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幽霊作家  作者: 姫崎しう
11/21

11話 解読

 眠るのが遅くても、起きるのはだいたい同じ時間になる。早く起きる分には、目覚ましを使えばおきられるが、ずっと寝ていると言う事は殆どできない。

 代わりに、寝ていた時間と状況で、体調が大きく変わってくる。

 夜更かしをしてからの今日は、身体に疲れが残り、全身が重たく感じる。それでも、激務をこなすことは可能だと、この二年の間に知った。

 顔でも洗いたかったが、昨日の作業で洗面台が使えない事を思い出したので、締め切りの今日くらいは我慢することにする。

 朝食代わりに、焼いていない食パンをかじっていたら、予想通りゆめさんが玄関の方から現れた。


「何なんですか、あれは」

「一ページ目に書いていたと思うんだけど、一昨日ゆめさんの家でコピーしてきた原稿だよ」

「そう言う事ではないです」

「勝手に家に入ってごめん」

「そう言う事でも……まあ、いいです。これくらいで、感謝されると思ったら大間違いですからね」


 意地になっているゆめさんに、僕は何も返さずパソコンを開く。何日も使っている間に、パスワードは覚えた。

 ゆめさんからの言葉を待っていたら、「今日は先に修正をやっておきます」と指示があって、ページ数と修正すべき言葉の大まかな場所、どう修正するのかを淡々と話し始めた。




 玄関に行って確認しながらだったのもあって、修正が終わる頃には正午を回っていた。

 しかし、休む間もなく次へと進む。今のゆめさんは疲れないようだから、大丈夫なのだろう。

 物語も残すは後日談だけなのは、僕でもわかるし、後半日もあれば終わると思う。


 予想通り「終わりです」とゆめさんが言った時には、もう夕方になっていた。

 昨日の疲れも相まって今すぐ寝たいのだけれど、出来上がった原稿を送らないといけない。

 通信用のパソコンを開いてパスワードを入力している時に、ある事に気が付いた。

 ゆめさんは足して十一になるようにと言っていたけれど、キーボードの数字を鏡のように左右反対にしているのだ――どちらのパソコンもテンキーが無く分かりやすい。


 結局はゆめさんが言っていた事と変わらないのだけれど、一と〇、二と九、三と八、四と七、五と六がそれぞれ入れ替わっている。

 気が付いても何かに結び付けるだけの思考力は無く、機械的にメール製作画面を開く。


「内容は適当でいいので、送っちゃってください」


 ゆめさんの声は疲れているようで、肉体的疲労は無くとも、精神的疲労はあるようだ。

 だからと言って、丸投げしないでほしいけれど。

 件名には『原稿です』、本文には『遅くなって申し訳ありません』とだけ書いて、データを添付して、送信して画面を閉じた。

 今日は朝の食パンしか食べていないので、お腹に何か入れた方が良い気がしたけれど、身体を動かす事もつらくて、ベッドに倒れ込みそのまま意識がなくなった。


     *


 あまりの空腹で目が覚めた時、まだ日付は変わっていなかった。あと十分もすれば、明日になるけれど。

 今朝と同じく食パンを食べてもいいけれど、せっかくだから温かいものが食べたい。

 冷蔵庫を開けても、食材ばかりで料理は無し。少し歩けばコンビニがあるので、お弁当か何かを買いに行こう。

 財布をポケットに突っ込み、定位置から鍵を取って、つけっぱなしだった電気を消して、家を出る。


 月明かりがぼんやりと寝静まった町を照らし、街灯が道を照らす。無音ではなく、ジーッと虫のような何かの鳴き声がするけれど、僕には何の鳴き声なのか見当もつかない。

 空に見える数えられないほどの星が、何を示しているのかを、僕は少しも知らない。

 数分外を歩いただけで、これなのだから、生き続けていればもっと沢山の感動に出会うだろう。


 コンビニには、僕よりも若いと思われる店員がレジに立っていて、僕が入っても一瞥しただけで眠そうに立っている。

 きっとこの人は生きていけるだろう。

 この時間だ。やってくる客の多くは、店員と同様眠たいに違いない。飲んだ帰りで、足元がふらついているかもしれないし、僕のように寝起きかも知れない。

