表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

短編

やくおとし【いけおぢ豊穣祭 参加作品】

作者: 津月あおい
掲載日:2022/10/15

 手持ちのお金を全て賽銭箱に入れ、鈴を振る。

 二拝ニ拍手の後、祈り、もう一度深くお辞儀をする。


 振り返ると、鮮やかな黄色が目に飛びこんできた。

 稲荷神社の境内には一面、銀杏の葉が降り積もっている。


「綺麗……」


 最後にこんな美しい景色を見れて良かった。

 最後の最後には、きっと汚いものしか見ないだろうから。

 足元の一葉を拾う。

 落ちたばかりの汚れのない黄色。


 その細い茎の先に、ひとりの男性が見えた。

 五十代くらいの痩せた男。

 でも顔がおそろしく整っている人だった。どこぞの俳優さんだろうか。

 グレーのチェスターコートにベージュのチノパン。

 白髪交じりのあごひげが、同色のマフラーに埋もれている。


 暖かそうだと思った。


 こちらは薄手の黒のワンピースに、柿色の大判ストールだけだというのに。

 曇天が恨めしい。

 鼻先が冷たい。

 こんな天気でなければ、もっといろいろ寄れたのに。


 わたしは持っていた葉を捨てた。

 それはすぐに地面に落ち、どれだかわからなくなった。

 男がこちらを見ている。

 歳相応の濁った目。おっくうそうな足取りはこちらに向かいそうで、来ない。


 わたしは男の横を通り過ぎた。

 日が暮れる前に移動しなくては。

 鳥居をくぐり、丘の方角へ向かう。


 どこまでも森が続いている。そこを抜けると、草原に出た。

 さらに歩いていくと、目的の丘がある。

 獣道のような一本道を延々と歩く。

 舗装されていない土の道を上る。


 息が上がる。

 生きていると感じる。

 今は。

 ちゃんと生きている。そう感じる。


 丘の先には何もない。あるのは広い海だけだった。

 一応「見晴らし台」ということになっているので、周囲をぐるりと木の柵が巡っている。

 手すりに手をかけて、海のかなたを見る。


 水平線で空と海とが分かたれていた。

 灰色の空と、鼠色の海。

 霧が出ればその違いはもっとわからなくなるだろう。

 この崖と海との境も。


 ぐうとお腹が鳴った。

 そういえば宿を朝出てきてからずっと何も口にしていない。

 まあいいか。もうそんな必要などないのだし。

 有り金もさっき全部神様に捧げてしまった。


 わたしは柵を乗り越える。

 太陽の正確な位置が、わからない。

 ずっと昼のような気もするし、もう日が沈んでしまった後のようにも感じる。

 ぐうぐうとお腹が鳴っている。


「ごめんね、まだ生きたいんだろうけど」


 そう言って腹をさする。

 体は正直だ、とはよく言ったものだ。

 だったらなんで反抗してきたの。

 わたしだってもっと、もっと生きたかったよ。体の馬鹿。


 初めはちょっとした風邪症状だけだった。

 仕事で疲れがたまって、それで熱が出たのかと思った。

 でも、治ったと思ってまた動くと、四十度近い熱がすぐに出た。

 それが何か月も続いた。


 わたしは仕事を辞めざるをえなくなった。

 やりがいはあったんだけどな。美容師の仕事、好きだったのに。

 勉強して資格も取って、ようやく指名が取れるようになったのに。

 なんにもできなくなっちゃった。


 波が打ち寄せる。

 冷たい風が吹き付ける。

 両親にはちゃんと手紙を置いてきたから大丈夫だ。

 大切なものもそうでないものも、全部整理してきた。


「よし、行こう」


 治す気はあった。

 生きる気もあった。

 ただ、思わぬタイミングを得てしまい、勢いでここまで来てしまった。

 馬鹿馬鹿しいと思っても、今更戻る気にはなれなかった。


「お嬢さん、こんにちは」


 声がかけられた。

 背後から。

 おそるおそる振り返ると、神社にいた男が立っている。


「な、んで……」

「なんで。なんでついてきたか、ですか?」


 男は苦笑した。


「あなたが死にそうだったからですよ、お嬢さん」

「来ない、で……。邪魔をしないで!」

「そうできたら良かったんですけどね。まあそうもいかないんですよ」


