読者は、テンプレという『夢』を見るために、ランキングページを開く。
ハイファンタジーランキングでは追放ざまぁがまだまだ力を持っている現在のランキング。
筆者は、そのランキングを周回している人間である。
で、人間というのはつまらないものを周回することなどない。
現実として、それらの作品は『面白い』から読まれているのだ。
PV数を見れば一目瞭然であり、今も多くの読者が、ランキング作品を読んでいることだろう。
しかし、面白いということは事実なのだが、エッセイのランキングを覗くと、『ランキング批判』のエッセイがあり、そして『ランキング批判の批判』のエッセイもあった。
どうせなら永遠のイタチごっこを見てみたいものだが、まあそれは置いておこう。
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タイトルに『夢』という言葉を使ったが、その意味を解説しよう。
実際のところ、ランキングに載るような作品というのは、『面白い』わけだ。大多数が面白いと思っているからこそ、ブクマと★を獲得している。
実際に面白いわけだ。これは本当に間違いない。
というわけで、数時間前でいい。数時間前に呼んだ作品の主人公とざまぁ対象とストーリーを思い出せるかといわれると、個人的には、これがなかなか困難である。
面白かったはずなのに、読んでカタルシスを得て満たされたはずなのに、多分、なかなか思い出せない人が多いのではないだろうか。
なぜこのような状態になるのか。
大雑把にまとめると。
①:コンセプトが同じだから、多少のオリジナリティが溶けてる。
②:設定はある程度感じるんだけど、別にそこまで読み込もうとして読んでるわけじゃない。
こんなところだろうか。
正直、『何も考えずに読める作品』というものが好まれているのだ。
言い換えれば、『軽い』のだ。
というか、『手軽さ』や『気軽さ』といった、『軽さ』がないと、読者にとって『わかりにくい』のである。
会社に『オーバーロード』を持って行って『ここはこうだよな。あれはあーだよな』みたいなことを考えながら読んでるような奴はそうそういない。
この『軽さ』というのが、『面白いんだけど脳みそに残らない』ということにつながる。
そして……『実際に直前に見た光景ではあるが、まともにその内容を覚えていない』という概念。
似たようなものがあるような気がして、最近、『夢』だと思い至った。
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テンプレの継ぎはぎで、物語に整合性がない。
書籍化されたなろう作品のレビュー動画で、時折……いや、高頻度で耳にする言葉だが、筆者は『夢』という単語を認識したことで、全てクリアされた。
あくまでも、テンプレというのは一つのシーンでしかないわけだが、そのシーンには、前後の関係性を無視してでも、そこだけを想像してでも、快楽を得られるほどの魅力がある。
特に、一気に読むのではなく、『更新』という手段を取る小説サイトでは、物語を断片的に頭に入力していくわけで、この傾向が強いのではないだろうか。
テンプレは、『読者が見たい夢』とも言い換えていいのではないだろうか。
そこには、『願望』が詰まっている。
どれだけ浅ましかろうが、醜かろうが、非合理的だろうが、人には言えないことだろうが、構わないのだ。
何故なら、『夢』に整合性などないからである。
そして、『夢』という言葉に高尚なモノが宿るわけではない。
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なろう作品をレビューする動画を見て、筆者が最も多く考えたのは、『この作品、WEB原作で読んだ時はそんなひどく感じなかったけどなぁ』という感想だ。
……いや、ランキング作品を読んでいるときは自家発電中で、それを終えると賢者タイムになる。という見方もあるか。
いずれにせよ、『ちょっと気持ちよくなる夢』を見るために、なろう読者はランキング作品を読む。
エッセイだってそうだ。ランキング批判の作品はいくつもあるし、私自らがいくつも投稿している。
だが、私は現在のランキングが嫌いかと言われれば、そんなわけがない。
『ちょっといい夢を見られる面白い作品』が並んでいる。
それを悪いなどとは微塵も思っていない。
『人間の夢や願望が、醜くて浅ましいのだ』ということを忘れた創作者は、きっと、もっとつまらないものを書く。
このままでいいとか、わるいとか、そういう話ではない。
人間らしい。と思わないか?
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最後に補足。
筆者は無料のランキング作品を読むけど、基本、金を払って書籍化作品を買うわけではない。
書籍化された漫画や小説を、金を払って読んでレビューしている方たちの動画に対して、ケチをつける気は毛頭ない。