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第七話 旅立ち


 翌朝、村を発つ事になった。


 未練はたっぷりあるが、ここにずっといても暮せない。

 イリスは形見の品になりそうなものを幾つか見繕って袋に服やまだ食べられそうなものなどと一緒に詰め込んだ。一番は、母が結婚するときにくれると言っていた小さな安っぽい宝石だ。翡翠か何かではないかと思う。

 父の使っていた大ぶりのナイフも持っていくことに決める。


 全て詰めると待ってくれている三人の元へ小走りに向かう。


「もういいのか?」


「はい。あの、これからよろしくお願いします」


 言ってぺこりと頭を下げる。


「いや、こちらこそ。ヴァルフリーダ神のために戦う仲間が増えて嬉しいよ」


 トビアスが優しげな笑みで言う。

 イリスは出会ったのが彼らで良かったと感じた。もしも変な人間だったら、子どもを攫ってろくでもない労働に従事させようとしたり、場合によっては襲われる可能性だってあった訳だ。


 まあ、そうだったとしても吹き飛ばせば済む話ではあるが、吹き飛ばせたところで明日からの暮らしに困ることに変わりはない。

 彼らに会えなければ、本当の本当に困っていた。


「私も、皆さんのお役に立てれば嬉しいです」


「ああ、きっとそうなるさ。でも今日の所は近くの村か町へ行くつもりだ。君にいつまでもそんな格好させて置くわけにもいかないし、僕たちの仕事のこともあるからね。そこを過ぎれば大きな町に出るから、そうしたらそこのヴァルフリーダ神殿を経由して、最も大きい大神殿へ転送してもらえる。全てはそれからさ」


「はい!」


 元気よく返事をする。

 すると、三人はどことなく辛いような顔をした。健気に見えているのだろう。何しろイリスは見た目では一応子どもだ。

 さらにはこの外見であることもその効果を助長しているように思えてならない。これまで容姿端麗に生まれて良いことは特に無かったのだが、ここへ来て役に立つ要素になってくれたのだろうか。

 まあそうでなくても、このくらいの年齢の子どもに対した時、まともな大人なら保護しなければと考えるのが普通だろう。


 そして、どうやら目の前の三人はまともな大人らしい。


 ――幸運、という事になるのかな。


 何とも不雑な気分で考え、すぐにやめた。考えたところで精神が疲労するだけだ。どうせこれからずっと歩いて行かなければならない。

 本当なら飛べる術を得たのでさっさと飛んで行きたいが、物事には順序というものがあるのだ。


 イリスはこっそり嘆息して、歩き出した三人に続く。


 歩きながら、時々後ろを振り返る。


 失ったもの、手に入れたもの。あまりにも多くの体験をした。前世にいた日本ではまず経験することのないものだろう。

 少し前から、じわじわと押し寄せてきている衝撃がある。


 人を、殺したのだ。


 よくよく考えてみるまでもない。あの時は無我夢中だった。それでも十年一緒に過ごして、喜怒哀楽を分かち合った家族という存在を失ったのだ。その事で我を失った。

 それにあのままでは拉致され、どこぞの王侯貴族の慰みものだ。


 正当防衛。

 いや、過剰防衛か。


 やらなければならなかったのだ。

 そうしなければ生きられなかった。なんだかあの神々に背後から生きろ生きろ努力しろ努力しろと大合唱されているようで気分が悪い。本当に、何とかあの厄介な存在を納得させて次こそ転生を阻止しなければならない。そのためには何としてでもこの世界を生き抜かなくては。


 それに、この小さな手が汚れた感覚は否めない。

 まあ相手が嫌な奴だったということが幸いだ。


 イリスは最後にもう一度だけ振り返る。


 この景色を眼に焼き付けるために。


 それが済むと、後はもう振り返らなかった。




   ◆




 彼にとって、この農村に魔物が出ることは初めての経験ではなかった。

 その際には、近くの戦う力を持つ神官たちのいる神殿を訪ねて退治の依頼をすれば良い。幾らかの謝礼だけで、彼らは迅速に魔物を片づけてくれた。


 今回もそうすればいい。


 それに、彼はもう高齢の域に差し掛かっていた。

 このやり方を息子に覚えさせ、魔物に関わる問題が解決するところを見せておきたかった。だから、息子を神殿へ行かせた。


 今まで彼がそうしてきたように。


「村長、これは……今までとは何かが違うと思うのですが」


「そうだな」


 ぽつり、と出た声がひび割れて乾いていることに気づいていたが、彼にはどうでも良いことだった。

 目の前にあるのは、すでに命の灯の消された身体。


 それが彼が愛し、大切にして全てを託すために育ててきた息子だと信じたくなかった。血の滲む藁の中から、腕がのぞいている。

 最初目にしたとき、一瞬息子だとわからなかった。


 辛うじて服装と持ち物からそれが誰の身体か判明した。それさえ、すぐにはわからなかったのだ。何か獣のようなものに襲われたのだということだけは確実だった。多数残された傷跡がそれを物語っていたからだ。

