3-5 Region5
餌付けの結果、多少は気を許してくれたらしいリリィをベッドに座らせる。神の飲み物を堪能した娘は、後に待ち受ける悪魔祓いの儀式を時折思い出しつつも、一緒になってPCを覗き込んでいた。元々好奇心は強いのかもしれないが、それ以上に対人関係での警戒心が表に出ているのだろうか。
「リリィ、文字は読める、って言ってたね。これがなにかわかる?」
「はい、加工の方法、が書いてありますね」
翻訳に不備はないらしい。差し入れのサンドイッチをつまみながら高速で画面を送っていたが、リリィもまたそれについてきているらしく文句は出てこない。サンドイッチの具は、採れたての肉をブラックペッパーで香り付けながら炙り、マヨネーズで和え、更にレタスで包んだものだった。中々高カロリーだが、カロリー=旨味と捕らえたるのなら、または少ない量で補給する場合には適切かもしれない。思い返せば眠り込んでから何も食べていない彼にとってはなおのことありがたかった。
「でもインベントリ?とかないので、手元で加工する事はできませんし、テーブルを使って決められた場所に置けば出来る、というのも、なんだか味気ないです…」
「実際にものを作る人として?」
「はい、作るのが楽しいところもありますから」
実際にものを作るリリィの意見もまた参考になる。曰く、プロセスもモノ作りの醍醐味であるという。ゲームでは簡略化されている部分にも意味を見出す感性は、彼には少し欠けていた視点だと思われた。いつの間にかやり方を教わって、自分で画面を送りながら続けるリリィ。
「確かに端材とか部品とか、量産するものは簡略化したいと思うこともありますけれど、その日手に入った材料が違えば、個性もでてきます。昔は鍋の蓋を素材ごとに使い分けたりしてたんですよ。色が違うだけでも鍋の中身を区別できたりしますし、頑丈な板は暑い季節にスノコにしたり、逆に繊細で折れやすい板や枯れ枝は入り口近くに敷いて鳴子代わりにしたり、工夫するのが楽しいんですよ」
先日とは打って変わって、喋りすぎるぐらい喋るリリィ。自分も覚えがある。この手のパーソナリティを持つ人間は世間では陰キャと謂れのない非難を受け、社交性の高い方々には受け入れられにくいものだ。けれど、彼は別段途中で止めもせずになめらかに聞いていた。文章を送りながらも一字一句。好きなものについて語りたい気持ちは、よく分かるのだ。
まあ彼女にとっては、そんな自分を自覚させられるだけの猶予を経て気付かされる間でしかない。急に黙り込んでしょげるリリィに、青年は首を振ってみせた。
「もっと話してくれないか、リリィ。とても参考になる意見だ。ちょうどオレも聞きたかったんだ、君が何を考えてるのか。聞かせてくれよ。」
「で、でも……」
ここでまごつくのは類型と言っても過言ではないだろう。どの世界に行っても同じなのだ、自分を受け入れられなかった人間の考えることは。それが理解できているからこそ、男は肩をすくめながら、少し作業を止めて振り返り、微笑んでみせる。
「時間がないんだ。明日…いや、今日の朝までか。その間に答えを出さないと、オレはシュウに何をされるかわからない。君の言葉から何かが掴めそうなんだ。そのまま話していてもらえないか。」
痛いほどわかる。必要とされたかったという気持ち。彼女の抱える社会から排斥された気持ちは。さくらは強かった。でも、リリィはそうではなかった。その気持ちへの同調はより深く、対象的な姉妹それぞれが持つ色彩や輝きを色濃く自分に見せてくれる。それが彼の欲した物語だった。
リリィの目はさくらとは似ても似つかない碧色をしていた。まっすぐ向けられたことはこれまでなかったと思うが、今向き合う眼差しは予想の外を突かれた色をしていた。瞬きをも忘れてじっとこちらを見つめながら、しばらくすると腫れたように頬を染めて、目をそらしながらごまかしがちにコーラを煽る。それにむせ返る姿に対して急かさず、ただ待っていた。
リリィは困っていたが、男は藁にもすがる思いだ。どうしても、自分ひとりでは思いつかない。その救いを倍も年下の娘に求める恥を飲んで答えを待つ。散々っぱら彼方此方見たり見なかったりした視線を追った後、指先で遊びながら、結局目を合わせないままに。
「……そ、そこまでい、いうなら。いいですけ、ど。けど…」
答えを聞いたら満足して、彼はその後表情を確認しないままディスプレイに向き合った。速読で攻略サイトのページを漁りながら情報を再確認していく。リリィが隣りにいて、しかも協力してくれるとなれば気持ちも大きくなる。なんて言ったって美少女なのだ。元気にならない男はそういない気がした。
