある馬車は、何とか左手の不従順な悪い馬を御し、天球の外に首を出し、イデアを垣間見ることができる。
別の馬車は、左手の不従順な悪い馬を御すことが出来ず他の馬車と衝突し、翼を傷つけたり折ったりしながら落下し、イデアを見ることができずに終わる―」
「なかなか面白い話ね。 まるで左手の悪い馬はあなたのような荒馬―“欲望”それは必ずしも悪かしら?人は、どこまでいっても“欲望”を持つ。無欲になるっていうのは、何も持たないっていう欲望。だけれども、“欲望”のパワーは凄いの。不従順なそれをコントロールしてその衝動を聖き良きものへ昇華する。それは、他の動物にはできない、人にしかできない。物語の中で欲望はずっと悪いままかしら?そうではないはずよ。だから、“5”は、“区別”なの。人々は、大切なものを失い、ともし火の油を用意せず、欲望の赴くままに生きている。それなのに、その実、心の奥底では誰しもが救いを求めている。 “5”が世に現れる時、それは、“区別”の時―それは、人々の“願い”そして、“5”とは、他でもない坊や、あなたなの―」
確かに、欲望が狂気を生み、狂気が、様々なものを創造する。
だが、狂気は時にモンスターを創造する―
「“V”それは、“X”のひとり―」
「…、」
「お腹空かないかしら?何か美味しいものでも食べに行きましょうよ。それとも、お話を続けるかしら?」
お腹空いたかと言われれば腹も減ってきたような気もする。それ自体、気のせいなのだが、ここでは触れない。“気”も元来、日本は“氣”とゆう字を使っていたが戦後GHQによって変えられた。それも、ここでは触れない。たたかいはしなくて良くなったのか?メシでも食べようか。食べに行くってどこに行く?
「いや、このまま、話そう―」ようやく喋れる。俺の話を―幻の世界の話を話そう―
「Why not?(もちろん)―では、お話ししましょう。」
―人生には三つの坂がある。上り坂、下り坂、そのまさか―“まさか”が訪れる時、それは遥かまえから始まっている。俺はこの後、己を恥じた。“口は災いの元”“噓つきは泥棒の始まり”“恥の上塗り”これらは大金を積んででも買うべき珠玉の言葉だ。諺や名言には先人の叡知が詰まっている。時代の風雨に晒されながらも生き続ける言葉、それは“黄金”目に見える黄金は奪われるかもしれないが本物の黄金は奪われない。駄弁を弄するのもこれくらいにしておこう。
「幻のくには―」
「ちょっと、ごめんなさい。“幻の大地”よね?―なぜ、大地を“くに”と言い換えるのかしら?幻の大いなる地、それは“幻の大いなる血”よね?なぜ、偽るのかしら?なぜ隠すのかしら?坊や、まだ迷っているのかしら?恐れを捨てなさい。」
ドミナは銀粒仁丹を噛む。目が合うと微笑みをプレゼントしてくれた。氷の微笑とはこれか―
「いや、それは―」
ドミナの目が妖しく光る。
「坊や、御託は、もうよい。なぜ、偽る?なぜ、自分を信じない?」
「いや、だから―」
「もうよい。お前は、若き日にも逃げた。そして、また逃げる―」
そうだ、思い出した。封印した記憶―1999年の夏―俺は、天の声を聞き、無視をした。俺が信仰から離れたのは、恐ろしくなって逃げたからだ。
「自分を偽るものは天を呪い、民を欺く。そのような者に天は救いの手を差し伸べぬ。われは全知全能の創造主にして暗黒の破壊神、われこそが夢、われこそが真理、われこそが全―もうよい、お前には務まらない―」
頭を金槌で思い切りぶん殴られた。
ノーを言い続ける相手にイエスを言わせるにはどうすればいいか?それには、こちらがノーを突き付ける。言われた方は、いきなりの事に面食らう。この時の俺がまさにそれ。
