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契約のシャフト  作者: 二来何無
序章 5W1H
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1-1 I DON'T ADMIT SUCH DEATH!:1

「真夏の夜の夢、ですなぁ。」


彼の番が来た時も蒸し暑い深夜だった。吐けども吐けども肺腑に膿んだ不平不満は蒸発せず、どころか体内に結露して重苦しい堆積を繰り返す。彼は猫背気味だったが、口から漏れた不平に気づくなり意識して背筋を伸ばし、視線を遠くに飛ばそうとした。はたから見れば独り言を吐く変な青年だったが、それ以外の身なりには取り立てて奇異なところもない、ただの青年でもあった。

そもそも彼も場を選ぶ。わざわざ深夜の外出を好むのも、こうして独語癖があっても咎める視線が少ないことが理由の一つだ。サンダル履きのまま扁平足が音を立てるのが気になり、薄っすらと浮かせた脚を滑らせるような歩法。弱い気管支がただの歩行で汗をかき、酸素を欲する息遣いも可能な限り我慢して、淡々と電柱を数えるように歩いていく。100m置きにホッと漏れるため息は偏った食生活の味がした。

しかしそれは抜きにして、夜を好む感性を持っていた。これみよがしに照りつける太陽はなく、ともすれば雨が降っていたって気にしない。ひと目を気にする神経質な性格とも噛み合う静寂は嫌いではないのだ。


「これで梅雨明けしてればなお良かったんだけど。」


しかして、目的はない。ただの散歩と、晩酌の買い足しのために近所のコンビニに向かう途中だが、物思いに耽っていたために水たまりに足を突っ込む。泥水が跳ねたが、気にせず歩き去ってから振り返り、道の先に馳せていた視線を少し地面に戻す。足元注意である。

虫の鳴き声に自分が立てる音を混ぜることを嫌うように、それからは一層注意して足を運ぶ。特別な歩法を使っているわけでもない、武道の心得は皆無の我流だったが、それだけ気の小さい男だと彼を知る者は言う。


遠方から響くエンジン音、トラックの地鳴り。何事もない夜長の音に、Tシャツ半ズボンの青年が混ざる。地味な画が続く中、青年は物思いにふけった。昨今の資金事情のことについてである。

食費がギリギリにもかかわらず、友人を作ることもなくこうして酒と夜食の量だけが増えていく日々。バイトはしていない、売れない小説家としてほそぼそと文章を書き、繊細(センシティブ)なネタで炎上して、フォロワー数が低迷して出版社から首切り寸前。フォロワーに反比例する飲食代はいつだって切実だった。職がなくなるのはあきらめも付くが、食はそうもいかない。結果的に住処どころか命すら失うのだ。


「梅雨、夏、湿度、……うーん、ポエムにでも走るかなぁ。Pにでも送りつけて歌ってもらうとか。」


独り言ちて、鼻で嘲笑う。そんなコネはない。彼にとっては、ネットコミュニティも現実と同様に不得手だった。でなければこんな友人もなくひとり酒を嗜むはずもない。ネットの上で誰か適当な知り合いを捕まえて、チャットなりIRCでぼやきながらかっ喰らえればまた違うのだろうけれど。


「出来るわけないよなぁ。ははは。」


こんな時は、むしろ誰かに奇異の目で見てほしいとすら思ったのは想像に難くない。人目を探してさまよう視線は、きっと嗤ってほしかったに違いない。

だが、こんな時間に逃げてしまった男は一人だ。誰も彼に答えない。わかりきったことを再確認するだけにとどまってしまい、結局また、止めていた脚を一歩、前へ。今夜はボトルワインでも開けよう、安い物を。僅かな慰めだったが、無いよりはマシ。今日も酒と安定剤をかっ喰らって寝るだけの夜になるだろうと未来図を描いたところだった。

