3話
道中で魔物と遭遇することもなく、30分ほどでメアの森に到着した。
メアの森はアステルの南東にある、広大な森だ。
森の中心部に向かうほど、木々が鬱蒼とし、生息する魔物が強くなっていく。
明確な基準はないものの、森の様相や生息する魔物の種類によって『表層』、『中層』、『深層』という区分が存在する。
表層は木もまばらで見通しがよく、現れるのはスライムやゴブリンなど非常に弱い魔物のため、アステルの駆け出し冒険者はここで経験を積む。
ミドルボアが現れるのは表層から中心に当たる深層までの領域、メアの森の大半を占める『中層』である。
表層には用事がないので、真っすぐに奥へと進む。見かけた魔物も狩らずに素通りだ。
むしろ、それらの魔物が気づいて振り向く頃にはかなりの距離を移動している。
到着してから5分ほど走ると、木の密度が高まり鬱蒼としてきた。
暖かな木漏れ日は地面に届くものの、見通しがよいとは言えなくなってくる。
明確な区切りはないが、森の表情が変わるこの辺りからが中層だ。
気配を探ると、大小問わず魔物の気配がそこかしこに感じられる。
(確かに、普段より多いかもしれない)
それでもフォルトさんから聞いた話がなければ、気にならない程度ではある。
(中心部で強い魔物でも出たのかな。追いやられてるのかも)
この様子であれば、中層の浅い場所でもミドルボアが見つかるかもしれない。
それでも、探して走り回りたくはないので無属性魔法『探査』を使う。
放出した魔力を薄く広げることで、目視せずに周囲の地形や生物が把握できるようになる魔法だ。
身体強化で良くなった視力でも木を透かして見ることはできないので重宝する。
この世界に存在するものは、多かれ少なかれ魔力を持っている。人間や動物はもちろんのこと、植物や土、水も魔力を持っている。
探査では、自分が放出した魔力がこれらの魔力に触れて拡大を妨げられることで、そこにあるものを認識する。
便利な魔法ではあるが、魔力は自分から離れるほど制御が難しくなるため、今でも半径100mほどの範囲しか十分な効果は発揮させられない。
それより先になると「何かがあるのは分かる」程度になってしまう。
150mを超えたらもうお手上げだ。そこまで魔力を伸ばすことすらできない。
魔力を広げる。動くものに当たった場合はそれに魔力を集中し、姿形をより鮮明に捉える。
それを繰り返しながら周囲を探っていると、すこし離れた位置に一頭のミドルボアを見つけた。
気配を抑えつつ、移動する。
60mほど先にノソノソと歩くミドルボアが見えた。
体高が120cm、体長が150cmほどで、ミドルボアにしては大きい方である。
(突進されるのも面倒だな。もう少し近づいてやっちゃうか)
ミドルボアは魔石に宿る魔力を使うことで、身体強化のようなことができる。
その状態の突進を食らってしまうと、生身であれば下半身が粉砕骨折待ったなしだ。
倒れたところに追撃をもらえば上半身も同じ運命を辿り、あっさりと命を落とす。
太めの樹木でも止まることがないので、油断した魔法使いが餌食になる、なんてことは毎年のように起こっていた。
そうはなりたくないので、こちらに気づかれないうちに魔法で仕留めることにする。
使うのは中級風魔法『風矢』だ。
伸ばした手の先で風の矢を形成し、十分に整形したところで放つ。
真っ直ぐに飛んだ矢は、木々の間をすり抜け、ミドルボアの右目に直撃した。
その勢いのままに、当たった箇所をガリガリと削っていく。さしたる抵抗もなく、風の矢は頭部を貫通した。
空いた風穴から血が染み出し、勢いよく流れ出す。
ミドルボアの身体は数回痙攣したのち、ゆっくりと倒れた。
一撃で仕留められたようだ。
倒れた場所へと急ぎ、ミドルボアと自分を広く包むように初級風魔法『風蓋』を使う。
