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4話

 痛みがおさまってきたあたりで、ワイルドボアが走っていた方向に目を向ける。

 ワイルドボアは頭を木にめり込ませて、動きを止めていた。


(倒せたかな)


 しばらく眺めても、動く様子はない。

 剣を刺した直後、ワイルドボアの身体から力が抜けていくのを感じていた。

 その感覚から倒したのを半ば確信していたが、今の様子を見ればそれが間違っていないかったことが分かる。


(もし生きてたら反撃さてたなぁ…)


 しかし、その確信が故に油断してしまえば意味はない。

 確信に反して、手痛い反撃を食らうこともある。

 自分の未熟さに辟易する。


 何度かこういうミスをしたことがある。

 そのほとんどは今回のような、明らかな格上を相手にしたときだった。

 震える体を抑え、努めて冷静に考え、勝ちの一手を模索する。

 激しい戦闘でそれらに綻びが出ながらも勝利を確信したその時、こうやって油断するのだ。


 日頃から、安心安全を考えて依頼を受けるため、強敵と遭遇することは滅多にない。()()者と言えど、命あっての物種だ。

 しかし、それゆえに強敵に勝利する瞬間も滅多にない。

 これが原因でこの悪癖は未だに治っていない。

 強制的に治すことも考えたが、命をかけて強敵に挑む以上、命が幾つあってもたりない。

 そんな無謀はやめておくことにしている。


 自分の甘さにしばらく悶えていたが、ここがメアの森であることを思い出す。

 慌てて気配を探り、探査を使う。周囲に脅威となる魔物はいなかった。


 再度、自分の至らなさに気分が沈むが、落ち込んでばかりもいられない。

 立ち上がって、髪や身体についた土埃をはたき落とし、ワイルドボアの元へと向かう。


 今更ながら、全身にびっしょりと汗をかき、動悸が激しいことに気づいた。手も小さく震えている。


 討伐ランクからすれば、格上も格上だった。

 凶悪な見た目に、それが猛烈な勢いで自分に向かってくる様。

 自分の能力ではまず逃げきれないこと、生きるために死の危険をとって攻撃するしかないこと。

 それらが怖くないわけがなかった。


「ふっ…う…、ふーー…」


 うまく深呼吸ができずに息が詰まる。

 こんな状態でも体が動いたのは、この2年間で冒険者として積み上げてきた経験があったからだろう。


 ワイルドボアの側で風蓋(ウィンドドーム)を発動する。

 ワイルドボアが倒れてから時間が経っているが、今からでも血の匂いを広げないに越したことはない。


 ミドルボアにそうしたように、ワイルドボアも解体する。

 動揺や恐怖を払うように、無心で解体を進める。

 ミドルボアとワイルドボアでは、3回りほど大きさが違う。必然、解体に時間がかかる。


 黙々と解体にあたる。

 この時間は、徐々に心に平静をもたらしてくれた。

 激しかった動悸も随分と落ち着き、これからのことを考える余裕が生まれる。


 このワイルドボアはどうしようか。

 ワイルドボアの肉は依頼の品ではないが、より高級な肉ではある。

 精肉店に持ち込めば、解体しつつ安く売ってくれるだろうか。必要な分以外を売れば、実質タダで食べやすくなった肉が貰えるかもしれない。

 日頃お世話になっているガインさんやシルフィさん、波風の皆さんに渡すのも悪くない。

 ガインさんの猪肉料理に思いを馳せる。きっとうまく調理してくれるだろう。


 しかし、そう良いことばかりではない。

 そもそも、こんな場所でワイルドボアが出るのが異常なのだ。

 メアの森の中層、それも表層に近いこの場所で。


 アステルに来て2年間、何度もメアの森の中層を訪れたが、ワイルドボアを見たことは一度もない。

 その足跡や糞など、生きた痕跡すら見たことがなかった。

 ワイルドボアを深層で目撃したという知らせも、一度あったか、なかったか。

 今回の遭遇戦は本当に珍しい、というかあり得ないことだった。今までなら。


「牙と魔石も持って帰ろう」


 この2つはワイルドボアの討伐証明部位である。

 これと胴体があれば、D級ソロの僕が持ち込んだとしても討伐を信じてもらえるだろう。

 早めに依頼を終わらせて、ギルドに報告に行かなければ。


 ワイルドボアの血抜きが終わり、魔石と牙の回収も終えた。

 血や内臓を燃やし、穴を埋める。


「ふー……。帰るかぁ」


 一仕事を終えて、伸びをする。緊張で強張った体をほぐす。


 太陽は天辺を通り過ぎ、西に傾きつつあった。

 もう昼過ぎだ。どうりでお腹が空くわけだ。

 一旦表層に戻って、ステラさんのサンドイッチを食べることにする。

 その後は、サクッとミドルボアを狩って街へ戻ろう。


 しかし、何かを忘れている気がする。


「……あ、2頭目」


 2頭目として討伐したミドルボアを放置していた。

 慌てて死体があった場所に向かったが、そこにはすでに狼に似た魔物フォレストウルフが集まっていた。

 濃緑に染まる全身を使って、肉を喰いちぎっている。


「あちゃー……。ま、しょうがないか。どうせもう一頭狩るんだし。また探せばいいや」


 食い荒らされた肉は諦めて、表層に戻ることにする。


「それより、昼ごはんだ。マッスルバードの肉だもんね、楽しまないと」


 想像しただけで、頬が緩むのが分かる。

 この疲れた心と体にさぞ染み渡るだろう。

 その場を静かに離れ、表層に向かう。


 走る元気はなかったので、ゆっくりと歩きながら適当な木陰を探す。

 良さげな場所で木の幹を背もたれにして、ドカリと座りこむ。


「あぁぁ……。疲れた……」


 重たい体を動かして、収納袋からサンディを取り出す。


「……いただきます」


 包装を剥くのも程々に、サンディにかぶりつく。

 肉厚で噛みごたえのあるマッスルバードの腿肉の旨味、瑞々しい野菜のシャキシャキとした食感、パンの甘い香り。

 それらが口の中で一挙に広がる。


「うまあぁぁ……」


(染みる、染み渡るぅ)


 サンディが胃に滑り落ちていくほどに、体に活力が戻ってくる。

 かぶりつくペースが自然と上がっていく。


 ペロリと平らげた後は収納袋から取木製の水筒を取り出し、宿でもらってきた水で喉を潤す。


「ふーー、満足」


 身体に元気と活力が戻ったのを感じる。

 栄養バランスが良く、美味しい食事はやはり良い。冒険者には必須だと思う。

 冒険者ギルドには、旅の食糧として乾パンと干し肉をプッシュするのを、ぜひともやめて頂きたい。

 美味しい食事を食べていると「干し肉を食べてこそ冒険者だ!」という一部の人から睨まれるのだ。「そんなことないだろう」と思うのだが、聞き入れてもらえたことは一度もない。


