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歴史家は決して笑わない  作者: 伊武春人
第1章 「女帝」司馬朱理との遭遇──研究についての僕の誤解
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第1話 あなたの研究テーマは何?

春,3年生になった「僕」は念願の東洋史ゼミに所属する。そこで、僕はいちど死ぬことになる。

〈登場人物紹介〉

僕=西嶋無二(むに)。杜都大学文学部3年。1,2度会った程度では顔を覚えてもらえないほど地味顔。

先輩=杜都大学文学研究科博士後期課程1年。まともな食事をとっているのかと心配されるほど細い。


────────────────────────

    


 ──これは,僕が真の文系人間として再生するまでの物語である。




 この日,僕,西嶋無二ははじめて東洋史ゼミのドアを叩いた。

 意気揚々と,だ。ノックの音もさぞかし弾んでいたと思う。今年からようやく中国史の研究ができるというのだから,しかたがない。

 宮城県仙台市杜都(とうと)大学。

 青葉山のふもと,仙台城二の丸跡に隣接した川内南キャンパスに文学部棟はある。東洋史ゼミの研究室はその中だ。

 

 自分で言うのは恥ずかしいけれど,僕は読書家だ。

 趣味は読書と堂々と言える。年間の読書量は約300冊。いちばん読んだのは高校2年の1年間で,400冊を超えた。平日は図書館に通い,土曜日は古本屋をめぐる。休日にはだいたい4〜5冊は読了する。どハマりしたのは歴史物で,中公文庫『世界の歴史』や講談社学術文庫『興亡の世界史』は全巻3周した。河出文庫『世界の歴史』もお気に入りだ。いずれも世界史好きならだれでも知っている名シリーズである。中でも中国史に愛着があり,専攻選択では,迷わず東洋史を選んだ。

 想像は膨らむ。

 おそらくゼミ室には書棚が整然と並び,岩波文庫はもちろん,明徳出版社の「中国古典新書」全100巻,平凡社の「中国古典文学体系」全60巻,明治書院の「新釈漢文体系」全120巻や「中国古典文学選」全12巻,集英社の「全釈漢文体系」全33巻がぎっしり収められているのだろう(1)。学生の自分には金銭的に手を出せないし,手を出そうにも絶版品切れで,古本屋を回っても手に入らないものも多い。

 それをようやく手にできるのだ。

 毎日ゼミ室にこもっては読書にふける自分の姿が想像できる。卒業までの2年で足りるだろうか。2年で読みたいものを読みきれるだろうか。なにせ岩波文庫を除いても325巻。しかも新釈漢文体系の1巻1巻の厚みときたら!



【筆者注】

(1) どれも中国古典愛好家が好きなシリーズ。大きな書店の古典文学コーナーや図書館の開架書棚に並んでいる。馴染みのない人にはピンと来ないと思うので,この部分の描写は「中国古典の本がぎっしり収められているのだろう」でも大丈夫。僕も十数冊しか持っていない。通常は図書館で読むものだ。





 失礼しまーす,と間抜けな感じで語尾を伸ばしつつドアを開けた。

 だれもいない。

「だーれもいない」と思わず口にした。拍子抜けはしたけど,がっかりはしない。僕が会いたいのは本であって,人ではない。むしろ人は邪魔だ。

 ゼミ室は文学部棟の5階。正面には中学や高校の教室と同じように大きく窓があり,お隣り経済学部の校舎とその向こうの森が目に入った。東北地方随一の都市の面影はない。「杜の都」の由来となった緑豊かな青葉山の姿がある。

 目の前には大きなテーブルがあった。片側6人ずつ,12人で同時に使える大きさである。灰色の天板にスチールの足。実用本位のワークテーブルだ。机の上は……まあ,ひとことで言ってカオス。そのうち描写する機会もあるだろう。窓際にもデスクが2つ並んでいて,それぞれDellのデスクトップが備えつけられていた。何に使うんだろう?

