―The Fool―
「歩け」
俺は、目的を失いかけていた。
木が振れた。
機が触れた。
気が狂れた。
また木が振れた―
22.4.17
“人のいうことを聞いてはいけない。
天の声をききなさい。 人の仕事を手伝うのをやめなさい。 お前は自分のするべき仕事がある”
白い光に包まれた。俺は眠り、何度も同じ夢で魘された。深く濃い霧に包まれその中を歩いた。見たことも無いものを見た。聞いたことも無いようなことを聞いた。だが俺は信じた。あろう事か信じた。そして今でも疑っている。
それが俺の旅―おわりなきはじまりのはじまり―
霧のなか、友がいるはずだったがはぐれた。供がいるその筈だった。手筈が狂うとはこれか。共に旅をする友にして供。調子が狂うとはこの事。伴になれたであろう朋。動き出した歯車は軋みまるで出鱈目で軋む音色は目障りで耳障りで完全に狂っていた。
“お前に世界を救ってほしい”
いきなりそう言われて信じるか―
俺は、迂闊にも信じてしまった。拒絶したかったが抗いがたいチカラだった。心躍る魅力的なオファーではない。つまり、抗いがたいオファーではない。念の為にもう一度言おう。抗いがたいチカラだった。人生とは不可思議だ。論理が通用しないこともある。ほんの少し、些細な事から始まった。ある日、奇妙な偶然の一致に気付いた。自分で決めたはずの出来事に何か別のチカラが働いているとしたら?―偶然にしてはあまりにも出来すぎていて、あまりにも可笑しい。まず、あり得ない。落ちてくる言の葉、舞い降りてくる言の霊。呼びかけてくる声―俺は一体、誰と話をしているんだ。魂に響く声―恐ろしかった。少しずつ甦る記憶―繋がるジグソーパズル―そこから一歩踏み出したらどうなったか?
最悪だった―
この物語は、愚者の話。いや、大きい魚の話。いや、時空を超えたラブストーリー、いや、夢を旅した壮年、なんにせよとても馬鹿げている。荒唐無稽で矛盾だらけで常人の理解の及ぶところではない。もし仮に、この話を一年前に友人から聞かされていたら、その友人とは距離を置くだろう。精神科か心療内科か何かの診療を勧めるかもしれない。薬物か葉っぱか何かそれらの影響を疑うかも知れない。それくらいぶっ飛んでいる。
だが、俺は至って正常だ。すこぶる調子も良い。元々頭のネジの何本かは緩んでいるが正常そのものであろう。
俺は、ある日突然、医学の進歩よりも早く毎秒毎瞬毎刹那、驚異的なスピードで成長した。進化したという表現の方がぴったりかも知れない。いきなり物質を超え、いきなり時空を超えたのだ。こんな馬鹿げた話があるだろうか―
俺は大嘘つきだが、これが嘘ではない証拠に誰もが簡単に超能力が使える具体的な方法を教えよう。これから教えることはとても簡単なので是非試してみて欲しい。まず、風の無い部屋の中でエンピツとメモ用紙か何か折り紙よりも小さい正方形の紙を用意する。用意できたらエンピツを真っすぐ机に立てて固定し、固定したエンピツの上に四つ折りにカタをつけた正方形の紙を置く。その紙が静止したら触れないように手のひらから紙に「動け」と念を送り込む。すると一分もしない内に紙は触れてもいないのにくるくると風車のように回り出す。これは小学校低学年、幼稚園児などの幼い子の方が簡単にできる。一分どころか三十秒も掛からずにできて紙はより活発に動く。慣れてきたら手をかざさずに念だけでも動かせる。
どうだろうか?紙が動くのは確認できただろうか?
これは詰まるところ科学なのだが生憎、俺はそれを証明するだけの科学知識を持ち合わせていない。ちなみにこれは誰にでも超能力があるという単なる実践的証明だけであって実生活、実社会において何の役にも立たない。いや、研鑽を積めばより凄いパワーになるのかも知れないが、それを俺は知らない。ここでポイントなのは誰にでも超能力があるという証明である。
“超能力”それが一体なんになるのか?
それは、超能力が必要だからである。より厳密にいえばこれから起こるたたかいの為に超能力者の超人的なパワーが必要とされているからである。
そして、それは心得あるものなら誰でも使える。
こんにち、元々おかしかった世界が日々日々急激に加速して益々おかしい。まるで注文の多い料理店のような奇っ怪な話、壮大なスケールの茶番劇―
それらを紐解くキーワードは、ディープステート、カバール、ハザールマフィア、フリーメイソン、イルミナティ、300人委員会、ダボス会議、ビルダーバーグ会議、イエズス会、CSIS、明治維新、3S政策、日米合同委員会、ケムトレイル、電磁波、ウイルス、ワクチン、コオロギ、人口削減計画、緊急事態条項、予測プログラミング…etc.