この魔法で風の壁を作れば、血の匂いが辺りに広がるのを防ぐことができる。
これで解体中に、他の魔物が匂いを嗅ぎつけて、やってくることもない。
「こっちに来そうなやつもいないし、ここで解体してしまおうかな」
念の為、探査をしてみても、こちらに近づいてくる魔物は見つからなかった。
収納袋から頑丈な紐を取り出し、ミドルボアの後ろ足を束ねて縛る。
紐を近くにあった木の枝にかけ、引っ張ることでミドルボアを吊り上げる。
その真下に中級土魔法『土操作』を使って、血が広がった地面ごと土をどかして穴を掘る。
吊り上げられたミドルボアの頭部から血が勢いよく流れていく。
それを横目で確認しながら、収納袋から解体ナイフを取り出す。
皮と肉を裂く。腹を割いて内臓を取り除き、頭を落とせば今回の解体はほぼ終わりだ。
サクサクと作業を進め、穴に落ちていく内臓の中から、中級風魔法『風操作』で風を操り、魔石を回収する。
魔物によって魔石がある位置は異なるが、ミドルボアは心臓の近くに魔石を持っている。解体していれば、内臓とともに勝手に落ちてしまうのだ。
(あとは血が抜けきるのを待つだけだな)
手持ち無沙汰になったので、鍛錬がてら多めに魔力を広げて、探査の範囲を広げてみる。
範囲が広がったは良いものの、魔力の制御が甘いため、端の方はずいぶんと像がぼやけてしまう。
(んー、まだまだだなぁ。150mくらいでも魔力を集めるのは難しいし……。そこから先は何かあるってことしか分からん)
これでは今回のように、見通しの悪い環境で動かずして特定の対象を探すには不十分だ。
対象を見つけるためには、探査を発動しながら歩き回るしかない。
範囲内にいた魔物を数え、種類を特定して時間を潰していると、いつのまにかミドルボアからは血が流れ出なくなっていた。
暇潰しのつもりが、少し集中し過ぎていたようだ。
腰の収納袋を取り外し、入り口をミドルボアの身体に押し当てる。
そうすることで、ミドルボアの身体が中に吸い込まれていく。音はしないものの、ずるずるという音が聞こえてきそうな感じだ。
そう時間はかからず、ミドルボアは収納された。
(1頭目はこれで完了。あとは2頭だけど…)
実は、一頭、さっきの探査の鍛錬中に見つけている。今も位置は捉えているので、これを狩りに行けばいいだろう。
頭や血が入った穴に向けて火球で火を放つ。着火後も魔力を込めることで、火力を上げる。
もう慣れたものだが、初めの頃は嘔吐を繰り返した匂いがウィンドドーム内に充満していく。
穴の中身がほとんど焼けたら、土を被せて穴を埋める。
周囲に展開していた風蓋の下部を絞っていき、半球状だった空間を球状に変えていく。
充満した匂いをその中に閉じ込めたまま、上空へと飛ばす。
限界の高さまで飛ばしたあとは、魔力の供給を止めて霧散させた。
解体中は弱めていた身体強化を再び強めて移動する。
あらかじめ位置を捉えていた2頭目に近づき、同じ手順で仕留める。
気配を殺して近づき、中距離からの風矢だ。
戦闘にもならないので、非常に割のよさを感じる。
3頭を仕留めるのは、ほとんど労力を必要としない。
(それだけだったらね、良かったんだけど…)
今回は早く帰れそうだと思っていた、その時、遠くから鼓膜をビリビリと揺らす吠え声が聞こえてきた。
探査で、とんでもない速さでこちらに真っ直ぐ向かってくる存在を捉える。
「なぜ見つかったのか?」とか、「相手は何者だ?」といった疑問を頭から追い出す。
危機が迫るとき、考え込んで対処をしないのは悪手になる。
ドドン、ドドンという地面から伝わる振動が大きくなっていく。
風を受けて木の葉が擦れ合う音が近づいてくる。
木々を粉砕する小気味よい音と共に現れたのは、体高3mを越える巨大な猪だった。
標的は僕だろう。真っ直ぐに向かってきたうえに止まる様子がない。