 左手の壁は一面,白いスチールラックで覆われていて,そこには本がズラリ。文庫は1冊もなく,高さのそろったハードカバーが整然と並んでいた。本屋では見たこともない本ばかりだ。

 そして,右手側。

 薄暗い中に,書棚が壁と直角に3つも並んでいた。ゼミ室の半分は書棚で埋められていることになる。薄暗く感じるのは,窓から入る午前の陽光が書棚に遮られているからだ。ブラインドが降ろされているわけではない。本が日の光で痛むことなんて考えてもいないようだ。

 その薄暗い書棚に,くすんだ赤い箱に入った本が大量に並んでいるのが見えた。あのくすみ方は新釈漢文体系にちがいない。『国語』『戦国策』『淮南子』『世説新語』が僕を呼んでいる(2)。近くには「新編漢文選」の『呂氏春秋』や『晏子春秋』もあるかもしれない。高くて手が出なかったものばかりだ。さっそく手にしてみたい。

 とりあえずスイッチを探して蛍光灯をつけた。

 天井に2列しかない蛍光灯は,書棚を十分には照らしてくれなかったけど,それでも幾分ましになった。



【筆者注】

(2) 『国語』は科目ではなく,れっきとした歴史書。範囲はおおむね春秋時代。周・魯・斉・晋・鄭・楚・呉・越の8カ国の歴史を,それぞれ「周語」「魯語」「斉語」といった名前で並べる。各「国」の「語〈=話・史〉」で『国語』。ちなみに『戦国策』も『淮南子』も『世説新語』も,1つ1つの話が短くて読みやすい。このあと出てくる『呂氏春秋』も『晏子春秋』も同じ。話の中には難解なものもあるけど,飛ばしちゃえばいい。





「えーと,だれ?」

 足元から声がした。

 いかにも寝起きなカッスカスの声だ。ナイロンがこすれる音もする。もぞもぞと何かがうごめいている。それが寝袋に入った人間だと気づくのに,十秒以上はかかった。書棚と書棚の間の床に寝ていたのだ。

 不意を打たれた。こんなとき,意外に声は出ないものだ。

「新入生?」

 その人は,赤い寝袋から半身を出して体を起こした。女性。たぶん女性。髪はボッサボサではない。こういう場面では髪は重力に逆らうようにボサボサで,頭をボリボリ掻きながら,大きなあくびをすると決まっているのに,その人は両手を前に投げ出し,半分も開いていない目をこちらに向けてきた。

 脳はほとんど起動していないようだ。

「あ,はい。今年から東洋史ゼミに所属する西嶋です」

「あ,そう……。研究テーマは?」

 ゆっくり立ち上がり,何度か書棚にぶつかりながら,近くにあったトレッキングシューズを履き,長めの髪をシュシュで無造作に束ねた。

 暖色系のチェック柄のネルシャツにジーンズ(まあ,杜都大学では9割の人間がしているかっこうだ)。顔立ちは整っているほうかもしれないけど,寝起き顔で,ノーメイク。肌もいかにも手入れされていない感じ。背伸びしながら僕の脇を通り過ぎ,テーブル上のカオスの中から器用にメガネを探し出してかける。おしゃれさのかけらもない黒縁メガネ。テーブルの椅子に腰をおろし,いつからあるかわからない,飲みかけのペットボトルのコーヒーをためらうことなく飲む。

 まちがいなく先輩だ。しかも院生だと思う。

 先輩はこっちをじっと見る。値踏みするような目だ。

「で,研究テーマは?」

 質問に戸惑う。初対面なのだから,相手のことをよく知るために,普通は出身校を聞いたり得意科目を聞いたりするところだろう。いや,だからこそ研究テーマなのか。何を研究したいかを聞けば,その人間が何に興味を持っているのかがわかる。

 寝起きのせいか,先輩は不機嫌そうだ。

 とりあえず答えは決まっているので,正直に答えた。

「春秋戦国時代を研究したいと思ってます。僕は……」

「春秋戦国時代の何?」

 僕の言葉を遮って質問を重ねてきた。「何?」と強めに発音したあと,手もとのコーヒーに視線を落とす。視線が外れて,ようやく先輩の顔をまともに見れた。まつげが長いなと思う。それに鼻の穴が小さい。

