第2話 彼女はなぜ「女帝」になったのか?
いちど死んだ僕は、親友の宇沢とともにゼミ室で時間を潰し、「シバの女王」について考える。
〈登場人物紹介〉
僕=西嶋無二。杜都大学文学部3年。読書好き。休日は部屋でひとりで過ごしたい。
宇沢=宇沢普義。杜都大学経済学部3年。イケメン。休日は体を動かしたい。
先輩=司馬朱理。杜都大学文学研究科博士後期課程1年。休日は研究したい。
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「シバの女王って知ってる?」
「うーん,ナブラチロワかな」
「……」
「『芝の帝王』ならロジャー・フェデラーだけど,女性でそこまでウィンブルドンに強い選手って,いない気がして。ちょっと待って。あ,ほら正解だ。優勝9回は歴代トップだって。『芝の女王』はマルチナ・ナブラチロワで決まり」
宇沢普義はスマホを操作しながら答えた。最後に,スマホの画面をこちらに向け,ナブラチロワの画像を見せてきた。
なんか強そうな東欧系のアスリートが写っていた。
宇沢は高校以来の僕の親友だ。経済学部3年で,金融工学を学んでいる。
残念ながら,芝の女王は知ってても,シバの女王は知らなかったらしい。
ロジャー・フェデラーは世界トップランカーのテニス選手で,世界四大大会の1つウィンブルドン選手権(全英オープン)で圧倒的な強さを誇ることから,伝統の芝コートにちなんで「芝の帝王」と呼ばれている。
ウィンブルドン選手権は,140年以上の歴史を誇る世界最古のテニス・トーナメントで,最も伝統と格式を誇る大会であり,主要な国際大会では唯一芝コートで行われる。コートに敷きつめられた,高さ8mm,5400万本の芝は,ウィンブルドンのグラウンドキーパーが2週間の大会のために1年かけて整備したものだ。そもそもウィンブルドンは,1877年,芝を手入れするための pony roller(馬に引かせるローラー)が壊れ,その修理費を集めるために開かれたのが起源とされる。芝コートはウィンブルドンのアイデンティティの核を占めているのだ。芝コートはクレーコートやハードコートに比べ,ボールのバウンドは低く,予測できない方向に飛ぶ。選手は普段よりもすばやくボールに反応しなければならない。
そんなウィンブルドンで100勝以上したフェデラーは本当に強いと思う。
でも,フェデラーの優勝回数が8回なのに対してナブラチロワは9回で,男女問わず歴代最多。勝利数もフェデラー101勝に対してナブラチロワ120勝とこちらも歴代最多を誇る(2020年3月現在)。ナブラチロワこそ「芝の帝王」じゃないかと思う(1)。
【筆者注】
(1) ナブラチロワはチェコ出身の名選手。1975年,アメリカに亡命。女子シングルス優勝回数は167,女子ダブルス優勝回数は177で,どちらも歴代1位。グランドスラム女子シングルス優勝回数は計18回で,こちらは歴代4位。史上最高のテニスプレイヤーと言っていい。名言は「勝敗は大切ではない、という言葉を使いたがるのは敗者だ」。
ここは東洋史のゼミ室。
昨夜は宇沢のアパートで映画を見て,そのまま泊まり,一緒に朝食をとったあと,講義まで時間があるということで,二人で東洋史のゼミ室に来た。大きなワークテーブルの端に,向かいあって座り,コンビニで買ってきたコーヒーを飲む。
宇沢は窓の外を眺め,僕は手元の本に視線を落としていた。ニコラス・クラップ著『シバの女王』(紀伊国屋書店)だ。
で,さっきの会話になった。
僕は「その『シバの女王』じゃない」と言って,持っていた本の表紙を宇沢に見せた。
「知らないなあ。なんか氷と関係ある? 雪の女王的な。召喚獣を思い出した」
「関係はない。たぶん」
