世界かキミか、なんて言われても
魔王城の玉座には、自らの腹に剣を突き立てた幼馴染が座っていた。
魔王軍に攫われて4年、すっかり大きくなったがひと目で本人だとわかる容姿。
だがその目からは光が失われ、力を失い重力に従っている手足は、目の前の現実を嫌でも認識させられる。
「ミリア……なんで……なんで?」
茫然と、意味の無い言葉が一人でに零れる。
人々を不安にさせないために、完全無欠の勇者であろうとした。
そうやって実際に、魔王を殺して見せた。
お前が捜していた人間は玉座の間にいる、という奴の最期の言葉の通り、こうしてやってきた。
ようやく助けられる。そう思っていた。
その結末が、これなのか?
「……ふふ、どっきり大成功。アルフ君、びっくりした?」
そんな俺の嘆きを全く知らないかのように。
瞬間、彼女は玉座から立ち上がる。
己の腹に刺さった剣を引っこ抜いて。
目に光を取り戻したいたずらな笑みは、故郷で共にはしゃいで回っていたその時のままで。
「びっくりしたに、決まってんだろ」
涙が零れ出す。
何がどっきりだ。そんな事、なんの問題でもなかった。
ああ、そうだ。わかっていたんだ。
お前が死んでないのは、最初からわかっていた。
俺が驚いたのは、そんな理由じゃない。
本当の理由,それは――
「なんでお前、魔王になってんだよ……!」
俺の中で今も燃えている勇者の証。
そいつは、目の前の幼馴染を人類の敵だと知らせていたのだから。
勇者の証。
それは、常に世界で一人だけが所有者となる、魔王を殺す事が叶う異能の力だった。
寂れた農村のどこにでもいる子どもだった俺が選ばれたんだから、きっと基準なんて神の気まぐれでしかないんだろう。
そして、何日も経たずして魔王にそれを感知されたとか何とかで、村は襲撃を受け滅ぼされ、幼馴染のミリアは攫われた。
そこから俺が魔王に挑むまでは、街で流れの詩人が歌って聞かせている通りだ。
そして今、こうして魔王を討ち果たしここに立っている。
……でも、魔王はまだ死んでいなかったのだ。
魔王。地脈を枯らし、天災を引き起こす存在。
そして、5年で世界は破滅するという超規模の呪いをかけた、邪悪の王。
勇者の力を以て殺さねばたちどころに再生する、不滅の怪物。
残り1年。結構な余裕を持って倒せたはずのヤツは、死に際にその力の全てをただの村娘に引き継いだんだ。
魔王が感知して村を襲撃した理由は勇者の力を持つ俺だけだったのだろうか。
もしかしたら、ミリアは魔王の力を引き継ぐ器になる才能があって、それを確保するためだったのかも。
「ミリア、お前を殺さないと世界は滅ぶんだな」
「そうだよ、アルフ君にしか殺せない」
だが、この状況でそんな推測を進めるのは無駄に過ぎた。
魔王は勇者にしか殺せない。それは覆らない事実で、どうしようもないのだから。
「うん、だから―――」
「ああ、だから―――」
勇者と魔王。
どうして、こんな最悪な形で分かたれてしまったのだろうか。
でも、ここで出せる結論は、一緒のはずで。
ミリアも、考えている事は一緒だよね、と笑っていて。
俺とミリアは、同時に答えを口にする。
「―――アルフ君、私を殺して……世界を救って」
「―――ミリア、お前を守って……世界を滅ぼす」
……出した結論は、真逆だった。
「……えっ?」
「え?」
ミリアの想定外の言葉に、俺の想定外の言葉に、二人で同時に間の抜けた声を上げてしまう。
待ってくれ。今一番混乱しているのは俺だ。
「なんでだよ、ミリア……お前、あんなにも死にたくない、って言ってたのに……」
思わず、口を突いて言葉が出てしまう。
俺の知っているお前はそういうのじゃなかっただろう。そう言いたくなる。
「……私ね、すごくずるくて、悪い人間なの」
だから魔王の力がすんなり馴染んだのかな? と苦笑するミリア。
知っている。
戦争で親を失って、牛小屋の方がまだ立派だ、って本人も自嘲するような廃屋に住んでいた彼女。
頭と要領が良くて、死ぬ事に何より怯えていた彼女は、生きていくためにどんな卑怯な事もやったと言っていた。
それこそ口に出すのも憚られる悪事も。
「でも、そんな私に『死なねえよ、未来の勇者様が絶対助けてやる』って言ってくれた人がいたの」
まるで大事なものをしまい込むように組んだ手をきゅっと握るミリア。
……その言葉には、よく覚えがあった。顔から火が出そうなほどに。
彼女が故郷に残した日記に、とても嬉しそうにそれが書かれていた事を思い出してなおさら。
「……魔王軍には敵わずに、攫われちゃったけど。でも、もういいの」
