第11話 クイズなんて頭脳のむだづかい(2)
いつものように、学食で時間をつぶすムニとフギの二人組。今日はクイズ遊びに興じている。そんな二人に女帝司馬が水をさす。「クイズって、頭脳のむだづかいだと思わない?」
人気クイズ番組「東大王」「頭脳王」をネタにした話です(2話/全3話)
「ねえ,ムニくん,頭がいい人ってどんな人?」
カレーを食べ終えた司馬が切り出した。
頬杖をつき,至近距離から僕を見つめる。口の端がわずかにカレーで染まっているのは内緒だ。
「知識が豊富な人でもいいんですが,僕が『この人,頭がいいな』と思うのは『洞察力がある人』です」けっこうマジメに答えた。
「フギくんは?」
「フォン・ノイマン」即答する。
フォン・ノイマンは天才の代名詞みたいな人物だ。
1903年,ブダペストの裕福なユダヤ系銀行家の家に生まれる。とても早熟で,6歳のときには父親と古代ギリシア語で冗談を言い合っていた。抜群の記憶力の持ち主でもあり,両親が友人を招いたディナーでは,電話帳を瞬時に暗記する芸を披露した。客が電話帳をテキトーに開いて縦の列を指定し,少年フォン・ノイマンが数回読んで返す。それから客の挙げる人物の電話番号を答えたり,名前・住所・電話番号を順に暗唱したりしてみせた。また百科事典タイプのオンケン『世界史全集』全44巻を1冊また1冊と読破し,歴史上の出来事と現在の出来事の共通点を見つけたり,それらを軍事戦略や政治戦略の理論と結びつけて論じたりした。フォン・ノイマンが10歳のころの話である。
ノイマン型コンピュータ,セル・オートマトン,ゲーム理論(「囚人のジレンマ」で有名),モンテカルロ法,そして原子力爆弾……。その業績は,数学,物理学,コンピュータ科学,経済学など,多岐にわたる(文系にとっては,フォン・ノイマンって,いまのパソコンとか「囚人のジレンマ」とか原爆つくった人だってよ,で限界。数学基礎論や量子力学方面の業績,たとえば,フォン・ノイマン・エントロピーとかヒルベルト空間論になると,意味不明すぎて知ったかぶりすらできない)。僕たちが使っているコンピュータは基本的にノイマン型コンピュータであり,交流電気の発明者ニコラ・テスラとともに現代文明の礎を築いた人と言ってもいい。
フォン・ノイマンもテスラも日本であまり知られていないのは残念だ。
「フギくんにとって天才って,フォン・ノイマンなんだ。原爆を開発したうえ,歴史的・文化的に重要だという理由で京都に落とすよう進言したのに?」
「むしろ,だからこそです」
「『明日ソ連を爆撃しようと言うなら,私は今日にしようと言うし,今日の5時だと言うなら,どうして1時にしないのかと言いたい』と言ったのに?」
フォン・ノイマンは,政治的には超がつくタカ派で知られている。
「むしろ,だからこそです」宇沢はひるまない。
「当時は冷戦の真っ最中で,やがてソ連とアメリカのどちらかが世界の支配者になると本気で信じられていました。社会主義のソ連と自由主義のアメリカ,どちらが世界の支配者にふさわしいか? ハンガリー出身のフォン・ノイマンは,ベラ・クン革命政権の被害者で,社会主義政権が革命の美名のもと何をしでかすかを体験しているから,当然,アメリカのほうが世界の支配者にふさわしいと考えていました。で,それを実現するためには,核による即時先制攻撃でソ連を灰にするのがもっとも合理的だと考えたわけです。この科学者らしい冷徹さ。俺だったら,ロシアにただ住んでいるというだけで核の犠牲になる人々の無残な死を想像して,そんな発言はできません。でも,さすがノイマン。おれたちにできない事を平然とやってのけるッ。そこにシビれる! あこがれるゥ!」
初期ジョジョの名ゼリフが飛び出た。
フォン・ノイマンの言葉だけを聞けば,「韓国・中国には一歩も引かねー、徹底的にやってやんよ。まずは憲法改正して核武装だ,核武装!」と過激な発言をしては息巻いている,そこらの中高生と同レベルに思える。
でも宇沢はそうではないと思っている。
僕には,どこがちがうのかわからない。
「クイズって,頭脳のむだづかいだと思わない?」
司馬が暴言を吐く。
まったく思わない。
クイズは頭脳スポーツであり,ハイレベルなクイズプレイヤーは頭脳アスリートである。プロスポーツを見て「筋肉のむだづかい」と思わないのと同じだ。僕たちは,メッシのプレーに魅了されるように,クイズ王たちのプレーに魅了される。
「思いません」僕&宇沢が秒で断言する。
「たとえば,フォン・ノイマンがクイズにどハマりして,ブダペストの電話帳やオンケンの世界史全集だけでなく,ありとあらゆる百科事典を丸暗記してたら,クイズの達人は生まれるけど,コンピュータもゲーム理論も原爆も生まれなかったことになるでしょ?」