シバの女王は,旧約聖書に出てくる人物で,本名はビルキース,バルアマ,マケダ,ニカウリス,シビラなど,諸説ある。シバは国名だけど,旧約聖書以外に「シバの女王」に触れた文献がないので,正確な位置はわかっていない。聖書の記述を素直に読めば,北アラビアになるはずとのこと。ただし1世紀の歴史家フラウィウス・ヨセフスは『ユダヤ古代誌』の中で,彼女を「エジプトとエチオピアの女王」と書いている。またクラップ氏は南アラビア説だ。いずれにせよ,イメージは雪の女王というより砂漠の女王だ。
列王記によれば,シバの女王は古代イスラエルの王ソロモンの名声を聞き,その叡智を試すためにわざわざイェルサレムを訪問した。そして用意してきた難問をぶつけたが,ソロモンはすべてに答えてみせた。女王はソロモンの叡智と富に圧倒され,気力も萎え果てて,こう言った。
“わたしが国で,あなたの御事績とあなたのお知恵について聞いていたことは,本当のことでした。わたしは,ここに来て,自分の目で見るまでは,そのことを信じてはいませんでした。しかし,わたしに知らされていたことはその半分にも及ばず,お知恵と富はうわさに聞いていたことをはるかに超えています。あなたの臣民はなんと幸せなことでしょう。”(ニコラス・クラップ著『シバの女王』紀伊国屋書店)
女王はソロモンに金,宝石,それに莫大な香料を献上し,一方,ソロモンも女王が望むがままに返礼品を与え,女王とその一行は故郷へ帰っていった。
ちなみに,このときシバの女王はソロモンの子を身ごもっており(他国の女王に対してなんてことをしてるんだ,ソロモン),それがエチオピアのアクスム王国の初代王メネリク1世となったという。モーセの十戒を納めた「聖櫃」は,ネブカドネザル1世がイェルサレムを攻略したとき,混乱の中で失われたとされていたが,実はメネリク1世が密かに持ち出しており,今もエチオピア北部の町アクスムにある,シオンの聖マリア教会に隣接する礼拝堂に安置されているそうだ(2)。
【筆者注】
(2)「聖櫃」は,モーセが神ヤハウェに授けられた十戒を刻んだ石版(2枚)を納めるために作った箱。縦120cm,横60cm,高さ60cm。重さ数百kg。材料はアカシアで,表面は金で覆われている。箱の上には純金製の天使が2体,向かい合わせで取り付けられた。東京都台東区で開かれる「鳥越祭」の御神輿が4tなので,けっこう軽め。4人もいれば,十分に持てる。聖櫃は通信機器でもあり,神からメッセージが届くと,聖櫃の上に雲が現れて知らせた。また聖櫃は兵器でもあり,難攻不落の代名詞として有名な「エリコの壁」(パレスチナ東部の街エリコの市壁)を崩壊させた。といっても聖櫃を担いで7日間城壁の周囲を回り,角笛を吹く必要があるので,意外に手間はかかる。ちなみに,発掘調査で「エリコの市壁」が崩壊したあとは見つかったが,原因は「聖櫃」ではなく地震だと推定されている。
「で,それがどうかしたの?」
僕が簡単にシバの女王の説明をすると,宇沢は怪訝そうな顔をした。あの「失われた聖櫃」(3)がエチオピアに現存する,という情報にもうちょっと食いついてほしかったけど,うまく刺さらなかったらしい。
「うん。ドクター1年に司馬さんという先輩がいて,いまは『女帝』と呼ばれているんだけど,最初は『シバの女王』と呼ばれてたんだって」
「何それ。女王様っぽいの?」
「そう。飲むと,より女王様度が上がるらしい。まだ見たことはないけど」
「何それ。すごく見てみたい」
【筆者注】
(3)「失われた聖櫃は,ハリソン・フォードの数多い代表作の1つ,インディ・ジョーンズ・シリーズの記念すべき第一作「レイダース」の副題。フォード演じる考古学者インディ・ジョーンズとナチスとが「失われた聖櫃」をめぐって大冒険をくりひろげる。多くの少年がこの映画でナチス=悪と刷りこまれ,そのうち何割かはその暗黒面に魅かれることになる。
