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幽霊作家  作者: 姫崎しう
17/21

17話 彼女の名前

 製本するために必要なものは、流石に家電量販店には無かったので、途中大きい文具店によって家に帰って来た。

 今回の買い物で、一番高かったのはコピー機。ゆめさんの家にあったような業務用を買おうかとも思ったのだけれど、本体が高いだけでなく、インク――トナーと言うらしい――も高価で手を出す気にはならなかった。

 お金に余裕があっても、基本は貯金が減っていくだけなので、一気に減ると怖くなるのだ。

 ただ小説一冊分を印刷しようとした場合、家庭用だとどれくらい時間がかかるのか、考えただけでも気が遠くなる。


 コピー機は明後日届くことになっているので、今日はバックアップの作業だけでもしようかと、一応ゆめさんに確認を取ってからパソコンを開く。


「ところで、萩原さんが今後どうしようと考えているのか、教えてもらっていいですか?」「僕もその事で、ゆめさんに訊きたい事があったんだよ」


 ちょうどいい話題が出たので質問しようと思ったけれど、先に質問したのはゆめさんだから、一度落ち着いてこちらから答えを返す。


「ゆめさんの名前を世に出すにあたって、藤野御影と連絡を取ってみようと思うんだよね。

 話し合いが上手く行けば、もっとも穏便に話がつくだろうし」

「絶対に話し合いでは決着つかないと思いますけど、相手に何も言わずにって言うのがフェアじゃないとか考えているんですよね」


 ため息交じりのゆめさんに、「ごめんね」と謝る。ゆめさんは「萩原さんがしたいなら止めませんよ」と首を振った。


「全部終わったら、ゆめさんのご両親にパソコン類は返そうとも思っているかな」

「気を遣っていただけるのはありがたいですが、下手に行動したら、萩原さんの立場が危うくなるかもしれませんよ?