そのような世の中の仕組みに気付くことが“覚醒”だという者がいる。
“仕組みに気付く”それらは大事だが覚醒とはそのようなものではない。真の覚醒とは、物質を超え時空を超えることをいう。つまり、自分自身が超能力者として目覚めることだ。
さすがの陰謀論者もびっくりのトンデモ論だろう。気にせず進めよう。
それらは物語を読み進めればヒントを見つけるであろう。運が良ければ答えを見つけるであろう。さらに運が良ければ自分で道を見つけるであろう。是非見つけてみて欲しい。そして、そこからもっと大切なことがあることに気付いて欲しい。幸運を祈る。
俺は論理的な人間、その筈だ。そうだろう。そうでもないのか。
ウサギを追いかけて穴ぼこに落ちる。そこに広がる不思議な世界―
この物語は、そんなお話―いや、そんな話ではない―
俺は一九七八年十月二十四日にこの世に生を受けた。丙午、昭和五十三年生まれで、よりによってゴミ年生まれ。その日は火曜日で、午前十時何分かに生まれた。何分かは調べたら分かるが面倒なので調べていない。今はもう廃業している鶴亀助産院で生まれた。生まれた俺は、太々しく不機嫌そうで泣かなかった。そう母親から聞かされた。その日の天気はよく晴れていたらしい。十月二十四日はちょうど蠍座の始まる最初の日でその日に生まれた。
太陽星座は蠍座。月星座は獅子座。
蠍座の一等星はアルタイル。蠍座の形はS字。
錬金術で、蛇は蠍になり、蠍は鷲になる。錬金術っていうのは“大いなる業”のひとつで卑金属から金属を作り出したり、賢者の石だとか生命の木だとかの秘術だ。錬金術で蠍座の位置が鷲なのはそういう理由。他人の誕生日や星座なんかどうでも良いだろうが、この数字や星座を良く覚えておいておくれ。この物語の骨子。とても重要な数字と星座だ。カバラ数秘術の運命数は5(1+9+7+8+1+0+2+4=32 3+2=5)これもとても重要な数字だ。カバラって言葉の意味自体が口伝、伝承でカバラ数秘術って言わずともカバラが秘術を指す。他人の運命数なんてどうでも良いだろうが、この数字を良く覚えておいておくれ。百年後には学校のテストに出るかもしれない。念の為に言っておくが、俺はもともとオカルトだとかスピリチュアルなどそういった類が嫌いだ。胡散臭いペテン師ばかり―吐き気がする。
俺の半生はゴミそのものだった。だが思い起こすとゴミでもそれなりに楽しい。捨ててあるゴミにも時には宝があるようにゴミの人生にも楽しい時がある。ゴミでクソだけれども、ふたたびこの世に生まれ落ちることがあるならば、もう一度俺は自分の人生を選ぶ。時に他人が羨ましかったりするが結局、他人の人生なんて考えられない。
人生なんて所詮、暇つぶし。そう思っていた。
意味のない毎日をダラダラ繰り返し、少しの幸せに満足して意味のない人生をひっそりと終える。そうなる予定だった。
だが、違う展開と結末が用意されているとしたら?
ある日、意味とか意義だとか人間が介したものではない、もっと根本的な本質そのものに気付かされる。
自己の認識と宇宙との一体感―
人生だとか、運命だとか、そんなものよりももっともっと大いなるチカラ。
それを知る日がくる―
それが抗えぬチカラ―
俺は名もなき小さなもの。そう、名なんかない。ネジが何本か緩んでるどころか完全に気が狂ってるだろう。わたしが蒔いた種が実り育みその木の股から生まれ樹液と木の実で育った乳呑み児。その乳呑み児が俺。分かるかな、分からないだろう。
―現実の住人だった頃、その小さきものの俺が夢の門で大いなるものとして“まものの王”に歓迎され、歓待された。宴は乾杯からはじまり、会は始まりから絶好調、宴も酣のころにはほどよい塩梅に甘く最高潮に達した。未来、過去、現在。長い沈黙があり―威嚇、恫喝、罵詈雑言、鉄拳制裁、拷問、詰問、懐柔策、憐憫の情、問答、甘言…―それらをフルスロットルで浴びせてきた。「嬲る」と「嫐る」を何度も味わい、鱈腹食らった。―again and again― 何度も体は八つ裂きにされ、頭はボムされてもげて吹っ飛び、身も心もボロボロにされ、望みや願いは空しく打ち砕かれ、粉々にされた。ついぞ心は折れた。心が折れる音を三度もきいた。羅利骨灰とはこの事。俺は何度も死んだ。―endless repetition―