「わたし,そんなにスネ毛長いかな。肌も褐色じゃないし」
窓際に司馬朱理が立っていた。
司馬の顔は冷たい。愛想がない。というか,表情がない。表情筋が壊れているかと思ったほどだ。目は細く,ややつり目気味で,まつ毛が長い。いつも本を読んでいるか,ノートにメモを取っているか,あるいは,その両方をしているので,伏し目がちなところばかりを目にするが,真正面から見つめられると,茶色がかった瞳が意外に大きくて驚く。
鼻は細くて,鼻の穴が小さい。小指でもほじれないのじゃないかと僕は疑っている。
唇は薄く,口角は少し下がり気味で,一の字に近いへの字口だ。
まちがいなく「シバの女王」と名づけた人は,ソロモンと知恵比べした褐色の美女王ではなく,氷属性の召喚獣シヴァのイメージを思い浮かべていたのだと思う。あるいは,ヒンドゥー教の破壊神シヴァか。
「いつからそこにいたんですか?」
「少なくとも昨日から」
「またゼミ室に泊まったんですか?」
「うん。で,そっちのイケメンくんは誰?」
司馬はどうやら窓際の書棚の陰に寝袋を敷いていたらしい。僕たちからは死角だった。シュシュで髪を束ねながら,よろよろとこっちに近づいてくる。
「あ,宇沢普義と言います。西嶋の友人で,あの,お邪魔しています。いらっしゃると気づかず,騒いでしまってすみません」
宇沢はわざわざ立ち上がって挨拶をした。頭まで下げている。
「いいよ。そんなにうるさくなかったし。座って」
司馬はそう言って宇沢の隣に座り,テーブルの上からメガネを探し出してかけた。
「何学部?」
「経済学部です」
「ふーん。研究テーマは?」
この人,初対面の人には必ず研究テーマをたずねるんだ,と思った。宇沢,気をつけろ。変なことを答えると,ののしられるぞ。
一生懸命テレパシーを送ったが,届いたかどうかは不明だ。
「まだ決まってません」
「そう」
司馬の反応は淡白だ。それが正解だったのか。
まだ決まってないの? あなた,何しに大学来てるの? 2年間何をしていたの? とか言うと思ったのに。イケメンには優しいのか。
「ところで,ムニくん,お湯はある?」
「あ,用意してません」
電気ポットにお湯は入っているかという確認だ。ゼミ室を最後に出る人間が電源を切り,最初に来た人間が水を新しくして電源を入れることになっている。
すっかり忘れていた。
でも,司馬が僕より前にゼミ室にいた以上,お湯の用意は彼女の仕事だ。
「じゃあ,用意して」司馬が冷たく命じる。
「なんで。それは,最初に来た人の仕事じゃ……」理不尽だ。
「だから,ムニくんの仕事でしょ。ゼミ室に最初に来た人間だから。私はずっとゼミ室にいて,出てもいないし来たわけでもないから,私の仕事じゃない。ちなみに,トイレには出たはずだ,みたいな下らない反論は却下。早くして」
このセリフを無表情のまま言い切るから恐ろしい。
嫌々立ち上がる。
「うわさの女王様ぶりが見れて光栄です」宇沢が顔を輝かして言う。
「そう? 今度たっぷり見せてあげる」司馬が顔をぐっと近づける。
「断っとけ,フギ。後悔するぞ」
「ムニくんにも,まだ見せたことないでしょ。新しい扉が開くかもよ」
「僕は開きたくありません」
「俺は開いてもいいかなあ」
「開かずに後悔するくらいなら,開いて後悔したほうがいいもんね」司馬がつづける。
「僕は,開いて後悔するくらいなら開かずに後悔したほうがマシだと思います。というか,開かずに後悔する可能性はまずありません」
僕はお湯の用意を終えて自分の席に戻った。
「どうかな」司馬がからかう。後悔するほうに1000ウォンと加える。
「俺,ムニはMだと思う」宇沢が同調する。
「やっぱりねー。友人の宇沢くんが言うならまちがいない」
「顔がすでにMですよね」