待ってくれ…
いや、俺がやる―
「待ってくれ!俺が、やる。俺にやらせてくれ。すまない、語呂あわせのようで厭だったんだ。こじつけみたいで。どこかでバカげていると思っている自分がいたんだ。俺の記憶の混濁が生んだ産物だって、疑っていたんだ。俺の勝手な妄想がいい加減なヴィジョンを見せているだけだって…体験している事も、なんかいままで見た映画や漫画、ゲームみたいで…信じている。分かっている。―言い訳もすまない。―いや、信じてなかった。―全部洗いざらい喋る。スフィンクス、ダン、153匹の魚、全部聞こえているし見えている。数を合わせてる。待ってくれ。すまない。信じる。自分を信じる。少し待ってくれ。自分を信じる―」とんだ赤っ恥をかいた。ミカ書をよく読んでおくべきだった。いや、ヨブ記か―
いや、問題はそこではないな、潔くなろう。―俺は無―色がない無……………よし、喋ろう
―
「話すよ。ここから言わせてくれ。何でも喋る。ここから言わせてくれ。俺は、魔王に勝った後、幻の大地に行けるようになり、深い霧の中を歩いた。ずっと、歩いていると、大きな白い虎のような豹のような牛よりも大きい動物と出会った。ライオンにも見える、ネコ科だ。襲われると思った瞬間、飛び掛かってきたかと思うと俺の背後にいた化け物に勇敢にも立ち向かった。俺に襲い掛かろうとしてきたんじゃない。助けてくれたんだ。その大きいネコの動物は化け物を倒した後、俺に飛びついてきて強く抱きしめてくれた。俺は、すぐに分かった。死んだ飼い猫の“ピカ”だったんだ。そうしたら、次の瞬間にまだピカが生きていた頃の現実に俺はいて、ピカを抱きしめていたんだ。過去にいたんだ。ふつう現実では起きない。起きるわけがないんだ。おかしい話なんだ。この話を、誰も理解できなくて、理解できないだろうと思い、言わなかった。いや俺は誰かに言ったんだ、だけど俺は腫れもの扱いされて、悔しくて、悔しくて堪らなかった。後悔した。俺はどこもおかしくない。おれはキチガイじゃない。もう誰にも言うまい。信じた俺が馬鹿だった。もう誰も信じない。もう誰にも言うのが厭になったんだ。戻れた日、それはまだ子猫の時で、母から「なんであんたはピカばっかり可愛がるの?」って何もない過去のその日、俺はピカを嗚咽しながら抱きしめたんだ。なんでって当然じゃないか、俺の旅の友なんだ。いつも一緒にいた友なんだ。俺の大切なともなんだ。俺はこの時ほど神に感謝した時はない。この時の気持ちは言葉では言い表せない。―天からきいた声を初めて理解できたんだ。体感じゃない、体験したんだ。肉体ごと現実世界の過去に行ったんだ。―ふたたび目を開けると幻の大きい“ピカ”だった。幻の大地での頼もしき相棒だった。凄まじく強かった。いつも一緒で楽しかった。本当は、俺は一度も戦ったことがない。いや、あるがそれはまた別の話だ。魔王としか戦闘はしていない。魔王に勝ってから幻の世界では、戦うのはいつもピカで、いつも俺を守ってくれた獅子、 俺は、倒した化け物の魂を浄化する係だった―」
22.4.20
“お前は呪われた穢れた血の子だ。お前は狂っている。頭のおかしい狂人だ。狂人とはケモノの王、そして人。ただの人 お前は人だ ケダモノの凡人だ 人こそケダモノだ。 “Motherfucker”お前の母ちゃんデベソ 悔しいのう 悔しいのう グワハハハハ 木偶の棒 魔王のわたしには勝てぬ、人ごときが勝てぬ 叡知と無知 哀れだ 虫の息でなにか もの言えるのか 立てないだろう 死に損ないの醜いものよ もうこれ以上は限りなく理がない。無理はするな、小僧。もうこれ以上はお断りだ―シシシシシシ 無様だ 人の子よ ハハハハハハ お前はただの石 道端に転がるタダの石ころ お前の意志は報われない遺志 ナハハハハハ 憐れな生き物よ 死ね ここで息絶えるがいい もう用がない シッシッシッシッシッシッ”