 そう言った人相手に、毎回明るく大きな声で「いらっしゃいませ」と言った所で、変に絡まれるのがオチだ。

 だから、彼は休むときに休める人なのだと思う。一瞥をした時に、こちらが挨拶するに値するかを計っていたのだとしたら、なおさら。


 妄想はこれくらいにしておいて、夜食を探す。弁当をと思ったけれど、あまりお米を食べたい気分でもないし、脂っこい物もつらい。

 しばし迷って、カルボナーラに手を伸ばす。レジに持って行き、温めを断ってから店を出た。


 いつの間にか曇っていたらしく、空が一段と暗くなっている。夜の雲はどうして、空よりも黒いのか。いつだか、灰色の空に星が瞬いている事に気が付かなければ、黒い方が空で灰色の方が雲だと勘違いしていただろう。

 ただ、いつもこうだとは言えないのが、空の難しい所で、いつ見ても飽きない理由だとも言える。


 家に帰って、カルボナーラを温めている間に、着替える事にした。シャワーでも浴びればいいのだろうけれど、多分食べた後は眠くなるし、早く食べないと逆に何かを吐きそうになる。吐くものは胃の中にはないのに。

 カルボナーラを食べ終えて、軽く歯を磨いてから、ベッドに飛び込む。電気を消して寝ようかと思ったが、部屋の中でチカチカと光るものが目に入ったせいで、気になって身体を起こした。


 光るものはテーブルの上に置かれていて、電気をつけたら、パソコンであることが分かった。ゆめさんの連絡用のパソコン。

 何故光っているのだろうかと、パソコンを開いたところで、パソコンがスリープモードになっている事に気が付いた。

 意識を失う前、シャットダウンはせずに、画面を閉じただけだったらしい。

 パスワードを再入力したところ、メールフォルダを開いたままだった。


 フォルダを閉じて、電源も消せば後は寝るだけなのだけれど、寝る前に送ったメールが気になる。ちゃんとゆめさんのふりができていただろうか。

 返信も来ていて、今さら確認しても遅いのだけれど、寝るにあたって、不安材料は消しておきたい。


 返信を見るのが早いかもしれないが、僕宛ではないので、送信メールを確認する。

 我ながら何とも機能的な内容で、これで僕の存在がバレると言う事はないだろう。

 一応の確認として僕が送ったメール――それ以前のメールを見た方が良いかもしれないが、未読の返信とほぼ同じ理由で見る気はない――を開く。

 この数日の激務のせいで、数日前に送ったメールがとても懐かしいのだが、中に一つ奇妙な文字列を見つけた。


 ゆめさんが自分を示す暗号だと言っていた『mzgzsz svmhbf』。既に意味も聞いたのだけれど、解き方もろもろはサッパリわからない。

 ヒントも無く解ける日が来るかもわからないけれど、すでに僕に見せたものではあるし、答えも知っているから、頭の隅に留めて置いても怒られないだろう。

 暗号は一度脇に置いて、メールの内容に目を移し、最新の文章でも問題ない事を確認する。

 今度こそパソコンをシャットダウンさせてから、ベッドに横になった。


     *


 目が覚めて時計を見たら、いつも起きる時間よりも、一時間遅かった。二度寝だったから、体内時計が狂ったのだろうか。


「起きたんですね」


 何処からともなくゆめさんがやってくる。その声は暗に今日は遅いと言っているようで、否定できなかった。

 挨拶を返してから、顔を洗いに行こうとしたら、沢山の紙が玄関にぶら下がっている。

 あとで片づける事にして、必要な分だけ先に外して、顔を洗う。だいぶ意識がはっきりしてきたところで、昨日までの事を思い出した。


 達成感も無く、ただただ耐えていた数十時間と言ってもいいだろう。人によっては美徳だと持て囃しそうだが、僕にしてみたらつらい時間でしかなかった。

 リビングに戻ると、ゆめさんは僕と違い晴れ晴れとこちらを見ている。


「昨日はお疲れ様でした。何とか終わりましたね」

「そうだね」

「反応薄いですね」


 不満そうにゆめさんが口を尖らせる。きっとゆめさんは、執筆中の事を忘れているのだろう。今はともに疲れをねぎらいたいとか、達成感を共有したいとか思っているのかもしれないが、とてもそう言う気分にはなれない。