 春秋戦国時代の何? という質問の意味がわからず,答えに窮した。

「えーと,あの……」

「座ったら?」

 視線だけで向かいの席をすすめる。僕が,失礼しますといって椅子を引くと,決まってないなら決まってないでいいよと先輩が逃げ道を作ってくれた。座る。決まってはいるのだ。僕は春秋戦国時代の研究をすると。その逃げ道は不必要だ。

「まさか,『キングダム』を読んで中国史に興味を持ったとか?」

 少し嘲るような口調。

 それはない。 

『キングダム』は,戦国時代末期,のちに始皇帝となる秦王政の,天下統一の戦いを描いた大人気マンガだ。史実をもとにしており,李牧,廉頗,王翦,王賁,蒙恬といった中国史好きなら誰でも知っている武将たちが活躍する(王騎や蒙驁や麃公といった知らない武将も活躍する)。

 中国史愛好家として,話だけは聞いていた。

 でも僕は原典の『史記』のほうを読む男だ。

「『王齮』の研究をするとか言わないでしょうね(3)。いい? 西嶋くん,王齮なんて『史記』に5回しか言及がないの」

 王騎はキングダムの人気キャラだ。圧倒的な武を備える将軍として登場し,主人公・信のメンターとなり,ライバル龐煖との劇的な戦いを経て,信を大きく成長させる。スターウォーズでいえば,エピソード4のオビワンみたいな存在だ(4)。

 その王騎が『史記』には5回しか登場しないという。

 というか,5回も登場してたんだ,と驚いた。そもそも『史記』が「王騎」に言及しているとは知らなかった。岩波文庫の『史記列伝』は八割くらい読んだけど,覚えていなかった。いかにもマンガ的なキャラだったので(コココココと笑う人間など,現実には存在しない),すっかり架空の人物だと思っていたのだ。

「まず呂不韋列伝に『秦の昭王が王齮に邯鄲を攻囲させた,趙は人質の子楚を殺そうとしたが,呂不韋が大金を費やして子楚を脱出させた,趙は代わりに子楚の妻子を殺そうとしたが,子楚夫人が豪家の娘だったので,助かった』とある。王齮のせいで,危うく子楚は殺されかけてるの。逆に言うと,昭王にとって子楚はその程度の存在ってことね。でも,これ,六国年表には『王齕が邯鄲を包囲した』とあって,主語は王齮ではなく王齕になってる。索隠は『王齮は即ち王齕なり』と明言してるわ」

『キングダム』の六大将軍は,白起,司馬錯,胡傷,摎,王齕,王騎の6名だけど,「王騎=王齕」なら,六大将軍は5人しかいないことになる。4バックのうち3人を,田中とマルクスと闘莉王が占めているようなものだ(5)。

 邯鄲は趙の首都。子楚は昭王の孫で,のちの荘襄王。昭王を継いだ父孝文王が即位3日で急死し,急遽,荘襄王が即位したが,彼も即位3年で死んだ。その後,13歳で即位したのが秦王政。のちの始皇帝であり,『キングダム』のもうひとりの主人公だ。子楚が趙を脱出したのち,代わりに殺されそうになった「子楚の妻子」こそ,のちの太后と始皇帝である。

 先輩がつづける。

「次が六国年表の『荘襄王3年,王齮が上党を攻めた』,この記事も秦本紀では主語が王齕になってる。それから始皇本紀の『(趙正が)若くして秦王に即位したとき,蒙驁・王齮・麃公等が将軍になった』,最後が始皇本紀と六国年表の『秦王政の3年,蒙驁が韓を攻め,十三城を取った。王齮が死んだ』。終わり。これ以上の記録はないの。コココココとは残念ながら笑ってないし,将軍としての力量も使用武器も不明」