“very funny, 確かに俺はのろまだし、死にかけで血まみれだ。美しいだろう “fuckinPsycho ”俺は狂っている。いい年こいて乳飲み子なんだ。色んなお母ちゃんのおっぱい吸いまくるキチガイの変態だ。“Bravo”完全なる狂人。ケモノも肯定しよう。俺は毛だ。毛のものだ。俺は動物が好きだ。飼い猫は俺の可愛い“子”だ。色んな事を学んだ良き“師”だ。そう俺は、獅子の王。お前に教えてやる、“子”も師という意味があるんだ。よく覚えておけ、この生き物ですらない哀れなものよ 死にたくても死ねない、ものですらないものよ 俺が士師だ。お前は死屍だ。俺が血でお前は肉だ。ほら四肢を与えてやったぞ “猪”おすわりしろ 俺が子之だ。魔王がどうした、無駄なんだよ、ひと様相手に頭が高いわ、俺は死屍に鞭打つもの 何か返してみろ、何か掛けてみろ、問答しだしたのはお前だろ、息絶えろだ お前がその臭い息をどうにかしろ お前が息止めろ、臭いんだよこの乞食。お前は乞食だ。俺が王様でお前は乞食だ。乞食が俺に口答えなど百年はやいわ。 人さまに言われて情けないな、この乞食。ストーンとととのったぞ《Rolling Stone》【王様と乞食】ととのいました《Lock》”
ほうら、バカげているだろう?だから、俺はこの話をしたくない。
はじまりがあり、おわりがあるのではない
それらは同じ日同じ時間同じ場所で起こっている
すでに起こった星のかけら
おわりのないはじまり
それが今日はじまる
決しておわりなきはじまり
それが今日ととのう
「夢の世界、幻の大地、天空の城、―それらは、俺が子供の頃に熱中して遊んだゲーム。だから、俺は自分の思い込みを疑った。こんなバカげた話もない。
―オヤジから続く俺の物語―ゲームの内容とまったく同じなんだ―」
「真実は、時にバカげている。そうゆうものよ―
ひとつ、いいかしら?あなたの物語は、本当にお父様から続くお話かしら?」
え?どういう意味だ?
ドミナがゆっくりと喋りだす。
「あるひとりの女の子が東北の寒村に生まれた。彼女は、生まれつき、腎臓がひとつで子宮がふたつと特異な体を持って世に生まれおち、数奇な運命の人だった。西暦1949年1月1日生まれ。役場に届けた日付は昭和二十四年一月二日。その年の干支は己丑。その頃は、元旦は役場が休みで信心深い女の子の父ちゃんは験が悪い、縁起が悪いと一月二日生まれとして役場に届け出た。女の子は、生まれた時に、息をしていなかった。厳密には虫の息で、それは、てんかんのような症状、当時の人たちは、それを“恐怖の蟲”と言った。迷信深い昔のひとは自然を敬い、祟りを畏れた。生まれた赤子は碌に乳も飲まず目も虚ろで満足に泣きもせず、可愛くもなんともなかった。実際は、わが子だもの、親は持てるだけの、それ以上に愛情を注いだ。毎朝、毎夜、天を拝み、祈りを捧げた。隣町だろうと山をひとつふたつ越えようと高い代金吹っ掛けられようとわが子を治してくれる医者を探した。そんな親の苦労も水泡に帰す時が来た。見かねたお天道様が終ぞ楽にしてくれた。乳飲み子も早くも世とのお別れの日が訪れた。それは天津国への旅立ち。女の子は二度目の誕生日を迎えることなく息を引き取った。親の心には嵐が吹き荒れ、雷鳴が轟き稲妻が走った。