3-15 Saga Effect:1
頭の衝撃は軽い。リリィに助け起こしてもらいながら状況を再確認すると、大型の羽虫に絡まれているプリムラがまたも舞っていた。小柄な体格と俊敏性でもって、個人防衛兵装を最大限の効率で命中させていく。遭遇戦のみならず、原型よりも大型化した羽虫達の群れ相手に一歩も引かず、敵意を引き続けている。そのラインを突破しようとしたものには容赦なく背中に銃弾を浴びせて押し留め、防衛戦ですら完全に熟してみせた。
「――――防衛戦、な。」
口調は機械的で先程は苛立ちすら見せたが、それでもプリムラは二人を見捨てるようなことはしない。思考の中に打算を見つけるとすれば、二人に戦力として加勢してもらって楽にしてもらおう、とでも考えているのかもしれないが、心中がどうあれリリィ共々命の危機から守られていることに変わりはなく、それがわからない程二人は愚鈍ではなかった。
レモンイエローの舞踏は機能美を描く。頭部に損傷して出血までしていたが、乱れがない。背面からの強襲にはブレードの展開によるノールックカウンター、空襲を受ければ消散中の死体を踏みつけながら跳躍し、さらに天頂を取る。疲れも弾切れも見せることはなく、完全なタイミングでの補給やインクグレネードによる情報解体…それらの労力が果たして、何割二人のために割かれているのかはわからなかったが、彼女の言を信じて黒幕がいると仮定して温存できているのかと考えたら、否、と結論づけるしかない。
「くそッ!」
(まただ、また助けられている。)
口惜しそうに悪態をつき、拳を握りしめる。軽いアドバイスはもらったはずだが、こうして戦いを前にしては考えもまとまらない。いいアイデアもない。覚醒イベントなど夢のまた夢と臍を噛む。だからといって応援するだけでは、きっとプリムラには怒られてしまう。そうではない、望まれて、望んでいるのはそういうことではないのだから。
「……簡単、この場で、……術、……グリッド…テーブル……」
なにか手はないか。周囲へ意識を向けた彼が見たのは、同じように悔しがっていると思われたリリィが、胸で手を組んで何かをつぶやいている姿だった。彼女は戦いから目をそらさない。緊張のあまり呼吸を荒らげ、しかし過呼吸にはならない程度に微かな冷静さがあった。時間が経てば立つほど真っ直ぐな瞳に力が宿っていくが、一線を超えきらない。何か、何かの後押しが欲しい。そんな願いが聞こえた。
「……私に、出来ますか……ッ?」
「――――出来る!」
何をする気だ、とか、それでどうする、とか。つまらない言葉は捨てた。拳を握って叫びが溢れ、リリィが振り向いた。何処か呆けたような、驚いた表情。少しだけ見下しがちなのに自信なさげな娘を、まっすぐと見る。ノータイムで応える。
「リリィ、君には力がある!あのさくらの妹だ、小さくても胸を張って生きるあの女のだ!信じるんだよッ!信じなくてどうする!!」
(そうとも。祈るなら信じろ。)
力が入った。祈るために組まれた指を包んで、勇気を求める少女に応える。信じる相手が違う。それさえ間違えなければ出来ると伝えたい。彼女には…自分が欲しかった物があるからと。
「弱くたって、いい。強くなるために必要だったなら!その弱さに想いをぶつけるなら、さくらに報いるリリィになるなら、今しかないだろうッ!!」
(そうとも。オレは、)
汗ばむのも忘れた、強く握ってただ伝われと願う。願う。願う。神は祈らない。
(オレは、君の神様になりたい。)
もちろんそんなことで奇跡なんか起きない。零子は赤く、プリムラは消耗し続けていたし、突然外から援軍なんてやって来ない。彼はただ、リリィに自信を持って欲しいだけ。それだけの言葉だった。
たったそれだけの言葉だけれど、リリィの目から戸惑いや躊躇、恐怖が落ちていく。呼吸を整えて組んでいた指をほどき、それを握りしめていた彼を握り返すまでになる。彼の顔に浮かんだのは驚きだった。稚拙な言葉を並べたつもりで、今まで伝わったことがないのだからと何処か諦めてすら居たのに、無我夢中の内に放たれた言葉をリリィは受け止めていた。生唾を飲んで握り返すか細い指は熱く、まだ緊張はあったのだけれど、大きく頭を、縦に一度振った。
「……ッッ、はいっ、お兄さん!!」
指が離れ、彼女の服の各所に潜り込む。衣装を探り出す姿を見ていて、棚上げにしていた疑問が再浮上してくる。とりあえず勢いで承認してしまったわけだが、果たして彼女は何をしようとしていたのか。聞くことも出来ない真剣な様子に黙って見守るしか無いのだけれど。
