赤鬼、喜怒哀楽
赤鬼族のフリードは、今の生活に飽き飽きとしていました。
優しかった母が死んで早一年。
毎日、獲物を狩り、縄張りにやって来た魔物達を追い返しては、食べて眠るだけ。
話し相手もいないそれだけの生活に、孤独感を感じるには十分な時間でした。
「人間と関わってはなりません」
母が口を酸っぱくして言っていた言葉ではありますが、フリードは一年という期間を一人寂しく過ごすうちに、そんな意識は薄れて行ったのです。
さっそくフリードは、心優しかった母を思い出して、人間が通る道に立て札を立てました。
「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます。」
母が作り方を教えてくれたお菓子、暇な時間を使い美味しく淹れる方法をこの一年かけて研究したお茶。
赤鬼のフリードは、人間が遊びに来るのを、今か今かとうきうきして待っていました。
毎日毎日、お菓子を作り、お茶を準備しました。
しかし、赤鬼が出ると噂の山に、立て札を見て入って行く人間はいませんでした。
「入ったが最後、食べられてしまうのではないか」
そんな噂も、人間達の間で交わされていました。
そんな事はつゆとも知らず、フリードは腹を立てていました。
毎日毎日準備をしているのに、誰も来やしない!
何故、心優しい母のように振る舞っても、誰も遊びに来てくれないのだ!
そんな時、ふと思い出したのは母が死ぬよりもっと前に死んだ父でした。
偉そうで、暴力的。
フリードは父のことが大嫌いでした。
でも、フリードが大好きな母は、父の事が大好きだったと言っていたのを、ふと思い出したのです。
母が好きになったという事は、父のふるまいにも何か意味はあったのだろうか。
他に方法を思いつかなかったフリードは、父のように振る舞えば、人間と友達になれるのではないかと考えました。
『一人寂しく過ごさないで済むのであれば、僕は嫌いだった父のように振る舞おう』
そう決意して、赤鬼のフリードは山を降りて行くのでした。
本当は、心優しき赤鬼のフリード。
この物語には、それを止めてくれる友達がいなかったのです。
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「オイ!酒を出せ。飯もだ」
山を下り、人里に出たフリードは、つっかえながら、父が、家に帰って来た時の一言目を真似ました。
ちなみに、緊張のためにフリードの声はひっくり返っていましたが、それを気にする者はいませんでした。
村人達は大いに怯えます。
自分達より二回りは大きな巨躯。赤黒い肌に、着流しからはちきれんばかりの筋肉を見せ、自分達の頭を西瓜のように割ってしまえそうな金棒を持った鬼に、誰もが怯えて声を上げる事ができませんでした。
「お、おい、お前ら。早く言う通りにするんだ。決して逆らってはならねえぞ」
「へ、へえ」
そんな中、指示に従うよう声を上げたのは、まだ年若い村長でした。
村長は何代にも続きこの村を納める家系で、この山の守り神として語り継がれた鬼の怖さについて、よく教えられてきました。また、村長という立場の責任感から、いち早く声を上げる事ができたのです。
そして、村人たちが動き始めた事に誰よりほっとしたのは、赤鬼のフリードの方でした。
父は、酒と飯をすぐに準備しないとフリードを殴る鬼でした。それと同じようにしなければならないのかと思っていたフリードでしたが、何もしてない村人たちを、心優しいフリードは殴りたくなかったのです。
「おい、まだかぁ!」
慣れないあぐらをかいて待つフリードがまたもひっくり返った声を上げると、酒と飯が届けられました。
それは十分な量とは言えない物でしたが、村人達は数少ない鶏を絞め、精いっぱいの心尽くしを準備しました。酒も、次の祭で皆で飲む用にと取っておかれた酒の一部でした。
「うむ、うまい」
料理は薄味に感じられ、酒の良し悪しもわからないフリードでしたが、準備された料理に対しては、フリードは褒める事にしました。それも、父がそうしていたのを覚えていたからです。
母の教えにより、飯を残す事を許されていなかったフリードは、飯を全て平らげると、何も言わずそのまま山に戻りました。
フリードは心の中で、上手く行ったなぁと喜んでいましたが、村人たちはたまったものではありません。
また来るんじゃないかと恐れられる日々がはじまりました。
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5日が経ちました。
あろうことか、鬼のフリードは、気を良くして毎日山を降り、酒と飯を求めていました。
村人達はもう限界です。
これ以上鶏を絞めれば次の冬が困ります。また、酒も尽きかけていました。
村人達は口々に「村長が飯を出したから味を占められた」だの「戦うべきだった」だのを言い始めています。
村長は鬼の怖さを知っているため、絶対に戦ってはならないと言い続けていましたが、このままでは村の食べ物もなくなってしまう。
若い村長は自分を奮い立たせ、鬼と交渉する事を決めました。
戦っては殺される。だが村人達を守るのは俺の仕事だ!