豪雨で洪水になり防波堤は決壊した。天を仰いだ。地にひれ伏した。天の計らいとはおそろしい。その時そこでは土葬であった。その地域では親が子の埋葬に立ち会うことは禁じられていた。亡骸は蜜柑箱に入れられた。それは、みかんの木の箱、ミカンのがん箱。ミカンのがん箱は女の子の父ちゃんの親友のおんつぁんが背負って山に埋めに行った。暗い夜、松明をもち山に登りはじめる若かりし日のおんつぁん、麓、突如、暗夜に灯を失う。松明の火が消えたのだ。山に灯される怪火、頭に葉っぱが落ちてくる。突然のことに吃驚した。狐か狸か、がん箱は動き、骸が哭いた。おんつぁんは目ん玉、丸くした。ゴホゴホゴッホゴッホ咳き込んで泣き咽ぶ幼子、女の子は生きていた。葬式の日に、盆と正月が一緒に来た。おんつぁんは小躍りして村に戻った。早く報せてやらねばと、家路を急いだ。祭りだ、祭りだ。白い鯨幕の色が変えられた。こころの浅黄幕が紅に変わった。両親は吉報に胸が跳ね上がる。家は、歓喜乱舞した。暗夜にいのちの灯がともった。
偶然、それは奇跡―
女の子は元気いっぱいすくすくと育った。女の子は大人になり結婚し沢山の子宝に恵まれた。艱難辛苦、それがこの女の子の生き様。女の子は何度も大病を患ったが何度も乗り越え、今日も元気に生きている。なぜ、女の子は生かされたのか?それは、親から子へと連綿と続く糸。女の子の物語は、まだ終わらない。だって、物語は、未完だもの。」
俺は、自然に溢れる涙が止まらなかった。おかんだ。女の子は俺のおかんだ―
死んだ爺ちゃん、おかんの父ちゃんは戦争で満州に行った。
部隊は、ほぼ全滅だった。
戦争から帰ってきた爺ちゃんは、瘦せこけて杖をつきながらなんとか帰ってきた。
帰ってきた時にわが親が、見分けがつかなったのだから相当だったのだろう。
そうだ、親が、その親が、親たちが必死で繋いでくれたいのち―連綿と続く糸―
未完なら俺が、この俺が、
この俺が完成させよう―
「そう、親たちが繋いでくれたいのち―あなたで完成させましょう。それが、はじまりなのだから―」
おかんが幼き日の俺に詠んでくれたうたを思い出す。
“貧しいものにも幸福になる権利がる
名も知らぬ野の花にも春を待つ喜びがある
人には親切にしなさい
人に与える親切はきっとあなたにかえってくるものです ”
「素敵なうたね。素晴らしいお母様だわ。誰しもが男と女から生まれる。続いてる糸は、お父様だけではないのよ。糸は複雑に絡まっているもの。それを紡いでいくのが、坊や、あなたの仕事よ―」
俺は、もう逃げない。
俺は、俺の仕事を全うする。
「あなたは、若き人妻を好きになり、若き人妻もあなたの事が好きだった。ほんのアソビのつもりが適切な距離が保てなくなった二人。若き人妻がどんどん自分を好きになってくる。その事に、あなたは、苛立ち不安を抱いた。どうしようもない状況をあなたは天のせいにした。なんで、自分の人生の設計図はこうなのだ。あなたは、恐れることなく天に言った。「なんで、俺をこんな状況に追いやる?神だろうが何だろうが俺は、絶対に許さない。」
その魂の叫びは、時空を超え、物質を超え、銀河を揺らした―」
そして、その日のうちに魔王が現れて、俺はボコボコにされた。
「ひとつ残念なことを教えてあげる。残酷な事かしら、あなたが倒した魔王、これから戦う敵は、優に百倍は強いわ。求めるものの声を盗み聞き、与えに来る魔物。本物の盗っ人は数の秘密を盗み、世界を征服しようとしている。魔物には取り込まれたり、取り憑かれないように十二分に注意しなさい。」絶句―圧倒されるとはこういうことなのであろう。魔王、どれだけ強かったか知っているかい?そりゃあ、知ってるか。あれの百倍とか無理。無理です。むり、ムリ―