 パソコンは私が萩原さんに譲った体で良いですけど」

「全部終わった後だからね。大丈夫だよ。

 それよりも、ゆめさんの本名を教えてくれないかな? 誰と連絡を取るにしても、ゆめさんの名前が分からないって言うのは都合が悪いし」


 追及を恐れて話題を変えたけれど、効果はてきめんだったらしく、パソコンの事を忘れてゆめさんが「本名ですか……」とそっぽを向く。

 ゆめさんと出会って数か月、本名を隠していたゆめさんとしては恥ずかしいだろうが、こればかりは知っておかないと、それこそ僕の立場が危うくなる。


「瀬良つぐみです。浅瀬の瀬に良い、平仮名でつぐみと言います」

「つぐみちゃん……瀬良さんの方が良いかな?」

「出来れば、今まで通りでお願いします」


 ぐったりとゆめさんが頭を垂れた。ただの自己紹介も、引き延ばし続ければ、これだけの労力を要するのか。

 からかってみたい悪戯心が顔を覗かせるけれど、ゆめさんが可哀想なので、「ゆめさん、わかったよ」と敢えて名前で呼んだ。


「それにしても、ゆめさんって、本当にあの暗号好きだよね」

「やっぱり気が付くんですね。『せ』と『つ』が『ゆ』と『め』になるって」

「僕の中で、ゆめさんと言えば、だからね。とりあえず、当てはめて置けば何かわかるんじゃないかなって思っているよ」

「下手に萩原さんに、ノートとか見せられませんね」


 ゆめさんがノートにまで暗号を使った文字列を書いているかは置いていて、クスクスと笑う様子を見る限りだと、本気で言っているわけではないだろう。

 基本的に文字情報しかないためか、バックアップが予想以上に早く終わった。

 比較的持ち運びが楽な、USBメモリー――人に渡すことも考えて、何本も買って来た――にもデータを移しながら、ゆめさんとの会話を再開する。


「これが終わったら、小説完結させようか」

「良いんですか? 成仏するかもしれませんよ?」

「たぶん大丈夫じゃないかな。今のゆめさんの未練は、自分名前で本を出版する事なんだから、早くて出版が確定するまで、遅くて本の売れ行きを見るまで、だと思うんだよね。

 ゆめさんがいなくなったら、僕の名前で出版するかもよ?」

「萩原さんに限って、そんな事するわけがないと、信用していますよ。

 それに、藤野御影の名前で出るくらいなら、萩原さんの名前の方が良いです」


 冗談を言ったら、冗談が返ってくる。本当にゆめさんとの距離が近くなった。

 本名は今日初めて聞いたけれど。


「こうやってコロコロ変わると、未練って何だろうって思いますけどね」

「幽霊になって、今まで出会った事のない人に出会って、考え方が変わるって言うのは、人間なんだから十分にありそうなものだけどね。

 死ぬまでは何とも思っていなかったことが、死んでからは大切なものに感じる事もあるのかもしれないし」

「萩原さんの言う通りかもしれませんね。

 生きている時に萩原さんと出会っても、情けない人だ、くらいにしか思わなかったでしょう」

「情けない人で正解だけどね。

 ともかく、完成させても大丈夫なはずだから、早く書き終えて、消印を押して貰うところまで行きたいかな」


 こういうのは早いに越したことはない。僕が何を言っても、最終的にはゆめさん次第にはなるけれど、今回は「そうですね」と僕の話を聞きいれた。


「製本するにあたって、簡単に表紙もつけますから、お願いします」

「表紙って事は、名前も要るよね。どうするの?」

「ペンネーム、考えていたんですけどね。今となっては本名の方が良い気がします。

 そうしないと、私だと分かってくれる人が居ないでしょうから」


 今まで正体を隠さざるを得なかったゆめさんは、同時に自分が小説を書いている事を、誰にも言えなかったのだろう。

 ゆめさんが選んだ道だが、自分がやっている事を誰にも言えないのは、苦労もあったのではないだろうか。傍からだと、無職のように見えるだろうし。


「『ゆめ』がペンネームじゃないの?」

「『ゆめ』でも良いんですけど、既に使っている人が居ると思うんですよね。

 だから、苗字のようなものを付けた方が良いかなと。『萩原ゆめ』とかでどうですかね」

「前々から考えていたんでしょ?」


 使うつもりはなくても、取ってつけたような名前にするのはいかがなものか。

 ゆめさんなりの冗談だとは分かっているので、軽く流して、瀬良つぐみの一作目の完成を促した。


     *


 買い物から二日後、予定通りプリンターが届いたので印刷を開始したのだけれど、想像以上に時間がかかる。

 ゆめさんの家にあった業務用のプリンターが恋しくなるが、もうあの家には入れないだろう。


「藤野御影に会うって言っていましたけど、実際にどうするか決めましたか?」

「どうしようかなぁ……」

「ノープランなんですね」

「呼び出すのは簡単だと思うんだけど、そこからどうやって、僕がゆめさんの使いだって認識してもらうかが、問題なんだよね」


 あきれるゆめさん相手に、下手に取り繕っても仕方がないので、弱音を吐く。

 ピーッと隣でコピー機がコピー用紙を要求するので、新しい用紙をセットする。


「彼女に信じてもらえるか否かは置いておいて、対外的な私達の関係を明確にしていた方が良いかもしれませんね」

「友達、ってことで良いんだよね。幸い年も近いし」

「いつから友達なのか、どうやって友達になったのか、どれほど仲の良い友達だったのか。まあ、こんなところくらいは決めておいた方が良いでしょう」


 以前から考えていたのか、今考えたのかはわからないけれど、ゆめさんは良く頭が回る。そして用心深い。相手にするのがゆめさんではなくて、良かったと本当に思う。


「昔からの友達にはなれないよね」

「学生時代の友人だと、アルバム等からばれるので止めておいた方が良いです。

 たまたま、私達が同じ学校に通っていたら、違ったかもしれませんが、違う事だけは萩原さんの小説を書くために話を聞いて、確認済みですし」

「そもそも、どこかのコミュニティ経由だと、ボロが出来ないよね」

「だとしたら、一つしかないですね」

「ネットの友達、かな?」


 頷くゆめさんを見て、便利な世の中になったものだと、感心する。

 一昔前なら繋がりようのない人とでも、インターネットでなら繋がることが出来るし、珍しい話でもない。


「どこかのサイトで知り合い、意気投合して、個人的に連絡を取り合うようにもなり、実際に顔も合わせるに至ったと言う流れになるかと思いますが、入り口が問題ですね。

 萩原さん、何かいいきっかけを作ってください」

「作ってくださいと言われても、すぐには思いつかないよ」

「こういった事をバシバシ思いつけたら、小説書けるでしょうね」


 だとしたら、ゆめさんは本職ではないだろうか。ここまでほとんどゆめさんが考えてくれているから、たまにはこちらからも意見を出せと言う事だろうが。


「仕事を辞めて途方に暮れていた僕が、戯れにネットの相談サイトに投稿して、小説のネタを探していたゆめさんが、戯れに相談に乗るようになったとか?