 謝ってくれるとは思っていなかったけれど、今は感情を殺すので精一杯。

 何とも子供っぽいが、幸いゆめさんが「確かに疲れましたよね」と引き下がってくれたので、何も言わないことにした。


「一応、編集からの返信見た方が良いんじゃない?」

「そうですね」


 ゆめさんの許可を取り、メールを確認する。締め切りは守れていたので、特に何か注意されることも無く、原稿はこれで良いという旨の返信。

 ゆめさんからも、特別反応も無いので、問題ないと言う事だろう。


「ちょっと前に送ったメール見ていいかな?」

「何か問題がありましたか?」

「昨日みたいにメールを任された時に、ゆめさんを演じないといけないからね。


 一応確認しておきたいかなって」


「萩原さんに任せたところだったら、問題ないですよ」


 ゆめさんからの許可を得たので、一通りメールを見返す。

 夜中にもやったので、暗号の確認と言う事になるけれど、やはりこの暗号を僕が見る分には問題ないらしい。


「次の締め切りとか、打ち合わせとかっていうのはどうなっているの?」

「打ち合わせはないですね。初めからシリーズものにする予定だったので、一回目の打合せで最終回まで終わらせています。

 急な変更解かない限りは、新しい打ち合わせはありませんし、やり取りもメールで行うので仮に打ち合わせがあっても大丈夫です。

 締め切りはあとから連絡が来ると思いますが、二、三か月くらいでしょうか」

「今は全体のどれくらいまで進んでいるの?」

「次で最終巻の予定ですよ」

「じゃあ、ゆめさんとの付き合いも、そこまでって事だね」


 想像していたよりは、だいぶ短い。しかし、ゆめさんが満足するのが作品が出来上がってからなのか、それとも、店頭に並んで初めて満足するのか、僕は勿論本人も分かっていないのではないだろうか。


「最終巻なのでスケジュールを読み難いですが、次で最後なのは変わらないですから、萩原さんの頼みをそろそろ訊かせて貰えないですか?」


 訊かれるとは思っていたけれど、どう説明したものか。まだ本題を話すつもりはないので、ぼんやりと何をしてもらうかだけ、伝える事にしよう。


「ゆめさんの名前を一度だけ借りたいんだよ」

「何か本を出したいって事ですね。私は既に死んでいますし、名前くらい別にいいですけど、出版するかどうかを決めるのは私じゃないですよ?」

「ゆめさんが書いてくれたら、そこそこな作品になるんじゃないかな?」

「あー、はい。分かりました。あと一冊も二冊も同じですからね」

「何を書くかは、ゆめさんの方に目途がついてからでいいよ。また締め切りギリギリになるのは嫌だし」


 基本的にゆめさんを優先する提案が、反対されるはずも無く、ゆめさんは頷いて応えた。


「ともかく、今日は休みにしましょう。私は余裕を持って執筆できるスケジュールを考えます」

「じゃあ、僕はマスターから出された暗号でも考えようかな」


 名前と盗品から考えるのは、もう無理だと思うので、名刺の裏に書かれた文字を見てみる。

『五十一』と『りいのをてこしえるあ』。後者は暗号だろうから、ヒントは五十一の方だろう。しかし、五十一にピンと来るものはない。

 近い所だと平仮名の五十音で、五十だろうか。『あ』のつく人から『あ』とつくものがなくなる、と言うところからも、五十音は何か近い気がする。

 だとしたら、あまりの一は何だろうか?