「ねえ、わたしお腹空いたわ。坊や、何か食べに行きましょうよ。お寿司、焼き肉、中華、フレンチ、イタリアン―何にする?行きましょうよ。ダメかしら?」
やっぱりボクは無理です…
「お寿司にしましょう。坊や、いいかしら?」
いまから白旗の正しい振り方をセーラーマンに教えを乞いに旅に出ます。それがいいです。“三十六計逃げるに如かず”です。もうボクを探さないでください。
いつの間にかドミナは俺の背後に回るとぎゅっと抱きしめてきた。
「なんで素晴らしいお母様からこんなバカが生まれたのかしら?」
―嗚呼、背中から感じるおっぱい、いい、その感じ―
「なに?坊や、何か言った?」
嗚呼、気持ちいい―
俺はおとされた―
ヨハネの黙示録17:11
昔はいたが今はいないという獣は、すなわち第八のものであるが、またそれは、かの七人の中のひとりであって、ついには滅びに至るものである。
イエス・キリストが地上に作る楽園“the Paradise on earth”千年王国“the Millennial Kingdom”は【九番目】の王国である。そして、新天新地“New Earth”が【十番目】で完結すると云われる。いや正確には、“X”は終わらない、新点新血は決して終わらない、それは全と部の集大成。続く“XI”が全と部のはじまり。―おわりなきはじまり―
ヨハネの福音書3:14
そして、ちょうどモーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければならない。
マタイの福音書10:16
わたしがあなたがたをつかわすのは、羊を狼の中に送るようなものである。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直であれ。
マタイの福音書12:34
まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。
・ダン(ヤコブ五番目の子)
創世記30:5 -6
ビルハ(単純、無関心)は、みごもってヤコブ(踵をつかむ者)に子を産んだ。6そこでラケル(母羊、雌の羊)は、「神はわたしの訴えに答え、またわたしの声を聞いて、わたしに子を賜わった」と言って、名をダン(裁き)と名づけた。
創世記49:16 (ヤコブの十二支族遺訓)
ダンはおのれの民をさばくであろう、イスラエルのほかの部族のように。
創世記49:17-18(ヤコブの十二支族遺訓)
ダンは道のかたわらの蛇、小道のほとりのまむし。馬の踵を噛んで、乗る者をうしろに落すであろう。18主よ、わたしはあなたの救いを待ち望む。
申命記33:22 (モーセの祝言)
ダンについて言った、「ダンは獅子の子であって、バシャンからおどりでる」
ダンはヤコブ五番目の息子―
ヤコブの妻、ラケルの側女ビルハの生んだ子で、ダン族の始祖である。
ダン族で一番有名なのが、士師記に出てくる“怪力サムソン”
サムソンの話を少しだけしよう。