「あとは、残りの2頭をサクッと狩って帰ろうかね」


 もう一度、中層に戻る。

 今度は何のトラブルもなく、2頭目のミドルボアを仕留めることができた。

 あとは肉を納品するだけだ。


 これ以上メアの森ですることはないので、街へ帰ることにする。

 ワイルドボアとの遭遇はあったものの、予想通り夕方には街に戻れそうだった。


 表層を抜け、草原を走る。


 行きよりも少し時間をかけてアステルまで帰ってきた。

 東門に続く入場者の列に並ぶ。


 列には旅装束の獣人や、護衛を連れた商人、羽帽子を被った吟遊詩人っぽい人など、様々な人がいる。

 それぞれが何かしらの目的を持ってこの街に来ているはずだ。

 長く続く列を見ていると、それを飲み込んでいくアステルの大きさを改めて実感する。


 街全体を囲む防壁は、その端が見えないほど長く続いている。

 防壁はもともと円形だったらしいが、人口の増加に伴って、一部の取り壊しと拡張が重ねられ、今は歪な円になっている。

 以前、ギルドで地図を見せてもらった際には、頭と胴体を強く押し付けた雪だるまのように見えた。


 雪だるまの頭に当たる部分が、街ができた当初のまま、拡張がおこわれていない領域、通称『貴族街』である。

 ここには領主であるアステル公爵の屋敷や、その家臣の貴族たちの屋敷、領騎士団の本部などがある。

 街中にも防壁があるため、貴族街とそれ以外の区切りはよく分かる。

 貴族街はアステルの北西にある。

 これ以外では、北東が『商人街』、南西が『職人街』、南東が『平民街』と呼ばれる。それぞれに商店や工房、住宅が多く存在する。

 人口は50万人を超えるとも言われ、人族に獣人、エルフ、ドワーフ、小人族と、実に多様な種族の人間が生活している。


 ぼーっと防壁を眺めている間にも、列は進み、自分の番になった。

 ここまでくると「今日も生きて帰ってこれた」という実感が湧く。


「身分証を……。なんだ、アルンか。お帰り」


 流れ作業のように身分証を確認していた守衛さんがそんなことを言う。

 呆けていて気づかなかったが、顔馴染みの守衛のジフさんだ。


「あ、ジフさん。ただいま帰りました」

「どうしたんだ、ボーッとして」

「朝来たときもでしたけど、今も列が長くて。凄い人だなと」

「この時期はな、この街にも人が増えるんだ。貴族の社交会に合わせて、お目通りしたい商人なんかが集まるんだよ」

「あぁ、それで」


 どうりで朝から晩まで入場の列ができているはずだ。


「つっても、領主様はここにはいないんだがな」

「あらま」

「アステル公爵はご家族と護衛を引き連れて、領内の各都市を巡った後に王都に向かうんだわ。高位貴族には、この時期に王と謁見する義務があるからな」


 街の統治や、さっきジフさんが言っていたような商人の対応もあるはずなのに、そこに義務とは。


「謁見の義務ですか。大変そうですね」

「大変だろうな。だけどよ、それは俺たちも一緒さ。アステル公はじめ、貴族があっちこっちに出かけっから、その護衛に領騎士団が駆り出されんのよ。ただでさえ、人が増えてイザコザが増えっから巡回も増やさねぇといけねーってのによぉ」


