黒い自動販売機の前で
二月ももう終わりますが、2021年初投稿です。
つまらない話ですが、最後まで読んでいただけるとありがたいです。
仕事中のことだ。突然、隣に座る同僚から話しかけられた。
「なぁ、そろそろ、飲みに行かないか?」
「何を言っているんだ? 酒を飲むにはまだ早いぞ。まだ、十時半回ったところじゃないか」
「酒の方じゃないさ。黒缶を飲みに行くんだよ。く、ろ、か、ん」
「なんだ。そういうことか。ちょうど、俺も十三時には切れそうだからな。けれど、それなら仕事の合間じゃなくて、昼休みに行けばいいだろ?」
「うちの会社には自販機が一つしかないんだぜ。昼休みにのんびり列に並んで待っていたら、切れてしまって抜き打ちチェックに引っ掛かっちまうだろうが」
「おいおい。昨日はいつ飲んだんだよ?」
同僚は渋々答えた。
「──十一時」
俺は深く溜息をついた。
「そりゃあ、切れるわけだわ。休みだからってそんな早くに飲んでしまうと厄介なことになるじゃないか。それこそ、寝ている最中に切れたらまずいじゃないか。飲んでないこと忘れて外に出て保安官に見つかったら、捕まるぞ」
「なーに、それほど心配することじやない。そういうときは寝る前に飲めばいいじゃないか」
同僚は笑みを浮かべながら、俺の背中を強く叩いた。
「そう言って、いつか飲み忘れそうだな」
「ひどいこと言うじゃねぇか! それより頼むよ! 一緒に飲みに行こう。今日の黒缶は俺の奢りでいいからさ〜。頼むよ」
──いい年して、自販機の前にも行けないのか……と思ったが、少し考えてから
「しょうがねぇな。部長に一言言ってからだからな」
「あざーす」
「本当に感謝しているのか?」
「あぁ、感謝していますとも。感謝感激のあまりペットボトルロケットのように空を飛んでいってしまいそうな気分だ」
「それって、本当に大丈夫か?」
すると、同僚は突然、笑い出した。
「いや、なに真面目に受け取っちゃってんの? 冗談に決まってるだろ? 第一、ペットボトルロケットはあまり飛ばないもんだぜ?」
なんとまぁ、変なジョークを思いつくものだ。面白いと思ってそんなことを言うのだろうか。俺には同僚のこの悪癖がいまいち理解できなかった。
「それより早く行こうぜ」
俺ははぐらかすように席を立って、部長の席に向かった。
「へいへい」
同僚は俺の背中に隠れるように後ろをついて歩いた。
******
黒缶の自販機は至る所にある。当然、この会社にも一台ある。だが、残念なことに俺たちの部署からは少し遠くにある。──と言っても、エレベーターで三階上るほどの距離だが。
「なぁ、奢るって言ってもよく考えたら、あの自販機、自分のIDじゃなきゃ買えねぇよな」
──こいつ、急にそんなこと言いやがって。まさか、最初から払うつもりが無かったのか? それは絶対に許せない。
「それなら、俺に黒缶一杯分の金を送ればいいじゃないか。もしくは今日の昼を奢れ」
「そんなひどいこと言うなよ。昼を奢っちまうと黒缶の三倍になっちまうだろうが! そんなの無理! 絶対無理!」
「なら、今、払えよ」
「ほんと、金のことになると話が早いな。ケチだとお金は出て行っちゃうぞ〜」
「俺のとこには出ていくほどの金なんかねぇよ」
同僚は舌打ちをしつつ、右手を差し出した。
「ほれ。なけなしの金を存分に搾り取るがいい」
俺は右手を同僚の右手に合わせた。そのとき、チャリン、と音がした。腕時計を確認すると、たしかに黒缶一杯分の金が振り込まれていた。
「そもそも、缶コーヒー一杯分の値段なのにどうして搾り取るとか言うんだよ」