村に伝わる懐刀を手に、酒を飲む鬼の下へ行きました。
「お、おお、お話がございます!」
村人達が見守る中、村長はフリードに話しかけました。
フリードは内心とてもドキドキしていました。なにせ、仲良くなりたかった人間に、5日経ってようやく話しかけられたのですから。
「なんだ」
それは威圧感たっぷりの言いようでした。フリードは、できるだけ父っぽくぶっきらぼうに話せるようにこの5日間の毎日の練習の成果が出た事にご満悦です。
つい、にやりと口角が上がってしまいます。
村の人間達は怯えました。
これまでは、ひっくり返ったような声で、何処か愛敬を感じるような喋りから一転、今日に限って威圧感たっぷりの声ではありませんか。
ああ、ものこの村はおしまいだ!全員殺されてしまう!皆がそう覚悟しましたが、決意を固めている村長は、話を続けました。
「もう、この村に食う物がねえんです。次の祭で皆で楽しみに飲むはずだった酒も、今日お出ししたので全部なんです。また来年、酒も飯も準備いたしますから、今年はこれ以上、何卒勘弁していただけねえでしょうか」
フリードは吃驚しました。
まさか自分が人間に迷惑をかけているなんて、つゆとも思っていなかったのです。
どんな風に父の真似をして返事をしようかばかり考えていたフリードは、パニックになってしまいました。
これ以上、何を言っていいかわからず、酒の入った瓶を掴んだまま、すごすごと山に戻って行きました。
その様子を見て、村人達は茶で祝杯を挙げ、若い村長を褒め称えました。
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(謝ろう)
フリードは一晩悩んでその結論を出したものの、村に行くのに酷く怯えていました。
強いていえば、合わせる顔がない。そんな、ひどく人間くさい悩みでした。
昨晩仕留めた熊も手土産として準備しました。
血抜きも丁寧に行い、これだけの量があれば、自分が食べた分くらいにはなるだろうとも思っていました。
ですが、身体が言う事を聞きません。
自分が父を嫌いだったように、村人にも嫌われているんじゃないだろうか。
その気持ちが、フリードの身体の動きを奪っていました。
村の近くまで熊を引きずって行ったものの、そこで腰かけて動けなくなりました。
そして、悩むあまりに、フリードはとある日課をこなせていない事にも気付いていませんでした。
そうです。
フリードが毎日続けていた仕事である、縄張りに入って来た魔物を追い返す仕事を、この日だけは、忘れてしまっていたのでした。
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「お、大猪だぁー!!大猪が出たぞぉー!!」
大猪と呼ばれた魔物は、忌々しい赤鬼がいつもなら現れる場所に現れなかった事に、とうとう自分がこの近在の長となったのだと思いました。
手始めに、いつも冬前になると沢山の食糧の匂いをため込んでいる麓の人里へと降りて来ました。
その巨体であるが故に、一度も腹いっぱいに飯を食うという事を経験した事のない大猪は、この近在の長となった暁には、まずこの場所で腹をいっぱいにしようと決めていました。
特に匂いが大きな倉の近くに向かうと、小さな人間が、これまた小さな刀を携えて立ちはだかり、なにかしらわめいていました。
よし、倉の作物と一緒に食ろうてやろう。
大猪は、夢を叶えるために、1歩踏み出しました。
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村長は絶望していました。
一難去ってまた一難。
鬼が去ったと思えば、次は大猪。
そして今度の敵は、話が通じるとは思えません。
握りしめた懐刀の、なんと心細い事か。
村を捨てて逃げればいいという考えは、浮かんできませんでした。
村人達の顔を思うと、生活を思うと、この村を守るんだという気持ちしか残っていませんでした。
昨日、鬼との交渉の時に、一度は死んだと思った命。
刺し違えてでも、大猪を追い払ってやる。
「来いやぁぁああ!!!!!!!」
村長は、ちっぽけな刀を握りしめてちっぽけな勇気と共に叫びました。
その時……。