移動してきたというより、突進してきたという方が正しいか。
探査を解除し、身体強化に魔力を込める。
油断なく構えていたところに、猪は突っ込んできた。
限界まで引きつけた上で左に跳ぶ。
猪は唸りを上げる風を撒き散らしながら通り過ぎていった。外套が音を鳴らしてはためく。
そのまま、いくつか木を粉砕したところで突進の速度が緩む。
ゆっくりと体を回して振り返った猪は、やはりこちらを見ていた。
猪は、口元から生えて太く大きな牙を持っていた。湾曲し、鋭い先端を天に向けるその様子はピリピリとした恐怖を感じさせる。
この牙と威力の高い突進を持つ生き物は一つだ。
(ワイルドボア)
ミドルボアの上位種たる猪型の魔物がそこにいた。
ワイルドボアと僕は十分な距離を空けて向き合う。
ワイルドボアの武器は鋭く大きな牙と突進、それに巨大な体躯だ。
ミドルボアの上位種らしく、突進の威力は凄まじい。
ミドルボアの突進で粉砕骨折なら、ワイルドボアの突進では体が弾け飛ぶ。
縦にも横にも大きいその体は、壁が自分めがけて突っ込んでくるようなものだ。厄介極まりない、その威容に身が竦む。
突進を無力化するには躱すか、突進させないかの二つに一つだ。受け止めるという選択肢はない。
躱すには、さっきのように限界まで引きつける必要がある。
ワイルドボアは曲がるのだ。
突進を始めたら一直線にしか進めないミドルボアと違って、ワイルドボアはある程度曲がることができる。
ある程度ではあるがそれで十分。突進は速いし、身体も大きい。少し曲がるだけでも避けた相手を捉えることができてしまう。
だからこそ、衝突の直前まで引き付けて大きく跳ぶ必要がある。
したがって、この厄介な突進はそもそもさせないのが1番なのだ。
これに有効なのが助走を取らせないこと。ワイルドボアに近づいて攻撃を仕掛ければいい。
しかし、近づかなければいけない距離が問題だ。
ワイルドボアは10m足らずで助走を終えてしまう。それ以上に近づいていなければ、至近距離から突進されることになる。
したがって、彼我の距離を詰めていくのだが、そのときに脅威になるのが鋭い牙だ。
突進中に当たれば串刺しになることは間違いないが、近づいたとて変わらない。
魔石の魔力で強化された肉体は、近づいた相手に対しても十分な効果を発揮する。
頭を振り回すだけでも、牙を突き刺せてしまう。
そんなこんなで狩るのがかなり難しいのが、このワイルドボアという魔物だった。
討伐ランクはB級寄りのC級、C級冒険者が4名以上のパーティーを組んで狩れるかどうかの強さを持つ。
メアの森では深層でしか目撃例がなく、それすらも数の少ない、滅多にお目にかかれない魔物だである。
明らかな格上だ。
(それが中層のこんなに浅い場所にいるなんて)
やはり、森に異変が起きている。これはシルフィさんに報告した方が良いだろう。
そのためにも生きて帰らなければならない。
「生存競争だ、魔物」
ワイルドボアが駆け出す。その速度がぐんぐんと上がっていく。
それを見ながら、両手に一つずつ、ウィンドアローを2発準備する。
左手のものを向かってくるワイルドボアの右目に対して打ち出す。
寸分違わず目に向かった風の矢は、軽く振られた頭に当たり、防がれてしまった。
当たった部分も無事ではないが、毛皮がなくなり、肉がわずかに抉れているくらいだ。
やはり、目などの柔い部分に当てなければ、大きなダメージにはならない。
その目を、限界まで速度を高めた風矢で撃ち抜こうとして防がれたわけだが。
ワイルドボアが迫る。
引き付けて、右に跳ぶ。それと同時に、右手のウィンドアローを左目に向かって放った。
すれ違い様、突進が生み出した風で宙に浮いた体が意図せず泳ぐ。
風の矢はわずかに目標からずれ、目尻付近に当たった。
「ブガァアアアアアア」