「『何としてでも生きる』って私を、一人だけでも認めてくれたから。……その人が、こうやって助けに来てくれたから」
そうだ。
悪事? 別にそれでもいい、と言った。
生きたい、という願いがおかしいわけがないのだと思ったから。
「アルフ君。約束を守ってくれた、私の勇者様。君が笑って生きられる世界があるなら、そのためだったら、別に死んでもいいかなって」
花が開いたかのような、満面の笑み。
その言葉は本音なのかもしれない。いや、そうなのだろう。
ミリアは真面目な時には俺にウソをついた事なんてなかったから。
だけど、手も声も、体全体が震えてる。
当たり前だ。死が怖くない人間なんてそうはいない。
「アルフ君こそ、なんで? あんなに、世界を救う勇者になる、って意気込んでたのに」
そんな俺の目線と推察を誤魔化そうとするかのように、ミリアは理由を聞き返してくる。
……ああ、そうだ。聞くだけ聞いておいて、自分が答えないのは卑怯だ。
世界を救う場面に至った勇者様らしく、言うべきなのだろう。
「……俺さ、ホントは勇者になんてなれるような人間じゃないんだ」
自分は、勇者に相応しい人間なんかじゃなかったのだと。
いつもミリアには俺は勇者になるんだ、なんて嘯いていた。
俺が世界を救ってやるんだ、お前が悪い事しなくてもいい世界にしてやる、なんて大口を叩いていた。
でも、実際に勇者の証とやらが宿って、俺は怖くて仕方が無かったんだ。
命を懸けた戦いなんて、考えただけでも脚がすくんで。
逃げたくて逃げたくて、でも祭り上げられてしまってどうしようもなくて。
友達が、近所の人達が、親が、姫様が、王様が、勇猛果敢だと期待した。
選ばれし勇者様がまさかただの臆病者なんかじゃないよな、と期待と言う名の呪いをかけた。
でも。
「一人だけ『怖いなら一緒に逃げてしまおう』って、言ってくれた人がいたんだ」
そんな俺の本心を見抜いてくれた人が、いたんだ。
「大口叩きの臆病者だった俺を、たった一人だけが理解して肯定してくれた」
「『世界なんてどうでもいいから、滅びる最期の時まであなたには生きていて欲しい』って、そう言ってくれたんだ」
きっと、俺の本心が知られて叙事詩にでも描かれていたら、疑問に思うのだろう。
そんなヤツがなんで、勇者として立ち上がって魔王を倒す事ができたのか、なんてな。
「――世界なんて滅んでもいいって言ってくれる人のために、世界を救おうって思えた」
ああ、その答えは至極単純だ。
「だから今度は、そんな人に最後まで生きていてほしい。そのために世界が滅んでも、構わない」
ただの農民の俺に、騎士みたいな上流階級の作法なんてものはないけれど。
せめて彼女の前ではそうありたいと思って、その真似事で跪く。
「どうか、君の事を守らせてくれないか?」
世界が滅んでもいい。魔王に跪く。
笑えるほど無様で、聖教会や王国の偉いさんが見れば卒倒するような光景だろう。
でも、それが勇者なんかじゃない、ただの臆病者が全てを懸けて戦った理由なんだ。
「あ、あはは……」
茫然として、一瞬の間を置いた後でぼろぼろと涙を流しながら笑うミリア。
「ダメだよ、勇者なんだから世界を救わなきゃ」
振り絞るような声で、勇者として当たり前、を俺に要求してくる。
でも、お前らしくない。そんな理屈なら簡単に返す事ができるのだから。
「ダメだろ、魔王なんだから世界を滅ぼさないと」
俺は魔王らしい事をお前に要求するだけなんだから。
「……絶対に、私を殺させてみせるから!」
「……絶対に、世界を滅ぼさせてやる!」
世界を滅ぼす事を了承させたい勇者。
世界を救いたい魔王。
ただの幼馴染から、俺とミリアの関係は随分と変わってしまった。
きっとこれから待ち受けるのは、俺が魔王を打倒した冒険譚よりずっと困難な道だと思う。
たった今から、世界の全てが敵に回る。
俺がミリアを殺す意思が無いとわかれば、連中がやろうとする事は単純だ。
俺を殺して、勇者の証を別の人間に移させた後、そいつを探し出してミリアを殺させる。
させるものか。
たとえ世界が滅ぼうが、それだけはさせてなるものか。
ミリアは『約束を守ってくれた』なんて言っているけど、 あの時彼女と果たせなかった約束を、もう一度。
今度こそ、誰にも渡さない。絶対に守り抜いて見せる。
……今日から、君みたいに日記を書こうと思う。
これが、1日目。
元勇者と現魔王のとりとめもない日常を書き留めた最初の記載だ。
ああ、願わくば。
1年分のページが埋まったこの日記が、世界の破滅によって跡形も無く消滅する結末を迎えられますように。