“まものの王”とのたたかい。それはいきなり訪れた。俺が何の用意も準備もできていない時にいきなり現れた。ただ現れただけで、ずっと座ってずっと黙っている。そして俺は負けじと三日三晩、無視をした。話しかけたのはしびれを切らした俺。ほんの軽いジョークをとばしたのを王は聞き逃さなかった。王なるものは勢いよく立ち上がり怒り出すと、名乗りだし、一気に叱咤を飛ばし畳みかけてきた。マウントをとるとはこの事。「何を驚いておる。お前が呼んだから来た。用意ができているものにしかわたしは姿をあらわさない。だからはるばる来たのだ。さあ、わたしとたたかえ―」なんだこいつは?―招かれざる客はそうご託宣を並べてきて講釈を垂れてきた。ほかも喋っていたが、話す内容は子供には聞かせれないし、大人でも人を選ぶ内容。機会があれば話そう。お引き取りを願いたかったが、わざわざお越しいただいたのだ。畏れ多くも呼んだ覚えはなかったが、俺は浮ついた気持ち、ざわつく心を鎮め、精神統一をして体を清めてからそのまものと対峙した。その与えられた猶予中も手妻は凄まじく目を瞠るものだった。いざ “まものの王”とたたかった。全身全霊をかけたたたかい。魔王とのたたかい。思い出したくないが忘れられない。俺は勝った。だがそれ自体が手妻だった。たたかいはまだ続いている。
遂に勝ち、俺自身が位を置いて光になれた。
白光、百光、白夜。夜を照らす光。
―たたかい、それは想像の域を遥かに絶する戦いで、何度も挫け、何度も諦め、筆舌に尽くしがたい虚無感を覚えた。
“圧倒的な力対虚無”
結果は火を見るよりも明らか。
漆黒から暗黒へ。俺は絶望した。絶望の谷へ落ちた。奈落とはこれか。絶望の渓谷の淵で、俺の目と深淵の目が合った。世は完全に終わった。そう思ったその刹那、俺は完全に死んだ。無我から無へ。虚無から無へ。無からムへ。ムから夢へ―
無限から夢幻へ―
俺を雁字搦めにしていた鎖、桎梏そのものから解き放たれた。俺はそこから這いあがった。生まれ変わる度に甦る記憶。旧くて新しき名を思い出した。生まれ変わることではじめて勝てた。はじめは負け。つぎで引き分け。三度目で勝った。完膚なきまで叩きのめした。俺を苦しめた王だったものは乞食になった。もう会うことは叶わないが同じひと時を過ごした友だ。ともに歴史を刻んだ親友。ひとつ補足を言えば本当はいつでも会える。乞食ゆえに汚いし、臭いし、見ただけで反吐が出るし、心も饐えてくる。ケダモノとはこいつの事。会いたくない。
人生最高の日と最悪な日、それは同じ日同じ時間同じ場所で起こっている。
思い出すとまたその日その場所に引き戻される。はじまりがあっておわりがあるのではない。それらは全て同時に起こっている。この話はできればしたくない。聞くものも気が狂うからだ。完全に常軌を逸している。
22.4.30
地に足をつけてはいけない。そこに根が張りめぐらされ空に翔びたてなくなる。前を見て進んではいけない。前からくる風は全て向かい風。後ろを振り向いてはいけない。後ろからくる風は全て追い風。下からくる風は上昇気流。お前とゆう点に集めろ。その一点に集まった風にのれ。それに乗りなさい。そこから翔び立ちなさい。伏竜鳳雛、目指すべきは上。空を見上げなさい 天に羽ばたきなさい。
俺が勝てたのは狂人だったから。その言に尽きる。狂とは読んで字のごとくケモノの王、そして人、狂人とは強靭。強靭な精心、精芯。―ほかもある。それらが精神。精神とは物質的なものを超越した存在。俺はそれらを鍛錬したわけでも極めたわけでもない。超えたのだ。ただそれだけ。精神をもつものが悪しき霊を浄化して聖霊を宿す。もしくは宿っていた聖霊を活かせる。その前後関係はよくわからない。聖霊を活かしたものが歩んだ道。知らない方がよい話。知ると後悔する話。それらはある。いたずらにきかない方が良い。身の安全のために。心の穏やかさを失うかも知れない。平穏無事の生活。その一日。それ以外の幸せがあるのだろうか?常人は避けた方が良い。だからなんのことだかさっぱり分らぬように書いてある。分かるものが幸いとは限らない。用意ができたものには、微に入り細を穿つものを伝えよう。
22.5.2
意志とは石だ。過去に生きてはいけない。後ろを振り返れば意志が石にされる。それはロックされ、岩になる。未来に生きてはいけない。向かい風の中、前に進めばそこにある岩にしがみつく。目指すべきは一点。空だけを見なさい。見上げる空。青空を見なさい。星空を見上げなさい。今日だけを精一杯生きなさい。そうすれば石は輝く。お前のもつ石を天で輝かせなさい。それが輝石。たどる路、それが軌跡―
だが、その望みも絶たれた。もう何も考えたくない。俺は何も知らないし、何も分からない。もう見たくもない。聞きたくもない。あなたの顔なんてみたくもない。声もききたくない。宿命なんて知らない。運命なんて知らない。使命なんて知らない。天命なんていらない。お願いです。勘弁してください。自分はただの愚か者です。愚者に憐れみを。後生です。もとの生活に戻してください。何もかも忘れます。忘れさせてください。真面目に生きます。酒も飲みません。煙草も吸いません。女もいりません。男とも交わりません。慎ましく生きます。憐れみを。慈しみを。ご慈悲を、どうかご慈悲を。赦しをください。もしくは死を。肉体からの解放を。自死はしませぬ。できませぬ。どうか介錯を―
おわりなきはじまりが今日おわりを迎える。
それは全の終わり。
この世もあの世もすべてがなにもかものおわり―
―それが今日、ととのう。