 これで何が研究できると思う? と司馬が問いかけた。

 趙政は始皇帝の本名だ(6)。秦王室の姓が「嬴」なので「嬴政」と書かれたりするけど,『史記』は「趙」姓だと明言する。

 ともかく,王騎の資料がそんなに少ないなら,もうそれ以上は何もわからない。



【筆者注】

(3)「王齮」と「王騎」で漢字がちがうけど,これで正しい。『史記』に「王騎」はいない。

(4) 龐煖がダース・ベイダーで,王騎がオビワン。クワイガンジンでもいい。

(5) 田中マルクス闘莉王。元日本代表の超攻撃的DF。熱い男,好きです。2019年引退。

(6)「趙正」と「趙政」で漢字がちがうけど,これで正しい。『史記』では「趙政」,集解・索隠や出土資料では「趙正」。正月に生まれたので「セイ」と名づけられた,という記事を踏まえれば,「趙正」のほうが論理的妥当性がある。くわしくは鶴間和幸先生の『人間・始皇帝』(岩波新書)を。





「何も」

「でしょ? あきらめなさい。春秋戦国時代なんて,墓場よ」

「墓場?」

「そう。墓場」先輩が顔を上げる。

「春秋戦国時代の研究するっていうけど,資料は何を使う気?」

「もちろん『史記』『左伝』『国語』,あと『戦国策』とか」

 いずれも有名な本だ。

「でしょ? あきらめなさい。研究なんてできるわけがない」

「なぜですか」

「それしか資料がないからよ」

「僕は『史記』も『左伝』もひととおり読みました」

『史記』は8割くらいで挫折,『左伝』は有名エピソードを拾い読みしたことは内緒だ(ありがたいことに,岩波文庫版の『春秋左氏伝』には,有名エピソードがどこにあるのか教えてくれる索引がある。要するに,岩波側も,読者が有名エピソードの拾い読みしかしないと思っていたわけだ。左伝を読みはじめても多くの人が最初の「隠公」で投げ出すことから,「隠公左伝」という言葉が生まれた)。

「それが何なの? 春秋戦国時代の何を研究するの?」

 また,その質問か。

 でも,答えは決まった。いま決めた。

「商鞅の研究です。強国秦の礎を築いた伝説の変法家で,富国強兵の一事のため,一切の忖度なく,反対勢力と争いながら激烈な政治改革を断行し,そして改革に殉じた英雄……。僕は彼を研究したいです」

「そう。で,商鞅の何を研究するの?」

「え?」

 まだ聞くの? 剥いても剥いても終わらない玉ねぎみたいな質問だ。Aですと言えば,Aの何? AのBですと言えば,Bの何? AのBのCですと言えば,Cの何? この質問,どれだけ答えても終わりが見えないぞ。

「いい? もう史記は2000年以上,研究されているの。その中には,史記三家注と総称される,裴駰(はいいん)の『集解(しっかい)』,司馬貞の『索隠』,張守節の『正義』もあるし,滝川亀太郎博士の『史記会注考証』だってあるでしょ」

 史記三家注から先,1つも聞き覚えがなかった。滝川亀太郎って,そのダサい名前は何?

「まさか。滝川亀太郎も知らないの?」

 先輩が露骨な呆れ顔をする。

 滝川亀太郎(字は資言)は,明治から大正にかけて,まだ杜都大学が第二高等学校と呼ばれていた時代に教授をつとめていた漢学者だ。彼の『史記会注考証』は,日本では『史記』の決定版テキストとして君臨する。『史記』を読む人間で,『会注考証』を知らない人間はいない。まして杜都大学に在籍する学究の徒が知らないわけにはいかない。アインシュタインの存在も知らずにプリンストン高等研究所で研究するようなものだ(7)。

 このとき,僕はそんなことも知らなかった。



【筆者注】

(7) プリンストン高等研究所は1930年設立の超スゴい研究所。科学界の銀河系軍団ギャラクティコスと呼んでいい。アインシュタイン,ゲーデル,フォン・ノイマン,オッペンハイマー,ダイソン,湯川秀樹,伊藤清らが名を連ねた。伊藤清博士は,文系には馴染みがないけど,ものすごい数学者で,「ピタゴラスの定理は別格として,『伊藤の補題』(Ito’s Lemma)以上に世界中に知れ渡り応用されている数学の成果は思い浮ばない」とアメリカ科学アカデミーが絶賛するほど。