「それなら、奢らなくてもよかったんだ。へぇ、良かったんだ!」
「チッ。別にそう言う意味じゃねぇよ」
「舌打ちしなくてもいいんじゃないでしょ。ちょっと冷たいよ。それだからモテないんだよ」
「おい、どうしてモテるモテないの話になるんだよ。お前だって彼女いねぇだろうが!」
「さてさて、早く飲んで戻らないと部長がキレちゃうよ〜」
──それはお前のせいだろ? 心の中でそう思いながら、彼の後を歩いた。
******
黒缶を買った俺たちは近くにある休憩スペースで飲んでいた。
「なぁ、お前ってどんな味がすんの?」
「しじみの味噌汁みたいな味がする」
──まぁ、今日はたまたましじみの味噌汁のような味がしたんだけどな。
黒缶は日によって味が異なる。
当然、いつもしじみの味噌汁の味がするわけではない。あるときはブラックコーヒーだし、また、あるときはマヨネーズだったりする。
生憎、俺はマヨラーではないので、マヨネーズの味がしたときは流石に吐きそうになったが、堪えて飲み干したものだ。
まったく、なぜこうも味が変わるのだろうか?
たまにふと考えてしまうことはある。
小さい頃に大人に何度も聞いたが、納得できるような答えは返ってこなかった。次第に、黒缶はこういう物だと納得していた。
「これまた、不思議だな。あっ、ちなみに俺はバナナシェイク」
「お前がなにを飲んでいるのかなんて俺には興味ねぇよ」
そう言って、俺はちびちびと黒缶を飲む。
「──いやぁ、不思議だよな」
「何が言いたいんだ?」
「だって、こんな得体の知れない缶を一日に一回飲まなくちゃいけないなんておかしいじゃないか。しかも、味は人それぞれ違うは、成分表示も印字されていない。特許とか何とか言って隠すのっていくらなんでもおかしいと思わないか?」
「たしかにこんな怪しいものを毎日、飲まなくちゃいけないって決まっているのはおかしいと思うよ。親に聞いても、納得できる答えが無くて不思議に思ったな。けれど、今はあまり気にしていないな。ほら、何十年も続けていると、飲むのがもう習慣になったしまっているんだよ。ほら、朝にパンを食べるようなもんだよ」
「俺はご飯派だけどな」
「それは悪いな」
「いや、言いたいことは分かるからいいさ」
「それなら、ご飯派とかそんなこと言わなくてもいいだろ?」
「いや、そこは重要だ。朝ご飯がパン派かご飯派か白黒つけなければならないぞ」
「別にそんなもの気分次第だろ? 朝におにぎり食べることもあるし」
「一途じゃないのは良くないぞ」
「別にいいだろ。そんなこと」
同僚の奇妙な主張に辟易していると、ラジオのニュースがふと耳に入った。黒缶を飲まずに捕まってしまった男の話題が上がっていた。
どうやら、その捕まった男は『メロンパン買うので精一杯なのに、黒缶が買えるわけがない』と言ったらしい。気持ちは分かるが、黒缶が買えるのなら、黒缶を選んでおくべきだと思う。当たりはずれはあるが、腹はある程度満たされるはずだ。
「ほんと、どうして法律で縛ってまでこいつを飲ませたいんだろうなぁ」
同僚が溜息をつきながら、そう呟く。
「そんなもん考えても、しょうがねぇよ。どうせ、赤信号を無視して渡ると車に轢かれるとかそんな理由じゃねぇの」
「──まぁ、そうだな」
同僚はそう言って、黒缶を一気に飲み干した。そして、近くのゴミ箱に放り込んだ。
「さぁ、仕事仕事」
同僚は鼻歌交じりに休憩室を出た。
しばらくしてから俺は黒缶を飲み干した。そして、同じようにゴミ箱の中へ空の黒缶を放り込んだ。