「…守り樹の枝、晶石を2つ、祈り紐、術路の写本……!」
腕に隠せるサイズの枝と、夜のランプから2つの石。腕に巻いていたミサンガを解き、服の裏に仕込んであった用紙を剥がし、手の中で握りしめて、地に落とす。動作は単純。しっかりと結んだまぶたもまた、手のひらと共に開かれた。
地に、線が走る。縦に四本横に四本。光の線として浮かび上がったそれが作った3×3のマス目に落としたアイテムが収まる。各々あるべき場所へと収まったアイテム達は一つの色に染まり、輪郭だけを残して寄り合い、軽い雷光と共に混ざり合っていく。ひたいに汗を浮かべながら手をかざすリリィと、それまでプリムラに注視していた虫型のビブリオモンスター達がこちらへとゆっくりと視線を向けた。側面から撃ち抜かれてもなお、残されたモンスターの興味が移ってしまったのを見てプリムラもそれに気がつく。
『これ、は……』
電流、雷鳴。地から天へ走ったそれの残骸は結晶の道具だった。前の世界で彼だけが見たリリィの杖、その一部を結晶と置き換え混ざりあったかのような見た目をしていた。もちろんナイフはない。それは別の物体だ、単独で見れば、それは樹木と結晶が混ざり合う杖のように見えた。リリィが握った場所、その周辺だけが木製。あとは水晶。エッジの効いたデザインが尚更リリィの手の中にしっくりと収まっている。両手に握りしめた杖の感触を確かめながら、リリィは自らの所業に戦いてた。
「―――――出来た――――?」
言葉にしてみれば、ただ杖を作っただけ。その偉業に何より当人が驚いてた。彼ですらその足元にも及ばない。絶句。過ぎた驚きを得る人は言葉を忘れるのだと、その時彼は初めて知った。初めての経験を得たのだ。認識を置き去りに時を進め始めた現実はリリィに群がるべく羽音を散らす。身体が驚異から娘を守ろうと足音を立てたのは、それから遅れること何秒だっただろうか。認識を置き去りに進む時間の中で、リリィは手にした杖を持ち上げ、そのまま地面へ垂直に叩きつけた。
「来てッ!!」
高鳴る音は金属質。外に向かって広く広がっていく音にあわせて、波打つように光の線が図形を描く。回路模様。光の回路が大きく伸びていく。原理は不明だし感覚を説明するのは難しかったが、その時確かに神の眼は、零子がか細く歌ったような気がした。
杖を地に突いたリリィは無防備だった。人と同じサイズの蜂が群れて襲ってくるのを庇うことは間に合わない。だがその針が今や迫らんとした時、接触以前に針先から瞬間的にその全体が凍結する。運動エネルギーや慣性諸共凍てつき停止して地面に転がり落ち、太くて長い尾がそれに叩きつけられて破砕される。
『あーんれまァ妹様でねェですかぃ。ご機嫌如何でおま?』
似非ズーズー弁によるご機嫌伺いだが、回廊の闇から殴打音を背景にしておりひどく野蛮な聞こえ方をした。重いものが風を切り、水音を数度響かせてから現れた影は、己から結晶を生やしてノシノシと歩く巨大な熊。もちろん見覚えがある。リリィの足元にトグロを巻いた大蛇も同じく巨大で、結晶をきらめかせ、そして知性のある瞳で二人に会釈した。
「タイショー、ガーベラッ…!」
『おう猿ゥ、なんやこりゃ?こぉんな陰気臭いとこば妹様ば連れ込んでェ、ぁんか如何わしい真似すんのかオォ?いてまうど我ァ!?』
「しませんしません!…いや、それより、どうやって!?」
『それがよォ、女神様んとこで飯食ってたんば、きゅーに妹様に呼ばれた気がしたんじゃい。返事ばしたらデケェ虫がおったけェブチ落としたんやけど…なんなこら?ケッタイな魔物じゃの』
「なんとも、ないのか…。」
『あァ?でかかろーが虫は虫ばいね』
同意を示すガーベラと合わせて、再び放たれた狼型を弾き飛ばす。二人に情報汚染の兆候は見られない。両手で杖を握りしめるリリィも、その様子に安堵するかのように熱く二匹を見つめ、そして彼に振り向いて、嬉しそうに飛び跳ねて見せた。
いい顔だと、頷いてみせる。けれど敵は奥から横から湧いてくる。二匹の司令塔として共に前を向いたリリィの背を見送りながら、彼もまた、共に手に汗を握る。
「これは、大変なことになったね」
「黎衣さん。ああ…やっと出来た…。」
いつの間にか追いついてきた黎衣の言葉に頷き、自分の進歩を実感しながら漏らす。だが黎衣は首を振った。文字に汚染されることのない二匹を見つめながら、それからリリィを見て、彼に視線を移す。
「いいや、君と彼女のパスはつながってない。君はまだ彼女を眷属としてはいない」
「……え?」