サムソンはイスラエルの民がペリシテ人の支配下で、圧政に苦しんでいる頃に活躍した士師。士師とは裁き司。要は裁判官だが、現代の裁判官とは役割も内容もだいぶ勝手が違う。民族の指導者であり神から任命された裁判官なのだ。士師記自体が聖書の中でも少し、特異な話だが、その中でもサムソンはひときわ異彩を放つ。神より聖別されたナジル人として生まれるも大酒のみで女好きで、あり得ないほどの怪力。そうかと思えば謎かけなどを好んでするインテリジェンスな面も併せ持つ。怪力と言えばサムソン。なぞなぞといえばサムソン。素手でライオンを殺すわ、ロバの顎骨をふるってたった一人で千人の敵を無双するなど桁外れに強い。婚約したペリシテ人の女との婚礼パーティーでサムソンは謎かけをする。その婚礼パーティーにはペリシテ人三十人が祝いに駆けつけていた。イスラエル人とペリシテ人、敵同士の結婚。もう、それだけで何かよからぬことが起きるかもしれないお膳立ては出来ていた。
「食らう者から食い物が出、強い者から甘い物が出た」その宴席上で、この謎を解けたら亜麻の着物と晴れ着三十人分の衣を渡すとペリシテ人に約束する。この答えとはこうだ。サムソンが素手で殺したライオンの死骸に蜂が巣を作ってハチミツが出てきたのだ。そんなもの誰も解ける筈がない。誰も知らないのだから解ける筈がない。実際、誰も答えられる者がいなかった。そこでペリシテ人はサムソンの新妻に、サムソンから答えを聞き出すように迫る。そしてサムソンは、新妻に答えを漏らしてしまう。あまりにしつこく訊いてきたからだ。新妻から答えを聞いたペリシテ人はこれみよがしに勿体ぶって答える。「蜜より甘いものに何があろう。獅子より強いものに何があろう。」答えられないはずの謎かけを解かれてしまったサムソンは怒り心頭で、別の村の全くなんの関係もないペリシテ人三十人を皆殺しにすると三十人分の衣を追い剥ぎして、三十人分の衣の約束そのものは何とか果たす。もう、この時点で正気の沙汰ではない。常人の理解を遥かに超えている。殺された三十人は堪ったものではない。その新妻のお父上が良くなかった。サムソンが怒って帰ったと思い、あろう事かサムソンの新妻である娘を宴席にいた他の者にあげてしまったのだ。代りに妹をやると言ったが相手が悪かった。さらに怒り狂ったサムソンは、ジャッカル三百匹を捕まえ、二匹のジャッカルの尾と尾を結びつけると松明で火を点ける。熱くて堪らないジャッカルは慌てて走り出す。そのジャッカルでペリシテ人の畑という畑を焼き払った。もう、無茶苦茶である。ちなみに余談だが聖書によってキツネと訳されるが、これはジャッカルで間違いない。ジャッカルは夫婦で行動する夫婦の象徴の動物で、ジャッカルでないとこのエピソードの意味が半減してしまう。第一、サムソンが単独行動のキツネを一匹ずつ捕まえる面倒なことなどしないだろう。
そんなサムソンは神よりその怪力を授かっていたが、ある日、惚れたペリシテ人の女デリラに怪力の秘密を漏らしてしまう。デリラがあまりにしつこく訊いてきたからだ。サムソンの弱点は、生まれてから一度も剃刀を当てたことがない髪の毛。サムソンは寝ている間にデリラに髪の毛を剃られてしまう。神より授かりし怪力を失ったサムソンは眠っている所を待ち伏せていたペリシテ人兵士によって夜襲を食らう。反撃するも怪力を失ったサムソンは簡単に取り押さえられてしまう。取り押さえられると、両目をえぐられ、捕まってしまう。盲目になったサムソンはガザの牢で牛や馬のように粉挽きをさせられた。掴まって一年ほど経ったある日、神ダゴンへの感謝のパーティーでペリシテ人はサムソンを見世物にして披露する。神殿の屋根の上には三千人程の見物人がいた。しかしサムソンは神に祈って怪力を取り戻し、「わたしはペリシテ人と共に死のう」と言い、二本の柱を倒して神殿を倒壊させ、多くのペリシテ人を道連れにして死んだ。このとき道連れにしたペリシテ人はそれまでにサムソンが殺した人数よりも多かった―
怪力サムソン、圧巻の人生である。
そのサムソンが何の関係があるのか?
