捨てられ孤竜のヴェインリカバリング
「もういいや、お前もうクビだわ」
疲れ果てて倒れた私に、勇者様は呆れたように言い放つ。
私は霞む視界で彼の冷え切った朱色の双眸を見返すと、立ち上がるために前足の爪を地面に食い込ませた。
『ご、ごめんなさい……』
歯を食いしばって力を入れるものの、私の身体は言うことを聞いてくれなかった。鈍った嗅覚は湿った土の匂いばかり感じ、水の中のような聴覚は複数の足音と声をとらえる。
「ぶはは、またこいつぶっ倒れたのかよ。ほんと使えね~」
「フォルコ、剣で翼切り落として身軽にしてあげたら?」
「ちょ、ちょっと皆さん、あんまり……」
人語は理解できるはずなのに、意識が朦朧としてよくわからない。もう何日もろくなものを口にしてないし、夜は見張りでまともに寝られなかった。
もう私の身体はとっくに限界を超えていたのだと、本能的に感じた。
「せっかく上級竜種ってことで拾って育ててやったのに、荷物運びも出来ないんじゃあ話にならないんだけど」
勇者様は苛ついた様子で私に括っていた四人分の荷物を外していく。
私は幼い頃に起きた人間とドラゴンの戦争によって両親を失い、孤竜となっていたところを彼に拾われた。すなわち私の命の恩人なのだ。
「しょうがない、トゥオノ、ヴィーナで荷物持ちだ」
「えー、なんでコイツの代わりをあたしが……」
「わ、わかりました」
勇者様はそれから私の鞍も乱暴に取り外すと、腰の長剣を勢いよく抜く。
彼は、フォルコ様は、今から二月ほど前に起こった世界の闇の災厄『ヴェインブラインド』の後から、少しずつ様子がおかしくなっていった。それまで連れていた仲間は次々クビにして、ヴェインブラインドの原因排除としての勇者という立場を利用して乱暴の限りを尽くすようになってしまった。
「フォルコお前そんなもの抜いて、マジで翼切り落とすのか?」
「馬鹿言えムリネロ。もうこんな役立たずに構う暇なんてない」
勇者様はなんとか立ち上がった私の首元に剣を突き付けると、感情が消えた顔で私を一瞥した。
「おい、役立たず。今まで足手まといご苦労だったな。何か言い残すことでもあるか」
『そんな……ごめんなさ、い。でも、私は、貴方への恩は忘れません』
「そうか」
次の瞬間、彼の手に持つ銀が一閃。
右頬から左胸あたりまで熱さ感じたかと思うと、視界に鮮やかな赤が飛び散り勇者様の髪や瞳の色と同化
する。
「地獄で親と逢えるといいな」
間髪入れずに勇者は私の横腹に魔法で強化した蹴りを入れ、弾かれた私の身体は枯れた森の幹に背中から打ち付けられる。
私と一緒に切られた従属の首輪が落ち、勇者はそれを奪うように回収して私に背を向けた。
「おいおいマジかよあいつ」
「うっわ、ひっどい! フォルコったら相変わらず容赦ないわね」
「そんな……」
勇者一行はしばらく動揺や同情の気配があったが、勇者の一声でやがて私から目を逸らし先へと進み始めた。
ああ、もっと役に立てたなら、あるいは彼が豹変することはなかったかもしれない。
しかし、私は命を賭して私なりに彼に尽くした。こんな使い捨てのような最後、納得できるはずがないじゃないか。
首輪が外れたことで私の感情も身体も自由だが、もはや一歩たりとも動けない。
私が悔しさに涙を溢れさせていると、ふと地面が緑色に輝いているのが見えた。そこでは私から零れた鮮血が枯れ草に触れ、緑が蘇っているようだった。
何か、幻覚の類だろう。ここはヴェインブラインドで緑が絶え汚染された土地なのだから。
目を閉じれば、確かな闇が私を包んでいくのが分かった。
これが、死か。今までのことを思えば、さして苦しくはなかった。
△ ▽ △
意識がふわりと浮き上がってくる。
久しぶりの感覚だ、熟睡から目覚めるような心地よい覚醒。目を開けると、そこは私の周囲だけ緑が芽吹いた枯れ木の森のままだった。
『……私、まだ、生きてるの?』
少し鈍い身体で立ち上がると、確かに銀色の鱗に覆われたドラゴンの身体だった。さらに胸の傷は痕になっているものの殆ど治っていた。
何が起こっているんだ、傷はどう考えても致命傷、さらに衰弱した私にとっては即死でもおかしくない状態だった。
『やっと目を覚ましたんだね!』
そのとき突然、背後から幼い男の子のような声が聞こえてくる。見てみれば、緑と同様に蘇った綺麗な湖の水面、蛇のような形の光が声の主らしい。
『あなたは?』
『僕は水の竜脈の精霊、ラヴィだよ! 君の竜気がセントラルヴェインを蘇らせたお陰で、こうしてほんの少し力を取り戻すことができた!』
光の蛇、もといラヴィは元気に答えるが、聞き覚えのない単語と身に覚えのない感謝で混乱する。
『セントラル、何だって? それに私は何もしてないよ』