 頭の中に五十音表を思い浮かべて見たところ、一つ飛び出した文字がある事に気が付いた。


「ゆめさん一つ訊いても良い?」

「暗号関連ですか? 別に構いませんけど」

「マスターが言い忘れたヒントってないの?」

「しりとり、ですかね」

「ありがとう」

「いえいえ」


 ゆめさんから、求めていたヒントを得て、再度暗号と向き合う。今の反応的に、ゆめさんに答えを訊いたら教えてくれそうだったけれど。

 まず、五十一とは『や』行と『わ』行をそれぞれ『やいゆえよ』『わいうえを』として、『ん』まで含めた、五十一の文字の事。

 次に交換の法則なのだけれど、『あ』と『い』だけ例外的に盗られただけだったのは、置くべきものが無かったからなのだろう。しりとり的には『ん』から始まる言葉はないから。『を』についてはあとでゆめさんに訊いてみるけど、パッと『を』から始まる言葉は思いつかない。


 つまり、『あ』は『ん』、『い』は『を』、『う』は『わいうえを』の『え』と言った感じに、五十音順と反五十音順を対応させているのだ。

 色々穴があるようにも見えるけれど、この法則を『りいのをてこしえるあ』に当てはめたら『こおひいむりようけん』つまり『コーヒー無料券』となる。『い』と『え』に関しては、二つ文字が当てはまるけれど、言葉になる方をと考えたらもう一つは当てはまらない。


「解けましたか?」


 顔に出ていたのか、丁度答えに行きついたところで、ゆめさんに話しかけられた。

 訊きたい事もあるし、短く答えを伝える。


「コーヒー無料券だよね」

「正解です。小説とは暗号の文字自体違いますから、マスターさんの粋なはからいでしょう」

「『を』ってしりとりで使えないの?」

「『を』で終わる言葉が無いんですよ。確か。人名とか旧仮名遣いだとあるのかもしれませんが、それを言い始めたら『ん』から始まる言葉も結構ありますからね。

 ついでに『を』で始まる言葉には『をこと点』ってのがありますが、実質無いんだと思いますよ」

「一応あるなら、素直に交換した方がすっきりしたんじゃないかな?」


 ゆめさんに言う事ではないのかもしれないけれど、同じ作家という観点からなら面白い意見が返ってくるかもしれない。

 ゆめさんはまるで、答えを用意していたかのように、すぐに話し始めた。


「元々は『ん回し』と『をこと点』を使うつもりだったんですけど、特に『をこと点』が分かり難いと言う事と、『あ』と『ん』、『い』と『を』を真っ先に交換したら、謎解きの難易度一気に下がるんですよ。だからしりとりを組み込んで、不要だとこじつけました」

「なるほど、良く知っていたね」

「藤野さんが言っていたんです。面白さを優先したんだって」


 簡単に謎が解けてしまったら、確かに面白さは半減するだろう。

 ゆめさんの話しぶりが、いかにも当事者のそれだったのだけれど、自分の事のように感じるほどのファンと言う事か。

 おそらく、僕のような意見はいくつも出ていただろうから。


「無料券、使えるかもしれませんし、行ってみないんですか?」

「マスターのところね。行き過ぎても迷惑だろうし、また今度かな。あそこのコーヒー高いし」


 いくつも種類があって、値段も違うが、高いものだと一杯千円以上もする。

 お金に余裕があるとはいえ、気軽に行ける店でない。

 ゆめさんも積極的に行きたかったわけではないようで、「そうですか」とすぐに何かを考え始めた。

 一つは解けたけれど、暗号はもう一つある。

 全くヒントがないような暗号だったけれど、パソコンのパスワードが平仮名の暗号をもとにしているのだとしたら、ゆめさんが編集に送った暗号ももしかするかもしれない。


 ローマ字だから『a』を『z』に『b』を『y』にするわけだが、『zmzgzsz svmhbf』の前半、妙に『z』が使われている。『a』つまり母音が二回に一回程度使われているわけで、信ぴょう性はある。

 とりあえず手を動かしてみるかとは思ったけれど、先ほどの五十音の時もそうだったが、文字の一覧表があるわけではないので時間はかかってしまう。昼食も忘れて、数時間頭の中のローマ字と戦った結果、『anataha hensyu』に至った。

『あなたは 編集』と読めるけれど、ゆめさんが本物だ、と伝える暗号ではなかっただろうか。


「あなたが編集だと分かっている私は、本物だ」って事かもしれないけれど。

 トイレに行くために部屋を出たところで、目の前に白い何かが現れた。

 玄関の原稿をそのままにしていた事を忘れ居ていたらしい。トイレを済ませた後は、その処理に追われることになった。


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