 堰を切ったように出るわ出るわ。ジフさんの愚痴が止まらない。


「それなのに『民の安全のために、入場の検問を強化してくれ』だぜ? そんな余裕ねーっての!」

「あ、あの!ジフさん!そこら辺で……。誰が聞いてるか分かりませんよ?」


 少し声を大きくしてジフさんに話しかける。

 こちらを伺っている人はいなかったが、このままヒートアップしていけば、貴族の愚痴を誰かに聞かれてしまう。

 そうなれば、いくら領騎士団守衛隊所属のジフさんでも不利益をこうむるはずだ。


「あぁ?誰も聞いちゃいねぇよ。聞いてるのは守衛の奴くらいさ。ま、そいつらも俺と同じ気持ちだろうがね」


 確認のつもりで詰所の奥にいる若手の守衛さんを見ると、うんうんと深く頷いていた。


「……そうですか」

「そうなんだよ。まぁ、でも、なんだ。依頼帰りに愚痴って悪かったな」


 ジフさんはそう言いながら、頭を掻いた。


「いえ、いいんです。大変なのは事実じゃないですか」

「そう言ってもらえると、ありがてえよ。この後はギルドに行くのか?」

「はい。依頼の品を東通りのお店に納目たら、ギルドに向かいます」

「そうか、そうか。依頼終わりにはちゃんとギルドに顔を出せよ。じゃないと、シルフィちゃんが心配するからな」


 そんなことを宣ったジフさんはニヤニヤと笑っていた。

 若手の守衛さんも生暖かい目でこちらを見ている。

 その2人から目を逸らす。


「そんなことないですよ。ジフさんの勘違いじゃないですか」

「くくく、んなこたねぇよ。もうだいぶ前になるが、帰ってこねぇお前を心配して、シルフィちゃんが仕事を抜け出してここまで来たのは忘れてねーぞ」

「………」


 これはジフさんの妄想ではない。紛れもない事実だった。


 以前、採取依頼中に魔物の群れに襲われた僕は連戦に連戦を重ねた。

 傷を負いながらも各個撃破で魔物を倒し切ったが、最後の魔物にトドメを刺したところで力尽きて動けなくなってしまった。

 しかし、アステルと隣町をつなぐ街道に向かって移動しながら戦っていたのが功をそうした。

 そこを通りかかった冒険者のパーティーに保護されたのだ。

 そのパーティーがヴォルフさん率いる波風だったりする。

 血だらけでヴォルフさんに背負われる僕を見たシルフィさんは、へたり込みながら涙を流していたという。

 この出来事は、僕が安心安全に配慮して依頼を受けるようになった要因の1つだった。


 ゆえに、何も言い返せない。


「シルフィちゃんをあんまり心配させんなよ?」

「……はい」

「引き留めて悪かったな」


 そう言いながらも、ジフさんのニヤニヤは止まらない。

 このままでは虫の居所が悪いため、意趣返しすることにした。


「今日、ワイルドボアを仕留めたんです」

「ワイ……!なに!?依頼かっ!?」


 ジフさんが詰所の中で椅子を蹴立てて立ち上がる。

 若手の守衛さんも同じようにしてこちらを凝視する。


「いえ、依頼中に遭遇したので倒しました」

「じ、じゃあ、肉はお前のものに……?」

「はい、そうなります」


 その言葉を受けて、ジフさんの喉が鳴る。

 ワイルドボアの肉は猪肉特有の野生味溢れる味は深くなり、それでいて臭みがない。

 これは焼いても、煮ても美味しいらしいが、胡椒をまぶして炭火で焼いたものは、かなり良い酒のツマミになるらしい。

