少女ふたりたび異世界
「よし、何も忘れ物はないよね」
しゃがみこんで大きなリュックサックの中を確認する少女。
一つ結びにした髪に、ちょっと濃い目の眉毛。どこか野暮ったい顔をした、いかにもな感じな田舎っ子。
彼女の名前は古賀希美。福岡県の片田舎、八女市の高校に通う高校二年生。
今日はかねてから行きたいと思っていた異世界旅行の出発日だってことで、妙にテンションが高い。
異世界との通路がこの現実世界とつながって早くも40年がたった今、人やモノ、文化の交流も盛んになってきており、今では異世界旅行もポピュラーなものになってきていた。
とはいっても、異世界だ。そうそういけるものじゃないし。修学旅行で異世界にいった高校も、福岡県内でもまだそこまでない。
そのうえ、希美の通う高校なんて修学旅行で国外にも行けないってものだから、当然ながら外の世界にはあこがれるわけだ。
異世界にいけば、なんかもっと大きな人間になれる気がする。異世界にいっていろんな経験をすれば新しい自分になれる気がする。希美はそんな気がしてならなかった。
俗に言う、自分探しの旅と言うやつである。
生まれてから17年間日本から一歩も出ることがなかった希美がはじめて日本を飛び出すのだ。
しかも、修学旅行以外の理由で九州から出るのも初めてだ。
そりゃ、テンションも上がらずには居られない。
「よし、準備できました」
すべての確認を終えた希美は異世界へ繋がる扉の管理人にそう伝える。
この扉をくぐれば異世界だ。夏休み期間の一ヶ月はずっと向こうにいることになる。
「扉を開けます。どうぞ」
管理人がそう告げると大きな蔵の扉か開き、まばゆい光がはなたれる。
希美はそんな光のなかに、胸の高鳴りをかんじながらも足を踏み入れていった。
***
扉の向こうに待ち受けていたのは、一面深い緑だらけの森のなかだった。
「ここが、異世界?」
異世界につきました、といわれてもすぐには理解できないぐらいなんの変哲もないただの森。
もっとおっきな城下町とか、アニメでよくみるネルトリンゲンみたいな感じを予想してた希美は少しガックリする。
「まぁ、いっか!いくぞー!」
異世界全部が中世ヨーロッパの街並みというわけではない。高校の選択科目でとっている「異世界社会」という科目でも、異世界のうち居住区は10パーセントぐらいしかないということを希美は学んでいた。
何もない林道を同行人無しで歩くのはちょっぴり寂しい気もするが、もともとの目的が「自分探しの旅」、スタートは一人が当たり前だ。
そうとなれば、歩き出すのみ。扉の管理人に聞いた感じだと、道沿いに半日ほど歩けば森を抜けた先に小さな町があるらしい。
扉ができてからちゃんと整備されてるとはいえ、現実世界みたいにコンクリートで舗装されてるわけではない。
当然ながら歩きにくいし、そもそも希美自体がインドア派だからゴリゴリと体力は削られていく。
こんなことならもっと街の近くの扉に転移してもらえば良かったとも思ってしまう。「道中が旅の楽しみ!」だなんていってわざわざ街から離れた扉に飛んだんだけどこれは失敗だったか。
「もう疲れた。ダメ、死にそうー」
三十分も歩けばこんな感じだ。もう歩けなくなっている。
扉を潜ったときはあんなに高かったテンションも今はもうガタ落ちだ。
「もうやだぁ、お家帰るぅ……」
しまいにはこんなことまで言う始末。
しかしそんな希美にさらなる脅威が襲い掛かってくる。
「え、いま何か音がした!」
ごそごそという大きな音がして辺りを見渡す希美。
(きっと、モンスターだ)
異世界にはモンスターがたくさんいて危険もあるってことは旅の前に調べたりして知っていたけど、まさかこんなに早く遭遇するなんて思わない。
(どうしよう。モンスターが出てきても倒せる自信なんてないよ……)
逃げ出すべきか。それともこのままじっとしてやり過ごすべきか、その判断すらも希美にはつかない。初めての異世界だからこんなものだ。
当然、パニック状態にもなる。
「グルルル……」
ゴソゴソと草の擦れる音をならしながら体長1mほどの真っ黒な狼の怪物が木々の隙間から顔を見せる。
鋭い目に、大きな口には尖った歯がいくつも並んでいて、前足には大きな鉤爪のようなものがついていた。
(睨んでる……よね)
全身の感覚が「ヤバい」って告げてくる。
逃げなくちゃ、そう思った次の瞬間、狼の魔物は希美の方に飛びかかってきた。
「嫌だぁぁぁぁ!! 死にたくない!!」
身の危険を察した希美は、すぐさま身を翻し猛ダッシュで林道を駆け抜ける。
普段運動しない希美ながらこのときばかりは飛んでもない反射神経を見せる。火事場の馬鹿力というやつだろう。
