3-19 Shining Shadow,Black Light:1
黎衣のつぶやきは気になったが、眼前に広がった光景に息を呑んだのはさくらも同様だった。黒の流体を操りながら放った波動は謎の粒子皮膜であり、同時に周囲の零子をも支配したのか薄っすらと視界に暗色が垂れ込めていた。さくら自身はその半分もわかっているかは定かではないけれど、息苦しさを訴えるように胸元を掴んで側までやってくる。
「肉体変化、か。あのような真似まで出来たのか」
「知らなかったのか?」
「我と居たときにはやらなかったよ、ボウガンや発火現象を操っていたからな」
雲の可視化が出来ていないさくらは、黎衣の行動を意味のあることだと信頼して注視しているようだが、意図自体は彼にも読めた。推測を裏付けるかのように危険度の上昇した黎衣に向かって光球たちが殺到していき、再生した指を鳴らして生み出す炎の壁で炙っていた。いかなる理屈か黒か、よくて灰色。黎衣の炎に焦がれて、危険色に彩られていた視界もまた薄く暗く染まっていく。神の眼から見た世界は、現れた神に侵されていく。
雲はといえば、この空間全域に広がったまま減ってみせる様子を見せない。黎衣の干渉が効いているかどうかはあまりわからないが、密集している座標を攻撃されて明確に黎衣にヘイトを向けたのは確かだった。光球の迎撃に専念しているプリムラもいくらか余裕ができたのか、光線をウェポンボックスで防ぎながらさくらと彼を影に引きずり込む。二人を追いかけて、迷った末にリリィもついてきてしゃがみこんだところで四方を箱が囲んだ。光線が合金装甲に弾かれる小気味良くも恐ろしい音がする。
「はいあなた、今のうちに深呼吸。外の獣共に眼を提供するの」
「はひっ!?あっ、はっ、はいっ!」
そのリリィに腰を下ろすことすら許さずに指示を出し、たじろがせながらプリムラは僅かに顔を出して警戒を怠らない。盲撃ちで発泡した銃の弾が切れると、シャッターを開き取り出した手榴弾をくくりつけてまるごと放り出し、綺麗に後片付けしながら次を準備していた。
「それからあなた。攻撃出来ないなら機動力を生かして妹を運ぶの。獣共にも人間目線で指示を与えないと」
「理屈はわかるが何故命令する。わかるぞ?汝の力量や知識に嘘はない、ないが、」
「だったら粛々と遂行するの、これは言わば耐久ミッション。効率化を図らないと時間に限りがあるから」
釈然としない様子のさくらも従うしか無い。脇腹を小突かれ、不服そうにリリィとともに防衛戦の外へと飛び出すと、リリィが再び集中して眼を開く。そのまま指を指し、拡大していく部屋の中へとさくらとともに飛び込んでいく。攻撃はできずとも身体能力の高いさくらに回避させる、という魂胆は読めたが、今度は若干、彼の手持ち無沙汰になる。指示を待ってもプリムラは淡々と迎撃するのみで、彼に対しては何もしなかった。
となると、遅れてでたのはため息である。つかの間の安全が確保され、外で働く一同と引き換えに、ただ守られるしか無い青年の重苦しい胸中が漏れると、との小さな踵で小突いてくるのだ。
「防衛対象は慎ましくしてるのん。私、無能は嫌いだけど働く無能は大嫌いなの」
「同感だよ、くそったれ。」
「自覚があるだけあなたはマシだけれど」
何処までも辛辣に、しかししかめっ面を見せることで帰って笑ってみせる娘の尻に視線を誘われながら、肩をすくめた。確かに美少女なのだが、言動が怪しすぎてそういう気になれないのである。だが話をする余裕はあるらしいので、時折外の様子を覗きながら、暇を持て余してみる。
「…お前、なんでそうなんだ?普通嫌な顔をされたら嫌になるもんだろう。」
