序説 Who am I?
「…えー、はい。お察しの通りとは思いますが。」
何をどう察せと仰るのか。悠々と語る眼差しを置き去りにやり取りは極めて平坦に始まった。
場所は密室である。一見してビルのフロアに設けられた面接室だが、天上は吹き抜け。面接官担当の人物が背を向ける窓からは雲海しか見えず、折りたたみの粗末な椅子に座らせられた志望者とはデスクと空間をはさみ対峙しあっている。クーラーなんて気の利いたものもなく、両者とも蒸し暑さに苛まれ汗を流したが、支給された団扇がないだけ客はより過酷である。
冗談抜きの青天井。無闇に照りつける烈光に焼ける書類も構わず、面接官は『神』とだけかかれた名札をイジる。逆の手に握りしめた団扇を自分だけに向けながら当然のように、淡々と、唐突にそう切り出した。来客の方はなんで目が覚めたらここにいたのかさっぱり飲み込めていないにも関わらず、挨拶もぬきにばっさり。
「あなたは死にました。これから特典として、任意の技能を持って異世界で新しい命を得ることが出来ます。」
「は?え、死んだ?オレが?…新しい?え?」
「はい、流行りの異世界転生ってやつですねはい。」
学ランの少年は詰め襟を脱ぐことも忘れ、事務的に垂れ流された説明を虫食い復唱するのが精一杯だ。やる気のない面接官もまた頬杖をついて、手元のパッドを差し出してみせる。表面が滴る汗で湿っているのを拭いもしないので少年は苦い顔をしたが、映し出された映像の現実感のなさに覗き込んだ表情は面接官を追求するどころではなかった。
少年がいた。日々の代わり映えのなさをぼやきながら横断しているところを、ふつーに突っ込んできたトラックに跳ね飛ばされるシーン。声が拾えるほど近くにアングルの寄ったカメラとか、交差点に設置されていた監視カメラの映像とか、変わる代わり何度も見せつけられる死に様は、さすがの少年もだんだんと眼を細め、痙攣しながら口を抑えて顔を背ける有様。面接官も同情的に頷いて、机の下から取り出したペットボトルを机越しに彼の方に与えた。自分用に脚を冷やすため開けていた冷蔵庫に置かれていたので、かろうじて冷水とは呼べる代物である。
「見ての通りですね、内臓の破裂、複雑骨折によるショック、脊髄の裂傷、落下の衝撃による脳挫傷に、後続車両によって頭部が破砕され…」
「もういいわかった、やめろ!説明しなくていいっ!!」
続く映像で彼の言葉が証明されるようなとんでもないグロ画像を見せられそうになり、少年は顔を背ける。まともな神経で見ていられない、まして自分のことだ。ペットボトルが汗をかくように結露するのを眺めながら、面接官は改めて水を差し出しながら、もう一度言葉をかけた。
「とりあえず、このお水はサービスです。リラックスして。はい。」
とことんやる気のない面接官である。特徴もない。神と呼べる威厳は微塵もない、まさに面接官、と言った風体。それでいて、まるで去年入社の新人社員をそのまま面接官に採用した如き企業体質を伺わせる若い東洋系の青年であった。ネームプレートが取ってつけたように軽薄である。
「一昔前の漫画なら、君の不幸に免じて監視付きだけど体に戻れるような取引が出来たんだけどね。最近仕組みが変わったんよ。流行ってるでしょ?こういうの。」
損壊すぎて戻せないんだけど、とか余計なことは黙っておくことにしたらしい。青ざめた少年が言われるまま水を含み、口の箸からこぼすのを気だるげに見つめながら、面接官はよく喋る。暑さを紛らわす為でもあるだろう。
「ただ知っておいてほしいんだけど、オレのせいじゃないから。神様にも色々あるの、責任をとわれてもこちとらなんの対応も取れないからそこんとこよろしく。オレの仕事は、死んだ君を違う世界に特典つけて再配置。管理職みたいだろ?実際そうなの、大変なの。」
「おかげで現実感薄れて来てるんですけどね、まじかー、俺死んだのかー…」
終止する自己弁護に本人も認める虚脱感。少年もペットボトルを平らげながら握りしめて、再び椅子についた。話を聞くスキができたので、面接官もパッドを手元に戻して操作。画面を切り替えて再び差し出したが、今度はちゃんとメガネ拭きで表面の水分を拭き取ってからだ。少年が覗き込むと、複数の項目が上から下までずらりと並び、面接官のフリックでスクロールして延々と伸びている。
「そうそう、これテンプレートね。君が選べるチート能力。パッと思いつかない人向けに表示することになってるの。ちなみに上の方がメジャー系な、不老不死とかー成長率アップとかー限界値アップとかー」
「うっわ、ゲームみてぇ。攻撃力アップ…具体的な数字がないですけどいいんですか?」
「内訳や詳細を求められたら、『行けばわかる』って言っとけばいいらしいよ。上司がいってた。」
「すっげーファジーっすね。こっちのコストって?」
「いい能力はコストが高い。自分のキャパよりも小さなコストで好きなだけ選んでいいぞ。まあ多くても3つぐらいだと思っといて。」