「アカン、これは死ぬ。わたし、死ぬよぉぉぉ!!」
気が動転しすぎて何故か関西弁が出てくる希美。福岡民なのに。
しかし、そんな事いっても魔物には関係ない。
目の前の獲物は追いかけるだけである。弱肉強食、それが自然の理であり、それは異世界でもおんなじだ。
(ダメだ……わたしもう)
追い付かれそうになって諦めかけたその時、
「しゃがんで!」
と声がする。
声の主は誰かわからないけど、たぶん自分を助けてくれるんだろうと瞬時に判断した希美は声にしたがってしゃがみこむ。
「えっ」
次の瞬間、希美はとんでもない光景を目にする。
しゃがみこむと同時に、草むらからサラマンダーと呼ばれる二足歩行の恐竜ような姿をしたモンスターに乗った女の子が現れて、しゃがんでいる希美の頭上を飛び越えていく。
振り替えると、さっきまで私を追いかけていた狼は、女の子の乗っているサラマンダーに蹴っ飛ばされていた。
その様子はまさにサッカーのロングシュートであった。
(ええっ。この女の子ハンパないって……)
そう思わずにはいられない。
彼女のモンスターの乗りこなしは、異世界にきてすぐの希美にも凄いってことがわかるぐらい華麗なものだった。
「やぁ、大丈夫だったかい」
「はい、なんとか……」
モンスターの上から女の子が降りてくる。
きれいな短く切られた白髪に、小麦色に焼けた肌、肉付きのいいかといって無駄な部分はない健康的な体型。
無駄ものだらけの希美とは正反対である。
「助けてくれてありがとうございます、えっとお名前は……」
「ああ、ボクはリオン。旅人だよ」
「リオンさんって言うんですね。私は希美っていいます。扉の向こうから来たばかりで……」
「なるほど……扉の向こうからきたんだ」
そう言って少し考え込むリオン。
「今回こっちに来たのはどうして? 目的地が近くだったりしたらボクが送っていくけど」
「いやぁ……それが、この旅には特に理由とか目的地とかそーゆーの無いんで……」
旅の理由を聞かれた希美はそんな感じで素直に答えるのだったが、答えてしまってから気づいてしまうのであった。
目的地でっち上げて、適当に町まで送ってもらえばよかったと。
「いいね、ノゾミちゃん。それ、最高だよ!」
「へ?」
しかし、リオンの回答は希美にとって想定外のものであった。
最高といわれても、何が最高なのかわからない。
「ほらさ、扉の向こうからやって来る人って主要な都市を観光するだけでさ、それに都市の間の移動も空間転移の魔法使うしさ……旅の醍醐味ってのは、このサラマンダーにのってあてもなく世界を駆け回ることだってのにね」
それはなんとなく希美にもわかる。
たしかに飛行機で世界の観光地を見に行くのはいいかもしれない。だけど、旅と言うのは「途中経過」を楽しむのが本質ではないのか、そんな風におもうところがある。
「わかるかも、それ」
「わかってくれるの!!」
希美の返答を聞いたリオンが希美の両手を握りしめて、キラキラとした目をする。
「ねぇ、ノゾミちゃんはあれでしょ。自分探しの旅って奴をやってるんでしょ。それならボクと一緒に行こうよ」
「行こうって、どころへ?」
聞いてはみたもののそれは無駄な質問だったと希美はすぐに察する。だってリオンは旅人を名乗ってるのだから。
「そんなの決まってるよ。 あての無いって旅だよ。このサラマンダーに乗ってさ」
リオンの言葉と共に、彼女ののっていたサラマンダーが高らかに鳴き声をあげた。
新しい世界に新しい出会い。これが旅と言うものだ。
色々あったけど、いい人と巡り会えた、これだけで旅のスタートは順調にきれたように思えた。
もちろん、返事は決まっている。
「うん! これからよろしくね!」
こうして、田舎から異世界にやって来たノゾミは、現地を放浪するサラマンダーを同じくらいの歳の少女リオンと共にあての無い旅を始めることになった。
「で、これからどうするの?」
「とりあえず、森を抜けて町まで出よう。そこでノゾミちゃんの装備を整えて、あとの話はそれからかな?」
「テキトーじゃん?」
「そりゃ、旅だからね」
そんなふうにしばらく歩いてるうちに森を抜け、高台までやって来た。
眼下には穀倉地帯が広がり、その真ん中を曲がりくねった道が伸びている。その先には城壁で囲まれた中規模の街が見えており、さらに目線を上へと上げると山脈に沈みゆく真っ赤な太陽があった。
「きれいだなぁー」
地元も田舎だったし田んぼ道で夕日を見ることはあったけど、たとえ似たような景色でも場所が違って、いつもと違う誰かと一緒だと物凄く新鮮に感じる。
(最初はちょっとキツイって思ったけど、やっぱり旅っていいな)
ノゾミはそんな景色を見ながらそう思うのであった。