天才剣士と見習い天使〜不幸だなんて言わせません!〜
「ふ、不幸だ……」
「いいから走ってください!今の貴方では到底歯がたちませんから!」
森の中をがむしゃらに走り回る俺たちの背後では、全身真っ黒の生き物が、大きな鎌を片手に首を引き裂いてやると言わんばかりに追いかけてきていた。
「何とかしてくれよ天使様!魔を打ち払う力を持ってるんだろう!?」
必死に叫んだものの、俺の真上を飛ぶ天使様はやけくそに叫び返した。
「そんなの無理ですよ!だって私、見習いですもん!仕方ないのです!」
「見習いであることをそんな堂々と白状すんじゃねぇ!」
頼りにならない天使様につくづく愛想が尽きるがそんなことより後ろの悪魔!背中を突き刺すような殺気は止まったら死ぬぞと言われているように感じられた。
「このままじゃ埒が明かねぇ!飛ぶぞ天使様!」
「ちょっ!私見習いですから、貴方を抱えて飛ぶことなんてうわぁぁぁあああ!!」
……え?
信じられない返事が返ってきたことに気がついたのも束の間。天使様の手を掴んでいた俺は、突如浮遊感に襲われた。それもそのはず、崖から飛び出したのだから!
「絶対許さねぇからなぁぁぁ!!」
果たして謎の化け物に向けたものか、それとも天使様に言ったのか。そんなことを考えている暇もなく、遠く離れた地面に向かって一直線に落ちていくのだった。
そして、走馬灯のように思い出す。
地上から遥か高く、天に最も近い村で俺は生まれた。その村では18歳になり大人になると、一人の天使様と共に地上へ降りることが許されるのである。
剣の才能に恵まれ、幼い頃から剣士としての道を歩んでいた俺は、更なる高みを目指すためにも、天使様とともに地上へと降りたのが数時間前。
「へぶっ!」
頭の中で駆け巡った記憶は、衝撃とともに遮断された。生い茂る木々にもみくちゃにされ、全身に軽傷を負いながらも何とか俺は崖の下まで落ちてこれたようだった。
「くっそ、不幸だ……。まぁでも生きているだけ儲けもんへぶっ!」
頭上からまたもや衝撃。目を回した天使様が降ってきたのだ。
「し、死ぬかと、おもいまひた……」
「それはこっちのセリフだ!」
罰当たりだと分かっていても、俺は堪らず天使様の頬を思いきり引っ張った。
「いててて!いたいでふ!」
「うるせぇ!まともに空も飛べないってどういう事だ天使様よ!」
「わ、私にはイリアという立派な名前がありますし!それに言ったでしょう、私は見習い天使なのです」
「あぁ確かに初めてあった時も言ってたな、知ってるよ。でもお前のへっぽこぶりは想像以上だ!」
今でも覚えている。イリアとともに村を出た際も、本来であれば天使様の背に乗って地上へ降りるはずなのだが、俺の場合はそんなこともなく真っ逆さまに落ちていったのは記憶に新しい。
まさかとは思っていたが……不幸だなぁ。
「それはそうとアベルさん。これからどうしましょう」
イリアは枝まみれになった長い銀の髪をわしゃわしゃと整えながら尋ねた。
「どうしましょう、って。俺は剣士として更なる高みをめざして降りてきたんだ。まずはこの森を抜けて、街に向かうさ」
大雑把にしか予定を決めてないため、実際のところ行き当たりばったりなのが現実だ。
「それで、天使様。あんたはどうすんだ」
「え?」
「正直剣の腕には自信があるし、ぶっちゃけあんたの力も必要無いのではと思って━━━━━」
ろくな戦力にもならないしな、と軽い気持ちで話していると、何だか涙目になっている天使様がこちらを見ていることに気がつく。
「う、うわぁぁぁぁん!!!」
「なっ……!」
イリアの透き通るような蒼い瞳からは、滝のように涙が流れていた。
「この恩知らず!私は貴方の生まれ持った不幸体質があまりにも可哀想だから、少しでも力になろうと思ってたのに!他の天使たちは貴方といると絶対にろくな事にならないからって近づくことすら嫌がってたから私がきたのに!」
酷い言われようだが否定はしない。不幸体質であるのも事実だ。現に見習い天使様が来ちゃったし。
「もういいですもん!貴方のことなんか知らないです。悪魔にボコボコにされちゃえばいいんですよ!」
子供のように泣き叫び言いたいだけ言葉をぶつけると、小さな翼を羽ばたかせイリアは森の奥へと姿を消していった。
「……悪魔?」
気になる言葉を残して去っていった天使様の姿はあっという間に見えなくなる。さすがに言い過ぎただろうか。そう後悔している時だった。
『ハハ、そいつぁこのオレのことだなァ!』
背筋が凍るような冷たい声が耳に届いた。直後、漆黒に包まれた生き物が俺の目の前に降り立つ。揺れる地面に体がよろめく。全身に鳥肌が立ち、本能が俺に危険だと告げる。
