1-2 I DON'T ADMIT SUCH DEATH!:2
拳を振り上げて叫んだ自分。認識するより早くむせ返り、身体をくの字に追って激しく咳き込むと、誰かが駆け寄ってくる音が遠くから聞こえた。そして自分の背中を優しく擦ってくる。暖かい声色と、甘い香り。
「そんな咽るほど叫ばなくていいじゃん、トラックに跳ねられたぐらいで」
トラックに跳ねられたなら叫びたくもなるでしょうよ、叶うなら。
声は出なかった、全て咳き込んだせいで肺と胃の中に押し戻されて、改めて肺に酸素を行き渡らせるまで、その人物は背中をなで続けてくれた。おかげで楽にはなるが、冷静になって見上げてみると、自分を覗き込む真っ赤な眼を見返すことになってしまう。とっさに、身体が強張り後方に飛び退いてしまう。
「うわぁっっ!?」
人間離れした眼。瞳孔が縦に割れた獣のようで、一般的14歳が好む要素が生々しく間近に現れたら、人は驚くものだと体を張って証明してしまうだろう。しかし惜しむかのように伸ばされた指先は引っ込められ、目を細めながら笑ってみせる姿は淑やかですらあった。
「いやぁ、ごめんね。突然で驚いたでしょ、わかるわかる。うんうん」
一言でいうと、天女を思わせる美女であった。人懐こいはにかみ笑いを浮かべ、地面につくほど伸びる黒髪。やや童顔だが、羽衣を思わせる服は中々メリハリが効いている。男なら目を奪われること必定の豊体を持て余し、そしてねじれたヤギの角が左右の頭から生えて…
「悪魔じゃねえか。」
「いいえ女神です」
「嘘を付くな。ヤギの角は悪魔の風物詩だろ。さてはリリスだなてめー。」
「いいえ女神なんです。そこから話すのかぁ、聞いて、お願い。言いたいことはわかるから」
彼も混乱していたには違いないが、それをなだめようとする女性とのやり取りはしばらく続いた。彼女は慣れているのか気質か和やかにいい含めてくれたが、意固地になってしまった青年が落ち着くまでに水を飲ませたり手を握ろうとしたりして、最終的に「おっぱいもむ?」とかいい出して肩をはだけだしたので、我に返って丁重にお断りしたのである。女ってずるい。中々実ってたし。
「とりあえず長くなるといけないから、ちょっと整えるね」
それまでの会議室を流用したかのような面接会場が一点、彼女が手を叩くなり童話の映画表現のようにガラリと様相を変え、絨毯の敷かれた客間になる。身じろぎしながら後ずさると、先程までの折りたたみ椅子が革ソファーに変貌。戸惑っている間に背中を押されてソファに沈み込み、座り直している間に背の低いガラステーブルの河が二者間に敷かれた。そして同じソファに腰掛けた彼女が、ひまわりのようにほほえみながら訊ねてくるのである。
「飲み物は何がいい?お冷や白湯、各種お茶、ジュース、お酒、なんでもあるよ」
「…そういう力が存在して、あなたが行使出来るのは理解した。暖かい緑茶でお願いします。」
「はぁい!」
世話好きなのだろうか、部屋を一変させる程度を軽々しくやってみせた彼女だが、何故か給湯ポッドと急須、茶葉、湯呑とお盆を準備。席から立ちながらわざわざ茶葉を蒸らすところから目の間で実演してくれるのである。調子が狂う。女神にせよ魔女にせよ、意図が読めない行動に目頭を押さえるしか無い。
「ボクはね、シュウっていうんだ。シュウ=ニグラドゥ」
女は作業がてら名乗る。変わった響きだ、少なくとも日本人ではないが、語感からしてヤギの角にも納得が行く気がした。なお、出したポッドはボタン自動式ではなくポンプで中身を汲み上げる手動型だ、丁寧に押し込んでは戻しを繰り返してお湯の量を調節している。
「属性としては地母神、になるかな。聞いたこともないだろうし、傍流の女神さ。世界…というか、この虚ろの海にはこういう神様がゴロゴロしてるんだよ」
「虚ろの海、とは?」
「興味ある?」
好奇心を刺激され、食いついたところをすくい上げて微笑むシュウ。やられた、と目をそらしたのを肯定と取ったか、お湯と茶葉の入った急須を揺らしながらしっかりと蒸らす。