「たまに聞かれる、都度返す答えは決まっているの。私は人間が嫌いだから」
マズルフラッシュの照り返し、レモン色の瞳と髪がはためく。感情を押さえつけた冷たい声色と裏腹の景色に、少女の言うまま絶句していた。こちらのしかめっ面を見るためだけに動いた眼は、今は見向きもしない。攻撃を事前に潰すような援護はプリムラにとって退屈なものらしく、話し相手か、あるいは一方的に言葉をぶつける相手を求めているようにも見えた。
「人間は効率が悪い、大嫌いな働く無能そのもの。あの二人だって、感情の上での義理だの何だのに縛られているから、あなたに存在価値が発生する。わかる?あの二人にとって、あなたは価値がある人質だから無様に足掻きまわっているの。無駄の極致、みっともない…そんな愚図の、歪んだ顔や驚いた表情を見ていると、優越感を覚えるの。私は相手より優れている、真っ当に生きているって安心感を得られる。こんな愚図と私は違う、私は生きている、胸を張って誰かの役に立っている、優位に立っている、貢献できる…まさしくその愚図の発想そのものをしている私を咎める」
補給、榴弾投擲。銃を手に取るまではして、そのまま座り込んで前髪をかきあげた。帽子がずれて長い髪がこぼれ、空虚な表情を隠そうと揺れた。
全く理解しかねる―――何故それを、今彼に話したのか。
「だから人間は嫌い。醜いから大嫌いなのん」
手榴弾と、おそらく黎衣がもたらした爆発を背に微動だにせず、乾いた黄金のような眼がまっすぐ青年を見ていた。感情は伺えない、外見よりもずっと疲弊して、膿んだ眼差しだった。この娘の来歴はよくわからないけれど、しかし言葉と顔を見ていたら、自分も言葉を真剣に選ばなければいけない気がした。そして考える、状況も忘れて思案しながら、言うべき言葉を迷う。
「―――だったら、最初から仕事なんか放り出せばよかっただろ。」
「任務は義務。そのための契約、存在意義は覆せない」
「任務の話じゃなくて、そのためにオレたちを巻き込む理由がなかったじゃないか、って話。」
「場の流れ。天秤の協力を仰ぐことで円滑な任務遂行が可能と目算。事実そうなった」
「合流前にさくらとリリィを助けたのは?」
「交渉材料としての確保。書庫利用者、つまり従神以上の神格関係者の可能性が高かった。とんだハズレくじだったけれど」
「本当に、打算だけが理由か?」
「当然」
表情や感情に一切のゆらぎなく、淀みなく言ってみせたのを見て、言葉を重ねるのをやめた。身体を起こして再び仕事に戻ろうとした小さな肩を抑え込み、無理に目を合わせる。戸惑いよりも、疑問と不愉快の彩りに満ちた目線と額を突き合わせる。
「じゃあ、オレに何かが出来たら、」
「はぁ?」
「オレが無能でなくなったら、人間が嫌いだという言葉を撤回しろ。」
「……突然なんなの、放すの、邪魔…」
「証明してやる。お前はそんなんじゃない、オレも、お前が思っているオレを超えてみせる…っ!」
弾力のある頬を両手で捕らえ、無理やり正面を向けさせていたけれど、払おうとやってきたプリムラの手を掻い潜るように放して、再び箱の影から機会を伺い始める。プリムラすらも解釈に時間がかかっているのか目を白黒させているけれど、その死角に現れた予告線の先に向けて、PDWの弾丸を放つ。出現と同時に重なった座標で砕け落ちる弾丸と光球を背に、彼は鼻息を荒げて気勢を高めていた。それだけで何かが変わるわけでもないのに、モチベーションが何故か激しく向上している。
「わけがわからない――――これだから人間は」
プリムラの呟きを、集中している彼は反応しない。もちろん娘の顔を振り返って確かめることも今はしなかった。