矢は貫通しなかったものの、目元を抉り、左目の大半を吹き飛ばしていた。
その痛みに叫び声をあげながら、ワイルドボアが通り過ぎていく。
少し先で半円を描くようにして、勢いを殺さず振り返ったワイルドボアの右目には強烈な殺意が滲んでいた。
左目があった場所からは血が流れ落ちている。
「ブオオオオオオ」
一気呵成、ワイルドボアが再び突進してくる。強化された動体視力が、左目から飛び散る血の滴を捉える。
先ほどのやり取りで目にはウィンドアローが効くのが分かった。
これをもう一度、右目に当てれば視界を奪うことができる。
しかし、そうはさせてくれないだろう。
魔物は成長し、強くなる。一度効いた攻撃が、再び効くとは限らない。
特に魔力を使った攻撃には敏感だ。右目を狙っても、頭を上下に振るなりして着弾点をずらされるだろう。
魔法では、硬い頭部にダメージが通らないことも分かっている。
胴体ならある程度は通るだろうが、あの巨大に何発打ち込めば仕留められるかは分からない。
ならば、まだ見せていない攻撃を行うのみ。
僕は腰に佩いていた剣を抜いた。
方針は変わらない。限界まで引きつけて、すれ違っている間に攻撃を当てる。
突進をさせないために近づくのは避けたい。
牙を振り回されて当たってしまった場合、僕の身体強化では防げない気がするからだ。
当たったら貫通する。そんな予感があった。
絶対痛い。痛いじゃすまないか。
僕はワイルドボアに背を向けて走った。ワイルドボアが猛然と追いかけてくる。
目指すは一本の木。直径1mほどの太い幹を持っている。
この太さでもワイルドボアの突進は止まらないだろう。
しかし、僕がしようとしていることには十分。
走る速さを調整し、タイミングを見計らって木に跳躍。
その間に剣を逆手に持ち変える。
幹に着地した勢いを活かしてしゃがみ込み、反動をつけて幹を蹴る。
後方宙返りをして、眼下を通り過ぎんとするワイルドボアを捉えた。
外套から体の大部分がはみ出し、回転に合わせて服の袖が靡く。
三角跳びの要領で頭上から迫る僕を、ワイルドボアは追いきれていなかった。
落下を待つ暇はない。
腕に魔力を集中させ、剣にも魔力を流し強度を上げる。
全身の力を使って両手に持った剣を振り下ろす。
「ふんっ!!!」
狙うのは眉間。
視界の中心に捉えた眉間に向かって、剣の切先を導く。
刃が皮膚に食い込み、わずかな抵抗のあと頭蓋骨を通った感触が伝わる。
僕とワイルドボアが交錯する瞬間、剣は眉間を貫通し、頭に深々と突き刺さった。
攻撃が上手くいったことで気が緩む。
剣を手放すのが遅れた。
剣が前方に思いのほか強く持っていかれ、バランスを崩しそうになる。
それを防ごうと足元を通過するワイルドボアの胴体蹴ったところで、その速さに対応することができなかった。
足が前方に吹き飛ばされ、空中で後方に半回転。
ぐるりと天地がひっくり返る。
「おわっ!」
意図せず回転したために、それ以上は身体が回転させることができず落下が始まる。
ワイルドボアの体高は3m、そこから打ち上げられて4m強、その高さから頭を下にして落下する。
2階建ての建物の天井から落下するようなものだ。前世なら怪我では済まない。
しかし、今世は身体強化がある。骨折をすることもないだろう。
とはいえ、打撲でも痛いものは痛いのだ。
覚悟を決めて、地面に向けて手を伸ばす。
迫る地面に手をつけ、受け身をーー
取ろうとして、失敗した。
地面に手をついたところで勢いを殺しきれず、顔面からほぼ垂直に地面に突き刺さる。
さほど痛くはない。身体に衝撃は走れども、そこまでの痛みはない。
(いや、そんなことないな。気のせいだ。めっちゃ痛い。背骨折れてない?大丈夫?)
身体が倒れた後もしばしの間、声を出すこともできずに痛みに悶えることになった。
あまりにも締まらない幕引きだった。