「世界を星だと思って。一つの星は地球で、その外側に広がる宇宙が虚ろの海、っていうんだ。それ自体が一つの世界観とも取れるから、虚界、って呼ぶ人もいる。もっというと、」
しっかり温まった急須を傾け、湯呑に二人分のお茶を組み上げる。柔らかそうな指先で熱そうにしながら、自分と相手の前に差し出して、まず彼の湯呑を指刺す。
「これが、世界。それ以外は全部虚ろの海。お茶じゃない色んなものがごった煮でしょ?」
「…そっちは?」
彼が指したのはシュウ自身のお茶だ。問われて頷きながら、暑さを軽減するために手団扇で扇ぐ。
「これも世界。違う世界だ。んで、今ボクらがいるのは…あちち」
湯冷ましが足りなかったらしい、可愛らしく≒あざとく舌を出して熱がってみせると、今度は湯呑を置いて、お盆をスライドさせて近くに。指先はお盆全体を指して見せると、彼は湯呑とお盆へ視線を行き来させた。意図は汲み取れたようだが、生まれる疑問。
「……盆の上?」
「そう。神様の領域。ここで湯呑に何を入れるか決めて、持ち運んで、配膳するの。なので君が居た世界も含めると、こう」
2つの湯呑を丁寧にお盆の上に乗せて、一つ、2つ、と指差しで確認。彼も顎を撫でて思案すると、馴染みのある状況がようやく飲み込めてくる。
傑作だ、と笑みに歪んだ唇から漏れた。喉が鳴る音は押し殺した笑い声か。
「つまり、あれか。自分は今、トラックに轢かれて死にました。次の世界に転生させてあげましょう、って状況なわけだね。」
「さすが小説家!話がわかるね!」
経歴はすべてバレているらしい、既に術中、手のひらの上。両手を叩いて理解を悦んでくれる女神様の前で、彼はうつむきがちに肩を震わせている。正面似るシュウからは表情を伺えず、打ち震えているように見えるだろうか。
「…はっ、売れない物書きが、小説の登場人物になりました、か。道理で絵に書いたような死に様だよ。ははは。」
「まあそう気を落とすな、ちゃんと特典はつけて送ってあげるから。ほらみて?」
お茶を配り直し、再び手団扇で仰ぎながらふーふー息まで吹きかける。湯気で湿った唇が艶っぽく、幼気な顔立ちに女の色を添えていたが、視界にも入れない男がいる。うつむいた彼の目の前にフィクション染みたウィンドウが現れて、つらつらと項目を垂れ流している。彼が目を留めたらスクロールが停止し、項目がポップアップして詳細が解説されるという非常に親切なインターフェイスだ。
「色々あるよ?例えばほら、文才強化とかしてファンタジー世界で伝記描いちゃうとかどうよ。描いた文章がそのまま現実に!とか楽しいぞぉ」
きっと覗いている項目も彼女には筒抜けなのだ、視線を外してつらつらと項目名を速読するが、一向に顔を挙げずに思案を続けている…ようにしか、見えなかった。お茶にも口をつけないので、毒なんて無い、と自分から少し飲んでみせる。今度はなんとか飲める程度の温度だったようだ。
「それとも現代風の世界にいって、サスペンス・ミステリーやっちゃう?君が事件の黒幕!?犯行方法不明!なのに探偵が迫ってくる!いやぁ映画化不可避だね!」
底抜けにあれこれとサンプルをあげてくるシュウだったが、一向に彼が身じろぎをしないのには疑問…の前に、労りの様子を見せた。実はまだ死を克服出来ていないか、納得できていない。そんな転生者を神様なりに見てきたためだろう。テーブル越しに肩に手をおいて、優しく語りかける。
「…悪いんだけどさ、死んだ君を元の世界に戻すことは出来ない。未練もあったろう、遠方のご家族を心配する気持ちもわかるけれど、ボクらにも出来ることには限りがあるんだ。わかってもらえるかい?」
「………、わる。」
「えっ、なに?」
ようやく言葉を発したのに反応、耳を寄せて、内緒話を聞き取ろうとするシュウに向かって顔を上げた青年は、はっきりと口を開いて言い放った。
「断る。オレは転生しない。」