「うん。だれもが奥底に秘めるS心をくすぐるよね,あの顔」
「ですよね。ずっと思ってました。イジワルしたくなるって」
「ずっと思ってたのか! そういうことは教えろよ。というか,そこ,なんでいきなり仲良くなってんの?」
イケメンだからか。
「なんか,宇沢くんとは気が合うかも」司馬が隣の宇沢を見つめる。
「じゃあ,今晩,飲みに行きますか?」勢いで宇沢が誘った。
「それは無理」
秒で断る。
「スネ毛の処理してないし」
司馬が唇の片側をわずかに上げて微笑んだ。
昨日から泊まってるなら,少なくとも1日分は成長しているわけか。リアルに想像して,ちょっとムズムズした。
イスラームの伝承では,シバの女王ビルキースは悪霊ジンと人間のハーフで,脚は毛深かった。ソロモンはそのうわさを聞いて,わざわざ館の一角をガラス張りの床に改造し,その下に水をためて魚を泳がせ,池に見せかけた。シバの女王はまんまとこの計略にはまり,その池を渡ろうとして服の裾を持ち上げ,毛深い足をさらしてしまった。ソロモンはその足を見るや「待たれい! これは床だ」と白状し,悪霊ジンに命じて消石灰と灰を混ぜて脱毛剤を作り,その厄介な毛を取り除かせた。シバの女王はそこで「私はソロモンとともに万有の主に服従,帰依いたします」と,脱毛をきっかけに信仰告白をした(4)。
【筆者注】
(4) 信仰告白とは,イスラーム教の六信五行の1つ。信仰告白,礼拝,喜捨,断食,巡礼の5つが「五行」(アルカーン)。信仰告白とは,「アッラーのほかに神はなし」「ムハンマドは預言者なり」と公言すること。信徒はイスラームであることを隠してはいけない。シバの女王の言葉に「万有の主に服従,帰依いたします」とあるのは,彼女がそれまでの信仰を捨ててイスラームになったことを指す。ちなみに,ユダヤ教徒のソロモンがイスラームの神に服従・帰依している点に違和感があったりするが,ユダヤ教もキリスト教もイスラーム教も,信仰している神は同じだ。
シバの女王といえば,褐色の美女として描かれることが多い。足は毛深く,イスラームではロバの足,キリスト教ではガチョウの足をしている。前者では蹄,後者では水かきが付いているわけだ。
スネ毛無処理宣言に絶句した僕らを見て,なぜか司馬は満足そうだ。
「この謎に答えられたら,飲みの話,考えてもいいよ」
司馬が立ち上がり,インスタントコーヒーを作って戻ってきた。
「第1問」
──地から湧くのでも天から降るのでもない水は何?
「井戸水でも雨でもない水ってことですよね。じゃあ,海か川」
なかなか鋭い答えを宇沢が言う。
「残念。正解は馬の汗」
「えー」
「第2問」
──その頭を嵐が駆け抜け
それは身も世もなく泣きわめく
自由な者はそれを誉め
貧しき者はそれを恥じ
死せる者はそれを尊ぶ
鳥は喜び
魚は嘆く
「それ,問題ですか」
「もちろん。シンキングタイムは5秒。5,4,3……」
「さっぱりわかりません」
「残念。正解は亜麻。草だから風になびくでしょ。それに亜麻は貧者の服の材料で,屍衣にも使われた。鳥は亜麻のタネをエサにするし,魚は亜麻の漁網に捕らわれる。なぜ自由な者が誉めるかは謎だけど」
これがシバの女王がソロモンにつきつけた難問よ,と司馬は付け加えた。宇沢くん,残念ながらソロモン以下ね,とも。そりゃそうだ。
というか,難問というより,なぞなぞだと思う。
「そんなことより研究テーマは決まった?」
マグカップを両手で包みながら司馬が僕に聞く。
宇沢は講義の時間が来たということで,ゼミ室を後にしていた。よほど司馬を気に入ったらしく,また遊びに来ます! と言い残していった。笑顔で手を振りながら去っていく姿が可愛かった。司馬も,あの子,やたら可愛いねと感想を漏らしていた。
「さっぱり」正直に答える。
「研究する気あるの?」