丸暗記してたら,ではなく,おそらくフォン・ノイマンは丸暗記していた。
ハーマン・ゴールドスタインによれば,「私の知るかぎりでは,フォン・ノイマンは本や記事を一度読めば,一言一句たがわずそのまま引用することができた。それだけでなく,何年後でも瞬時に同じことをすることができた」「あるとき,フォン・ノイマンの能力を試してみようと,『二都物語』の冒頭の部分を言ってみてくれと頼んだところ,一瞬もためらうことなく即座に第1章を暗唱しはじめ、もういいと言うまで10分か15分間暗唱し続けた」とのことだ。百科事典の丸暗記くらいしてそうだ。
少なくともフォン・ノイマンはギボンの『ローマ帝国衰亡史』をはじめ,ケンブリッジから出ている『古代史』や『中世史』のセットに至るまで,百科事典形式の歴史書はたいてい読み尽くしていたという。歴史についての彼の知識は,専門家のものと少なくとも同程度だった。つまり僕たちが束になってかかっても,歴史の知識で数学者・物理学者のフォン・ノイマンの足下にも及ばないというわけだ。
というか,原爆が生まれないなら,それに越したことはなかったと思う。
司馬がつづけた。
「つまりね。クイズ王はインプットした情報をアウトプットしているだけであって,新しい知見を創り出さない。そこに創造はないの。いまやグーグル先生に聞けば,なんでも秒で答えてくれるわけでしょ。そもそも自分の脳に情報を蓄積する必要さえない。『青木まりこ現象』なんて言葉を覚えて,何かの役に立つ日が来る?」
青木まりこ現象とは,書店にいると猛烈な便意が急襲してくるという謎の現象を指す言葉だ。
問題は,100回書店に運んだうち何回便意をもよおすかだ。100回中100回なら,研究する価値がある。65回でもだ。ちゃんとした調査はされているのだろうか。
人は「青木まりこ現象」という言葉を聞いたとき,反証(便意をもよおさなかった経験)ではなく,確証(書店で便意をもよおした経験)を探しはじめる。そのとき,確証がいくつか見つかると,便意をもよおさなかった残り94回の経験を無視してしまう。その結果,自分にも「青木まりこ現象」が起きたと証言するのだ。
占いが当たるメカニズムと同じだ。
人は,反証ではなく確証を求める。
「優秀な頭脳は創造に役立てなければならない。用意された答えを瞬時に出すのなら,人工知能にやらせればいい。IBMのワトソンにできる程度のことなら,人間はしなくていい。答えがない問題に答えを出すのが人間の仕事じゃないの? 片手間ならまだしも,クイズだけに集中するのだとしたら,頭脳のむだづかいね」
司馬が言い切った。
ワトソンは,2011年2月16日に人気クイズ番組『ジョパディ』で人間のチャンピオンを叩きのめして優勝した人工知能だ。『ジョパディ』は,まずボードに問題が出て,司会がその問題を読み上げてから,解答者がブザーを押す。ワトソンは2880個のコアが実現するモンスター級の処理能力を使い,この問い読みの間に問題を分析し,膨大なデータベースから答えを導き出す。僕らがグーグル先生に答えを聞く作業をまさにマイクロ秒単位でやっている感じだ。
でも,だからこそ,ワトソンは早押し問題でクイズ王に勝つことはできない。
ワトソンは「イスラエルのモシェ・ダヤンのトレードマークとなった顔につけるものとは何?」の「モシェ・ダヤン」が人名なのか地名なのか区別できない。膨大なデータベースと照合して人名と判断し,そのあとモシェ・ダヤンの外見に関する記事を探す。探しても探しても中東戦争の記事ばかり。で,ようやく「眼帯」にたどりつく。
一方,僕たちはダヤンが人名で(ユダヤ人の名前にはなじみがないけど人名っぽいし,「顔につけるもの」から人間だとわかる),「顔につけるもの」がメガネではないことも予想がつく(「メガネ」程度ではよほど個性的なものでないかぎり,トレードマークにならない)。中東戦争の英雄ダヤンについて1mmも知らなくても「眼帯」まではあとちょっとだ。ワトソンには「映画『戦艦ポ/」でボタンを押し,数秒以内に「モンタージュ」と答えるような芸当はできない(ちなみに問題は「映画『戦艦ポチョムキン』などで用いられた,複数のカットを組み合わせて場面を繋ぐ映像編集の技法とは何か」で,文蔵高校の笹島くんは「戦艦ポ/」でボタンを押し,見事正解した)。
クイズ王がワトソンに勝てるとしても,創造性がないのは司馬の言うとおりだ。問題の解決や学問の発展や技術の開発には何の役にも立たない。つまりクイズ王は人類の歴史に何の恩恵も与えない。
クイズ王は,学問の世界にいらない。
クイズは,あくまで補助的な技能だ。
クイズ好きとしてはなんかくやしい。