あれこれとパッドを借受け、自分でスクロールを進めながら、質問する少年と受け答える面接官。客観的に見れば中のいい先輩後輩とか、近所のお兄ちゃんと遊んでもらう少年に見えたかもしれない。スポーツ系の少年と、特徴はないもののインドア派に見える面接官の組み合わせはなんとも和むものがあった。ここが死後の世界であり、現実の喧騒と切り離された空間だからだろうか、熱射には苛まれたが、致命的なところには至らないという安心感の賜物である。この暑さが現実感…或いは事実感、といい換えたほうが適切か、逃げられない、選ぶしか無い状況を示していたのかもしれないが。
「友達に動画で見せてもらった…何でしたっけ、TRPG?みたいな?んでもデータが出来てないからほとんど言ったもん勝ち、な感じですね」
「大体あってる。さて、決まった?」
「あ、ちょっとまってください。えーっと」
慌てて画面を送り始めた少年を見守る。面接官の顔に少しの微笑ましさが滲み、そしてちょっとだけアンニュイなため息がもれた。この少年、さっぱりしていて物分りが良い。よすぎる。将来が心配になったのかもしれないが、少年が顔を上げたときには何ら変わらない暑さに茹だる表情をハンカチで拭っていた。
「これとこれと、…これでどっすか!」
提出されたパッドを覗き込むと、面接官の眉が寄った。少年が不安そうに覗きに来ていたが、汗まみれの自分から遠ざけるためか団扇を押し付ける。そして言った。
「…えーっと、宇宙適応力、機動性、生命、力…」
「はい!」
SFでもやるつもりだろうか。大袈裟な疑問が浮かんだが、しかし喉に浮き上がってきた言葉を飲み干し、自分用のデスクチェアにどっぷりと沈む面接官は、椅子のネジをぐるぐると回しながら天を仰いだ。やっぱり快晴である。目を焼く光の中に子供の落書きじみた笑顔が見えたが、照らされる方は冴えない。
「どうせやるなら宇宙行ってみたかったんすよね!いいですよね宇宙!むっかしあこがれてたなー宇宙飛行士!成績悪くて諦めてたんですけどね!」
「あー、うん。君がそれでいいならいいよ。これで手続きは完了ね。椅子に座って。」
順応性の高い少年が数歳若返ったような笑顔。天地の太陽に挟まれた男はパッドを受け取ってから、来たときと同じ姿勢を指示する。そして、
「んじゃあ、安全ベルトを締めてね。衝撃に備えて椅子をしっかり掴んでおくように。」
「…え?ベルト?」
少年は戸惑う。自分が座っていたのが会議用折りたたみ椅子であることを確認するかのように背もたれの方に振り返ってみたが、金具が落ちる音に気づいて床を見た。横方向に垂れ下がったベルトのオスメスを発見し、ああこれですか、と手にとってしっかりと閉める。面接官はパッドを操作。バッジの裏に貼ってあるIDパスを入力することで、画面全体に出たGOサインの前に指を構えて、少年に向き直る。
「そう、ベルト。これから君の第二の人生が始まります。君の思ったとおりには行かないかもしれません、行き先の異世界ではその世界のルールが有るから。」
「は、はい!」
「でも、」
緊張して背筋を伸ばした少年に対して、面接官の男は少しだけ微笑んでみせた。先程拭き上げたのに、また汗だくになった額を拭いながら、ちょっとだけマニュアルと違う言葉をかける。カンペの仕込まれていた机の引き出しを閉める。
「君自身の、生きるチカラを信じて。ここであげたのはおまけだ。そんなものがなくたって、今度こそ君は命を全う出来ると信じている。」
少年が目を見開いた。微笑んで口を開きかけたところでパッドに触れることで周囲が筒状の光に包まれて、椅子ごと天へと登っていく。正午の太陽に吸い込まれるように。彼の言葉は聞こえない、でもこちらを見下ろして懸命に言葉を叫んでいたのは見えたが、面接官の男は黙って見送った。席から立つこともなく、見えなくなる前に視線を正面に下ろし、事務的にパッドをいじりながら。
「……さ、て、今日の仕事は…これで終いかな。」
独り言ちてパッドの汗を拭き、足を突っ込んでいてぬるくなった冷蔵庫の扉を締めて、席を立つ面接官。暑さに脱ぎ捨てていたネクタイをデスクの引き出しからつかみとり、かばんにパッドを詰め込んで軽く伸びをする。中間管理職、人材不足にあえぐ企業に即戦力として抜擢されてしまったサラリーマンのような青年。社会の縮図を体現する『神』。
デスクの裏に仕込まれていた警報装置のようなボタンを押し込むことで、窓にシャッターが降りる。先程少年を包んだ光の柱が部屋の外に展開され、扉や窓のロックがなされるや、部屋ごと空に向かって上昇していく。天井になっていた空が迫り、雲海を突き破りながらも重力の影響を受けない部屋。書類を片付け、再び椅子に座り直しながら、迫りくる温度は変わることはない。天井に書かれた画のような太陽に向かっていく。
「これをあのアバズレに報告行くのか。あぁ、世界滅びないかな。」
――――――ここに至るまで察した方もいるかも知れないが、何を隠そうこの物語の主役は、今しがた送られていった少年ではない。
『神』のバッジを付けたこの青年……便宜的に『オレ』とする……からみた、異世界転生の舞台裏に広がる、無尽の虚空の物語りである。
※一般的な舞台裏とはかけ離れている可能性があります。また、共通見解として提示するものでもなく、この物語内部での事情です。