『セントラルヴェインだよ。そっか、君は何も知らないんだね』
光の蛇は湖から浮き上がると、私の周りをぐるっと回ってから緑の葉をつけた木の枝の上で止まった。
『三月前のヴェインブラインドについて、君はどれだけ知ってる?』
『え? えっと、世界の支配を目論む魔王の闇が世界を覆って、あらゆる植物や命が枯れた災厄。五色の魔力による光が、闇を取り払う唯一の手段、くらいかな』
『うーん……大筋はあってるけど間違いだね』
ラヴィが蛇の身体をくねらせて木の幹を這うと、そこに緑色の光の筋が表れて地面へと血管のように伸びていく。
『これは、世界の生命力の源である竜気を運ぶ、竜脈だよ』
竜気、竜脈。どれも聞いたことのない言葉だ。
私はその場に座って幹の竜脈に触れてみると、強く輝いた後に木の葉の緑がより鮮やかになった気がする。
『ヴェインブラインドは、この竜脈の多くが何かの原因で閉鎖してしまったことで起こった。だから緑は枯れ水は淀み、生命は失われた』
『じゃあ、どうしてここは緑が蘇ったの?』
『それは君の力でヴェインが復活したんだよ』
光の蛇はピッと尻尾で私の方を指して言う。
私の力? 私は普通の上位竜種のはず、そんな特殊な力があるとは思えないが……。
『君の竜種はリカバリドラゴン。レベル4のヴェインアクセス権限を持つ、今の世界にとって希望となるドラゴンなんだよ。僕たち精霊は、君のような存在を待っていたんだ』
リカバリドラゴン? また聞いたことのない言葉だ。確かに私は銀色の鱗を持つ種族不明で両親も分からないドラゴンだが、自分がそんなに特別な竜種だなんて信じられない。
『僕たち精霊は太い竜脈の維持が役割なんだけど、大きな異変が起きた時に直接操作できるほど力はないんだ。でも、リカバリドラゴンは竜脈から多くのエネルギーを得る代わりに、竜脈を再び蘇らせる力と責任を持つ。今回は偶然君が竜脈を蘇生したから、僕の力で君の命を取り留めた。かなり力をつかっちゃったけどね』
『つまり、私ならヴェインブラインドを止めることが出来るの?』
『端的に言うとそうだね……と、そろそろ時間がないかも』
ラヴィは突然声のトーンを下げて、周囲を警戒するように首を回す。
私も同じように警戒してみると、森の奥から僅かな動物の気配を感じる。それも、一つじゃない。複数で、私たちを囲むように広がっていた。
『囲まれてる……? こんなところに動物なんて』
『動物じゃない、僕らはヴェインビーストって呼んでるんだけど』
周囲の気配は次第に近くなっていき、やがて薄暗い枯れ木の間から灰色の毛皮の狼が姿を現した。
ここらの森に生息していたミツリンオオカミによく似ているが、額から赤黒いツノが一本生えている。
『彼らはヴェインの閉鎖によって狂暴化した元動物だよ。僅かな竜気の気配を感じ取って奪おうとしてくる奴らさ。僕の結界が薄くなって早速嗅ぎつけてきたんだろう』
そう言われて再びヴェインビーストを見てみると、確かに私というよりラヴィと復活した竜脈を狙っているように見える。
『彼らに竜気を奪われると、ここもまた竜脈が閉鎖してしまうんだ。だから君に、僕の残った力と記憶のカケラを使って彼らを撃退して欲しい。このヴェインブラインドから世界を救うために、君の力が必要なんだ』
私の目の前までやってきたラヴィは、光る蛇の頭を下げて私にお願いしてくる、が。
『ごめんね、よく分からないけど、私は力は受け取れないよ』
『えっ、どうして!?』
私の発言にラヴィは驚いたように飛び上がって、動揺しているのかその蛇体の光を明滅させる。
『私を助けてくれたのには感謝してる。でも、多分また私じゃあ役に立てないと思うよ、そんな重要な役割』
勇者の時と一緒だ。私は助けられても、何も返せない。
私の恩を返そうとする行動で彼がおかしくなってしまったのなら、私のそれは私の自己満足なのではないか。
そう考えると、私はここで彼の願いを受け入れることを恐ろしく感じてしまったのだ。
『そ、そんな……』
しょんぼりとうつむくラヴィに、私は目を背けるように後ろを向いた。
周囲のヴェインビーストはもう随分と近くまで来ている。彼のいう結界とやらが、もう限界なのだろう。
きっと私がここを離れて暫くもしないうちにヴェインビーストがここの竜気を奪い取り、ラヴィも再び眠りにつくだろう。
『わかったよ、君がそう言うなら』
彼の小さな声は、私の背中に突き刺さって足を前に踏み出させない。
私が振り返ると、ちょうどヴェインビーストがラヴィに跳び掛からんとしていた。
私は反射的に前へ大きく踏み込み彼らとラヴィの間に割って入ると、前足と尻尾でヴェインビーストを弾き飛ばしていた。