「西嶋くん,『史記』を読んだっていってたけど,何を読んだの?」

「岩波文庫です」

 誇らしげに答えた。もちろん即答だ。『キングダム』は読んでも,岩波文庫の『史記列伝』を読む高校生なんて,日本にはほとんどいないはずだ。ちなみに,ちくま文庫のほうは高くて手が出なかった。

 さあ,感心しろ。

 ところが,先輩の顔には感心どころか怒りと絶望と呆れと嘲りと億劫とが複雑にブレンドされた感情が浮かんだ。

 先輩がなんとか言葉を絞り出す。

「それ,訳本でしょ? 小川環樹先生には申し訳ないけど,そんなの読んだうちに入らないわ(8)。……なんか,すごく頭悪いなあ。さっきから質問には答えないし。話も通じないし。知識もないし。今からでも遅くないから理転しなさい。文系に向いてない」

 先輩は窓の外に目を向ける。青葉山の緑に癒しを求めているのだろう。

「ちょっと人より読書した程度で,自分は博学だ,人よりも賢い,と誤解する連中がよくいるけど,読書量と知識量と賢さは別。いくら読書しても,頭に残ってなければ意味がないし,頭に残ってても,その知識を活かせなければ意味がない。創造性のない人間が頭に情報をつめこんでも,そこから何も生み出せないから無意味なの。何も生み出せないなら,記憶の質と量の両面で,USBメモリのほうがよほど優秀よ」

 ここで先輩はぐっと前に乗り出して,机越しに僕に近づいた。

「商鞅に関する資料なんて,2000年以上,増えていないんだから,これまでも,いろんな学者が目を通して,ありとあらゆる説を述べてるわけでしょ。中には学術レベルに達していないエッセイみたいなものもあるけど,あなた,先人が見落とした何かを,既存の資料の中から見つけられるだけの頭を持ってるの?」

 先輩が真正面から僕を見る。氷のような表情。言葉も冷たいが,表情はもっと冷たかった。



【筆者注】

(8) 小川環樹先生は中国文学研究者で,岩波文庫『史記列伝』の筆頭翻訳者。東北大学教授を経て,京都大学教授。中国史学の貝塚茂樹,物理学者の湯川秀樹,中国文学の小川環樹といえば,3人とも超一流の学者であり,名前の「○樹」からわかるように,実は兄弟だ。というと,意外に納得するけど,兄弟なのに姓がバラバラなところに驚く。余談だけど,ずっと3兄弟だと思っていたが,長男の小川芳樹氏も,東北大学助教授・九州大学教授を経て東京大学教授となった金属工学者で,原子力の平和利用を推進した大物。夭折した五男滋樹氏を含め,5人兄弟だそうだ。ちなみに父の小川琢治氏も超一流の地質学・地理学者で,京都大学教授。山崎直方と並ぶ日本近代地理学の巨星。また『山海経』などの文献資料を用いて過去の地理現象を研究する中国歴史地理学の開拓者ともなった。理系・文系のハイブリッドで,子どもたちから理文両方の一流学者が生まれたのもうなずける。





 ひどい質問だ。

 はいと答えれば,傲慢だ,謙虚さに欠けている,そんなわけはない,身のほど知らずと非難される。かといって,いいえと答えれば,なら商鞅の研究はできない,東洋史ゼミには不適格だ,理転すべきだとたたみかけられる。

 というわけで,僕は精一杯がんばった。

「わかりません。でも,やってみないとわかりません」

「この程度のことも,やってみないとわからないようじゃ,話にならないわ。やっても無駄なことくらい,0.2秒でわかるでしょ。あなたが偉大な先人を越えられる可能性なんて,あると思う? 発想が傲慢すぎる。私たちにできることは,偉大な先人の肩の上に乗せていただいて,その少し先を見えるものなら見てみたい,という程度でしょ。研究していると称するほとんどの学生が,先人の肩にもたどりつけずに消えていくのよ」

