第八話 陰鬱な村
『本日はお日柄も良く、最高の旅日和でございます。
皆様はお元気でしょうか?
私はというと、精神的な部分以外はすこぶる元気です。
服が血みどろではありますが、気を使ったトビアス氏が自分の外套を一枚くれたので、旅人にぎょっとされる事もなくなりました。
自分の服はそもそも手持ちが少なくて、それさえ燃えてしまったので、外套は心からありがたいですね。
気配りの出来る人間とは愛されてしかるべきだと思います』
などと柄にも無く心の中でそんなことを思うほど、その日は快晴だった。旅の始まりが土砂降りの雨とかだったら嫌なこと極まりない。
空には小鳥が舞っていて、街道には他にもちらほら旅人が歩いている。
隊商ともすれ違った。
武装した物売りなども混ざっているし、普段目にすることの無かった光景は新鮮だった。
前世では徒歩で旅するなど、お遍路さんや、何かにチャレンジしている人間くらいしか思いつかない。まあ、例外がないとは言えないが、交通網が発達しているのに、それを利用しないのは時間の無駄でもある。
ともあれ、次の目的地まではただひたすら歩く。
恩寵とやらで空を翔ける力を頂いたので、正直飛んでいってしまえば楽が出来そうなものなのだが、アドリアンの話によれば、街道に魔物の気配がないか調べながら巡回するのが仕事なのだそうだ。
それに、ヴァルフリーダ神の神官だからといって、全員が飛べる訳ではないという。三人の中ではアドリアンだけが飛べる力があり、かつこの力は本人に素質がなければ得られないものだという。
なるほど、それならば仕方がないと納得した。
話を街道の事に戻そう。
基本的に、大きな街道には神官たちによる持続性の高い結界が施されていて、これにより道行く人たちの最低限の安全を図っているのだそうだ。魔物の出る世界とは本当に大変だ。
まあ、イリスの村を襲って来たのは人間だったが。
放っておいても人間など同族同士で時々殺し合うと言うのに、この世界では魔物にも殺される訳だ。
何て残念な世界だろう。
それでも神々とやらがついている分幸運なのか、逆に不運なのか。
考えつつ歩いていると、アドリアンが眼前に見えてきた鬱蒼とした森を指して言った。
「あそこに確か村がある。今日はあの村に寄ることにしよう。イリスの服もそこで調達出来るはずだしな」
「ああ、そうだな。いつまでもあのままじゃ可哀そうだ」
ジルドが頷きつつ返答。
イリスは少し引きつり笑いを浮かべつつ言った。
「色々とごめんなさい。でもそうして貰えるととても助かります」
遠慮気味に言ったものの、そうして貰えると実に助かる。
実際、血の匂いというのは結構辛いものがあるのだ。替えがあればとっとと取り替えている。本当なら水浴びもしたいが、服がこのままでは意味がないし、耐えかねたからと言って服と自分を一緒に洗おうものならただ体調を崩すだけだ。いくら頑丈に転生させられたからといって、病気一つしない訳ではないのである。
「気にしないで。村に行けば水も使わせて貰えるだろうし、温かい場所で眠ることも出来るはずだから」
「はい、ありがとうございます」
トビアスはにこにことしながらイリスの返事を聞いて、ふと何かを思いついたようにこれから行く村のことを話しだした。
「そういえば、道中で聞いたんだけど、あの村から最近人が出て来ないらしい。それだけじゃなく、旅人が消息を絶っているという話もあったな」
「何だかきな臭いな」
ジルドが顔を険しくして言った。
「そうだな。何もないとは考えにくい。魔物か、山賊か……他にも色々理由があるはずだ。少し警戒しておくに越したことはないだろうな」
アドリアンの言葉にトビアスとジルドは強く頷く。
それから、トビアスが何かに気づいたようにこちらを見た。
「ああ、君は心配しなくてもいいんだよ。これは僕たちの仕事だからね」
「え、はい」
と、返事をしたものの、そもそも彼らが想定する警戒の必要な事態と言うものが今のイリスにはわからない。今まで村を出たことは無かったし、低級の魔物にも遭遇したことはないのだ。つまりは全くの世間知らずという訳だ。
――もう少し、勉強をしないといけないな。
勉強は好きではない。前世でも成績は大して良くなかった。と言うより、出来ることと出来ないことの落差が激しかったのだ。特に社会に必要とされる学科が低空飛行と言う実に情けない状態。
とは言え、ここはあちらとは色々な事柄が違う世界だ。
何とかなるかもしれない。
それに、努力はしておかなければ。
またあの神々に怠慢だと言われかねない。
よし、頑張ろう。出来る出来ないはこの際気にしない。
やるかやらないかだ。
心の中でそう決意する。
「しかし、聞いた話ではあの村は近くに大きな森があるせいでよく魔物が出現するらしい。村人も慣れているらしく、すぐに退治の依頼をして解決させてきたそうだ。だとしたら、もうどこかの神官が向かっていてもおかしくないはずだが」
「確かに。なぜ誰も出て来ないんだ?」
「もっと強力な魔物が出たりしたのかな?」
う~ん、という三人の唸り声。
三人の話を聞くともなしに聞いていて、ある事に気づいた。