「お前、さっきの!」
熊のような巨体に、渦を巻いた2本のツノ。命を刈りとるような形をした禍々しい大鎌。間違いない、崖上で俺たちのことを追ってきていた化け物だ。
『オマエがオレの事を呼ぶからわざわざ飛び降りてきてやったぞ?』
「俺がお前を……まさか、悪魔!?」
『ご名答。なぁに驚いてんだ、天使がいりゃあ悪魔もいるに決まってんだろ?』
問答の間にも、目の前の悪魔は少しずつ俺の方へと近づいていた。反射的に俺は背負っていた1本の剣を手に取った、隙を見せると殺される。ぎらりと光る大鎌は、血を欲しているようにも見えた。
「……へっ。本当についてねぇなぁ」
『己の不幸を呪うか。安心しろ、せめて楽に殺してやる』
「なぁに言ってんだお前」
死の恐怖が全身を駆け巡る。しかし、俺は屈することなく足を踏み出した。
「ついてねぇのは、お前だ!!」
声を合図に戦いの火蓋があがる。
思い切り地面を蹴り、前へ飛び出した。
まずは右腕。初撃で大鎌を弾くと悪魔の体が微かに揺れる。すぐさま2本目の剣を取り出し、一振り。丸太のように大きな右腕を削ぎ落とす。
『グッ……小癪な!』
しかし、悪魔は止まらない。宙を舞う己の右腕を掴み取ると、その手に握られた大鎌ごと大きく振りかざした。空気を断ち切るような一撃。咄嗟に横へ飛ぶと、大木が真っ二つに引き裂かれていった。
「なんつー斬れ味だ。あんなの喰らったらひとたまりもないぞ」
休む暇はない。再び悪魔の元へと飛び出し、真正面から大鎌の一撃に立ち向かう。剣と大鎌の衝突。耳をつんざく金属音、身体中に響く衝撃。
『そっちこそ恐ろしい力だ!』
「そりゃあどう、も!」
しかし、力勝負に打ち勝ったのは俺の方だった。またも大鎌を弾き、体勢を崩した悪魔の喉元へ、渾身の力で剣を振り下ろす。
一閃。
肉を貫く感覚。散る鮮血が紅く辺りを染める。手応えは、たしかにあった。
しかし。
『まったく。恐ろしい人間が、いたものだ。あの天使がいたら、本当に危なかった』
右腕を削ぎ落とし、喉を貫いてもなおその悪魔は生きていた。
「この……!」
悪魔は笑い、俺の喉元を掴んだ。思うように息ができず、頭から血の気が引いていく。
このままだと、本当にまずい!
『ひひっ、人間にしちゃあよくやった方だが、残念だっ「とりゃぁぁぁぁ!!」
突然、何かが砲弾のように突撃してきて悪魔の体が大きく飛んだ。
「はぁ、はぁ……なんで、天使様が」
思うように息ができず、霞んだ声を振り絞るように出した。目の前には、ついさっき森の奥へと逃げていったはずのイリアの姿が。
「こちらからすごい音が聞こえてきたもので。まさかと思ってきてみたんです」
「そう、か。助かったぜ、天使様」
「いいえ、まだです。悪魔はまだ生きてますよ!」
イリアの視線の先では、片腕を失った悪魔が笑っていた。全身から放たれる殺気が一段と強くなっている。
次の一手で勝負が決まる。そう確信できた。
「いいですかアベルさん。悪魔を倒すためには天使たるこの私の力が必要不可欠です」
「魔を打ち払う力ってやつだろ。でもさっき、今の俺達じゃ適わないって」
「いいえ、今ならいけますよ!私たち天使は人間の信仰心によって力を増すんです!」
……つまり?
「ですから、アベルさんと私が、お互いのことを信じればいいんですよ!」
「俺が、あんたをか?」
「ええそうです。見習い天使ですけどね!」
イリアと話している間にも、悪魔はこちらににじり寄っている。衝突までもう時間はなかった。
一か八か、やるしかない。
剣を握る手に力を込める。足を大きく踏み込み、そして━━━━━━。
時が止まったように感ぜられた。
ぽたぽたと、赤黒い血が胸から落ちる。
悪魔の体が大きく揺れ、倒れた。
「はぁ、はぁ」
肩で大きく息を吸う。命を賭した戦いというのが初めてであったためか、疲労感が襲ってきた。地面に項垂れるようにして仰向けに体を倒すと、天使の輪っかと白銀の髪が視界に入る。
「やりましたね、アベルさん」
「あぁ、なんとかな」
ニカッと笑うイリアの顔は、幼さが残るものの屈託のない眩しさと美しさを持っていた。
「アベルさん。私、何をするのか決めたんですよ」
体を起こしイリアの方を見ると、彼女は何かを決心したような強い眼差しで俺を見ていた。
「私、一人前の立派な天使になってみせます!今はまだ見習いですけど、いつかは必ず!だから、もう二度と、貴方には不幸だなんて言わせませんから!」
俺は剣士としての更なる高みを目指すこと。イリアは一人前の立派な天使になることを。
俺たちは、この瞬間誓ったのだ。