 男はポケットから数枚の紙幣と小銭を取り出した。


「これはお返しします、お嬢さん」

「は?」

「さっき賽銭箱に入れたでしょう?」

「……うそ。どうやって」


 それはたしかにわたしが入れた七千二百五十円だった。

 どうやって箱から取り出したのだろう。

 いや――、ハッタリだ。それっぽく見せているだけ。

 距離が遠いから詳しい枚数はわからない。だから嘘だ。嘘に決まっている。


「別に返してもらおうなんて……」

「あなたのお願いは、聞けません」

「えっ?」

「死にたい、だなんてお願いはね」

「な、なんなの? アンタなんなのよ!」


 頭のおかしい人だ。

 きっとわたしから「死」をとりあげようとしている。

 どんな手を使ってでも。絶対に余計なおせっかいを焼こうとしている。

 わたしは男から離れた。

 ざり、と足元の砂礫が音を立てる。


「死なないでください。と言っても、当然聞き入れてはくれないでしょうね。私があなたの辛さを正確に理解できていないのですから、当然だとは思いますが」

「理解なんて、いらないわ。ただ死なせてほしいのよ」

「良かったら話していかれませんか? あなたがそちら側に行く前に。そちら側に行こうとしている理由を」

「……」


 これは、説得されている?

 時間を稼がれている?

 彼の言葉を聞いてはいけない。なのに、つい聞いてしまっている。

 わたしは喉の奥から無理やり声を絞り出した。


「行かせて……!」

「話していかれませんか」

「あなたと話してたら、決心が鈍る!」

「何も残さず行かないでください。ここであなたと出会った縁を、私は無駄にしたくないです」


 どうして。

 わたしと何の関係もないのに。

 わたしの人生にいっさい関係がない人なのに。どうして。

 手足がぶるぶると震える。


「そのお金は、あげるわ……。本当にわたしのお賽銭ならね。あなた神社の人? だったら放っておいて。神社に関係ない人なら、立派な賽銭泥棒よ。警察に自首して。そしてやっぱりわたしのことは放っといて」

「神社の人です。だからこんなことができるんですよ。警察には行きません。あなたのことも放っておきません」

「どうして! 関係ないでしょ、あなたに!」

「関係ない……そう言われればそうですが、見過ごすこともできないのでね」

「あああああ、もうっ、しつこい! しつこいオジサンは嫌われるわよ」

「嫌われてもいいです。だから死ぬ前に話していってください」


 面倒くさい。

 もう行こう。

 男と距離のあるうちに。一歩、二歩、三歩。

 飛んで――。


「だから、駄目ですって」


 声に、目を見開いた。

 気がつけば男が私を抱いていた。でもそれは手遅れの「先」の話だった。

 二人とも崖から落下している。


「なっ、なんで、あなたまで!」

「すいません。ちょっと遅くなってしまいました」

「んなこと言ってる場合……あああ、馬鹿ッ!」


 わたしだけで良かったのに。

 どうしてこんな見知らぬ人と。「心中」することになってしまったんだろう。

 両親は不思議に思うはず。

 この娘の隣にある死体はいったい誰なんだ、と。


 こんなはずじゃなかった。

 こんなはずじゃなかった。

 謎を残していきたくなんかなかった。

 この人を道連れに――殺すつもりじゃなかったのに。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……わたしのせいで!」

「ああ、まったく。そう思うならもっと早く話してほしかったですね」

「ごめんなさいごめんなさい。ああ、ああ……!」

「次は話してくれますか?」

「あ、あの世で! 来世で、いいなら……!」

「絶対に? 話してくれますか? なら、わかりました」


 パンッ、パンッ。

 なにかが二回破裂したような音。

 人体の六十パーセントは水だという。水風船がはじけ飛んだような音がした。

 崖下の、岩肌に、ぶち当たって――。


 神社の賽銭箱が目の前にある。

 わたしはその前で手を合わせていた。

 柏手を打った後の感触がまだてのひらに残っている。


「な……っ、どうして……?」


 へなへなとその場にへたりこむ。

 何が起こったの。

 あの、男の人は?