「研究テーマって何だろうと悩みはじめたら,なんかよくわからなくなって。とりあえず三日連続で映画見てます」
「そこの『集刊東洋学』とか『東北文史哲学報』を見て参考にした?」
「しました」
「してもわからないなら,もう詰んでるでしょ。自主退学したら?」
あいかわらず口が悪い。
さすが,東洋史学界のパウリと呼ばれているだけはある。
パウリ(1900~58)はオーストリア出身の物理学者で,パウリの排他率やニュートリノの発見,それに「パウリ効果」で知られている。
パウリ効果とは,物理学ジョークの1つで,不器用な彼がやたらと実験機材を壊したことから,パウリが装置に触れただけで壊れた,パウリが近づいただけで機材が壊れた,という伝説が生まれたもの。助手のパイエルスによれば,パウリが入室しただけで装置が故障したりガラス機器が壊れたりした記録が多く残っているという。同僚のニールス・ボーア(超スゴい物理学者)は大喜びで実験の失敗をすべてパウリのせいにし,友人のオットー・シュテルン(ものスゴい物理学者)はパウリを実験室に入れようとしなかった。パウリ自身がパウリ効果を認めていたのが面白い。
こんなエピソードもある。
“ゲッティンゲンの研究所で,実験中,原因もなく装置が爆発した。研究員はさっそくパウリを疑ったが,当日パウリは不在だった。しかし調べてみると,その日,パウリはチューリヒ発コペンハーゲン行きの列車に乗っており,ちょうど爆発のあった時間に,その列車がゲッティンゲンで停車中だったことが明らかになった。”(ピアーズ・ビゾニー著『ATOM 原子の正体に迫った伝説の科学者たち』近代科学社)
“ある歓迎会でのこと。いたずらでパウリ効果が起きたように見せかけるため,パウリが会場に到着したときにシャンデリアが落下するよう,手のこんだ仕掛けをあらかじめ作っておいた。しかし,いざパウリが到着すると,シャンデリアはびくともしなかった。その仕掛け自体が壊れて作動しなくなったからだ。”(ウィリアム・H・クロッパー著『物理学者天才列伝(下)』講談社ブルーバックス)
でも,司馬がパウリと呼ばれているのは機械を故障させるからではない。
口が悪いからだ。
パウリは毒舌でも有名で,いつでも辛辣なコメントを連発した。どんなに出来のよい論文に対しても何かしらまちがっていると指摘し,若手の研究者の出来損ないの論文には「これはまちがってさえいない」という有名な言葉をつきつけ,質が高くない論文を数多く発表する研究者には「ゆっくり考えるぶんにはかまわないが,考えられる以上のスピードで研究を発表するのはやめろ」と苦言を呈した。ドイツのハイゼンベルク(すごくスゴい物理学者)に「完全なバカだ」「おまえは古典物理学について無知だから,あんなバカげた研究ができたんだ」(なんと褒め言葉)と言ってのけ,ロシアのランダウ(とてもスゴい物理学者)を「君の言葉は支離滅裂すぎて,どこが意味不明で,どこが意味不明でないかすらわからない」と罵ったりした。
でも,パウリは人から嫌われることはなかった。その欠陥を見つける才能のおかげで,多くの物理学者が不完全な研究発表をする失態を犯さずに済んだからだ。ボーアは,パウリが不在のときも,周りの同僚に「パウリならどう思うだろうか」と質問していた。パウリが認めるなら,その研究は「完全」なのだ。ちなみに,パウリ,ボーア,シュテルン,ハイゼンベルク,ランダウは全員ノーベル物理学賞受賞者だ。
司馬朱理も学部3年生のとき,春の研究テーマ発表会の席で「それを証明する資料は出てきたんですか」「それが明らかになったところで,何か意味はあるんですか」「先行研究がないのは研究する価値がそもそもないからですよね。なぜ,それをテーマとして選んだんですか」「すみません。さっきから言っていることが矛盾してます」「それを裏づける資料がレジュメに見当たらないんですが,どこにありますか」「質問に端的に答えてください」と,先輩方に対して次々辛辣な質問・コメントを連発して周囲を唖然とさせた。