 頭はそう冷静に事態を理解しようとしている。

 だというのに、胸を掻き毟って大声でわめきたい衝動にも駆られている。


 長い年月に培われた全ての自制心をかき集め、ようやくそこに立っている。


 それだけだった。


「もう一度、神殿に行きましょうか?」


「いや、道中襲われる可能性が高い。やめておくべきだろう……息子が、神官たちを連れてくることさえ出来なかったのだ……また、犠牲が出たら」


 息子のような目に、村人をあわせる訳にはいかないのだ。


 それが自分にとっての義務であり、長としての判断だった。


「今までとは、何が違うのだ?」


 手のひらの肉に爪が食い込むほどの力で握り込む。皮膚が破れて血が出るほどの強さだった。それを見た村の男性たちは何か言いかけ、すぐに口をつぐむ。

 今の村長には、声を掛けたくても掛けるべき言葉が見つからないといった様子だった。


「今まで現れたのは、大蜘蛛や食人植物でしたな。村人が襲われ、神殿へ行って退治を要請し、すぐに終わりました」


「ああ、今回も同系統の魔物だと思ったのだが」


 傷口の具合からして、獣系の魔物であると推察される。

 男性たちが憂鬱そうな様子でぼそぼそと話を始める。


「恐らくそうだが、今まで森から出てきたことがあったか?」


「いいや、襲われるのは大抵森に狩猟や採集に入った者たちだけだ。街道を歩いていた息子さんが襲われたのはおかしい。しかも、見つかったのは森の入り口だぞ」


「大きな街道には神官たちが低級の魔物が入らないように結界を張っているらしいじゃないか。だから街道を行けば安全なはずだったろう?」


「と言うことは、俺たちはこの村から出られないのか?」


 最後に放たれた言葉に、村人たちが黙り込んだ。

 つまりこのままでては、村に閉じ込められる。大きな街に行かなければ手に入らないものや作物を金品に交換することが出来ない。ほとんど自給自足に近い暮らしをしているから、すぐに困ることはないだろうが……。


「つまり、巡回神官が現れるまでどうしようもないと」


「そうなるな」


 嘆きや呻きが村長の家の広間にゆっくりと広がっていく。

 しばらくした後、場は沈黙に包まれた。誰も、何も言う事がない。解決策すら見えてこない。ただの村人に出来ることは、ただ祈ることだけだった。


 その時、村長の家の戸が開いて、顔を青ざめさせた若者が言った。


「村長! 村の入り口にこれが!」

 

「どうした!」


 羊皮紙らしきものを掲げてきた若者は恐怖に顔を引きつらせている。

 彼は読み書きが出来ないはずだ。

 なので、書かれている内容に怯えているのではない。


「それは?」


「これを見てください……っ」


 青年は普段明るい顔をただただ引きつらせながら羊皮紙を開いた。


「――っ!」


 そこに記された文字は、血文字であった。急いで、文字の読める者が羊皮紙を手にする。みるみる、彼の顔色が青ざめていくのを見て、誰かが言った。


「何と書いてあるのだ!」


「あぁぁあ、あの、これから、村にい、生贄を要求する。旅人でも構わない、十日に一人森へ送り込めと。出来なければ、村からひとりずつ攫うと書かれています」


「そんな――! そんなこと出来る訳が」


「村長!」


 再び村長の家の戸が勢いよく開き、農作業中だったらしき村人が叫んだ。


「村の入り口に、また誰かが殺されて、どうして!」


 混乱の極みにあるのか言葉がおかしいが、言っている意味はわかる。その場に集まっていた男性陣が「おい、誰か見て来い!」と言った。

 それまで呆然としていた男性たちの内、二人ほどが「は、はい!」と返事をして出ていく。


 しかし、彼らが戻るのを待つまでもないのだ。


「……どうやらこの村は、恐ろしいものに目をつけられたようだ」


 村長がぽつりと呟く。

 誰もがもう、安心して日々を暮せない。誰かが助けに来てくれるのを待つしかないのだ。それが一体いつになるのかはわからない。

 巡回神官たちがどういうルートを辿り、各地の村や町を回っているのか、彼らには知る術はない。


 ただ、一年に一度は必ずやって来る。


 それを待つ。


 待つしかない。


 それでも、祈らずにはおれなかった。


 ――早く! 早く助けてくれ!


 このままでは、この村は遠からず魔物に食い尽くされてしまうだろう。どうか、そうなる前に、誰か。村人たちは重苦しい空気の中、全員がそう願っていた。



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