 流石に強引過ぎるよね」

「それで行きましょうか」


 自分で話していても滑稽で、別の案を考えようとしたのだけれど、以外にもゆめさんがGOサインを出した。

 驚いて尋ね返した僕に、ゆめさんが「萩原さんが言った事じゃないですか」と笑ってから説明を始める。


「そもそも無理がある繋がりなんですから、多少強引くらいで良いんですよ。

 大事なのは、堂々とした態度です。現実だってどうしてそうなったのか、当事者にも分からない事が沢山あります。

 幽霊になった私が、人生捨てている人を探していたら、たまたま萩原さんに引き寄せられた。と、どちらが現実的か、比べるまでも無いと思いますが」


 言い返す言葉も無いけれど、現実に起きた方が現実的じゃないと言うのも、おかしな話だ。


「でも、そんな適当なつながりだと、ゆめさんがゴーストライターやっていたなんて、知ることが出来ないと思うんだけど」

「むしろ赤の他人の方が、冗談交じりに話せると思いますよ。

 もう会う事はないと思っていたら、大まかな事を話しても、相手は気にしないかもしれませんし、気になっても調べようがないです。

 あとは、なかなかデビューさせてくれない藤野御影に対して、私が唯一事実を話した萩原さんに相談したってところで良いんじゃないでしょうか」

「手伝う動機としては、ゆめさんには以前の借りがあるからで良いのかな?」

「はい。ここまで考えてきましたが、私との関係を訊かれて『友達です』で済めば、それ以上は答えなくていいともいます。言うとしても『ちょっとした借りがあるから』とかで十分でしょう」

「折角考えたのに、もったいない気もするけど」

「訊かれてもいないのに情報を出し過ぎたら、逆に不信感を与えかねませんからね。

 そこはぐっと我慢するしかないです。物語だって、何日もかけて考えた設定が結局、表に出ないまま最終回になる事も多いですし」


 せっかく考えたのにもったいないから、と労力をつぎ込むのは、物語に限らず愚行には違いない。

 商品開発だって、作っている商品の上位互換が他社から発売された場合、すぐにさらに性能が良いものを作るか、より低コストを目指すか、諦めて別の商品を考えるか、など先の事を考えるべきで、途中まで作ったし、勿体ないから最後まで作ろうと言うのは無駄なコストでしかない。

 また沢山の試作品の中からより良い物だけを選び出して作り上げた時、使わなかった他の試作品が全部無駄だったのかと言われたら、そんなはずはないのだ。


「パソコンは、いつ、どうして僕に渡った事にしようか?」

「小説を書き終わったから、ゴーストライターをしていた証拠として萩原さんに渡した。となるのが理想だと思うんです」

「僕が隠し場所って事だよね。でも、実際は僕が手にした時、小説は書き終わっていなかった。だったら、パソコンだけ先に渡して、ゆめさんが亡くなる前に、完成原稿を保管する目的で僕に渡した、とか」

「苦しいですが、他にどうしようもないですね。

 念を入れようと思えば、私の家でダミーの完成原稿を印刷をした方が良いとは思うのですが、私が死んでだいぶ時間も過ぎましたし、もう無理そうです」

「最悪、文章の書き方の癖とかから、専門家の判断に委ねたらいいんじゃないかな?