ただ発言がことごとく正しく的を射たものだったので,発表者も聴衆も,うなることしかできなかった。指導教官たちからすれば,学生を気づかって指摘しづらいことを司馬がづけづけと言ってのけるので,大いにありがたい存在だった。その場にいた浅田教授はさっそく司馬を大学院に進学するよう誘い,その日から院生と同じように扱いはじめた。
驚くことに,はじめての学会でも勢いは止まらなかった。相手が大学の助教授だろうが,博士課程の院生だろうが,容赦しなかった。学術論文になる前,学会発表の段階では不備がいくらか残っているのはしかたないが,司馬はその不備をことごとく見抜き,相手が「今後の課題とします」と逃げ口上を持ち出すまで一歩も引かなかった。彼女が「この発表は論証としてはまちがっていない」と認めて沈黙したのは,寺崎定信名誉教授(中国近世史の巨人)の講演だけだった。そもそも質疑応答の時間自体がなかったけど。学生時代のパウリが,当時すでに物理学のチャンピオンだったアインシュタインの講義を聞いて「おい,あのアインシュタインってやつのアイデアにはバカげてないものもあるぞ」と言ってのけたのと似ている。
この学会を経て彼女の威名は宮城県を超えて東北・北海道に広がった。
そうしていま,司馬朱理は「女帝」として研究室に君臨しているのだ。
【参考文献】
ニコラス・クラップ著『シバの女王』(紀伊国屋書店)伝説の広がりに感動
ピアーズ・ビゾニー著『ATOM 原子の正体に迫った伝説の科学者たち』(近代科学社)文系でも興奮必至
ウィリアム・H・クロッパー著『物理学者天才列伝(上)(下)』(講談社ブルーバックス)前掲『ATOM』が面白いならこれも
ダニエル・スミス著『絶対に見られない世界の秘宝99』(ナショナルジオグラフィック)確かに見られない
ほとんどパウリの紹介をしたくて書いた話。「シバの女王」はもちろん「司馬の女王」にかけたもの。ちなみに「司馬」の名前の由来は「司馬遷」「司馬光」のW司馬。中国史好きで知らぬものはいない歴史家のスーパーヒーローだ。
どのゼミにもおおむね毒舌キャラはいるもので、ズケズケと人の研究の穴を探してはしつこく突いてくる。
「『史記』に書かれていることは事実なんですね?」
「はい。僕はそう思います」
「それでは、『史記』の商君列伝に商鞅と孝公のやりとりが記録されているんですが、これは史官が同席して言葉を逐一記録したものを司馬遷が採録したとお考えなんですね?」
「……は、はい。確証はありませんが」
「確証はないのに、『史記』の記録は事実だと信じているんですか?」
「はい」
「そうですかー。その記録は商鞅と同時代に作られたもので、司馬遷の時代までずっと残されていたとお考えなんですね?」
「えーと、『史記』以外に信頼できる記録が残されていないので、研究するためにはど……」
「そんなことは聞いていません。質問に答えてください」
といった感じ。
『史記』なんて嘘ばかりじゃないかと思うけど、甲骨文や金文のような考古資料のおかげで、思ったより正確だとわかった。でも、だからといって『史記』の記述をそのまま史実と考えるのはまちがいだ。そんな風に『史記』を扱うのは、歴史研究とはどういう営みかについて学びはじめたばかりの学部生くらい。まして『史記』の訳本を引用するなんて、大学をやめてしまえと言われてもおかしくない暴挙だ(というか実際に言われた)。とはいえ、『史記』は必ずしも史実ではないという真実を告げる勇気はなかなかもてないものだ。それを堂々と突ける毒舌キャラはとても貴重である(パウリとちがって確実に嫌われるのが難点)。