1話
薄ぼんやりとした光を感じる。
ゆっくりと瞼を上げる。
ぼやける視界の先で、カーテンの下から日差しが漏れていのが見えた。
(……もう朝か)
眩しさに目を細めながら体を起こす。
柔らかな掛け布団が体を滑り落ちていく。部屋の冷気がジリジリと迫ってきた。
カーテンを掴み、一息入れて、全開にする。
直後、目を焼くような陽光に包まれた。
「うあぁ…眩しい」
起きたらすぐに朝日を浴びる。二度寝対策だ。
東向きの部屋に泊まっているのはこのためだ。
この部屋は広い通りに面しており、隣の建物に朝日を遮られることもない。
おかげで毎朝、嫌になるほど清々しい朝日を浴びている。
(今日も寒い。ベッドに戻りたい…)
布団からハミ出た部分は敏感に寒さを感じ取っていた。
体温が残るベッドが名残惜しい。
しかし、起きて動き出さなければ、今日の仕事が遅れてしまう。
「……起きよ」
ひとまず部屋を温めよう。話はそれからだ。
この部屋には小型の薪ストーブがついている。
それはベッドから3、4歩ほど先にあり、こちらかに向かってカパリと口を開いていた。
中からは未使用の薪が顔を覗かせている。
ベッドから3、4歩。
手を伸ばしても届かない、絶妙な距離だ。
それくらいの距離でないと、ベッドに火が燃え移りかねない。妥当な距離とも言える。
しかし、この距離が、暖炉に火をつけたいが、冷たい床には触れたくない、そんなジレンマを生む。
こんなときこそ魔法の出番だ。
魔力を操り、ありとあらゆる現象を意のままに引き起こす技術、魔法。
これを使えば、離れた場所から薪に火をつけるなど造作もない。
その源となる魔力は、あらゆる場所に存在し、あらゆる物に宿っている。
今も目の前を揺蕩い、僕の身体の内にも巡っている。
巡る魔力を動かし、一部を掌に集める。
掌全体がじんわりと熱を持ったように感じる。これは魔力がきちんと集まっている証拠だ。
集まった魔力を体外に放出し、霧散しないようにしつつ球形に練る。
これを炎に変えるようイメージすれば---
ボゥッ
掌の先、虚空に小さな炎が現れた。
よく見れば、中心には球形の炎塊が存在し、そこからちろちろと炎が漏れ出ているのが分かるだろう。
これは初級火魔法「火球」に分類される魔法だ。
魔法の発動に必要なのは、魔力と魔力操作、それにイメージだ。
本当はもっと細かい手順があるらしいが、「使う分には知らなくて良い。知りたくなったら学園に行け」と師匠には言われた。
座学よりも実践を重視する人だった。
師匠の面影を懐かしく思いつつ、手元の魔法を薪に向けて飛ばす。
火球は弧を描き、寸分違わず薪に命中した。
炎が軽く爆ぜ、薪にまとわりつく。
程なくして火が安定し、パチパチと薪の燃える音が聞こえてきた。
それをボーっと眺めながら、季節の移り変わりに思いを馳せる。
「最近、また寒くなったよなぁ」
11の月に入り朝と夜が冷え込むようになった。
12の月に近づいた今は、日中も寒くなってきている。
ガルド王国はユリア大陸の南部に位置するが、そもそも大陸全体がこれから冷え込んでいく。
大陸北部に比べればまだマシでも、寒く厳しい季節がやってくることに変わりはない。
「これからもっと寒くなるなんて、先が思いやられる…」
これからのことを思って嘆息している間にも、部屋はほのかに暖かくなっていた。
それに勇気をもらって布団から這い出し、ベッドを降りる。
「ひっ」
床は肌を刺すように冷たかった。
想定外の事態に憮然とした気分になる。見誤った。
暖炉に火をつけてから、思いのほか時間は経っていなかったらしい。
時間感覚が狂う程度には、未だに寝ぼけているのだろう。
出鼻を抉れてしまったが、立ち上がってしまったからには動き出す。
ここでベッドに戻ってしまえば、朝のうちから働き始めるのは難しい。いや、不可能だろう。
すぐ側にあるのは既にベッドではない。沼だ。
暖かく身体を包み込み離さない、そんな沼。
一度はまってしまえば、抜け出すのは困難を極める。
(これは沼、これは沼……)