 パソコンの中に、パソコンの持ち主が『瀬良つぐみ』だと示すものはあるの?」

「メールでのやり取りの最初の方では、私側は本名でしたし、添付ファイルも表示されるので大丈夫でしょう。

 文章の癖云々まで行ってしまった場合、実家にある私の作文などを持ち出す選択肢も無くはないのかもしれませんが、この辺は萩原さん次第です」


 ゆめさんの家族と接触しないといけない場合、家族の反応いかんで展開が分からなくなってしまうけれど、保険としては十分。


「話す時には、事情を聞いたうえで、譲ってもらったって事にして、ゆめさんが亡くなったニュースを見たから、代わりに無念を晴らそうとした。でいいかな?」

「小説を書き終えた私は、すでに自分の作品を取り戻すために動いていた事を、萩原さんに伝えていたって事でしょうね。良いんじゃないですか?

 印刷ももう終わりましたね」


 ゆめさんの言葉で、コピー機が沈黙している事に気が付いた。

 百枚を超える紙の束を一つにまとめて、今度はパソコンと睨めっこしながら、製本作業を進めていく。

 念のために一つ前の巻を含めて、もう一セット印刷しながら、二時間以上かけて製本作業を終わらせた。出来上がった冊子の表紙をゆめさんに見せる。


「レポートの表紙みたいに、タイトルと名前しかないけど、良かったの?」

「これで売り出すって言うなら駄目ですけど、誰かに見せる事を目的にしているわけではないですし、大丈夫ですよ。あとは切手を貼るだけですね」


 ゆめさんの言う通りではあるけれど、やっぱり味気なく感じてしまうのは、少なからず僕もこの作品に思い入れがあると言う事だろうか。

 ともかく用意していた切手を、冊子の何か所かに張り付ける。

 朝一で動き始めて、気が付けばもう正午を回り、一時に近づいていた。昼食は食べていないけれど、郵便局の窓口が開いているのが三時までなので、早速消印を押して貰いに向かった。


     *


 ゆめさんが言っていた通り、消印はあっさりもらうことが出来た――自作の小説を製本した記念にというのは恥ずかしかったけれど。

 歩いて郵便局から帰る途中、「次はいよいよ藤野御影と対面かな」と呟いた時、ゆめさんが「その件なんですが」と話を始めた。


「作戦があるんです。萩原さんとしては好ましくないかもしれませんが、聞いて貰っていいですか?」

「藤野御影を亡き者にするとか?」

「違います!」


 言って良い冗談だとは思わないけれど、これでゆめさんも話しやすくなったのではないだろうか。




「……だと、萩原さんの当日の負担が減って、リスクも少ないんじゃないかと思うんですが」


 ゆめさんの作戦を、ふんふんと相槌を打ちながら頭に入れる。


「実行するには、まだまだ準備しないといけないね」

「やってくれるんですか?」

「藤野御影に会うのは僕の我儘だからね。上手くすれば、嘘をつかずに話を付けられそうだし。上手くいったら味方が増えるだろうし。

 早めに動けるだけ動いて、彼女に会うのは締め切り前日にしようかな。

 それにしても、こうやって作戦考えて、下準備を着々とこなしていくのは、犯人になった気分だね」

「じゃあ、私達の負けですね。きっと名探偵が出て来て、全ての企みを暴いてしまうでしょう」

「名探偵が出てきてくれたら、あちらの悪事も見抜いてくれるんじゃないかな?

 そしたら、ゆめさんの一人勝ちになると思うんだけど」


 こうやって考えてみたら、犯人が月単位、下手したら年単位で準備していたものを、名探偵や敏腕刑事は長くとも数日のうちに解決するわけだ。

 何だか犯人が不憫になって来たが、僕達がいるのは現実なのだから、名探偵に怯える必要も無い。藤野御影本人が名探偵の可能性は否定できないけれど。


「何にしても楽しいです。考える事はあっても、動いてみるのは初めてですから」

「上手く行くかもわからないからね」

「小説だったら、都合よく、上手くいかせることもできるんですけどね。

 この辺の先の見えなさは、現実だからこその感覚ですね」

「読者は先は見えないけどね」

「よっぽどの事がない限り、主人公側が勝ちますよ」


 事実なのだろうけれど、作家本人に言われたら味気ない。

 では、主人公が負けて欲しいかと言われたら、そうではないが。


「今は準備もですが、萩原さんの小説もありますから、あまり時間はないですよ。

 藤野御影に会う前には完成させたいですから」

「それもそうだ」


 肯定はしたが、足を速める事はなく家に帰った。


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