俺は、暴れ回る怒り狂ったサムソンの夢ばかりをある日からよく見るようになった。
ダン族のヒーロー、サムソン。
俺がサムソンとなって暴れ回る夢を見る。これは本当に夢なのか?
実に生々しく、現実のような夢―
もしくは、この俺が生きる現実が夢なのか―俺がサムソンの夢なのかサムソンが俺の夢なのか―
ペリシテ人の謎かけの答えが、また新たな謎かけを生んでいる。
「蜜より甘いものに何があろう。獅子より強いものに何があろう―」
―All my life is changing everyday,― “One day at the age of 7”
「はい、みんなこれ分かるかな?スフィンクスのなぞなぞ。朝は四本足、昼は二本足、夜になると、三本足。これなんだ?」教室の中、逸るように何人かの子が手を上げる。はい!はい!はい!はい!
「はい、では、はなぢくん!」
「こたえは人間!朝は、赤ちゃん。ハイハイで四本足。昼は、大人。大人だから二本足。夜は老人。杖をついて三本足。」
「はなぢくん正解!答えは人間。みんな分かったかな?このなぞなぞは世界で一番古いなぞなぞよ―」
はなぢブーを中心にはしゃぐ教室をよそに俺は一人だけ浮かない顔をしていた。腑に落ちなかったのだ。車椅子の人とかはどうする?それが言いたいわけではなかったがどうしても納得がいかなかった。俺は違うと思い即興で思いついたことを言おうと手をあげた。
「先生、答えは犬です。うちで飼っているシェットランドのアメディオです。」
教室のみんなが一斉に俺をキョトンと見てくる。
先生は慌てて遮ろうとしてきたが、俺は構わず続けた。
「アメディオは、朝は散歩に連れて行って貰おうと大人しくおすわりをしています。飛び掛かってきたら殴られるから大人しいです。でも、土曜日とかお昼に帰るとよほど嬉しいのか二本足で飛び掛かってきます。もちろん殴ります。でも夕方、散歩に連れて行くのが遅いと、しびれを切らし、怒って僕の靴におしっこを引っかけてきます。その時に三本足で、こうやってチャーっと。」
教室に大爆笑が沸き起こる。先生はわなわな震え、一瞬で教室を凍り付かせると俺をひっぱたいてきた。あとで職員室に呼ばれ怒られる、絞られると散々な目に遭った。こっぴどく叱られているその時によしておけばいいのに机にあるなぞなぞの問題文を見てしまった。
“一つの声をもちながら、朝には四本足、昼には二本足、夜には三本足で歩くものは何か。その生き物は全ての生き物の中で最も姿を変える。これはなんだ?”
先生が口頭で言っていた問題とプリントの問題が違う。俺は、それに気付き先生を問いただした。
「先生、やっぱり違うと思います。赤ちゃんを見て四本足とは言わないでしょう。お年寄りが杖をついているのを見て三本足とは言わないでしょう。声だって年取っていけば変わるでしょう。おじいちゃんがオギャーとは言わないでしょう。大体、何で先生は問題を変えたのですか?」
呆れた先生はなにか恐いものをみるような目で俺を睨め付けると、もういいと解放してくれた。お前はキチガイだ、キチガイの子だとかなんだとかボソボソ言っていた。
その後、俺はその先生から陰湿な扱いを受けた。まったく喋ってくれなくなったのだ。今更、そんなことはどうでもいい。そんなことは俺も忘れていた。たかが、なぞなぞ。どうせ昔の事。先生だって元々俺が嫌いか生理か何かでイライラしていたのであろう。どうだって良いではないか。誰しもそう思うであろう。百人中百人がそう思うであろう。当の俺が忘れていたのだ。だが、どうでも良くなかった。それが重要な秘密だとしたら?自分に与えられているミッションだとしたら?だから俺は少年時代、あんなに反応したのか。
世界最古のなぞなぞがトリガー―
そんなことがあるのか―