そう暗示をかけながら、なんとかベッドを離れて部屋の入り口に向かう。
一歩踏み出すたびに、足裏にチクチクとした冷気を感じる。
机に置いていたコップと歯ブラシをいそいそと手に取った。
僕がいるのは木製のワンルーム、街の中心近くにある宿『やどり木』の一室だ。
家具はベッドとクローゼット、簡素な机と2脚の椅子だけだが、一人で泊まるぶんにはこれで十分だ。
出入口になるドア付近は一段低くなっていて、そこに靴と屋内用のサンダルが置いてある。土足で部屋に上がってはいけない。
簡易玄関でサンダルを足に引っ掛け、ドアを開ける。
廊下に出れば目的地はすぐに見える。
真っ直ぐに伸びた廊下の先、突き当たりにある共同洗面所だ。ドアの無い入口からは朝日と照明の光が漏れている。
『やどり木』は大通りに面した宿だ。建物自体はコの字型をしていて、路地裏に向けて口を開いている。
部屋を出てすぐの廊下は左にも伸びていて、僕が泊まる201号室を含めて客室が3部屋ある。
正面の廊下の右手には通りに面した窓があり、朝日が束となって差し込んでいる。
少し歩いて、廊下の中間あたりにあるのは、階下に繋がる階段だ。
今は朝食の準備の音がかすかに聞こえてくる。
そこからもう少し歩けば、突き当たりに行きつく。
その左手には廊下が続き、中庭に面した窓と向かい合うようにして客室が1部屋存在する。
そして、正面にあるのが客室2部屋ぶんの大きさをもつ、広々とした共同洗面所だ。
入口を潜ると、2基の洗面台と脱衣所に繋がるドアが見える。脱衣所の先にはシャワー室が存在する。
今は、利用者はいないようだ。
ここの洗面台とシャワー室には『蛇口』や『シャワー』といった魔道具がふんだんに使われており、昼夜、季節を問わずお湯と水が贅沢に使える。
これらの魔道具はそれまでの生活を激変させたことで有名だ。何十年か前に異世界からの転移者『空の旅人』が開発したものらしい。
開発以降、改良と改造が重ねられた結果、どんどんと普及した。今では少し高めくらいの宿でも使えるようになっていた。
開発者の業績に感謝しながら、洗面台に設置された『蛇口』の向かって右側、朱色の魔石に触れる。
魔力を引きだされた感覚があり、魔石に刻まれた魔法陣が微かに光を帯びた。
少しして、横の蛇口から勢いよくお湯が出始める。
洗面器にぶつかったお湯から湯気が立ち上る。
一般的な『蛇口』には2種類の魔石が備え付けられている。お湯を出す用と、水を出す用だ。
それぞれに流し込んだ魔力量で放出される水量が決まる。
魔力を流し込むとは言っても、使用者は魔石に触れているだけでよい。そうすれば、魔石が勝手に魔力を吸い出してくれるのだ。
これが魔道具の一般的な利点であり、『蛇口』や『シャワー』が生活を激変させた点でもある。
しかし、近年では3つめの魔石、温度調節用が備え付けられているタイプも現れ始め、うんぬんかんぬん。
以前、依頼で知り合った魔道具マニアの行商人に聞いたことを思い出す。彼は蛇口の魅力を熱く語っていた。
元気にしているだろうか。
商人でありながら魔道具に目がなく、借金をして身持ちを崩しかけるような人だった。
それでいて「商人としては優秀だ」と他の商人から一目置かれていたのだから、世の中は摩訶不思議だ。
「魔道具狂いで新しい魔道具に出会うと暴走するのが玉に瑕」というのは、彼に関わった人間の共通認識である。
そう考えると、魔道具の発達が著しい昨今、彼がくたばるところは想像できない。きっと元気だ。
そんなことを考えながら、熱めのお湯を顔にぶつけるうちに、眠気は綺麗さっぱりなくなっていた。
洗面台横に積み重ねられた清潔なタオルで顔を拭く。
この痒いところに手の届くサービス、さすがです。
続けて、持ってきていた歯ブラシで歯を磨けば、朝の準備はおしまいだ。
一度部屋に戻り、歯ブラシセットを机に置く。
部屋は良い感じに温まっていた。
次に向かうのは、一階の食堂だ。
成長期の身体は、起きたときからしきりに空腹を訴えていた。
急いで、階下に向かう。階段を降り、踊り場を経由して、また階段を降りる。