ふと、視線を上げる。夜は黒い。蛍光灯の白は集る虫で影がちらつき純粋なものではなかったが、その先にいた何かはただ白かった。


「…おー、おー?」


物書きではあったが、諦めを前提としていた精神構造が見せた幻覚だろう。最初は目頭を押さえ、目やにを拭ってから再びそれを見る。白い、ただ白い、…影?だろうか。曖昧な輪郭が揺れて、像もぼやけ、詳細を汲み取れない何かが居た。ぼかし写真の中身が実体化したような風体で、二本の白線を挟んだ道路の向こう側に立っていたのである。

柳の下の幽霊と言うには住宅街過ぎるし、近づいて寄ってみることができれば、案外シーツの中から電気で照らした悪戯なのかもしれない。現実的に理解しようとすれば一般人なら怖がって逃げそうな景色を、食い入るように彼は見入った。あれほど音に気を使っていたにもかかわらず、生唾を飲み込む喉の音を気にもとめずに。


「…あー、実在、したのかー。ゆーれい。ちちちちっ、こっちゃこーい、こっちこっちー」


なんともあっさりと事態をそのまま受け入れ、猫にするかのように手を伸ばして舌をうち、音を立てる。こっちゃこいこっちゃこーいと自分から幽霊を誘う動きを見せるが、その白い影は動きを見せず佇んでいる。聞こえていないし見えてもいない、あるはずもないものがズレて漏れた影。


「あー、やばいかなー?でもー、でも気になるー、あれー…。」


夜長に妙なものを見てしまったためか、外に出るときは常に張っていた緊張の糸が緩む。それが摂取していたアルコールを循環させ、身体を巡ったに違いない。判断力が鈍り、白いモヤの意味を懸命に夢想しながら手を伸ばす。もっと近くに行けば、その正体がわかるかもしれない。正体が知りたいという好奇心が剥き出しになる。

酔って鈍い頭だが、あの白を前にしては妙な回転を見せた。ファンタジー小説やSFを読み耽る趣向故、異世界の扉か何かか?という想像力が働いたのだ。アルコールの後押しもあってふらりふらりと誘われたとき、ふと伸ばしている自分の手が白んでいることに気づく。ワンテンポ遅れて、光の行く先に視線を向けた時、耳をつんざく轟音を聞いた。それが認識世界から彼を現実に引き戻す。


「…Oh…。」


頭はめぐる。置き去りにされた身体は動かない。巨大な光る眼から浴びた視線に射すくめられて、嘘みたいな4tトラック(げんじつ)を迎えるしか成すすべはない。目撃者もいない、まるで自殺でもしたかのように報道される未来が見えた。が、眼はそれでも白いモヤへと向く。


(ロールシャッハテストに、引っかかったか―――)


意味のない模様に意味を見出す脳の錯誤から精神を読み取るという心理テストの一種だ。あれを見たことで、自分は結局精神的に囚われて、この現実に襲われたに違いないと考えだけが先走る。

何万分の一秒だろう、続いた言葉がクラクションを超えて耳の中を巡った。


死ぬ。オレは死ぬ。自殺のように死ぬ。トラックに跳ねられて死ぬ。激突の衝撃で、空中でかき混ぜられて、地面に叩きつけられて、そのまま跳ねて二次被害で、ひょっとしてなにかに更にぶつかって、事故で何かが刺さるかもしれない、頭の中に、眼の中に、口の中に、心臓が、胃が、血管が押しつぶされて、自分で望んだ(・・・・・・)かのように死ぬ。


死ぬ。


自分で、望んでいたかの、ように。



認めない(・・・・)




実際に身体がひしゃげる瞬間、命が流出する身体はトリップ状態にあったとは思えぬ憤怒の形相を見せて、そして墜落した。彼の人生はそこで終わった。



「っっ、ざけんなぁああーーーーッッ!!」


「うわっびっくりした!?なに!?」


終わったはずだった喉から漏れた渾身の叫び。消え去ったはずの声に遅れて気づいた時、彼は全く違う場所に立っていた。折りたたみの会議椅子を横倒しにしながら、秋模様の空に涼しい風を受けて。


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