 それとともに飲むエールは最高だそうだ。


「せっかくですから? 日頃お世話になっている方に? お配りしようかなと思っているんです」

「あ、あぁ」

「もちろん、ジフさんにも。守衛さんには顔見知りの方もいらっしゃいますから、少し多めに」


 そこで一呼吸置き、勿体ぶるように首を振る。


「お、おい。アルン……」

「ですが、いやぁ、残念です。またの機会にっ!」


 そう言い残して、全力で駆け出す。

 僕の嬉しくも恥ずかしい思い出をこれでもかとイジってきたのだ。これくらいは覚悟してもらわねば。


「あーーー! アルン!! 悪かった! 俺が悪かったから!」

「アルンさーん!僕もごめんなさーーい!」

「待ってくれ!もう言わねぇよ!だから、頼むよー!」


 こちらに大声で謝る声が聞こえるが、無視だ無視。

 ワイルドボアの肉ができるまでは反省して頂こう。


 徐々に小さくなっていく声を聞きながら、東通りをかけていく。


 貰った地図を思い出しながら、東通を進み、少し路地に入る。

 目的の店はすぐに見つかった。


 うっすらと光が漏れるドアの前に立つ。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 その頃、東門に設置された守衛室では。


「……あ、隊長」

「隊長はやめてくれや。鳥肌が立つんだ。どうした?」

「すいません、ジフさん。あの、アルンさんってD級冒険者ですよね」

「あぁ、そうだ。この前、試験に受かったって言ってたな。あの歳でD級はすげぇよ」

「先輩もそう言ってました。なんですけど、いまいち実感が湧かなくて…」

「あー、そりゃあな。見た目はちっこいガキだもんな」

「D級冒険者って領騎士団の討伐隊並みに強いんですよね? 討伐隊は精鋭の集まりじゃないですか。本当なのかなって」

「それは、どうだろうな。1人1人だったら間違いなくD級冒険者の方が強いぞ?」

「えっ!? そうなんですか!?」

「ああ。D級は冒険者内でいくと1人前って扱いらしいがな。討伐隊のやつでも、やりあえばボコボコにされると思うぞ」

「そ、そんなに……」

「まだ、あいつらが戦ってるとこを見たことないのか。一目見たら分かるよ。相手を倒すことに関しちゃ、めちゃくちゃ頼りになるぞ」

「た、頼もしいですね。いつか見てみたいですが、この職に就いてる間は勘弁したいかなと……」

「確かにな!俺らが見るなら、それは街が魔物に襲われたときだもんな」

「そうですよね!」

「何も起きねぇのが1番だ」

「僕もそう思います。……話は変わるんですが、魔物のC級って、C級冒険者のパーティーでやっと狩れるんですよね?」

「そうだな。盾役、近接役、遠距離役、サポート役の4人で挑むのが理想だな」

「そうですよね、やっぱりそうですよね」

「なんだ、なんかあったのか」

「ワイルドボアってC級だったよなぁと」

「……」

「アルンさん、D級なのに1人で狩ったって」

「あーーー!!そうじゃねぇか!なんか忘れてると思った!アルン、あいつ!なーにが、もう心配かけませんよだ!また無茶してんじゃねえか!!今度きたら説教だ、説教!シルフィちゃんも巻き込んでやる!」

「……またアルンさんに怒られますよ、ジフさん」


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