2-1 Void Structure:1
その後のやり取りは省略し結論だけ述べれば、シュウは承諾した。指摘通り誰にでも優しく接する彼女は、その性質故に地母神なのか、地母神故の性質かは判然としかねたが、とにかく『オレ』を受け入れたのであった。
この事実に安堵する暇もなく、大袈裟に両手を握ってのハンドシェイクに文字通り振り回された『オレ』は、早速部屋を与えられた。好きに使っていいとしてくれたが、やけに広い。部屋というよりも億ションかペントハウスといったほうが差し支えない有様であり、貧困に喘いでいた生活からの高低差が激しすぎて却って居心地が悪い、という主張をしたところ、シュウは何故かしょげ返りながら部屋のランクを以前の水準より若干上程度に落としてくれた。
「これぐらいはいいでしょ?」
やけに施したがるが、理由を聞いてみれば一緒に暮らしてくれるんだから少しでも快適に暮らしてほしい、との返事が帰ってくる。大袈裟な好意かと思いきや、ずっと独りだったから家族ができるのが嬉しい、なんて重いセリフを吐いてくださる。それもまたあの、子供のようなはにかみ笑いで。あの笑顔はズルいと思う。あの顔を向けられて無碍に出来るのはきっと地獄の獄卒ぐらいだ。
「ヒトには身の丈にあったポジションってのがあるんだよ。気持ちは嬉しいけど、オレはこのぐらいが丁度いいんだ。」
だもんだから、なるべく丁寧に自分らしい部屋を持つ意義を説き、感謝の気持はさり気なく伝えつつも不足はない事を説得。シュウは丁寧に了承してくれて手打ちと相成った。
また、今回は元人間ということで時計を頂いた。神様の領域にも時間の概念は存在していたのだと感激しつつも、『オレ』はなるべく以前通り…いや、以前よりも少しだけ規則正しい生活を心がけようと誓った。シュウの領域は際限なく都合が良いため、下手に寝食を忘れられるような状況に陥った時、人間性の喪失につながることを危惧したためだ。それは、人間として健全ではない。
「…君はなんだか、息苦しそうだよね。本当にいいの?」
「いいんだよ、少し苦しいぐらいがメリハリがつく。」
余計なお世話だ、と放言しなかっただけ理性的な解答である。不安と心配を浮かべるシュウは、大体一日ぐらい休もうか、と言って服を脱ぎ始め、…えっ。
「ストップ。」
「え?」
思考が停止して、身体が勝手に動いた。肩紐を外しかけた両腕を掴んで動きを止め、目を丸くする女神様と数秒見つめ合う。
「なんで止めるの?」
「なんで脱ぐの。」
「寝ようと思って」
「寝るときは全裸派ですかそうですか。なんでここで脱ぐの。」
「ここで寝るから」
「Why!?」
この後更にワンクッションあると頭ではわかっていたが、口をついてツッコミが滑り落ちる。肩紐をもとに戻すと女神様は逆にこちらの手を握り帰してくる。微妙に流し目で。
「なぜって、そりゃあ男女がひとつ屋根の下でとなったら、ねぇ?」
「ちげぇよ!アンタは自分の部屋に帰れって言ってんの!一緒に寝る必要はないでしょ!?」
その眼差しは蠱惑的だ、なんというか、女の顔になった。一発で。しかもこの女神様いい匂いまでするし、声だって長く聞いていると鼓膜から甘い痺れが脳に刺さるような錯覚に陥るのだ。握ってくる手だって暖かくて、『オレ』が男である以上ひじょーに心臓に悪い。
「ダメ?親睦を深めるためにと思ってさ、ね?ね?」
「ね?じゃねえよ!健全な成人男性、……健全?けん、ぜ、……とにかくダメですぅ!!」