 周囲をゆっくりと見渡す。


「こんにちは、お嬢さん」


 声がした。

 振り返ると、さきほど共に崖から落ちた男の人がいた。

 グレーのチェスターコートにベージュのチノパン。

 白髪交じりのあごひげが、マフラーから覗いている。


「あ、あなた……」

「どうしたんですか。白昼夢でも見ましたか?」

「はく、ちゅうむ?」

「よくあるんですよ。ここにお参りに来る方はね、よく未来を幻視するんです」

「あ、ああ……!」


 わたしは両手で顔を覆った。

 目の前の人が死ななくて良かった、と心の底から安堵した。

 同時に別のことも。

 どれだけ迷っても、わたしは向こう側へ行ってしまえる(・・・・・・・)人間だった。それがわかっただけでも大きな収穫だった。

 

「本当に、大丈夫ですか?」


 男の人は境内にある自販機でホットココアを買ってきてくれていた。

 ありがたくいただく。

 蓋を開けて口をつけると、少しだけ気持ちが楽になった気がした。


「あの、おごってもらっちゃってすみません……」

「いえ。顔色があまりよろしくないと思ったものですから。それより、本当に体調は大丈夫ですか?」

「はい。少し気が動転してしまっていただけです。お気遣いありがとうございます」

「あの、間違ってたらすみません。もしかしてお嬢さん、この先の丘に用事が?」

「……」

「やはり、そうでしたか」


 男の人は少しだけ悲しそうな顔をした。

 このあたりで「丘」といえば、自殺の名所だ。

 そこへ行くということは「そういう目的がある」とわかったのだろう。

 石階段の途中に立っていたその人は、わたしの横を指さした。


「すみません、お隣座っても?」

「あ、はい……」


 男の人はわたしと同じように賽銭箱の前に腰を下ろす。


「なぜあの丘に行こうと思ったのか、理由をお聞きしてもよろしいですか」

「……」

「言いたくなければいいです。でも、せっかくあなたと出会えたので、この縁を無駄にしたくないんです」

「え……?」


 それは、先ほどの「白昼夢」で言われた言葉と似ていた。

 さっきのは本当に白昼夢だったのだろうか。

 わたしは確かめてみたくなった。


「あの……失礼ですが、あなたはここの神社の人なんですか?」

「ああ、いえ。宮司とかではないです。でも関係者ではありますね」

「そうですか」

「ここはあの丘に一番近い施設ですからね、お嬢さんのような人がよく来られるんですよ。私はそんな人に声をかける仕事をさせてもらっています」

「……」

「あ、余計なお世話だと言われたら、それまでなんですけどね。だって、死はある意味……救いですから」

「救い」


 てっきり、引き止められるかと思っていた。

 でもこの人は「死」を肯定してくれている。


「それしか道がないのならそれにすがったっていいじゃないですか。でもわたしはその人がどうしてその道を選んでしまったのか、その話を聞きたいんです。だって、理由を誰も知らないままだったらもっと悲しくなるじゃないですか」


 熱いものが頬に触れた。

 それが涙だと気付いたのは、目の前の男性がものすごく慌てだしたからだ。


「あっ、泣かないでください。こ、これをどうぞ」


 グレーのチェック柄のハンカチを差し出された。

 わたしはそれで目頭を押さえる。


「わたしは……わたしは病気が辛くて。調べても原因がわからなくて。生活がどんどんままならなくなっていって。誰も、わかってくれない……。話しても励まされたり、一緒に原因を探ってくれるだけ。ちがうの。わたしは……もう辛くて。辛いことだけを理解してほしくて」