一階に近づくほどに、鼻腔をくすぐる美味しそうな料理の香りが濃くなっていく。
階段を降りきった先、僕が泊まる部屋の真下に位置する食堂に辿り着くころには、腹の虫が鳴いていた。
「おう、坊主!おはよう!今日もはえーな!」
「ガインさん、おはようございます!」
食堂の入口から、カウンターキッチンにいるガインさんに挨拶をする。
ガインさんは料理人であり、この宿のオーナーでもある。
一人で生活する僕を、何かと気にかけてくれる気のいいおじさんだ。
身長180cmほどの筋肉ムキムキ、禿頭の強面で、右頬から首にかけて抉られたような古傷が一本走っている。
初めて『やどり木』に来た時は、受付にいる彼を見て心底ビビった。
ギルドの1年間の新人研修を終えて、宿舎を後にすることになったその日。
お世話になっている職員の方から、やどり木を紹介してもらった。
ギルドを出て宿に向かう。
ギルドとやどり木はそう離れていなかった。
宿の前で見間違いはないか、何度か看板を確認したのち、深呼吸をして扉を開く。
これからは1人の冒険者として生きていく、そんな覚悟を込めて。
その先に、強烈な人相の彼はいた。
お互いに無言で見つめ合う。
なんとも言えない時間が流れること数秒。
「……間違えました」
「おいこら。待て、坊主」
(やっべ。間違えた。やっべ)
即座に踵を返す。
一歩踏み出すそうとして、頭をがっしり掴まれた。
鷲掴みだ。
ギギギっと音が鳴りそうなほど(いや多分実際鳴ってた)、ゆっくりと振り返る。
そこには、頬をヒクつかせた凶悪な笑みがあった。
「客だよな?」
「……ひゃい」
声が裏返る程度で済んだ僕を褒めてほしい。ちびるかと思った。
こんな出会いも、あれから1年経った今では良い思い出だ。
食堂にいる他の宿泊客に軽く会釈をしながら、カウンターに向かう。
「今日はサラダ、パン、肉だ!しっかり食ってけよ!」
カウンターに座ると、ドンっと音を立てて料理の乗った皿が置かれた。葉野菜がそよそよと揺れ、パンがはね、肉料理がプルプルと踊る。
ガインさんの料理は手が混んでいて凄く美味しい。なのに、いつもこうやって料理名も伝えずに雑な説明をする。
美味しいと伝えると少し照れるから、これは照れ隠しの一つなのかもしれない。
「はい!」
一つのプレートにサラダとパン、肉の煮込料理が乗っている。肉料理から漂う濃厚な香りが空っぽの胃を刺激する。
「美味しそう!頂きます!」
フォークで肉を一欠片突き刺し、口に放り込む。
舌に触れたそばから肉がほどけていく。
あえて肉を噛み締めると、弾けるように肉とスープの味が広がった。鼻で大きく空気を吸い、芳醇な香りを楽しむ。
そこからは一心不乱に料理を食べた。新鮮な野菜、焼きたてのパン、とろける肉料理を次々に頬張る。
口に広がる料理の旨味がさらに食欲を刺激する。
「お代わり!」
「あいよ!」
あっという間に食べ終わり、空いた皿を差し出してお代わりを注文する。
すぐにパンと肉料理が盛り付けられ、目の前に置かれた。これも素早く平らげる。
皿が綺麗になったところで、水を飲んで一息つく。
皿を返しながら、ガインさんに声をかけた。
「ふーっ!ごちそうさまでした!」
「おう、よく食ったな!今日も行くのか?」
「はい、依頼を受けてこようと思います」
カウンター越しに食器をガインさんに受け取ってもらう。
「そうか、気をつけてな。たまには休めよ?」
「ありがとうございます」
ガインさんの気遣いに感謝して席を立つ。
食堂には続々と宿泊客が入ってきていた。
軽く挨拶を交わしながら、2階の自室へと戻る。
「201」と飾り気のない文字が書かれたドアを開ける。
通りに面した窓からは変わらず、早朝の眩しい光が差し込んでいた。
部屋もずいぶんと暖かくなっている。これなら着替えている途中でも寒くなさそうだ。
部屋の中央にぶら下がったランタン風の魔道具『魔灯』に手を伸ばす。
下部に半分だけ飛び出した球形の魔石に触れれば、朝日とは異なる暖色の光が部屋に広がった。