 巨人の肩の上に乗る,という表現は,ニュートンの言葉として知られている。

 無数の先人たちの研究業績があるからこそ,いまの研究が成り立っていることを,ビジュアル的に表現したものだ。研究とは,先人たちが積み上げた学術の山に,小石をひとつ足すような行為である。アインシュタインも,古典物理学の山を突き崩して,新しい物理学の山をはじめから築いたわけではない。ニュートンやライプニッツといった無数の先人が積み上げた研究の上に,彼の研究も乗っかっているのだ。彼の場合は,小石どころか巨石を何個も積んで,山の標高をずっと高くしたので,いまの物理学は19世紀よりもはるかかなたを見渡せるようになった。

 先人の肩にもたどりつけないとは,先人の研究を理解できない,活かせないという意味だ。

「滝川亀太郎博士の偉大な『会注考証』すら活用できない人間が,何を研究するの?」

 僕は沈黙すること以外,何もできなかった。

 ぐうの音も出ないとは,このことだ。

 僕はただ本を読んでいただけだった。先人の肩によじ登ろうと考えたこともなかった。ただ,好きな本を読んで,何かをまとめれば,それで研究になると思っていた。でも,どうやら徹底的に誤解していたらしい。

 先人と同じ光景を見るだけでは研究とは言わない。

 先人の力を借りて,先人には見えなかった遠くを見てこそ研究だ。

 好きに読書するばかりで,先人と同じ光景すら見ていない僕は,研究の第一歩すら踏み出していなかった。ただの中国史好きの一般人と変わらない。マンガ『キングダム』を読み,考察サイトをいくつか見て,中国史を学んだ気になっている人間を僕は蔑んでいたが,岩波文庫『史記列伝』や岩波新書『人間・始皇帝』を読んで中国史を学んだ気になっていた僕も,彼らと変わらなかった。

 先輩は僕から視線を逸らさない。そして蔑みと哀れみと失望と嫌悪を込めた声でこう言った。

「大学に入ってから2年間,あなたは何を学んできたの?」


 これが「女帝」司馬朱理(あかり)とのファーストコンタクトだった。

 僕は,この日,誇りを素粒子レベルまで粉砕された。司馬の言うとおり,ちょっと人より読書しただけで,自分は誰よりも賢いと思いこんでいたのだ。大学に入って2年間,何も学んでいなかった。僕はせっせと自分の脳に情報を溜めこんでいただけだった。しかもUSBメモリとちがって記憶は不完全で劣化するというのに。

 認識が根底からまちがっていたと痛感した。痛感せざるを得なかった。

 これまでの僕は,この日──死んだ。

 でも,物語はここから始まる。



 ──これは,僕が真の文系人間として再生するまでの物語だ。


【参考文献】

原泰久『キングダム』(集英社) 大好きです

滝川亀太郎『史記会注考証』 お世話になりました

鶴間和幸『人間・始皇帝』(岩波新書)とっても面白い

鶴間和幸『始皇帝全史』(カンゼン)キングダムを入り口に、初心者がもっと戦国時代を学べる良書



「研究テーマは?」と指導教官に聞かれて「戦国時代の変法家『商鞅』を歴史学と社会心理学の両面から学際的に研究したいと考えています。たとえば、改革に臨む商鞅の心理的側面を……」と無邪気に答え、「あんたはさっきから何かをぐちゃぐちゃと答えているようですが、何を言いたいのかさっぱりわかりません。商鞅の何を研究したいんですか」と問い詰められ、答えに窮したところ「あんたはこれまでいったい何を勉強してきたんですか」と小一時間説教されました(懐かしい思い出です)。その後、初のゼミ発表で『史記』の訳(もちろん商鞅列伝)を取り上げ、「出典は?」と指導教官に聞かれて「岩波文庫本です」と至極まじめに答えたところ、それから小一時間説教されました。『史記会注考証』という名前を知ったのはそのときです(今となっては懐かしい思い出です。もちろん真っ黒な)。

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