断じて彼は健康的ではあるまい。この生活のまま時が経てば、きっと病院食しか食べられなくなるのは必定だし、ついでに精神面でもとてもじゃあ無いがまともな女性履歴もないのだ。細い指を引っ剥がし、肩を押し戻して距離を取るのが精一杯。
「はー、ハートは男子中学生ですか。お可愛いことですねぇダーリン?」
「ダーリン言うな。」
「そげんこと言わんと、挨拶と思って一発」
「何処県民!?一発なに!?」
「そりゃーナニですよ」
この地母神、例えばカマトトぶっているのならまだ可愛げがあったのだが、仔細に描写するとレーティングが上がってしまうハンドサインをカマしてくれたことで故意犯であることが確定。相手にできるキャパを超えてしまったので、身体をぐるっと前後入れ替えて無理やり玄関から押出していく。その間も黒い地母神サマは喋り続ける。
「かぁーっ近頃の若いもんは!昔はもっとオープンだったのにさぁ。なんでぇ頭の中真っピンクのくせに。知ってんだぞ、本当は話しながら胸に行こうとする視線を必死に持ち上げて眼ぇ見てたの。ボクは別に問題ないのに、だって他の」
「わかったから黙れ!それ以上喋るなカテゴリが変わる!!」
頭ピンク色は貴様だろうが。やたらとシナを作ってみせるシュウを玄関の敷居から叩き出し、扉を閉めようとしたところ裸足を挟んでくる。間一髪挟み込む前に踏みとどまった『オレ』は、もしもここで本気を出して挟み込んだら怒られただろうか、と少し肝を冷やしつつ、恐る恐る扉を開き、女神様の顔色を伺っていた。
「…な、なんですか?」
シュウは、非常にいやらしい顔をしてみせた。擬音にすればニンマリとでも書き文字が走るだろうか、また肩紐に指をかけて、『オレ』がこわばってみせたところを、腕を下ろす。
肌色の安売りが中断されたと知って安堵するオレの前で、シュウの笑みは広がるばかり。
「これねー、実は脱がせられるように作ったんだけどー」
「はぁ。」
これ、とは。ワンピースタイプの羽衣のことだろうか。しかし、それがどうかしたのだろうか。今このタイミングで。訝しんでいると、何故かこれまでさんざん引きずっていたにもかかわらず、身体に絡みついたり男が踏んづけたりすることがなかった黒髪が勝手に一房持ち上がって、鎌首をもたげた。彼女が手ぐすね引いたわけでもなしに。
「実はボクが念じるとこのと・お・り」
愉しげな笑みがマックス顔中に広がると、羽衣のスカート先が解けて崩れていく。製造工程を逆算するように解けた黒い糸は彼女の頭に戻り、衣服の材料の正体と神の権能を知る。と同時に、露出し始めた大股が目に入る事で今後の展開を悟った『オレ』はすかさずドアを締めた。後ろを向いてのぞき穴を後頭部で念入りに塞ぎ、目までつぶって全力の抵抗。
「わかったから帰れよこの駄女神ィー!!オレを休ませてくれェー!!」
「はぁーい。また明日ね、バディ!」
扉越しに不慣れな呼び方をされたが、確かめることは出来ない。ヤケに固く絡みつく唾液を何度も飲み下し、心臓を掴むようにして呼吸を整える間に、エロ女神の気配は何処かへ消えていった。実は外で待機している可能性も考慮したが、意図的に考えないようにしながら扉から離れていく。頭痛がひどいと、一式の家具は用意された部屋へと舞い戻り、新生活に心を戻す努力をしていく。
「あぁ、くそ。あのヒト、オレのこと玩具にするつもりだこれから…。」
神様の退屈凌ぎ。ままある題材だが、異世界転生に零落する寸前でこのザマとは情けない限りだ。が、実際シュウのからかいは効果てきめんであり、『オレ』はベッドに横たわりはしたものの、結局寝付けず何度も頭から水をかぶったりお風呂に入ったりと部屋の機能把握に役立っていくのであった。