「頑張ってこられたんですね、お嬢さん」

「う、う……」

「なんて、本当に理解することなどできないのですが。せめてあなたの話を、憶えていたいと思います」


 わたしは、男の人に話した。

 美容師の仕事をしていること。彼氏がいたけど病気が発覚してからフラれてしまったこと。実家の父と母に金銭面で迷惑をかけ続けていること。職場に復帰したかったこと。常連さんに何も伝えられないままでいること。一度でいいから猫を飼ってみたかったこと。時間と体力に余裕があったら、もっといろいろなところに旅行してみたかったこと……。


「ありがとうございます、お嬢さん。あなたのお話を聞かせてくださって」

「面白くなかったでしょ。なんの変哲もない、ただの病弱な女美容師の話でしかないもの」

「いいえ。そんなことはありません。それよりどうですか、まだあの丘に行かれるご予定ですか」

「……ええ。最後の最後にあなたとおしゃべりできたことは、まあマシな出来事だったと思うわ。でも、病気は結局そのままだし。だから、行きます」

「そうですか。それは残念です」


 立ち上がると、わたしはココアの空き缶を自動販売機横のゴミ箱へ捨てにいった。

 がらんがらんと金属同士のぶつかり合う音。

 わたしは男の人に深くお辞儀をした。


「ありがとうございました。って、お礼を言うのもなんか変だけど。それでも、ありがとうございました」

「こちらこそ。貴重なお話を聞けて良かったです」

「では……」

「やはり行かれるのですか」

「え?」

「行かないでください、お嬢さん」


 男性がわたしの右手を掴む。

 引き止められていた。視線ががっちりとからみ合う。


「お話を聞かせてくださったので、『やくおとし』をします」

「え?」


 ぐいと引き寄せられて、白髪交じりの髭の中に招かれる。

 その中の唇と自分の唇が重なると、わたしは崖下の岩肌の上にいた。


「なんで……」


 どこも痛くない。

 起き上がって、なんとか上に登れる砂浜まで移動する。

 あの男の人は何?

 本当になんだったの?


 丘の上まで戻って、神社まで引き返して、あの男の人を探す。

 でもどこにもいなかった。

 社務所に行ってインターフォンを押す。中からは全然違う男の人が出てきた。


「え? ひげのおじさん? ああ……。あ、いえ、こちらの話です。ウチに参拝するとみなさんよく白昼夢を見られるんですよ、ええ。怪我などがないのでしたら、家に帰ってよく休まれるとよいでしょう。はい、御参拝ありがとうございました。じゃ」


 早口でまくしたてられ、すぐにぴしゃんと戸が閉められる。

 なんだったのだろう。


 結局、わたしは家に連絡し、心配していた父と母に車で迎えに来てもらった。なにせ所持金がなくなってしまったのだ。

 そうでもしないとこの町から出ることすらできなかった。


 あれから謎の高熱は治まった。

 あの男の人が誰……いや、「何」だったのかはよくわからない。

 神様だったかもしれないし、それに似た別の何かだったのかもしれない。

 とにかくあの男の人がしてくれたのは、「やくおとし」という奇跡の業だった。


 わたしのファーストキスだったのにな。


 復帰した職場の仕事が一段落したら、またあの神社に行ってみようと思う。

 もう一度会えるかはわからないけれど、今度は前向きな話を聞いてほしくて。

 わたしは店の前の街路樹の黄色を見てそう思った。




ここまで読んでいただきありがとうございました。

この作品は那月結音様主催の企画【いけおぢ豊穣祭】参加作品です。

企画は本日までですが、同タグの作品が他にもたくさんあげられております。

わたしもこれから巡回して読みに行ってみたいと思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 静かで淡々とした語り口と、物悲しくも柔らかい雰囲気。社務所の人の対応が不思議さを際立たせているのもよかったです。 [一言] とても素敵なお話でした。シンプルなストーリーですが、どんどん引き…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