「じゃあ、続けて。君がさっき創った森には、何が足りないと思う?」
データを集める傍ら、彼女の感性を期待した。何処かでプレッシャーをかけてはいけないと思いつつも、データの海は彼の情報力を補強するばかりで真の答えは得られないという確信があったからだ。かといって、彼女一人に話させているとおそらく途中で脱線する。ならば話し相手である自分が彼女の会話を誘導する必要がある、と彼は感じていた。その呼び水として一声掛けたのである。
「……まず、素材の種類」
応じたリリィが考えて、言葉を発した。ただ続きを促す。
「それから、加工手段。これはその光る板を見て思ったことですけど、作り方はいくらでもあっていいはずです。同じ答えにたどりつくのであれば、簡略化してもいい、詳細に、または我流で創ってもいい。ただ、作り方が反映されるとなおよいですね。量産が必要な場合も、こだわって作りたい場合もありますから」
メモを二重に取り、シュウに託されたアプリも確認した。項目は非常に詳細に渡っていた。よく見ればポップするモブ…動物の種類や性質の設定も出来る。心は作れないといったが、プログラムの範囲で適した生命体は自0動的に発生するように組めるように出来ているらしい。これはなにかのヒントになるかもしれない。
「一理ある。主なモノ作りは君が得意そうだから、リリィの判断を支持するよ。」
「ありがとう。でもまだあります。構築後、細部がすごく曖昧というか、思ったように整形できずに困っています。技術でできる領分を超えているからでしょうけれど、ここは後であなたに…もしくは、女神様に調整をお願いしたいのですけれど、よろしいでしょうか」
彼は頷いた。2つのメモに結論をまとめるとサインを走り書きして完了。仕事用カバンにブチ込んで終了である。区切りがついて肩をなでおろした彼に、リリィは凛とした態度をまた崩していた。
「……これでいい、です、か?」
「十分だ。君のおかげで色々と解決法が見えた気がする。シュウにはきちんと報告させてもらう。」
リリィも言葉を受けて、安堵したように肩を撫で下ろす。極度の緊張からの解放…自分の言葉に自信がなかったのだろう。それでも頑張ってくれたリリィの頭に手をおいたら、また面白いように身をこわばらせる。払い除けたりはしなかったが、彼女の髪を崩さないように淡いタッチで撫でた。怯える娘にひどいことをしたくはない。
「怖くないよ。オレは、…君とお姉さんに危害は加えない。本当だよ。」
なるべく穏当に、心からの言葉を告げたはずの彼だったけれど、姉の存在をちらつかせた途端薄く顔色が変わったのは見逃さなかった。伏し目がちに表情を暗くして、また何事かを考えているけれど、それを発しようとしてリリィはやめてしまった。彼からはそれがなんだったのか、この段階ではわからなかった。
「……はい、それでは、今日はもう…」
なんだか元気をなくして、そのまま立ち去ろうとするリリィ。女心は難しい。何が彼女に引っかかったのかを読み取ることは難しいから、引き止めずに挨拶をしようとして、彼ははたと思い出した。玄関までブーツのまま歩いて行こうとするリリィの腕を掴み、やっぱり引き止める。
「リリィ。」
「……っ、は、はい?」
恐る恐る振り返ったリリィ。その男の片手には、更に乗ったままのボトルが2つ。はっと思い出して取り返したら、また蓋を開けようとして彼に止められた。
「1つ。それは一度開けると、時間とともに炭酸が抜けていく。ちゃんと蓋をしてしっかり冷やさないと、美味しくなくなっちゃうよ。」
どうやら親切心で指摘してくれたらしい。新しい知識を得て何度も頷くリリィだが、彼はまだ話を続ける。
「2つ。お皿は洗って返すよ。サンドイッチ、ごちそうさま。」
律儀に感想を述べて、肩をすくめてみせる。料理を褒められて悪い気はしないのか、ぎこちなくもほほえみ返してみせる。名前に違わず可憐で、たおやかな美少女だ。男なら誰しも見蕩れずにはいられまい……だが、見習い神様は次の瞬間不敵に笑って三本目の指を立てた。リリィがなにか他に言われるようなことはあったっけ、と首を傾げている。
「3つ。悪魔祓い、しようね。」
「……?………、……!!!」
あくまばらい。言葉の意味を理解するのに数秒して、そして不意に思い出した。このままでは口の中に悪魔が住み着いて、やたらめったら暴れまわって口の中を激痛で苛むという。儚げですらあったリリィの顔色が一気に青ざめて、涙目になりながら神にすがりついて許しを請うが、彼は結局洗面所にリリィを連行して、ミント味のする薬で口元をベトベトにする娘を抑え込むのに時間を費やす羽目になったという。