部屋の隅にあるクローゼットを開ける。
中には、数着の服と外套、胸当て、籠手、ベルトがハンガーにかけられ、壁際には剣と古びた巾着が置かれている。
朝日が届きにくいクローゼットの中も、魔灯のおかげでよく見えた。
寝巻きを脱ぎ、女の子と街に出かけるわけではいので、装飾のない頑丈な服を選ぶ。
(まあ、選ぶというか、そういう服しかないんだけどね。……悔しくはない、ないったらない!そういうのは、強くなってからだ)
降って湧いた邪念を振りはらう。
ズボンに足を通し、ベルトを苦しくない程度に締める。
服に袖を通して、その上から両胸を覆う形の革鎧を身につければ着替えは終わりだ。
剣をホルダーと共にベルトに付ける。
外套を羽織り、左の鎖骨あたりでボタンを止めた。
使い古した巾着型の魔道具『収納袋』も忘れない。
収納袋は、内部が空間魔法によって拡張された魔道具だ。
掌に乗るサイズではあるが、中にはかなり広い空間がある。
僕が身軽に移動できるのはこの収納袋のおかげだ。他に必要なものは全て、この中に入っている。
ハンガーから取り外した籠手を脇に挟み、クローゼットを閉める。
あとは靴を履いて部屋を出ればいいだけだが、火の始末を忘れてはいけない。
ストーブの窓を開ける。
ゆらゆらと揺れる炎から熱が直接伝わってくる。
その炎に向けて、手から魔力の塊を飛ばす。
それが炎に飛び込めば、すかさず、魔力が炎全体に広がるように操作する。
これで下準備は完了だ。目の前の炎は自然に燃えているようで、実際は僕の制御下に入っている。
これも魔法の一つの形。
すでに存在するものに対して、自分の魔力を馴染ませることで操れるようにする。
対象が火の場合、『火操作』と呼ばれる中級火魔法である。
炎を薪から奪い取るようにして、掌に集める。
ぐるぐると渦を巻くように動かすと、自分でやっていることながら、なかなかに壮観だ。
そう思うのは、僕が魔法好きなのもあるかもしれない。
しばしの間、目の前で渦を巻く炎を眺めたあと、炎に対する魔力の供給を止める。
薪から離れ、魔力という燃料も失った炎はボボっという音を残してたち消えた。
その様子にうんうんと満足し、改めてストーブの中を覗く。
薪はプスプスと鳴いているものの、もう一度燃えそうな気配はなかった。
それを確認して、ストーブの窓を閉める。
忘れ物がないか改めて確認し、点検が終わればいよいよ出発だ。
ドアの前で靴を履き、部屋を出て鍵を閉める。
差し込む光の角度が少し変わった廊下を歩き、階段を降りる。
食堂の入り口から、料理中のガインさんに声をかけた。
「ガインさん、受付に鍵を置いておきます!」
「あいよ!気をつけてなー!」
食堂にいた顔みしりの宿泊客からも「行ってらっしゃい」と声がかかる。
「はい!行ってきます!」
それに笑顔で返事をする。
いつもと変わらない朝の一幕だ。
受付のカウンターに鍵を置き、その向かいにある宿の出入口に向かう。
微かに軋む床を進むにつれ、扉の向こうから聞こえる音が大きくなっていく。
扉の正面に立てば、内容は判然とせずとも賑やかな声が聞こえてくる。
扉に力を込めて押し開く。
生じた隙間から、早朝の澄んだ空気が流れ込み、ひやりと肌を撫でた。
馬車の進む音、呼び込みの声、通りで生まれる音が強く耳朶を打つ。
何度となく経験しながらも、毎朝元気をもらうその音と空気に否応なしに心が沸き立った。
扉を抜ける。
木や種々の石材で作られた家屋が立ち並び、多くの人が行き交う光景が広がった。
よく晴れた青空の下、向かいの家屋の屋根越しに朝日が見える。
冬の早朝特有の静謐な空気と、通りから生まれる熱気を目一杯吸い込む。
「良い朝だ!」
爽やかな元気をもらい、気合を入れて一歩踏み出す。
とは言っても、通りを挟んで反対側、少し先に目的地は見えている。
中央に盾、それに交差するように剣と杖が描かれた看板を掲げる建物。『冒険者ギルド』だ。
「今日も稼ぐぞー!」
僕はアルン、12歳。
職業は冒険者。剣士で魔法使い。
そして、前世の記憶を持つ転生者だ。