もしかしたら、例えば、想像したくはないが、これから行く村、消えていたりはしないだろうか、と。
まさにその状況を経験したばかりなのだ。小さな農村ひとつなど呆気なく消えてしまうことは痛いほど理解している。
それが人の手によるのか魔物の手によるのかは不明だが、そうだとしたら。
――風邪を引いてでも、どこかで服を洗濯するべきかな。
そう思いながら、村よ無事でいてくれと願う。
もし何かあっても全部吹き飛ばしてくれるから、血のついていない服を恵んで欲しい。そして室内で睡眠をとらせて欲しい。
その願いが叶うか叶わないかは、行ってみなければわからない。
◆
とりあえず、村はあった。
村人もいたし、建物も無傷できちんとそこにある。すぐ側に鬱蒼とした森があり、遠目から見ても不気味だ。いかにも魔物の住処といった風情である。
それでも生きている人がいたのだ。
そこに安堵した後に見たのは、怯えきった村人たちの縋るような目だった。
「ああ、ようやく! ようやく来て下さった。お待ちしておりました神官様」
最初に口を開いたのはこの村の長とおぼしき老齢の男性だった。白髪に皺の多い顔。背も少し曲がり出している。杖をついたその人物にの様子を見て、アドリアンが険しい顔をした。
「何かあったようですね。とりあえず、詳しい話を聞かせて下さい」
「はい、もちろんですとも。まずはこちらへ……」
すると、老齢の男性は村の建物の中で最も大きい家を示した。そこがいわゆる村長宅なのだろう。イリスの村でもそうだった。
彼に導かれるまま進む。
しかし、行く途中に気づいた。
気づかないで済ませられる程度の小さな血痕とかではない。
――血?
地面に、大きな血だまりの跡が見える。土に沁み込み、直ぐには消え去らないだろうほどの大量の血。村の入り口にもそれがあった。つまり、人が死んでいるということか。しかし、死んだのは人とは限らない。獣や魔物である可能性がない訳ではない。
だが、この様子を見ていると嫌な予感しかしない。
小さくため息をつきつつ、トビアス達に続いて村長宅へ入る。
入るとすぐに長方形の大きなテーブルがある。使い込まれたそのテーブルの側には、老婆と中年の女性が暗い顔をして佇んでいた。悲しみと憎しみの混在する濁った目。少なくとも、イリスにはそのように見えた。
「どうぞ、お掛け下さい。おい、白湯をお持ちしろ」
「……はい」
機械的な返事をし、中年の女性が暖炉の側へと移動する。木を削って作られたのだろうカップを軽く注ぎ、中に鍋からの湯を注いでいた。少しの間その動きを眺めると、イリスはトビアスが座った隣の椅子に飛び乗った。
すると、巡回神官に子どもが混じっていることにようやく気づいた村長が不思議そうな顔をした。
「神官様、その子は?」
「ああ、この子は神殿へ連れて行く途中なのです。途中立ち寄った村が敗残兵に焼かれていて、ひとりだけ生き残っていたところを見つけましてね」
答えたのはアドリアンだ。
村長はその話を聞くと、おお、とため息のような声を出し、憐れみの目でこちらを見てきたので、イリスはその視線を真っ向から受け止める。村長は何を思ったのか、少し目じりを下げ、小さく息をついた。
「それはそれは、災難なことでしたな。我々の村がそうならなかったのはただ幸運だったからでしょうが……」
なんという世だ、と村長は続けてから自身も腰掛ける。そして、白湯が全員の前に置かれてから、話をはじめた。
「神官様、もうこの村をご覧になられたのでしたらおわかりかと思いますが、この村は、魔物の支配下に置かれてしまいました。何人も、その餌食となっております。私の息子も……」
「それは、お辛かったでしょう。ですが、なぜ神殿へこの事を告げなかったのですか? 我々が来るのを待たずとも、依頼があれば神殿はすぐに動きます」
「はい、それは存じ上げております。ですが、ひとりでも村から出ると、すぐに襲われるのです。旅人も例外なく、村から発つ時に襲われるのです。入る分には何もされないのですが……出たら最後、皆殺されてしまいました」
沈痛な表情で、村長はアドリアンに向けていた目を少し反らす。
その仕草からして何かあるなと思いながら、静かに白湯を啜って胃腸を温めながら彼をじっと見つめる。
「となると、相手は知恵のある魔物。しかも街道に施されている結界くらいなら無効化するほど力の強い魔物だということですね」
アドリアンが訊ねると、村長は「はい」と返した。
「情報がもう少し欲しいな……。思い出すのはお辛いことととお察しいたしますが、細かいことでも構わないので、色々とお話を聞きたいのですが」
「……村長、どうして言わないのです?」
村長の家の広間に集まっていた村人のひとりが、耐えかねたように問うた。村長は大きく目を見開き、次いで閉じる。すると、追従するように他の村人たちがなぜ言わないとかと口々に言い始めた。
やがて、同席していた老婆が重々しく言った。
「どちらにせよ、黙っていることは出来ない。あたしらのした事は、それほどの事なんだ。言うしかないんだよ」
全てを飲み込むような老婆の落ちくぼんだ目。
村長は観念したように、重たい口を開いた。